一人居ない
「....それでね」
「それで、どうなるの?雨の降る真夜中に犬鳴峠で、タクシー運転手が女性客を乗せてどうなったの」
「お客さんがあまりに無口なんで、運転手さんが気になってね。ルームミラー越しに、後部座席を恐る恐る覗いたのよ」
「そしたら」
「そしたらね。うしろに居るはずのお客さんが、ルームミラーに映って無かったんだって」
「キャー、止めてこわーい」
「それって、吸血鬼じゃん。きもいよー」
真夏の山のキャンプで、こんな話をして盛り上がっていた男性四人、女性四人の大学生達がいた。彼らは、都内のお金持ちの私立大学、KO大のワンダーホーゲル、ワンゲル同好会の面々だった。リーダーを務める三年の園原楓は、このイベントの主催者だった。夏と言えば肝試し。定番中の定番だが、この日は合宿の初日でもあり、場を盛り上げようと彼女は得意の怪談をはじめたのだった。既に四年が抜け、会員はわずか八人となったが、そもそもが気ままな同好会だ。なるようになるのだと、楓は緊張感も無くマイペースだった。
最初は、一年の恩田雪がありきたりの学校の七不思議的な話を始めた。所謂、「トイレの花子さん」的な話だった。続いて、登山歴もある同じく一年の小山内由香おさない ゆかは、子供の時にお墓で人魂を見た話をして、周囲をぞくっとさせた。そして、同じく一年の竹井雄一は、海外留学先のイギリスで、古城に泊まったときの話をした。
最初は、緩やかに始まった怪談話も佳境となってきた。若干、途中でマジな猟奇話をして皆を引かせた奴を除けば、定番的な運びとなってきたところだった。そのトリを勤めた楓の話に女子部員は奇声を上げ、男子部員もおののいていた。将来、女優を目指して、劇団にも所属する彼女の演技力というか語らいは抜群だったのだ。
しかし、ここにふてくされた顔をして、片膝を立て、あごの下に左手を置きあさっての方を向いている二年生の相馬孝がいた。彼は、先ほど猟奇話をして場を凍りつかせた張本人だったのだ。
「ふん」
「あれ、孝は冷静ねえ。みんながかなり怖がっているのに。結構平然としてるじゃない」
同じ二年の堂本加世子どうもと かよこは、缶ビールを片手に孝の横に座り、右手で孝の肩に手を回して体を寄せ、その豊満な胸をこすりつけて来た。その光景をおもしろく無いと見たのか、三年で副リーダーの神山光太郎かみやま こうたろうはたばこを吹かしながら、彼らの後ろにうんこ座りをした。
「おうおう、帰国子女で海外暮らしの長かった孝くんは、日本式の怪談話は平気ってとですかア」
「そんなんじゃねーよ」
光太郎は、タバコの煙をふーっと、孝の顔にふきかけ、孝が煙がると大笑いをした。
「そうだよなあ。孝はさっきからどうも浮かない顔してんだよなあ。おまえ、たまには場というものを考えれ!つーんだよ」
キャンプファイヤーを囲んだ、斜め向かいにいた二年の日下啓介も孝につかかって来た。皆が、こうも孝につかかるのも無理は無かった。孝は、好きでこの同好会に入り、合宿に参加したわけではなかったからだった。彼はドイツからの帰国子女だった。彼は、親の仕事の都合でつい数ヶ月前に急遽、この大学へ編入してきたのだった。今時、海外留学もあたりまえのこのご時世にもかかわらず、彼の親は彼をドイツの大学に残すこと無く、日本に連れ帰ってしまったのだった。そんなある日、同じ学科をとっていて、試験前にノートを見せてくれと言い寄られた加世子とつきあいはじめ、彼女が所属するサークルまでつき合わせれているという始末だった。
加世子は、ワンゲル同好会ではちょっとしたマドンナ的存在で、男子会員たちからすれば、どうして、加世子が、孝のような陰気ふてくされた男に興味があるのか分からず、焼き餅を焼いていたのだった。確かに、孝は母親がドイツ人で、彫りの深い美男子、所謂、イケメンであることは認めざるを得ない事実であった。
彼の唯一の欠点と言えば、日本語で声を出して数を数えるのが苦手という程度だった。当然、ドイツ語で言えば、間違わないが、日本語だとどうも言いにくく、気づいても、なかなか言い直せなかった。他の日本語はほぼ完璧なのに、数を数えるのだけは苦手なのだ。その理由は「いち、にい、さん」意外に「ひい、ふう、みい」があり、それらが時折混じって誤算を引き起こすからだった。
「それはなあ、きっとルームミラーの位置がずれてリアウィンドーを見てたんだよ」
彼は、このように超自然現象といった、オカルトめいたものの存在を真っ向否定する人物だった。どこかの大なんとかという教授のような一面を持っていた。彼は、その大なんとかという教授同様に、科学が得意で、物理学部に在籍していた。彼の説明はそれなりに科学考証もしっかりしていて、説得力があり誰も反論できなかった。
日本人的なわきまえを知らない彼は、例えその話の主が部の先輩の楓であっても容赦無かったのだ。彼の解説は続いた。
「真夜中で雨降って峠道なら、リアウィンドーは車や街灯の反射がほとんどないから真っ黒だろう」
「ああ、なるほどなあ」
「それに、人間って奴は、動揺してるとな。普段ではしないようなミスをするんだよ。思考も止まってちまって、確認も同じことを繰り返すだけで、やり方そのものを見直すことが出来なくなるものなのさ」
「そう、言われればそうね。時間がたって冷静に考えると、なんてことなかったことってよくあるからね。」
「さすが、孝は頭いいね」
加世子が身をすり寄せてくる事に関しては、孝はまんざらでもなさそうな態度をとっていた。けれども、内心、場を崩された楓は、皆に交じって薄笑いをうかべながらも少々怪訝な面持ちになっていた。
「でもさあ、知ってる。こうやって、真夏の真夜中にこんな怪談話するとね。最後の一人が話終わった後に、メンバーを数え直すとね、一人少なくなってるっていうんだよ」
楓は何かをたくらむように、孝が反応しそうな話を繰り出してきた。
「はん、それが一番ナンセンスだな。たったの八人だぞ。数え間違うわけねーよ!」
楓は孝の反応を見てほくそ笑んでいた。
「じゃあ孝。あんたが数えてみてよ」
加世子には、楓のたくらみが分かったような気がしたので、孝をたきつけた。そうとは知らない孝は、ひとり、ひとり、目で見ながら声を出して皆を数え始めた。
楓はその時、孝がすくっと立たずに、少しよろよろと立ったのを見逃さなかった。
「いいぜ。まず俺がいちだ。に、さん、よん、し、ご、ろく、なな。あれ? 七人だ」
楓は缶ビールを飲み、孝の様子をうかがった。皆は徐々に笑い声を殺しきれなくなっていた。
「おい、ちょっと待て、待てって。まず俺がいちだ。に、さん、よん、し、ご、ろく、なな。あれれれれれ?」
「孝、あんた」
■オリジナル版の掲載
この小説はもともとは会話だけで書かれたものでした。
登場人物に感情の変化や顔をつけたくて、あえて、今回は三人称書きをし、人物名を入れたりしてます。
でも、「短編ならそこまでしなくてもいいよ!」という感想コメがあったので、オリジナル版を載せてみます。
■オリジナル版
「....それでね」
「それで、どうなるの?雨の降る真夜中に犬鳴峠で、タクシー運転手が女性客を乗せてどうなったの」
「お客さんがあまりに無口なんで、運転手さんが気になってね。ルームミラー越しに、後部座席を恐る恐る覗いたのよ」
「そしたら」
「そしたらね。うしろに居るはずのお客さんが、ルームミラーに映って無かったんだって」
「キャー、止めてこわーい」
「それって、吸血鬼じゃん。きもいよー」
「ふん」
「あれ、孝は冷静ねえ。みんなが怖がっているのに。平然としてるじゃない」
「おうおう、帰国子女で海外暮らしの長かった孝くんは、日本の怪談話は平気ってとですかア」
「そんなんじゃねーよ。それはなあ、きっとルームミラーの位置がずれてリアウィンドー見てたんだよ」
「なんでえ」
「真夜中で雨降って峠道なら、リアウィンドーは車や街灯の反射がほとんどないから真っ黒だろう」
「ああ、なるほど」
「それに、人間って奴は、動揺してるとな。普段ではしないようなミスをするんだよ。思考も止まってちまって、確認も同じことを繰り返すだけで、やり方そのものを見直すことが出来なくなるものなのさ」
「さすが、孝は頭いいね」
「でもさあ、知ってる。こうやって、真夏の真夜中に怪談話するとね。最後の一人が話終わった後に、メンバーを数え直すとね、一人少なくなってるっていうんだよ」
「はん、それが一番ナンセンスだな。たったの八人だぞ。数え間違うわけねーよ」
「じゃあ孝。あんたが数えてみてよ」
「いいぜ。まず俺がいちだ。に、さん、よん、し、ご、ろく、なな。あれ?七人だ。ちょっと待て、まず俺がいちだ。に、さん、よん、し、ご、ろく、なな。あれれ?」
「孝、あんた」