第3話 横歩きのカニ、直進の亀
緊張が解け、又兵衛は大きく息を吐いた。
全身が粟立っている。これほどの使い手が、野に埋もれているとは。
「……貴殿、これほどの腕を持ちながら、なぜ仕官せぬ」
又兵衛の問いに、男は地面にどかりと座り込んだ。
「仕官? ああ、してたさ。織田にも、斎藤にもな。だがよ、性に合わねえんだ。右を向けと言われて右を向くのが」
男は懐からひしゃげた徳利を取り出し、残っていた最後の一滴を舐めた。
「俺の名は、可児だ」
「カニ……?」
「そう、河原にいる沢蟹のカニだ。俺はカニだからよ、真っ直ぐには歩けねえ。横に歩いて、好きな時にハサミを振るう。それが一番強えんだ」
可児才蔵。
又兵衛はその名を、脳裏に深く刻み込んだ。
「じゃあな、坊ちゃん。……いや、お前さんはさしずめ『亀』だな」
立ち上がった才蔵が、又兵衛の背中の文箱を指差して笑った。
「その箱、大事なんだろう? 重てえ甲羅を背負って、首を引っ込めて、ひたすら前だけを見て歩く。……堅苦しい生き方だが、まあ、嫌いじゃねえよ」
「亀……だと」
又兵衛はむっとしたが、言い返す言葉が見つからなかった。主命を第一とし、重荷を背負って生きる。確かに自分はそうありたいと願っている。
「俺は播磨の、後藤又兵衛基次だ」
「又兵衛か。覚えとくよ」
才蔵は手をひらひらと振りながら、竹林の奥へと歩き出した。
「死ぬなよ、亀。その甲羅が割られる日まで、精々長生きしな」
「貴殿こそ。……横歩きをして、道を踏み外すなよ」
才蔵の姿が見えなくなってから、又兵衛はその場に膝をついた。
手が震えていた。恐怖ではない。歓喜だった。
広い。世界は広い。
(可児才蔵……。いつか必ず、戦場で会おう)
若き日の邂逅。
それは、後に「双璧」と呼ばれる二人の槍使いの、長く数奇な腐れ縁の始まりだった。
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