第1幕:命令状と闖入者
「……ハーレム設立命令状ぅ~?」
高校から帰ってきて、郵便受けに放り込まれていた"親展"と記された封書を開いてみると、真っ先に目に飛び込んできたのはそんな怪しさ満点を通り越して近所のクソガキの悪戯にしか見えないような文字だった。ウィンドウズ標準のフォントに3Dアート効果をテンプレートのままに施した見出しレイアウトは、果てしなくダサい。センスゼロ。そこら辺の個人商店でももう少しマシな仕事をしそうなものだ。そのことが胡散臭さをより一層際立たせている。
誰のどんな悪戯なのだろうと思って、俺は玄関で靴を脱ぎながらその続きに目を通してみた。
要約するとこうだ。貴方は厳正なる選抜の結果、ハーレムを設立する義務を与えられました。仔細は追って担当の者――ハーレムの第一候補者が参りますので、その者から説明を受けて下さい、とのこと。
何が選抜だ。アホか。そんなものを受けた覚えは無いっつーの。大体"義務"って何だ"義務"って。普通こういうものは権利じゃないのか。とまあ内心で毒突いてはみるのだが、この些細な言葉のニュアンスの違いが妙に心に引っかかったのは確かだ。
どうやらこれは悪戯というよりはむしろ悪徳商法の類のものなんじゃないかって気がしていた。ハーレムの第一候補者(仮)とやらが言葉巧みに標的をだまくらかして、最終的に高額商品か何かを買わせようって腹づもりなんだろう。テレビで見た。ネットで見た。SSでも見た。確かアポイントメント商法とかいうやつだったか。
「バカバカしい」
俺は手紙を靴箱の上に乱暴に放り投げた。後でゴミ箱に突っ込む。
しかしそれよりも今はやるべきことがあった。
制服を洗濯機にぶち込んでシャワーを浴びることだ。
梅雨の中休みの帰り道は罠で充ち満ちていた。町中に点在する水たまり、泥たまり、そしてトラック。要するに、俺はトラックの泥跳ね運転攻撃の直撃を食らってしまったのだった。左半身、泥まみれ。クリーニング代を請求しようにも、ナンバープレートを確認するよりも早くそのトラックは姿を消してしまった。最悪だ。今度会ったら毟ってやる。
廊下を汚したくないから――というよりも汚すと後で妹に怒られてしまうから、玄関で靴下と一緒に制服のスラックスも脱いでしまうことにする。下半身はトランクス一丁だが、誰が見ているわけでもない。問題ない。妹がいる時は流石に少しは気にするが。
俺はてくてくと廊下を歩き、脱衣所に通じるドアを開けた。
そして何者かと目が合った。
硬直した。
妹が林間学習で不在の今――こんな季節に林間学習とか何考えてんだというツッコミを入れたくはなるものの――この家には自分一人しかいないはずだった。両親は既に亡い。
一人のはずなんだが、脱衣所には先客がいた。
金髪碧眼。背丈は妹よりも少しばかり高くて、150~155cm程度といったところだろうか。色素の薄い肌は風呂上がりのためか上気してうっすらとピンクがかっている。一糸まとわぬ体躯はスレンダー。痩せぎすというほどではないが細身で、ガラス細工みたいな繊細な印象を与えている。控えめな双丘の先端には小さな可愛らしい突起が圧倒的存在感を放って自己主張を行っている。湯上がりなのか、タオルで長い髪をわしわしと拭いているところだったようだ。要するに、身体の方を覆い隠すものは何もなかったのだ。浴室ではなく脱衣所だから、湯気もほとんどない。不自然な光もKEEP OUT帯ももちろんない。
顔立ちは童顔ながらも端正というほかなく、彼女と比べたら芸術彫刻やゲームに見るような"理想の美少女"すらもできそこないに思えてしまうほどだ。もしクレオパトラ7世やら貂蝉やら小野小町やらが彼女と並んでミスコンに参加したのなら、どんな結果になったのだろうかと興味深くなる。
そんな彼女の顔色が、見る見る間に真っ赤に染まっていく。表情は泣きそうなのか怒っているのか困っているのかよく分からないような、変顔とも言える形容しがたいものへと変わっていく。そんな様子もまた、可愛い。と、そんな悠長な感想を抱いている場合ではなかった。
地味にピンチ――って、ここは俺の家だ。文句を言う立場ではあっても言われる筋合いはないはずだ。まじまじと凝視して何が悪い――いや、流石にそれは悪いことか。
「ぴゃあああああああっ!?!?!?」
奇妙な悲鳴をあげて、少女は両腕で胸を隠し、その場にしゃがみ込んだ。なるほど、胸と下半身を隠すには最も適切な方法だと俺は少しばかり感心してしまった。
「な、なななななな何でっ!? ジイの話だとまだ帰ってこないって――」
俺は顔を背けて、しかしこれは歴とした不法侵入なわけであるからして、内心焦りつつも脱衣所を飛び出したりはしなかった。まずは問いたださなければならない。
「いや、その、見ちゃったのは悪かったけど……人の家で何やってるんだよ。っていうか、誰」
ふと"妹の友人"か何かかという可能性が浮かぶが、こんなフランス人形に命を吹き込んだかのような金髪碧眼の友人なんているのか? とも思う。あの妹の性格からして、いたなら自慢しまくるだろうしその可能性は低いだろうとも思っていた。
彼女の姿を見たいというよりは様子が気になって――断じて邪な理由からではなく――俺は顔を背けたままちらりと視線だけ動かしてみた。
「……ふ、ふえぇ……」
少女はほとんど泣きかけていた。流石に申し訳なくなって
「……ごめん」
脱衣所を後にした。
後ろ手にドアを閉めると、正面にはいつの間に現れたのか知らないが見知らぬ初老の男が立っていた。黒のベストにスラックス、白いストライプ柄のシャツ。白髪交じりの頭髪はウェーブがかっていて、顔には口ひげをたくわえている。丸めがねをかけたにこやかな表情はどこか飄々とした印象を与えるが、その姿は凛とした気風もまた感じさせている。背筋はピンと伸び、背丈は俺よりやや高い。170cm台後半といったところか。
そう言えば、さっきの子が"ジイ"とか言っていたな。っていうことは……
「あんたら、一体何なんだ」
少女の関係者だろうとアタリをつけて、俺はそう言った。敵意を感じなかったから一応は大人しく対応しようと思ったが、それでも不法侵入者に対して敬語で話しかけられるほどの余裕はなかった。
初老の男はひょひょひょ、としゃっくりのような笑い声を上げた。
「これはこれはとんだ失礼を。……それにしても凄い格好ですな、ユウ様。ささ、先にお召し替えくだされ」
言われて、俺は自分が泥まみれであることを思い出した。
「え、あ、ああ……」
……俺の名前を知ってる? しかし、俺の方にはこの爺さんと会った記憶はなかった。もちろん、さっきの少女ともだ。もし面識があるとするなら、異性関係にはとことん奥手な自分でも積極的になっていたに違いないだろう。それくらい彼女は美しかった。
「――って、着替えようとしたら先客がいたんだよ!」
俺は先ほどの事件を思い出した。彼女の裸身と一緒に。
「おやおや、そうでしたか。それは失敬。シアルフィア様には早く出るようお伝えしますゆえ、今しばらくお待ち下さいませ」
言って俺の横を通り過ぎ、コンコン、と脱衣所のドアをノックした。
「シアルフィア様ー、湯浴みは済まされましたかな?」
「……うう、ジイの嘘つき」
質問に対し、シアルフィアと呼ばれた少女がドアの向こうからくぐもった恨み言を吐いていた。
「スルーしたな、おい」
そして俺は自分の質問が流されたことに気が付いた。
とは言うもののこの爺さんは俺の名前を知っているし、二人に敵意や悪意は無さそうであるということから、ひとまず"保留"にすることにした。悪巧みを企んでいるという可能性も否定はできないが、何か意図があるのかもしれないし、まずは話を聞いてからでもいいかと思い直していた。警察に突き出すのは時期尚早だ。
気持ちが少し落ち着いたところで、さっき読んだ封書のことをふと思い出していた。
"ハーレム設立命令状"
奇妙な現象も一つだけなら単なる偶然であることがほとんどだ。しかしそれが二つ重なれば、何らかの意味を持つ"必然"になる場合も少なくない。
「……まさか、ね」
俺は深く息を吐いて、シャワーは諦めてとりあえず自分の部屋で着替えることにした。