誰がための……
多少辻褄の合わない事を言ったかもしれない。それでも、これで前に進みだした。後は僕の方…
僕は翌日、土曜の朝一番にあの人――僕の父親である人――の所に出かけた。
「龍太郎さん、おはようございます」
ダイニングの椅子に座ってくつろいでいたあの人の愛人(とは言え、母様と別居している今となっては、彼女のほうが対外的には妻と言ったほうが正解なのかもしれないけれど)妙子さんが慌てて立ちあがって挨拶をした。僕はそれに対して手を挙げて応えた。
「龍太郎、こんな朝早くに珍しいな、雨でも降らなきゃいいが」
あの人も上機嫌で入ってきた僕に声をかける。
「僕もそう思いますよ。でも、今日はどうしてもお会いしなきゃならなかったものですから。父様、折り入ってお話があります。」
僕が彼のことをそんな風に呼んだのはもう何年ぶりだろうか。
「何だ? ますます珍しいな」
「僕、結婚しようと思ってます。昨日、あちらのご両親にもお会いして、承諾も戴いて参りました」
「あら、それはおめでとうございます!」
僕の言葉に驚いて先に反応したのは妙子さんの方だった。彼女は顔を綻ばせて僕にお祝いの言葉をくれた。
一方、あの人は眉をピクリと動かした後、しばらくして言った。
「それは、彼女か」
「あら、あなた御存知なんですか?」
「ええ、僕には海以外の女性なんて考えられないですからね」
僕はあの人が海を知っていると聞いて驚いている妙子さんを一瞥してそう言った。
「で、できるだけ早く籍だけでも入れたいと思ってます」
「それは何か――そういうことか。で、顔まで腫らしてもらってきたとでも言うのか」
「そうです。流石に察しが良いですね。彼女は僕の子を妊娠してます」
そして、僕はあの人がぼかして言った海の妊娠をあからさまに口に出して言ってやった。
「認めない」
「は!?」
「すぐに入籍だなどと、私は認めないと言ってるんだ」
「あなた!」
すると、あの人は表情一つ変えず、僕にそう言い放ったのだった。
-*-*―*――
僕は海のとの結婚を認めないと言ったあの人を睨んで仁王立ちになった。それを見てあの人はにやりと笑った。
「ほぉ、怒りに任せて声高に自分の意見を主張したり、逃げなくなったか。それはいい心がけだ。お前も人の親になって、少しは成長したという事だな。私は入籍だけの結婚を認めんと言っただけだ」
「どういう事ですか」
僕は、どうやら彼があからさまに反対しているのではないと分かって逆に戸惑った。
「世間にはそうした紙切れだけの結婚を軽んじる奴もいるという事だ。
お前にはYUUKIを背負って立ってもらわねばならん。そのお前の結婚を軽く見られるようなことはしてもらいたくはないのだ。で、彼女は今、何ヶ月になる?」
「3ヶ月の終わりだと聞きました」
「もうすぐ安定期に入るな。ぐずぐずしてはいられない。とは言え、私には時間が取れない。早急にコレと正式に挨拶に行ってきなさい」
「は、はい、分かりました」
妙子さんが慌てて嬉しそうに返事をした。
「結婚式の方はすべてYUUKIが取り仕切るからと。そちらは身一つで来てくれればいいと、分かったな。それから、結婚式の準備は秘書の石動にやらせる」
そう言うと、あの人は妙子さんに早速その石動さんに電話をかけるために子機を取るように命じた。
「父様!?」
反対しているのかと思いきや、いきなり結婚式の段取りを勝手に始めたあの人に、僕は最初あっけに取られていたのだけれど、次第にそれが腹立たしく思えてきた。結婚するのは僕と海であって、結城家と倉本家でもましてやYUUKIの会社でもない。
「何だその顔は。自分の結婚式だとでも言いたそうだな。しかしな、大体どんな結婚式でも自分のための自分の結婚式などありはしない。自分の結婚式なんてもんは、周りの為のもんだ」
そんな僕の表情を読んだのか、あの人はそうも付け加えた。
「それから、事後報告では後が五月蝿い。おばあ様と雛子姉さまにもお前から話しておけ」
「分かってます、おばあ様には今からこの足で参ります」
僕は頷いてそう答えた。
「じゃぁ、そんな訳で、これからおばあ様のところに行って来ます。
それから、昨日は彼女、体調があまり良くなかったみたいなんで、今晩電話してできれば明日か、それ以降という事で向こうには連絡を入れますが、一緒に行ってもらえますか」
流石に昨日入院して、今日家に戻ってくるとも言えず、僕は帰り際妙子さんにそう言って、彼女の協力を求めた。
「龍太郎さん、私なんかでよろしいんですか?」
妙子さんは遠慮がちにそう返した。
「ええ、母様に頼めない以上、あなただけが頼りです。是非お願いします」
僕はそう言って、彼女に頭を下げた。
あの人が言うように、子供の父親になるという事は、ずいぶんと人を変えるものだと思った。この僕が昨日の夜からどれほど頭を下げているのだろうと思うと、ひどく不思議な気すらした。
-*-*―*―
僕はあの人の家を出た後、今度はおばあ様のところに行った。
「まぁそんなふしだらな。だから、わたくしは最初から反対だったんですわ。大体、わたくしはあんな高校に通う事自体反対だったのですよ」
予想通りというべきか、彼女はそう言って眉を顰めながらいつもの主張を展開し始めた。
「おばあ様、海はおばあ様が思ってらっしゃるほど、結城の家にそぐわない娘じゃないですよ。それは、きっとおいおいお分かりになると思いますが。それに、子供のことは僕の意思です」
僕はそんなおばあ様に、いつもとは違って極めて低姿勢で、しかし怯むことなく返した。
「あの方だって断ることもできますでしょ」
おばあ様はあくまでも彼女が僕を誘惑したのだと思いたいらしい。
「そうですか? 男の僕が本気を出したら、女の彼女の抵抗なんて無意味でしたよ」
だから、僕はさらっと笑顔で僕が無理強いしたように言ってやった。本当はそんな事はなく自然に合意の上でだったのだが、この一言の効果は絶大だったようで、おばあ様はガクッと肩を落として一気にトーンダウンした。
「で、総一郎はなんと言ってるんですか」
それで、おばあ様は今度はあの人を拠り所にしようと思ったようだった。
「賛成してくれてるかどうかは僕にも判りませんけれど、結婚式はYUUKIとして盛大にやってくださるらしいですよ。妙子さんと僕とで早速明日にでも挨拶に行けといわれたし、結婚式の手配も石動さんにお願いしてましたしね。いいビジネスチャンスの一つとでもお思いなんじゃないですか」
「そ……そう。総一郎が反対じゃないのなら、わたくしにも異論はないですわ。子供も生まれてくるのでしたら、仕方ありませんわね」
更に、あの人が反対せず結婚式の準備を始めたと聞いて、おばあ様は僕らの結婚を渋々承諾した。
その後、マンションに戻って、僕はあの人の姉、僕の伯母に当たる雛子伯母様に電話を入れた。手身近に結婚する事、海の妊娠などを告げる。
そんなに反対する人ではないのだが、この人を蚊帳の外にすると、後々拗ねてしまって海が苛められる原因になりかねないからだ。母親であるおばあ様の受けが良くない以上、そういったマイナスファクターはできるだけ避けなければならない。でないと、何かの時に女2人でどんどんと嫁の悪口に発展しかねない。あの人もそれが分かっているから連絡しておけと言っていたと容易に推測できる。
ただ、あの人の場合は、自業自得という部分も否めないと僕は思うのだが……
「それはおめでとう。」
彼女にそうお祝いの言葉を言われて電話を切った後、僕は一気に疲れが出たほどだった。
僕は大きくため息を吐いた後、子機を放り投げてベッドに身体を投げ出した。