見えない不安
3話目です。
ではどうぞ。
ノートを広げて机に向かっていたら、急に妹の騒ぐ声がした。
妹の部屋は僕の部屋の隣にあり、壁越しだが結構響く・・・理佐何が嬉しいんだ?
やたらと甲高い嬌声に続き「美晴さん大好きー」って言ってるのがはっきり聞こえる。
・・・って美晴さん?
その名前を聞くと嫌な想像しかできない。でも、きっとそんな想像は軽く裏切られる。僕の想像を遥に凌ぐ何かを、おそらく妹と一緒になって画策してるんじゃないだろうか?
もちろんその罠にかけられるのは僕だ。
・・・僕は一体何をされるんだ?
気を付けようにも、どこからその罠が始まるのかわからない事には防ぎようもない。もちろん、聞いた所で教えてくれる訳も無く、逆に妹の機嫌を損ねるだけだ。
何かヒントになる事が聞こえないかと耳を澄ませてみるも、それ以降妹の声が聞こえる事は無く、僕は不安な気持ちを抱えたまま、やたらと機嫌の良い妹と一緒に夕飯を食べる事になった。
「ねーちゃん、何難しい顔してんだ?」
夜にリビングのソファで謎の怪文書とにらめっこをしていると、風呂上りの航が麦茶片手に声をかけてきた。
私疑問に思われるほど、不審な事してたかな?
「これ。」
まったく読めない手紙らしきものを航に渡し、ソファに沈み込んだ。完全にお手上げである。断片的に読める平仮名はあるが、ひん曲がった漢字は『字』と認めたくない。
滅びた文明の文字の解読も、こんな苦労だったんだろうな。
脳のが疲れてきたせいか、考えている事が少々ひどいと自分でも思うけど、止めない。止めたくない。これはきっと新手の嫌がらせよね、きっとそうだ、そうに違いない。
私に無駄な時間を使わせるのが目的で・・・でも一体誰が?
一番やりそうな美晴はもっと不思議な手段を講じてくる。こんな幼稚な手は使わない・・・でも、それじゃぁ誰が?
「どうすんのこれ? 西山隆志って3年だったよな?」
しばらく紙切れを眺めていた航が、知らない誰かの名前を口にした。
「はぁ???」
西山って誰よ? ・・・ってそこに書いてあるのか・・・って事は、ただのイタズラな怪文って訳じゃないのね・・・って、え?
「あんた、これ読めるの?」
「確かに汚い字だけど、・・・ねーちゃんは読めないのか?」
不思議なものを見るように問うと、不思議なものを見るように返された。
「まったく、全然! 古代文字の解読ってくらい?」
「・・・ひでぇ。」
反論の余地が無いほどきっぱり言い切ると。小さくそう呟くのが聞こえた。いくら批判されても、読めないものは読めない。
航はそんな私の様子に盛大にため息をつくと、諦めたように読み上げはじめた。
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安田 葵様
明日の放課後、2号棟の裏で待ってます。
来るまで待ってます。
西山 隆志
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「・・・だってさ。」
「へー。あんたそれ特技よ特技、何でそんな字読めるのよ?」
思わず感心してしまった私に、航は眉を寄せてあきれた表情を作った。。
「それはもういいから、どうするかを考えてやれよ~」
「えーっと、西山って誰だっけ?」
同じ3年らしいけど私は知らない。航は1年のくせにどうして知ってるんだろう?
航を見上げてみたけど、向こうは目を合わせもせず残っていた麦茶を一気に飲み干し、グラスを流しに置いた。
そのまま自室に戻ろうとするのを、私は慌てて呼び止めた。
「航! ・・・今日美晴が言ってたんだけど。・・・聡太って、モテんの?」
「はぁ? 突然何だよ?」
「いーから、質問に答えろ。」
そりゃ、突然だけど・・・気になるんだから仕方ないじゃない。
素っ頓狂な声を上げる弟をいつもの調子で押さえつけると、向こうもいつものように憮然としながら口を割る。
「あーんと、小5くらいからキャーキャー騒がれるようになったかな? そのくらいから成績もトップになりだして、俺みたく、バカな事しなくなって・・・少し雰囲気変わったんだよな・・・まぁ聡太は聡太だけどさ。もちろん今も大人気だぞ、本当腹が立つほど。」
多少、何か含む所のある言い方をする弟はさておき、その弟から語られた内容に、今日音楽室で見た光景を重ねた。
急に沸き立った女の子達に驚いて、何故か嫌な気がした。
これまでどこか、もう一人の弟のような気でいた聡太。その彼という存在と、その周りの変化に、今私は正直驚き、戸惑い、寂しく感じている。
毎朝会う聡太はずっと変わらない。
だから私は・・・ずっとそのままだと思っていた。
毎朝毎朝変わらない、学校に行く仕度を済ませた頃に玄関のチャイムが鳴る。
弾む心をおさえて急いで靴を履き、いつものように玄関から出た。
しかし、そこに思う姿は無く・・・ただただ白いだけの世界が広がっていた。
・・・これは恐怖?
急に目が覚めて、耳まで伝う温かいものに驚き、それでも夢でよかったと安堵した。
この心の動揺は、見えない未来に対する不安・・・きっとそんな恐怖。だから真っ白で何も無かったんだ。
私は進路に迷っている。進路希望の紙にもまともな事を書けないでいる。特になりたい職業もないし、行きたい学校がある訳じゃない。
それに私は、今の状況にとても満足している。朝チャイムに呼ばれ玄関のドアを開けると、いつも笑顔の聡太がいる。それだけでよかった。
でもきっとこの先はこうはいかない。
もし私が適当に大学を選んで、ちゃんと進めたとして・・・でも、そこには彼がいない。
ううん、まだ聡太は毎朝航を迎えに来る。
家から通えるようなとこを選べば・・・でも2年後には?
彼はどこに行くのだろう?
もし遠くに行ってしまえば・・・もしそうなれば、私と聡太の縁は切れてしまう。
・・・そんなの嫌だ。
再び涙が込み上げてきて・・・そこまで考えて、私は初めて気付いた。
・・・そっか、私は聡太の事が好きだったんだ。
まだ暗い部屋の中でいくら布団を被り直しても、高ぶった感情に再び眠る事はできず、カーテンの向こうが段々と明るくなっていくのを、ぼんやりと眺める事になった。