濃霧の朝
「クレス、起きてる?」
「あ? 起きてるが、何の用だよ」
肩越しの呼びかけに振り向かずに答える。寝袋っつーのは寝返りは打てない事もないが、寝がえりっつーか転がるだけだしなぁ。そんなに広くないこのテントで転がるのはいかんせん、面倒だ。
「んーん、なんでもなーい。声が聞きたくなっただけ」
「確認しなくても、お前を置いて逃げたりしねぇから、安心しろ。って、この言葉も、もう聞き飽きるほど聞いてんだろお前」
「そうじゃなくて! ほんとうに、ただ声が聞きたかっただけ……」
「……不安がってんじゃねぇ。明日は早くねぇけど、もう寝とけ」
「……うん。おやすみ」
「おぉ。いい夢見ろよ」
俺も、いつもよりちょっと早いがもう寝るとするかな。つーか、マジで寝袋ってのは慣れねぇな。個人的にはこれよりも、木か何かにもたれかかりながら寝る方が寝やすい。
でも、そう言う野宿はリリィに負担がかかるし、俺だけそうやって寝るとリリィが拗ねるからなぁ。俺と一緒がいいって言って聞かねぇんだもんなぁ。このままだと依存度がとんでもねぇ事になる気がしてきた。
まぁ、いま悩んでも仕方ねぇか。先を見据えるなんて器用な事日常生活じゃ出来やしねぇし、今を凌ぎながら、その内どうにかしよう。
「ふあぁぁ……」
考え事してたら、やたら眠くなってきたな。ちょうどいい、微かにだけどリリィの寝息も聞こえるし、辺りにはトラップの類を張り巡らせた。自衛はこれでバッチリだろ。
そろそろ……落ちる……な。
● ○ ●
「ふぁぁあ……ん~! 良い朝だなぁ~、っと」
言ってみたのは良いけど、テントの中だから分からないけどね。
外に出れば分かるんだけど、クレスに出るなって言われてるし大人しくしてよう。
「ふむぅ。暇になるかと思ったけど……案外そうでもないんだよねぇ」
クレスを待ってた時とは違って着替えなきゃいけないし、脱いだものを畳まなくちゃいけないし。
他にも色々と、やることはあるんだよねぇ。
「んー……ちょっと、匂いが気になるなぁ。軽く濡らした布巾で拭いておこうかな」
クレスに抱きついた時に、変な匂いしてたら嫌だからね。
本来なら拾って貰った身だし、こんな事気にしてられないんだけど奴隷的な扱いはされてないし。むしろ優しいし、旅のお供ぐらいには思ってくれてると思うんだよね、うん。だったら、ある程度は身だしなみにも気を使わなきゃだよね。
…………クレスが私をどう思ってるのかは、分からないけど、ある程度良い感情だといいなぁ。
「んんー! それにしても、このちっちゃい布巾じゃあっ! ふっ! 背中拭きにくいなぁー、もうっ!」
● ○ ●
「……っ! …………むんっ!」
「んんん……?」
ちっ、んだぁ、うっせぇなぁ。あのバカ今度は何してんだ。
日は……上がってるか、どれくらい寝たんだ? 最低でも四、五時間は寝たか。
「……おい、何してんだ」
「うえっ!? あ、あぁ、おはよー。ちょっと、その、ね?」
「あぁ? はっきりしねぇなぁ。何をして……!?」
寝袋から這いだし、リリィの声のする方に顔を向ければ、上着を脱ぎ捨て貧相な肢体を晒しているリリィがいた。
「おめぇ、何してんだ!?」
「なにって、みれば分かるでしょー?」
俺の問いに、振り返りながら答えるリリィ。
上半身を丸出しの状態で振り返ればそれはつまり、丸見えになる訳で。
「ばっ! お前、少しくれぇ恥じらいを持て。隠せ隠せ」
「ふぇ? 隠すって、何を…………はっ! にゃぁぁああぁぁ! み、見ちゃダメぇ!」
「見る気もねぇよ、バカ! 大体、俺だって男なんだから、もう少し警戒心とかなぁ。まぁ、お前は庇護対象だし欲情なんざしねぇが……つーか、お前まだそんなに肉付き薄かったのか」
「うにゃぁあぁ! み、み、みみ見ちゃだめだってばぁ!」
顔を真っ赤に染めて、目をぐるぐるさせながらわたわたと暴れ、叫ぶリリィ。
わたわたしてる暇があったら、胸を隠せ胸を。
「落ち着け」
タオルを投げつけながらたしなめる。
「わぷっ!」
「それ胸に巻いてちょっとこっち来い」
「ふぇ? なんで?」
「いいから」
「う、うん。クレスがいうなら……」
タオルを胸に巻き、それを手で押さえ俺の方へ四つん這いになりながら近寄るリリィ。
やっぱり、近くに来ればもっと分かりやすいか。
俺と変わらない量を食べて、間食をしてるのに、肉付きが悪い。それどころか、旅を始めたときより痩せてる?
「…………」
「やっ、そんなに見たら……恥ずかしいよ……?」
「ちょっと、片手上にあげてみろ」
「分かった」
言われた通りに、右手を上げるリリィ。
さすがに旅を始める前よりは、多少肉はついてるな。まだ、健康的とは言えねぇが。
何がいけないんだ? 確かに、保存食や携帯食糧じゃ栄養は偏る。だが、その辺はしっかり意識してなるべく日持ちのする野菜を買ったり、ドライフルーツ、その辺で採取した薬草、木の実とか色々食わせてなるべく栄養は偏らないようにしてきたつもりだ。量だって食わせてる。それに間食させてるっつーかしてんだからカロリーが足りないって事は無いはずだ。
なのに、どうして、未だにこんなに細い? 環境が悪いのか? エルフは元来森に住んでいる種族。やっぱり町の空気とかが合わないとか、ストレスになりえてるのか?
「やぁ……く、クレスぅ……脇腹、なぞっちゃヤダよぉ」
「…………」
「クレ、ス? なんか、顔怖いよ?」
「ん? あ、あぁ、すまん。ちっと考え込んでた」
「何を? って……あぁ、うん」
俺の手のある位置と、視線の先を見て俺が何を考えていたのかを察するリリィ。
自分の腹に手を当てて、自分でも不思議だというように小さく笑う。
「なんでか分からないけど、あんまり体格が改善されないんだよね。クレスが心配しちゃうからって、なるべく気が付かれないようにしてきたんだけどね」
「まぁ、ある程度は付いてきてるし、そのうちどうにかなるだろ。俺も少し気になっただけだから、あんま思いつめんなよ?」
「クレスは、私のこと心配なんだぁ? 恋? 恋なの?」
「ニヤニヤすんな、バカ。とっとと服着ろ」
ニヤニヤと笑うリリィを軽く小突く。
さて、ゆっくり出てもいいが昨日見てぇに厄介なのに絡まれない、とも言い切れない。なら安全策として早めに出といた方がいいか?
上機嫌に着替えているリリィを軽く流しながら考えていると、聴覚がざわついた。何かがトラップに引っ掛かった? 聞こえる音からして、二足歩行。人か?
「みにゃぁぁぁぁあぁぁっ!!」
ほうら悲鳴が聞こえた。
ちょうどいいし、早めに出る事にしよう。声が聞こえた方角的に村へ向かう道の途中だろ。
「クレスっ、今の悲鳴何かな?」
「怯えんな。トラップに引っ掛かった間抜けの悲鳴だよ。ほれ、着替え終わったら、とっとと撤収準備だ」
二人で手際よくテントを畳み、旅用のバックパックに詰め込む。
さて、トラップに引っかかったアホをどう処理すっかなぁ。リリィはすっかり怯えてるし、そんなに怯えることはねぇのによ。大体、あんな間抜けな悲鳴あげる奴のどこに怯える要素があるんだか。
ま、警戒するに越したこたぁねぇな。慎重に行くか。