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閑話-対談

「先生は、梁美玉ヤン・ミオクという女性をご存じですか」

 与党誠実党の政調会長、衆議院議員の諏訪正治すわまさはるは、この春YUUKIの新社長に就任した結城龍太郎ゆうきりょうたろうとの雑誌の対談終え、後席を外そうとした時、龍太郎から耳元で囁くようにそう言われた。

「いや、知らないが」

聞き覚えのない名前だ。地元の有権者の1人だろうか。にしても自分の保守的な地盤では、この明らかに外国籍だと思われる名前は浮いて印象に残りそうなものである。だが首を傾げる正治に向かって、龍太郎は

自身のスマホを見せて、

「こう書くんですが、ご存じないですか」

となおも問う。正治はその梁 美玉という漢字表記を見て、目を瞠いた。

「……まさか、美子よしこ?」

「ああ、確か日本名は梁原美子やなはらよしこでしたっけ。やはりご存じでしたか」

すると龍太郎は正治にある日突然、忽然と正治の前から姿を消してしまったかつての恋人の名を告げ、スマホを自身のポケットに放り込むと、対談の会場のドアを開く。

「待て! き、君は美子の居場所を知っているのか。

教えてくれ、美子は今どこにいる」

右肩を強くつかんでそれを引き留めた正治は、縋りつくような口調で龍太郎にそう問う。

「そんな大きな声を出さないでください。耳は割といい方なんで」

それより、出版社の人の前で女性の話に食いつくのはどうかと、龍太郎は薄く笑ったが、

「最初に振ったのは君の方だろう。そんなことはどうでもいい、美子は今どこにいる」

と更に問った正治に、

「ここでは何ですから、どうです? この後食事でもどうですか」

と龍太郎は正治を食事に誘った。正治は二つ返事で頷く。

 元々、国会会期中ではないから受けた対談だったから、この後予定していたのは、長女薫子の孫息子に会うだけ。もっとも、今の正治は、首相やかの国の外相だってすっぽかしかねない精神状態ではある。それはさすがに秘書の武井が許しはしないだろうが……

「薫子に今日は行けなくなったと電話を入れておいてくれ」

正治はその武井にそう指示した。武井も、

「正臣様が残念がりますね」

と言うだけで、特にその行動をいさめる様子もない。正治が初出馬の時から仕えている彼は、この梁 美玉という女性を正治がどれほど探し求めていたかを知っていたからである。


 そして、龍太郎が正治を連れていったのは会員制のバー。当然、二人きりだ。個室に通された後、

「本当は、あっちの店に連れて行きたかったんですが」

龍太郎が壁の方を指さす。道路の向かい側にあったのは確か……大衆居酒屋だったはずだ。

「別に私はああいう店でも構わんが?」

こういう店は苦手なのかと問えば、

「別に。さすがにふすま一枚じゃセキュリティーとも言えませんからね。ゴシップ紙にでも聞かれてたら目も当てられない」

と返ってくる。そうだ、美子……

「そうだ、美子、美子は今どこにいるんだ!

そうか、向かいの居酒屋にいるんだな」

本当は連れて行きたいというのならそうなのだろうと、席を立った正治に、

「美玉さんは……です」

龍太郎はあろう事か今度は天井を指さした。そして、階上へ急ごうとする正治に向かって、

「先生、階上うえに行っても無駄ですよ。僕の言ってるのはあなたの手の届くもっともっと先の上のことですから」

と言う。おそるおそる口にした、

「じゃぁ、美子は……死んだのか」

美子の現状を、

「ええ、30年も前の話です」

直ぐに肯定され、正治は崩れ落ちそうになる身体を椅子でかろうじて支えて席に座り直した。


「しかし、美子は何故私の前から姿を消したんだ。君はそれも知っているんだろう?」

態々(わざわざ)そっちからふってきたのだ。当然知っているんだろうと睨み上げる正治に、

「ええ、あなたには辛い話にしかならないと思いますけどね」

相変わらず、淡々とした口調で返す龍太郎。

「そんなことはどうでも良い。頼む教えてくれないか」

その様子に少々の苛立ちをにじませながらもそう言った正治に龍太郎は、

「ずばり、あなたが今こうして国の重鎮としておられることですよ」

と答えた。そして、

「美子が私の前から去ったのは、足かけ50年も前の話だぞ。そのとき、私には国会議員になる気などさらさらなかったが? 

まったく、君の語り口はまるで判じ物を仕掛けられているようだ。日本経済の話をしているときには実に具体的に意見を述べていたじゃないか」

隠せなくなった苛立ちを露わにし始めた正治に、

「すいません、先生自身に気づいて頂きたかったので」

龍太郎はそう言って頭を下げる。

「正確に言えば、先生が先代の正吉しょうきち氏のご子息だと知ったからです。それで、外国籍の美玉さんは諏訪家には相応しくないと自分から身を退かれたんです」

それを聞いて正治は、

「あの当時、私は議員になどなるつもりは毛頭なかった。

だから美子にも親父が国会議員だとは言ってなかった」

と言うが、

「でも、今その国会議員をされていますよね」

と返される。

「それは期せずして、兄が病に倒れて程なくしんだからだ。でも、それは美子が消えてから10年以上後の話だ」

とムッとしながら答えるが、言ってからはっと思いついたように、

「……まさか、親父!? 親父が美子に私と別れるように強要したのか?」

と少し食いつき気味に龍太郎に問いかけた。

「それは否定しません。

実際に美玉さんにその情報をもたらしたのは、あなたのお父上の秘書の1人だったようですが、結果的に離れることを選んだのは美玉さん自身です」

「何故……」

「あなたがいつか国政に出られると確信したからですよ。美玉さんはあなたが政治家に向いていると思ったんです」

「にしたところで、それだって美子が帰化すれば済む事じゃないのか」

自分と結婚すると同時に日本国籍を取得すれば、もう立派な日本人だ。誰に後ろ指差されることもないだろう。そう言う正治に、

「あの保守的なあなたの地盤で、それだけで済むはずはないでしょう。まだまだあの国に戦争の時の遺恨を持つ方も多かった当時、悪くすれば多くの支持者をそれだけで失いかねない。

それに、帰化には彼女の親が反対したでしょうし」

と言う龍太郎。

「じゃぁ、どうすれば良かったというのだ」

いよいよ苛立ちが募り、正治は二人の間にあるテーブルを叩いてそう言った。

「だからこそ美玉さんはあなたの許を離れたんです。美玉さんは存命な頃、国会答弁をするあなたをそれは誇らしげに見てましたから」

すると、龍太郎はそう言って遠い目をした。


「一旦は実家に戻った美玉さんでしたが、彼女はやがてそこも出ることになります。

それはあなたの子を身ごもっていたからです」

「子ども!」

「ええ、名も明かせぬ日本人の子を身ごもった娘に堕胎を勧める両親から逃げるように家を出た美玉さんは、たった1人で男の子を産み育てます。

ですが、その無理がたたったのか、昭和60年に外出先で倒れ、そのまま帰らぬ人となりました」

「で……その息子が君なのか?」

息子がいると分かって色めき立つ正治。

「いいえ、残念ながら僕はあなたの息子ではありません。

彼-健史たけしと言いますが-健史は僕の高校時代の親友、そしてYUUKIの同僚でした」

だが、彼は息子ではないという。それはそうだろう。彼はYUUKIの御曹司のはずだし、結城氏が養子縁組をしたという話は聞いたことがない。

「では、その健史君を直ぐに呼んでくれないか。

認知……は今更だろうが、とにかく会いたい」

会って己が息子を一度で良いから抱きしめたい。どんなに罵倒されても、何なら一発殴られたって構わない。しかし……

 自分に息子がいる。しかも最愛の美子の息子が。涙まで流しながらそう言った正治に、龍太郎は素気なく、

「ダメです。呼べません」

と即答した。

「なら、何が目的なんだね、君は! 君はそのつもりでこの話を私にしたんじゃないのか!!」

ついに堪忍袋の緒が切れて立ち上がった正治に、

「呼びたくても呼べないんです」

と頭を下げる龍太郎。

「と言うことは……」

震える声でそう問い返した正治に、

「ええ、平成2年2月、彼は突然消息を絶ちました。

そして、発見されたのはその20年後、北アルプスの万年雪の中でした」

龍太郎の方も涙を堪えながら彼の息子の最期を告げた。しかも、その場所はまさしく正治の地盤の中。

正治の足は完全に力をなくし、少しテーブルに頭を打ちながらへたりこむ。

「大丈夫ですか」

と覗き込む龍太郎に、

「大丈夫な訳ないだろう。美子に会えると思ってきてみれば、美子は死んだ。美子の息子がいると聞いて喜べば、息子もまた死んだ。一体、何度この老人をいたぶれば気が済むんだ」

子どものように泣きながらそう正治は訴えた。

「先生には本当に申し訳ありません。

ただ、先生には健史がいたことを知ってほしかった。

僕たち家族は健史に彼が生きている間、本当に世話になったんです。

だから、その何分の1のお返しにもならないけれど、父親に会わせてやりたかったんですよ。

……会うと言ってもお墓ですけど……」

すると龍太郎はそう言って一枚の紙を手渡した。そこには都内にある屋内型の墓地が書かれてあった。

「あ、それから前にある居酒屋も、健史が大学時代バイトしていた店です。30年近く経っているので、もう彼を知ってる人は誰もいないでしょうけど」

と言い終えると、龍太郎はさっさと部屋を後にした。


 その数日後、正治は突然引退を表明し、出家した。

次期総理とも目されていた彼の突然の引退に、何事かとマスコミはわいたが、彼は何も語ることはなかった。


 











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