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第7幕:イドとエゴ(1)

「ごちそうさまでした」


 と、食事を終えて満足した俺はそう言って手を合わせる。シアルフィアもそれを真似して、言葉にこそしなかったが手を合わせてお辞儀をする。日本の文化だから彼女が知っているはずもない作法なのだが、気持ちははっきりと伝わってきた。


 掛け時計に目を移すと、もうすぐ10時になろうかというところだった。慌ただしい一日だったし、流石にそろそろ眠気が滲み始めてきていた。


 シアルフィアが言うには、どうやら食器類はそのままにしておいていいらしい。寝静まった頃に小妖精――ブラウニーが片付けてくれるのだという。しかし彼らは臆病なので、姿を見られそうになると逃げ出してしまう。本当なのだろうかと半信半疑だったが、どちらにしても片付ける気力はもう無かったので有り難かった。彼らへの報酬は学園が支払っているが、気が向いたら各自でお礼をすると喜ばれるんだとか。でも、どうやって渡すんだろう?


 そして――この後はどうしたものだろうか、と俺は頭を悩ませていた。


 "寝る"という行為自体は毎日のように行われているごくごく有り触れたものだ。しかし"誰かと寝る"となると話はまるで変わってくる。非常に深い意味を持ってしまうわけであって。


 「据え膳食わぬは男の恥」とは言うけれど、そんな立場に置かれたとして本当に据え膳なのだという確信も持てないし、仮に据え膳だとして手を出していいのかも分からない。大体、そんな格言自体が古くさいということもある。


 男女として付き合い始めて、徐々に親しくなって、いよいよ一線を越える――そんな段階を踏んだわけでもなく、突然降ってきた関係であるからして、こういう経験値を要求するようなシチュエーションの打開法なんて知っているわけもない。


 そう、経験値が足りないんだからここは無難に行こう。平静を装って別々の部屋で寝てしまおう。もし部屋が無ければ、俺はソファーにでも転がっていればいい。


 よし、決め――


「シャワー、先にいただきますね」


 かけて、シアルフィアがあまりにもあっさりと決心を台無しにしてくれるのだった。わざとか。わざとなのか。よりによってそのタイミングは無いだろう。涙目になるぞ。


 彼女がついさっき風呂に入ったばかりだということはわざわざ思い出すまでもない。入浴頻度が高いのは毎回覗かれてしまう風呂好きの某女の子みたいなものかと思ってみたりもするが、別のもっと深い意味に気付けないほど俺は無知でも幼稚でもない。


 席を立つ彼女の表情――本音に至るための手がかりを俺は見逃してしまっていた。気付いた時にはもう背中を見つめることしかできなかった。


「寝室に第1課――明日から始まる課程の手引き書が置いてあるので目を通していていただけますか?」


 背を向けたまま言ってくる。そんな姿が彼女らしくないような気がして、俺は更に余計なことを考えてしまうのだった。


「え? あ、ああ。ありがとう」


 動揺を隠すことができず、微妙に見当外れな返事をしてしまったような気がした。シアルフィアも意識してないってことはないだろうし――気取られてしまったかなとバツの悪さを感じてしまう。


 一方で、もう明日から学園生活が始まるらしいということに俺は不意を突かれたような気持ちになると同時に気が引き締まるのを感じていた。


 脱衣所に向かう彼女を見送ってから、俺は寝室へと移動することにした。寝室はリビング・ダイニングからは廊下を通って少し離れた場所にある。他に個室、書斎、ゲームルームなどもあるようだ。


 俺は寝室のドアを開いた。


 室内は淡いオレンジがかった白熱灯に照らされていた。シティホテルを少々リッチにしたような部屋で、シングルソファがテーブルを挟む格好で2つ設置されている。「悪いな、この部屋は二人用なんだ」と言われているようで、どうもそわそわしてしまう。


 簡易机の上にはA4サイズで100ページ程度の冊子が置いてあった。表紙には校章と思しきデザインが描かれている。これが手引き書であるようだ。


 そして肝心のベッドはというと――ダブルベッドが一つに枕が二つ。俺がいかに奥手であろうと、それが何を意味するかって程度のことは知っている。


 だがしかし、考え方を変えてみよう。俺と彼女は生まれ育った文化圏が異なる。例えば中世ヨーロッパ世界では――そんな時代と比較するってこと自体が失礼なのかもしれないが――宿などでは特別な関係なしに男女が同衾するということもあったという。旅の道連れ、みたいなものなのだろうか。そして寝る時は全裸が普通だったらしい。公衆衛生が整っていなかったからノミやらシラミやらが大変だったというオマケもあったようだが、それはそれで笑い話みたいなものだ。


 俺はせめて心を落ち着けようと、ソファに腰掛けてテーブルのスタンドのスイッチを入れ、手引き書を開いた。


 学園では達成目標ごとに第1課、第2課、第3課……と課程を進めていく流れになっているらしい。まずは各種能力を身につけ、基本的な取り扱いに習熟することを目標とする。初期の段階では学園の位相空間を微妙にずらすことで男子の候補生同士が直接対面することはないようになっているとのことだが、それがどういう理屈で一体何を言っているのか、今の俺には理解することができなかった。"そういうもの"として把握しておけ、ということなのだと解釈しておくことにした。


 明日から始まる第1課の概要についても記されていた。基本属性の中でも扱いやすい"力"と"熱"の習得から始めていくのだという。しかしやはり理解しづらい概念も多く、オリエンテーションで把握すればいいとも書かれていたので、俺は細かいことを気にするのをやめた。


 ワクワクしないと言えば嘘になるが、期待しすぎて「実は大したことありませんでした」となってもあまり面白くない。どうせすぐに分かることなので、俺はあまり意識しないことにした。とは言え、やはり微妙にニヤけてきてしまうのだったが。男ってやつはいつまでも子供なんだし仕方ないね、と開き直ってみる。


 学園のシステムは単位制で、必修科目全てと選択科目を分類ごとに一定数取ればいいらしい。大学生が単位単位と言っているのはこういったシステムのことなのだろうか。


 第3課までを第1期として、その期限は90日、標準習得期間は30日と書かれている。つまり普通は30日で修了できるような内容だけど、もし90日過ぎたら退学ね、ってことなんだろう。これが長いか短いかは分からないが、実際の時間でイメージしてみるとするなら恐らくあっという間のことだろう。


 そして気になるリンケージのシステムについて。これはどうやら必修学科科目として設定されていて、授業を通して理解を深めていくことになっているようだった。当然試験もあるわけで、成績によっては放校となることもあるらしい。座学と言えど気を抜くことはできないわけだ。


 やはり問題となるのは実践系の科目だろう。座学は怠けなければいいとして、身体を動かす系――あるいは更に踏み込んだ技能を求められたりした場合、努力よりも素質の影響する割合が非常に大きくなってくる。


 俺にその素質はあるのだろうか――?


 候補生と呼ばれた俺が要求される水準とはどの程度なのだろう。努力で覆せるものなのか。絶対評価なのか、相対評価なのか。卒業できる席の数は限られているのか。そういった点が気になって記述を探してみるが、手引き書の範囲ではそれらを確認する事ができなかった。


 冊子を閉じ、天井を仰ぐ。守るという決心はしたし、そのためにどんな努力でもする覚悟はある。それでも素質が足りなかったりしたならば――先のことを考えれば考えるほど、胸の中で不安のカタマリがその体積を増してくる。


 カチャリ、と寝室の扉を開く音がした。俺はハッとして、眼前に重大な問題が控えていることを思い出した。


 気持ちを落ち着けようとして逆に別の不安に気付かされることになってしまい、そうこうしているうちに時間が過ぎてしまっていたのだ。心の整理などできていようはずもなく、俺は動揺を隠そうと必死になっていた。


 大丈夫、何てことはない。俺は自分にそう言い聞かせながら、部屋に入ってきた彼女の方に視線を移し――


 心の防波堤を打ち砕かれそうになってしまった。


 薄明かりに照らされた彼女の身を覆っているものは、大きめのバスタオル一枚だった。白く華奢な肩。ほっそりしていても肉感を感じさせる太腿。シアルフィアは右手でバスタオルを胸元できゅっと押さえていて、金糸の髪はしっとりと濡れていた。


 美しく、可憐で、色っぽく、妖艶で。


 独占したい。


 押し倒したい。


 俺の中で獣が首をもたげ、解き放てと檻の中で大暴れする。


 それを黙らせるように俺は思わず目をそらし、口元に手を当てて硬直してしまっていた。


 彼女は何も言わない。ただ緊張だけが空間を支配している。それが俺の言葉を、行動を待っているのだということはすぐに分かった。


 俺は混乱の中で、次の一手を全く見出せずにいた。

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――


学園の手引き的なものを手元でまとめながら進めているので、微妙に更新ペースダウン中です。

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