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第2幕:姫と執事

「先ほどは、お見苦しいところを、お見せしてしまいました……」


 ダイニングキッチンのテーブルを挟んで、俺とシアルフィアは向かい合って椅子に座っていた。彼女は色々な意味で気恥ずかしそうに俯いていた。


 騒動のあと、俺は自分の部屋でそそくさとTシャツとジーンズに着替えたのだった。風呂が使えなかったからとりあえずは部屋にあったタオルで軽く身体を拭いたのだが、やはり泥水を浴びた気持ち悪さはぬぐえない。


 テーブル越しに石鹸のいい香りが漂ってくる。湯上がりの彼女を五感で感じ取っていると、時も場所も弁えずに劣情を抱いてしまいそうになる。幸か不幸か、その背後でキッチンに立って何やら作業をしている爺さん――レンドールという名前らしい――の存在が、今するべきことが何かということをはっきりと示してくれてはいたのだが。


「いや、その、まあ、俺も悪かった。ごめん」


 謝る必要があるのかと言われたなら疑問が残るかもしれないが、結果として彼女に悪いことをしてしまったのは確かだと思い、俺は謝罪の言葉を述べていた。


「お願いですから、あのことは忘れて下さい……」


「……はい」


 シアルフィアは本気で凹んでいるようだった。これ以上蒸し返すのはやめようと"俺は"思ったのだったが、爺さんは無慈悲に背を向けたまま追い打ちをかけてくる。


「良いではないですか。どうせ、そう遠からず全てをさらけ出すわけなのですから。この程度で恥ずかしがっていては、つとめなど果たせませぬぞ?」


「時と場所と気持ちの整理ってものがあるでしょ! こんな身も蓋もないような状況じゃなくて、もっと雰囲気のあるところで……うう」


 シアルフィアはまた泣き出しかねない勢いだった。


 まだ腑に落ちない部分は多々あるものの、二人のやり取りと雰囲気を見る限り警戒は解いても良さそうな気がしていた。


「話を戻して。……何の目的があってこんなことをしてるのか教えてもらえると助かるんだけど」


 俺は少しばかり言葉を選んだ。何者だ。何をしてる。何が目的なんだ。そんな尋問のような言葉を吐いては逆にこちらが警戒心を与えかねないと思ったからだ。


「はい。……わたくしどもは、ユウ様をお迎えするために参りました。お手紙はご覧になりましたか?」


 手紙――そう言われて、すぐにさっきの封書を思い出した。悪徳商法か何かと疑ったアレだ。


「ハーレム設立命令状とか何とか書いてあったのをさっき見たけど……まさか、その関係?」


 担当の者だとか、第一候補者が参るだとか、そんなようなことが書いてあった気がする。


「はい」


 シアルフィアは頷いた。


「……ん? 第一候補者?」


 ハーレムの第一候補者、ってことは女の子、だよなあ。それでもって可愛い。辻褄は合う――


「――さては、悪徳商法!?」


 俺はあの手紙を読んだ時に悪徳商法を疑ったことを思い出し、考えるより早く言葉に出してしまっていた。つまり彼女は親しげな風を装ってつけ込み、油断させる腹づもりなのか。肌を見せたのはハニートラップの一種。そう考えると話は通る。


 そんな俺をシアルフィアはきょとんとした表情で見つめてから


「――ぷっ」


 可愛らしい笑い声を漏らしていた。それを見て、逆に俺の方がきょとんとしてしまいそうだった。


「ごめんなさい。そうですよね、こんなこと信じられない方が普通ですよね。私だって、最初に話を聞いてから疑いを解くまでには時間がかかりましたし……」


 シアルフィアの言葉に、いつの間にかテーブルの横に立っていたレンドールがティーカップに紅茶を注ぎながら説明を加える。


「……まあ、無理に信じていただく必要もないでしょう。恐らくは信じざるを得ない出来事がこれから次々と起こるわけですからな。我々としてはユウ様には一通りの話を情報として心に留めておいていただく程度でよろしいかと」


 レンドールが俺とシアルフィア、それぞれの前にティーカップを差し出す。


「……意外に遠慮が無いんだな」


 俺は思わず、小声で微妙に毒を吐いていた。茶葉もカップも我が家のものだ。それを爺さんは自分のもののように使っているのだから、それを遠慮がないと感じるのは別におかしくはないだろう。安物だからうるさいことを言うつもりはなかったが。


 考えてみればシアルフィアが浴室を使っていたのも遠慮がない行為であったのだろうと思った。しかしそれもこの爺さんがそそのかしたというような印象を受ける言葉もあったわけだが……


 良く言えば物怖じしない、悪く言えば図々しいってところか。


 シアルフィアは凛とした表情になって、


「先ほどの話ですが……その第一候補者というのは私のことです。アルヴランデ王国の第一王女、シアルフィア=アルヴランデと申します」


 そう言って、ぺこり、とお辞儀をした。


「王国……? 王女?」


「はい」


 今、シアルフィアはアルヴランデ王国と言った。そんな国の名前を俺は知らない。一応俺は地理で赤点を取っているわけでもないし、どちらかというと得意な科目ですらある。適当に国名を言われたとして"存在する"、"存在しない"、"断言できない"、"確か歴史上存在していた"、"ネットで見た"のどれに属するかを判断する程度の事はできる。


「悪いけど、アルヴランデなんて国名は聞いたことがない」


 アルヴランデという名前は今の地球上に"存在しない"と断言することができる。そして恐らく歴史上においても。しかし俺の言葉にシアルフィアは動じる素振りは見せなかった。


「でしょうね。この世界に存在する国ではなく、別の世界――ユウ様から見て"異世界"の一つに存在する国なのですから」


 ――異世界?


 俺は耳を疑った。


「私どもからすれば、ユウ様の暮らすこの世界もまた"異世界"ということになります。私自身、異世界というものの存在を聞かされた時は到底信じることはできませんでした。実際に自分の世界の外に連れ出されて初めて話を信じることができたのですから、ユウ様が混乱されるのも無理はないのでしょうね」


 シアルフィアの表情は冗談を言っているようには見えなかった。その横で、レンドールの爺さんはにこやかにコーヒー豆を挽いていた。


 ……コーヒーミルは棚のかなり奥に入っていたはずなんだが、どうやって見つけ出したんだ。俺が気付かなかっただけで、まさかずっとこの家に隠れ住んでたとかじゃないだろうな。


 シアルフィアが話を続ける。


「論より証拠ということで、私どもがユウさまをご案内します。移行時間は午後8時。時が来ましたら、"エルトワール"へとお連れいたします」


「エルトワール?」


 また耳慣れない横文字を聞いて、俺は鸚鵡返しをしていた。


「はい。ユウ様がこれから過ごすもう一つの場所で……えと……ハーレム……を作るための場所です」


 シアルフィアは少しばかり言いよどんでいた。表情も平静を装ってはいるが、耳たぶが赤くなるのは隠せていなかった。俺も奥手な方だという自覚があったが、どうやら彼女は更に奥手なのかもしれないと感じていた。


 奥手×(クロス)奥手。万一ハーレムという話が本当だとして、自分たちはそれを作るような人物像とはまるで対極にあるような気がしていた。


「姫様、覚悟を決められませぬと。先が思いやられますぞ?」


「覚悟は決めてるわ。でも……その……う~……」


「もう既に上から下まで全部すっぽんぽーんと見られてしまったわけですし、堂々とされてもよろしいではないですか」


 ニコニコと過激な発言をぶちまける爺さんに、俺は思わず「ぶはっ」と紅茶を吹き出しそうになってしまった。一言どころか二言三言くらい多いような気がするぞ。


「思い出させないでよ! こんなんじゃもうお嫁に……」


 シアルフィアが両手で顔を覆う。


「それでは、ユウ様に責任を取っていただくしかありませんな」


 と、鋭い眼差しで俺の方を見た。


 ああなるほど、そういう魂胆か。事を円滑に運ぶためなのか、背中を押そうとしているのか。何にしてもこの爺さんが策士だということだけは痛いほど伝わってきた。


 悪意は無さそうだが、隙を見せると手玉に取られかねない。


「ダメだよ。ユウ様自身にそう思ってもらわないと……まあ、選択権自体は無いんだけど……」


 選択権が無い、という言葉が引っかかった。そう言えば、ハーレム設立"命令状"と書いてあった。"義務"という文字もあった。これはつまり、俺は状況に従うしかないということなのだろうか、と思った。言っていることが全て本当だとするならば、ではあるのだが。


 しかし生憎と俺の性根はそこまで単純でもなかった。信じる気持ちが1割、どうも頭のおかしい人たちが妄想を垂れ流してのだなと生暖かく見つめる気持ちが9割といったところだろうか。


 1割くらいは信じているという理由は、ひとえにシアルフィアの雰囲気にあった。王女と言われて信じられるだけの気品と優雅さを彼女は持っていたし、また信じたくもあったからだ。悲しいかな、男という存在は可愛い女の子には極端に弱い。俺もまた奥手とは言え、男としての本能の部分に関しては例外ではない。


 とは言え、それが真実かどうかというのを追求するつもりもなかった。さっき"午後8時"と言っていたし、判断するのは時が来てからでもいいだろうと考えていたのだった。


「エルトワールに通うこと自体に選択権はありませぬが、誰をハーレムに加えるかどうかの選択肢はあるのですぞ。第一候補が外されるのは稀なことだと言われていても、可能性はゼロとは言えないのです。万一ユウ様に拒否されたとして、姫様はそれでもよろしいのですかな?」


「……それは、もちろん、良くない、けど」


 否定する彼女の顔は真っ赤だった。


 俺はますます意味が分からなくなっていた。どうしてそこを否定しないんだ?


「でしたら、胸の一つや二つくらい堂々とお見せなされ。減るものでもございませぬし。ほら、ぼぼーんと」


「そんなことしたらもう痴女でしかないじゃない!」


 バン、とテーブルを叩いた。怒るというよりは羞恥に耐えられないといった印象だ。


 俺は黙って紅茶を嗜む。冷や汗を感じながら。


「痴女で大いに結構ではありませんか。むしろ姫様は少し奥ゆかしすぎるのです。ここは大胆に肌を露出させて、そう例えばニップレスに前張りだけの格好で自分から迫るくらいの勢いでないと……ユウ様も男としてその方がそそられますでしょう?」


「ジイ!」


「……頼むから、無茶振りは勘弁してくれ」


 真面目な話に挟まれる爺さんの突拍子もない一言に俺は頭を抱えざるを得なかった。


 平凡な生活をかき乱すのはハーレムでも何でもなく、この爺さんなんじゃないのかと俺は感じ始めていたのだった。

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