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融け出した万年雪

 海はその翌春、女の子――ほのかを産んだ。海は生まれてきた子が男でなかったことにとても安堵している様子だった。


 そう、それくらい成長するにつれて秀一郎は健史に似てきた。

ただ、彼をよく知らない僕の一族の者たちにとっては、海の親戚によく似ていて自分のほうにはちっとも似ていないのだと思ったにすぎないだろうが。

 当の秀一郎も、真実など露とも知らずに元気に明るく育っていった。

 

 そして…僕たちが結婚して20年という月日が流れた。


「地球温暖化が叫ばれて久しいけどさ、ついに北アルプスの万年雪も一部融け出す事態になっているらしいよ」

ある日の朝、新聞を見ながら僕は海にそう言った。

「そうだ、結婚20年の記念にアルプスにでも行こうか。結局新婚旅行にもいけなかったしね」

「へぇ、どうして新婚旅行に行かなかったの?」

すると、横で急いで朝食をかき込んでいた秀一郎が食いついてきた。

「母様のお腹にお前がいたからだよ」

だから、僕はにやっと笑ってそう言った。

「うわっ、父様と母様ってデキ婚?!真面目そうなのに……」

「あら、真面目だからそうなるのよ、お父様は適当に遊んだりなさらなかったわ」

「それって、母様一筋って言いたいんでしょ。ホント、わが親ながら恥ずかしくなりますよ」

大学生になった秀一郎はそんな生意気な口を利くようになっていた。

「でも、何でアルプス?そりゃ、アルプスなら景色も良さそうだけど……もっと近場でも良いんじゃない?」

「痛っ、母様痛いよ」

秀一郎の言い草に海は彼の額にデコピンを与えながらそう言った。

「今のはお前が悪いよ。アルプスの事は……この記事をみたから、気分だよ。」

僕は口ではそう言ったけど、本当はそうではなかった。


 そこは健史の父親の地盤、つまり彼のふるさととも言える土地だった。

 あれから僕は密かに探偵を雇って何度か健史の消息を調べさせていたが、彼の行方はようとして知れない。

今年は結婚20年、つまり健史が失踪してからも同じ月日が経ったという事だ。

その節目に彼のルーツである土地を見てみたい。そう思ったのだ

もしかしたらそこで、彼に会えるかもしれない。

そしたら、彼に成人した息子を是非見せてやりたい。


 しかし、数日後…僕は警察から1本の電話をもらう事になる。


-*-*-*-*-


「結城龍太郎さんですね」

「はい、そうですが……」

「こちら県警の蓮谷と申しますが、溶け出してきた〇〇岳の万年雪の中からですね、遺体が出てきたんですよ。あなたに是非身元確認をお願いしたいと思いましてね」

所轄署の刑事、蓮谷はねちっっこい声でそう言った。

「確かあなたですよね、20年前に梁原健史さんの捜索願を出しておられたのは」

「は、はい……彼には身寄りがなかったものですから、職場の同僚として私が……」

「では、おいでいただけますか」

「分りました。伺います」

僕は電話を切ってからこぶしを握り締めながら大きくため息を吐いた。


健史が遺体で……

彼が既に死んでしまっていた事を聞いて、ビックリしている僕と、妙にその事を納得している僕がいた。

〇〇岳と言えば、ついこの間新聞で読んだあの山の事だ、やはり、健史は僕を呼んでいるのかも知れないと思った。

僕はそれから慌てて仕事の段取りをつけると、海に電話を入れた。


「海、健史が見つかったそうだよ」

「ホントに!? どこで!」

健史が見つかったと言うと、海の声は跳ね上がった。

「僕がこの間言ってたアルプスの溶け出した万年雪の中で……遺体で見つかったそうだよ。僕が捜索願を出してるから、身元確認依頼の電話が今あったんだ」

「そんな…ウソ…」

そして、事の詳細を伝えると、電話からでも呆然としている海の様子がこちらにまで伝わってきた。

「だから、これから身元確認に行って来るよ。だから、今日は帰れない」

「ねぇ、私も連れてって!」

すると海も同行すると言い出した。

「君が行っても辛いだけだよ。あれから20年あまりも経っているんだし、変死だもの、どんな状態で見つかったかは聞いてはいないけど……」

 20年の間に彼にも風貌の変化はあるだろうし、逆に、あれからすぐ健史が亡くなっているのだとしたら、身元が特定できるものが一緒にあったから連絡があっただけで、もう健史だとは分らない状態になっているはずだから。

「それでも良いの……私一目で良いから健史に会いたい。」

でも、一目でも彼に会いたいという気持ちも痛いほど解った。

「じゃぁ迎えに行くよ、待って。」

僕は海を連れて行くことにした。


-*-*-*-*-


 僕は海を連れて行くために一旦自宅に戻った。彼女も僕が帰るまでに、急に出かけなければならなくなった事の置手紙を書き、子供たちの夕食の準備を済ませていた。

「ちょっと不安だけど、ほのかももう中学生だし、秀一郎がいるから大丈夫よね。行きましょう」

海は、そう言いながら、バッグを手に取った。


 しかし、いざ出ようとした刹那、突然の休講で秀一郎が帰宅してきたのだ。

「私たちこれから出かけるわ。今日は帰れないから、ほのかをお願いね」

海は秀一郎にほのかを頼んで靴を履いた。

「今からどこへ行くの?」

「〇〇県警。僕たちがとっても世話になった方がアルプスの山で亡くなったって連絡があってね、身元確認に行くんだ」

「今から〇〇まで?!僕も行くよ」

「秀一郎!」

「車で行くんでしょ? 母様は免許持ってないし、僕が一緒に行けば交代できるから。」

確かに1人で運転していくより、交代できるのは心強いが……彼そっくりの秀一郎を連れて行くわけにはいかないと思った。

「ダメだ、観光旅行じゃないんだ。それにほのかが1人になる。家にいてくれ!」

「父様、何か必死だね」

僕のただならぬ形相に秀一郎は笑って言った。だけど、そのニュアンスに僕は小さな違和感と寒気を感じた。微妙に息子にないものを感じたのだ。

 そして、息子の顔をした男は、僕の背中を撫で、彼の母親に聞こえない様に耳元でそっと囁いた。

「それとも俺を連れてけない理由でもあるのか? ないよな。俺は当然、行くべきだろ」

ぼくははっとして含み笑いをする彼を見ると、黙って頭を振った。


 海は妙子さんにほのかを頼むと電話を入れた。それから僕たち3人は秀一郎の運転で目指すアルプスのふもとへと出発した。


-*-*-*-*-


 後の席に無言で乗っている両親を尻目に、秀一郎は鼻歌交じりで高速を直走る。

 しばらくすると、海が小刻みに震え始めた。

「どうしたの? 寒い?」

僕がそう聞くと、海は黙って頭を振った。


 そして、サービスエリアに着いた時、秀一郎は

「コーヒーでも買ってくるよ」

と言って、車を降りた。海は彼が車から離れたのを見計らって僕に言った。

「ねぇ、あの子は一体誰?」

と……

「決まってるじゃないか、息子の秀一郎だよ」

僕の答える声も震えていたかもしれない。

「違うわ、今あの子が歌っていた歌って、あの子が生まれる前の…21年前のヒット曲だもの」

流行の曲に疎い海が年代まで正確に言える歌、それは…“彼”がらみの歌しかない。

「あの歌、健史が大好きで繰り返し私に歌ってくれた歌なんだもの……ねぇ、あの子本当に私たちの秀一郎なの?」

海は僕が想像した通りの答えを返したが、僕はそれに答える事ができなかった。


 結局、僕は一度もハンドルを握ることなく、身元確認を依頼された所轄署にたどり着いた。

「結城さんですね、こちらです。ご案内しますよ」

 僕に電話をくれた刑事、蓮谷は秀一郎の顔を見て軽く驚いていた様子で、僕たちを健史が安置されている場所まで案内した。

「はっきりと特定はできませんが、あなたが捜索願を出された時とそう変わらない内に死亡されていたようです」

蓮谷刑事はそう言いながら重い扉を開けた。


 そこには、健史がおよそ20年あまり前の姿そのままで僕らを待っていてくれた。

「普通ならとうに白骨化していて、身元を特定できるものがなければ、判らないところだったんですが。氷漬けになっていた格好ですからね、亡くなられたそのままで発見されたって事です」

彼がそう説明を加えた。

「健史!どうして……どうして20年も前に死んじゃってるのよ……」

海がその姿を見て、僕に縋りついて泣いた。

「確かに、私の友人の梁原健史に間違いありません」

僕も必死に涙を堪えてそれだけを言った。

「ねぇ、何で?なんでこの人僕にそっくりなの? ねぇ、父様、ねぇ答えて! ねぇ、母様、この人ただの友達なんでしょ? ねぇ、ねぇってば!!」

その時、後ろにいた秀一郎が突然叫び声を上げた。振り向くと彼は蒼白になって震えている。

「秀一郎!」

僕たちは同時に息子の名を呼んだ。しかし、秀一郎はその問いかけには答えず、口をパクパクさせると…魂が抜け落ちるように意識を失ったのだった。


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