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桜の亡霊

作者: nara

 街灯だけが視界をもたらす、そんな夜。

 田舎の公園の中央にぽつんと置かれた木製ベンチに一人、古びた色のクラシックギターを弾く若い男が腰かけていた。

 白いパーカーにジーンズ、割とラフな格好の彼が奏でるその演奏は聴く者の心を洗う、そんな演奏だった。

 突然、演奏が止る。

 静寂の中、――彼が呟く。

 彼の口が開くと同時に白い息がこぼれおちた。


「……月が奇麗だ」


 彼の言うそんな空は新月。

 月なんて見えやしない。


「君も、そう思うだろう?」


 彼が問いかける先には二つ並んだ桜の木。

 街灯に照らされた部分が煌びやかにその色を闇に映し出していた。

 彼は再度クラシックギターを奏で始める。


――彼にしか見えないものに、会うためだけに。


 演奏を続けていると一人の男が彼の前で立ち止まった。制服を着ている外見から、高校生くらいだと大体想像がつく。


「……何で、こんな夜中にギターなんて弾いてるんですか?」


 浅黒く日焼けした青年が、怒気を込めた強い口調で呟く。

 彼は演奏を止め、男の顔を見上げた。


「僕に何のようかな?」


 笑顔で青年に聞き返す。

 街灯に照らされたその顔は笑っているが、目の奥、その根本的な部分は全く笑っていなかった。青年は彼のその雰囲気を感覚で察知したのか、少しだけ身構える。


「僕に用があるから、わざわざ“こんな夜中に君の方こそ”この場所に来たんじゃないのかい? まぁ、隣に座りなよ。短い話じゃないだろう?」


 彼はそう言って隣に座るよう促す。

 青年はそれに従ってベンチに腰を下ろす。


「名前は?」


木戸浩司(きどこうじ)


 青年は端的に答える。

 表情は暗かった。


「……都市伝説みたいなの、聞いたんです。夜中の二時頃、この公園にギターを弾く亡霊が現れるって。その亡霊が、願いを一つだけ何でもかなえてくれる……」


 青年が両手を組んでシニカルに笑う。


「おかしい話ですよね。そんな都市伝説……信じてない、信じてないはずなのに。俺はこうしてこの場所にこうやって座っている」


「僕がその亡霊だと……?」


 ギターの彼が不満そうに鼻で笑う。


「はい。最初はそう思ったんです、失礼ですけど。……ですけど、違うんですよね。話せばこうやってあなたは現実に存在する人間だとわかる。やっぱり都市伝説なんだって、いまはそのことを、実感させられているところです」


 青年はちょっとだけ微笑んで、ベンチから立ち上がろうとした。


「すいません。演奏の邪魔をしてしまって」


 ギターの彼はそれを制して、


「あんがい都市伝説は都市伝説じゃないかもしれないよ?」


 と、言葉を続けた。


「どういう意味です?」


「あの桜の木を見てごらん。何で二つしかないのか、その理由を知っているかい?」


 青年は意図がわからないという顔をした。


「あの桜の木はもとは一本だったんだよ。でもね、病気の女の子を救おうとしたミュージシャンがもう一本隣に植えたんだ。……その女の子が“さくら”っていう名前だったから。もうすぐ死ぬんだっていつもふさぎこんでいた彼女を慰めるためか、そいつは同じ名前の樹を隣にもう一本植えた。君はひとりじゃないって、女の子がよく来るこの公園に植えることで、伝えたかったんじゃないかな。……結局女の子は死んじゃったんだけどね。もう五十年くらい昔の話さ。桜の木の亡霊ってのは、そのミュージシャンのことだろうね……願いをかなえてくれるってのは初耳だけど」


 ギターの彼は目を細めると、青年の方を向く。


「君は亡霊に何のようがあってここに来たんだい? 僕でよかったら、話ぐらいは聞くよ。都市伝説に頼るぐらい、切羽詰っているんだろう。話してくれてもいいんじゃないかな?」


 青年はしばし目をつむり、決心したようにうなずいた。


「実は、俺、野球部のピッチャーなんです。小学生のころから野球やってて、野球が俺の人生って言えるくらいに。一生懸命頑張って、この前、念願の甲子園進出が決まったんです。でも、つい最近、事故が起きて。俺、もう投げられなくなっちまったんです」


 我慢が出来なくなったというようにすすり泣きだす青年。


「別に、俺が投げられなくなったのはいいんです。でも、でも。今まで一緒に頑張ってきた仲間たちに、悪くてっ! だって、俺がいなきゃっ! キャプテンの、俺がいなきゃっ……あいつらは、あいつらは……」


 青年は泣き崩れ、それ以上は語らなかった。


「そうか。……心残りなんだね。……うん、これを見てごらん」


 ギターの彼は右手を差し出す。瞬時、その手のひらの上空10センチに――何もない空間のはずなのに――テレビの画面のような映像が再生される。


「君の高校の甲子園の中継だよ。もう十年くらい前のことだね」


 そこには、一丸となって昨年の優勝校と戦う、青年の所属していた野球部の姿があった。


「この野球部は君なしでもしっかりやってるよ。確かに、君はこの野球部に必要な部品(ワンパーツ)だったのかもしれないよ。でもそれ以前に、そのことを補うだけの力を持った、素晴らしいチームだったんだよ。その証拠に前年度の優勝校に勝利するっていう快挙を成し遂げてるしね。番狂わせとか、ダークホースだとか、最初はののしられたもんだけど、勝ち進む彼らを見ていて、誰もそんなことを言う奴はいなくなったんだ。準決勝で負けちゃったけど、彼らはすごくいい顔をしている」


 ギターの彼が息を吐く。

 吐く息は白くなり、やがて消えた。


「……もう全部終わったことなんだよ」


 手のひらの上の画面には汗だくで、泥だらけの球児たちが映っていた。


「過去にとらわれてちゃ、進めない。行くべきところにいかなきゃいけない」


 そう言ってギターの彼は青年の背中をポンとたたく。

 青年は悲しいような、嬉しいような笑みを浮かべて、「はい」とだけ言った。そして立ち上がり、「ありがとうございます」と言って――消えた。


「礼を言うんだったら、最初から成仏しやがれ、だ。まぁ、僕が言えた義理じゃないけどね」


 幽霊だった彼にそうぼやき、桜の亡霊である彼もまた、朝焼けの公園に姿を消した。


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