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月でウサギを飼う方法  作者: 吉田エン
第三帝国の逆襲 一章:五所川原内親王の受難
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4

「しかしまぁホント、ゴミみたいな脚本だな」


 私は呟きながら、食堂でパンを口にする。


 正直、私の感覚は一般からかけ離れていると思う。それは以前から漠然と知ってはいたが、どちらかというと、私が正しくて世間が間違っていると考えていた所がある。けれども月に来ることになって、色々と考える所もあり、私自身の異常な感覚は変えようがないとしても、何とか不特定大多数の人々と折り合いを付けていこうと思い始めていた。


 けれども、それとこれとは話が違う。つまらないどころか、おぞましささえ感じるこの脚本。確かに一般向けには、吉良の云うところの『スピードアクション、切ない恋』というのは重要なキーワードとなるのだろうが、私自身は『小難しくて哲学的』なのを好むところがある。一般向けにはこの脚本が解なのだろうとは思うし、それで皆が喜ぶのは『どうぞご自由に』なのだが、私は関わりたくないし、出演なんてもっての他だ。


「だいたい何なんだよこの姫の口調。○○だわ、とか、○○かしら、云ってる女とか見たことねぇっての」


 ブツブツと呟きながらザクザクと赤を入れまくっていると、隣に人が座る気配がした。顔を向けると、基地の数少ない女性職員の一人、少しサドっ気があるドクター津田が、珈琲パックを手に私のパッドを覗き込んでいた。


「それ、例の? いいなぁ、私もメンバーに加えてくれないかしら」


 そういえば、彼女がいた。

 ドクター津田は言葉遣いは女らしいし、普段はお淑やかだが、緊急時にあっては鋭い知性を発揮する。というかキレる。いや、正確に云うなら冷静に論理的にブチギレる。その恐ろしさは基地の誰もが知っていて、ひょっとしたら彼女の隊員に対する影響力は隊長をも上回っているかもしれない。


 そんな彼女だが、理系女子にしては珍しくミーハーなところがあって、医療室にはネズミーのぬいぐるみやイケメン俳優の写真が置かれていたりする。この人も、つくづく不思議な人だ。


「そんな楽しくもないですよ。見ます?」


「え? いいの?」


 目を輝かせ、彼女は満面の笑みを浮かべながらページをさらさらとめくっていった。


「へぇ、やっぱり噂通り、新しいクローンはスターリンだったのね! 誰がやるのかしら。やっぱり岡田眞澄かしら」


「誰ですそれ」


「あら、知らない? スターリンに凄い似てる俳優さんで。ってあの方、まだご存命だったかしら?」そこでふと、彼女は顔を上げ、そろそろと食堂の中を見渡した。「で? 来てるの?」


「誰がです?」


 ドクターは私に身を寄せ、小声で叫んだ。


「藤岡弘二よ!」


「え? いや、来てるのはプロデューサーの吉良って人だけですよ。とりあえず月面基地でホントに撮影可能か見に来たらしくて」


「そっか。なーんだ。頑張ってお化粧して損しちゃった」彼女は残念そうに椅子に背を倒したが、すぐに身を起こして私に食いつく。「でも、撮影となったら来るのよね?」


「どうでしょう? 最近じゃ、アクターのモーションキャプチャして、顔だけ俳優のにCG合成するとか。普通にやってますし」


「ちょっとゴッシーちゃん、私の夢を壊さないでくれる?」


「んなこと云われても。何なんです夢って」


 彼女は静かに、酷く真面目な表情で云った。


「一般の女性になりたいの」


 意味がわからない。


「エキストラで出たい、って事ですか?」


「違うわよ! 云うでしょ俳優の人が普通の人と結婚する時! お相手は一般の女性って!」


 あぁ、なるほど。

 そう心の中で呟く私に、彼女はこれみよがしに肩を落とし、食堂を見渡して見せた。


「もうホント、この基地の男共ときたら。どいつもこいつも子供ばっか。ロボットアニメに人生を捧げちゃって、そのまま勢いで月にまで来ちゃったような連中よ? ろくに運動もしてないもんだから体脂肪率は高いし、代謝は低いし、女に対する気遣いなんてまるでゼロ。せめて藤岡弘二が来てくれたら、私の婚期も早まるかもしれないのに」


「いやぁ。芸能人と結婚しても。大変だと思いますけど」


「やぁね。冗談よ」


 彼女はそう誤魔化したが、目は完全に本気だった。


 更に先を読み進めるドクター津田。私はため息を吐きつつ、脇に置いていた文庫本を手に取る。そして無言の内に文字を追っていたところで、ドクターはパッドから目を上げて文庫の背表紙を覗き込んだ。


「『彗星会議』。何それSF?」


 ドクターは基地の中でも、一、二を争うSFマニアでもある。

 その彼女でも知らないか、と私は苦笑いして、カバーを取り去った文庫本の茶色い背表紙を眺めた。


「十年くらい前のSFなんですけどね。リチャード・ダウラントって作家さんです。知りません?」


 ドクターは記憶を探るように宙を見上げたが、結局最後には頭を振った。


「知らないわ。他にはどんなのを?」


「それが、これ一作だけっぽいんです」


「ぽい?」


「私も散々調べたんですよ、この人。でも全然情報なくて。未翻訳のがあるんじゃないかな、と思って探したんですけど、これ以外に見つからなくて。今でも時々グーグルで検索するんですけど、全然何も出てこない」


「ふぅん。ミステリーね」


「そんなんじゃないですよ。単純に売れなかっただけっぽいです」


「面白くないの?」


「面白けりゃ、もっと有名になってたんじゃないですかね」苦笑いで云った私に、彼女も笑い声を上げた。「いや、私は超好きなんですけどね。人にあげたりボロボロになったりして、この本でもう五代目くらいです」


「へぇ、いいわねそういうの。私もあるわ、そういう聖書」


「何です?」


「『銀河英雄伝説』、田中芳樹」超真顔で答える。私が答えに詰まってる間に、彼女は身を乗り出して私に詰め寄った。「読んだ? 銀英伝。全十巻に外伝四巻」


「いやぁ、まぁ、読みましたけど」色々なイケメン属性を持った英雄たちが知略を尽くす戦記物だ。「ドクターなら、エリスンとか、そういうのを持ち出すのかな、と」


「エリスンねぇ。若い頃はサブカル女子だったから色々読んだけれど、もうね、年をとってくると、あぁいう哲学なんだか文学なんだかワケわかんないのはね。辛くなってくるのよ」


「そういう、もんですか」


 そこでふと彼女は口ごもり、時折見せる例の恐ろしげな表情で云った。


「そこはね、『ドクターまだ全然若いですよ!』ってフォローするところ」

「あ! いやいや、それは失礼を」

「いいの。冗談。で? ソレ、どんなお話なの?」


 文庫を指され、私は再び、苦笑いした。


「何というか、童話風なお話なんですけど。何人かの少年が主人公で、彗星会議っていう天文サークルみたいなのを作るんですけど。そこで優しい宇宙人やロボットと出会ったりして。異世界を冒険したり。で、特にオチもない成長物語みたいなのです」


「アリスのSF版?」


「あぁ、近いっちゃ近いです。でもあそこまで風刺っぽくはなくて、あくまで童話風で」そう、私はページをペラペラとめくりつつ続けた。「とにかく凄い、文章が完璧なんですよ。ほら、小説って、人によって読みやすい文章ってあるじゃないですか。それがこの人のは、私の中で完璧で。言葉遣いから、単語の選択とかが、もう、私の脳内に簡単に展開できるというか」


「あぁ、あるわね、そういうの。考えずに読めちゃうっていうか」


「そうそう。そんな感じで。それに世界観とか、ヒトの描き方とか、とにかく最高で。でも売れなかったみたいだし、貸したりしてもイマイチって人が多かったから。あくまで私の中だけの最高なんでしょうね」


 唯一理解してくれたのが、同人仲間の楓だ。

 この『彗星会議』が、私の同人活動の原点と云っていい。


 この美しく、不可思議で、流れるような世界を、絵にしてみたい。


 いや、正確に云うなら、もう望むことも出来ないだろう彗星会議の続きが、私にはどうしても必要だった。この世界観を最後まで味わうには、たった一冊の文庫では不足だった。続きがあるなら、こんな世界、こんな冒険があるだろう。その妄想に頭が一杯になり、どうしても吐き出さなければならなくなった。


 とはいえ、この小説に叶う文章を書ける気がしなかった。それで別の舞台、漫画に逃げたというのが現実だ。


 それでも、少しでも、リチャード・ダウラントの世界を夢見ていたい。あの世界がどうなるのか、続編が出るとしたら、どんな素晴らしい冒険があるのか。綴りたい。


 その理想は半分にも達していなかったが、志途中で妙に売れてしまったものだから、私は天狗になって。暫くこの本も手に取っていなかった。けれどもアイアン・ウォーズの脚本を読んでいると、脳内に構築しようとしていた理想的な創作イメージがグチャグチャになっていく感覚がしてならなかった。だから久々に頭から読み始めたが、やっぱりこれは、最高としかいいようがない。


 そして思う。

 やっぱり私の漫画は、まだまだゴミだったな、と。


「だからね、駄目なんですよ、アイアン・ウォーズとか。まぁ好きな人は好きにしてくださいなんですけど、どうして私がそれに関わらなきゃならないのかって。姫と騎士の恋愛とか、爆発とか危機一髪での脱出とか、もう飽き飽きすぎてキモくなるっての。わかります?」


 思わず熱弁してしまった私に、ドクターはふと、恐ろしげな笑みを浮かべていた。


「わかるわ。でもね、年をとると。一周回って『やっぱコレもアリだな』って思うようになるの」


「そういうもんですかねぇ」ふと私は呟いて、慌てて付け加えた。「あ、ドクター、まだまだ若いですよ!」


「もういいから」軽く遮って、そういえば、というように彼女は続けた。「あ、でも。そういうことなら、いい手があるわ」


「いい手? 何です?」


 ニヤリ、とドクターは笑みを浮かべ、パッドにすらすらとペンを走らせ始めた。


「まぁ任せて。これでも私も、元文学少女よ?」


 何か云いようもない不安を覚えつつも、私は辛うじて口にした。


「元、じゃなく、まだまだ少女ですよ」


「いや、もういいから、それ。だんだん悲しくなってくるわ」

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