◆第1章 上京 〜 東伏見寮に着くまで
3月の故郷は、北海道だというのに、雪は降らなかった。
代わりに、港から吹きつける強烈な “たば風” が頬を刺す。
これがこの街らしさだ。北海道にしては雪が少なく、かといって温暖というわけでもない。住みやすいんだか住みづらいんだか、どっちつかずの、まさに中途半端。だが、この中途半端さこそが、俺の18年の原風景だった。
街には信号機が3つしかない。いや、5つだったか・・・今も数えても10個もない。
かつてはニシン漁で栄え、北海道最古の祭りを誇る “歴史だけはやたら深い” 街。普段は静まり返っているが、祭りの3日間だけは別世界になる。そんな町で、俺・北勝航平は育った。
旅立ちの朝。
父と母は商店の開店準備で忙しそうにしていたが、父は少し照れくさそうに俺の肩を叩いた。
――「お前の人生だから、好きに生きろ」
それは昔から聞かされてきた父の口癖だが、裏を返せば“好きに生きられなかった男の本音”でもある。親父は本当は東京の大学に行きたかった。だが、祖父の急病で夢を諦め、家業を継いだ。
その“未完の夢”が、長男の俺に投影されているのは薄々わかっていた。
「東京六大学の私立だったら、東京にも私立にも行かせてやる」
酔った父がポロっと言ったその一言が、俺がW大の自己推薦を受けた理由でもある。
偏差値も都会の進学校には到底かなわない田舎高校。だが俺には、妙に“人の雰囲気を読む能力”と、“言葉の勘”があった。運良くそれが刺さり、まさかの合格。
自分が一番驚いた。
ホームに滑り込んできたのは、1両編成のローカル線・江差線。
これに乗って木古内まで行き、そこから青函トンネルを抜けて青森へ。
「飛行機で行けばよかったのに」と今なら思うが、いや、金がなかったのだ。
片道10時間。これは移動ではない、旅行だ。
北海道の片田舎と東京は、距離も存在も、とんでもなく遠い。
青森で特急に乗り換え、盛岡へ。
そこから東北新幹線で一気に東京駅――。
車窓が都会のビル群に変わった瞬間、俺は軽くめまいがした。
人が多すぎる。車も多すぎる。
“どこから湧いてきたんだ、この人らは” とマジで思った。
さらに山手線に乗り、高田馬場駅へ。これから4年間の“ホーム”となる駅。
そこから西武新宿線へ乗り換える。黄色い電車がガタゴトと走り、沿線には学生とファミリーが混じった平和な風景が続く。
W大の卒業生が当時の西武のオーナーだったせいか、学生定期は激安。
それで俺は、いつの間にか西武ライオンズのファンになっていた。単純である。
故郷を出て長旅をし、人の多さにほとほと疲れきっていた田舎の青年の目に飛び込んできたのは、
電車から見える石神井公園の桜だった。
故郷で桜が咲くのは、ゴールデンウィーク直前。
出会いと別れの花と言われる理由がわかった瞬間だ。
これからの新たな生活、頑張れるかも・・・。
目的地の最寄り駅、東伏見駅に到着し、改札を出ると、甘い香りが漂ってきた。
青春の香り……ではない。
東鳩の工場があっただけだ。
現実は甘くなかった。
駅から歩いていくと、スケート場、グラウンドやサッカー場、野球場、ラグビー場・・・ありとあらゆるスポーツ施設が目の前に広がる。そう、これから母校になる大学の専用体育施設の数々だ。
屈強で、溌溂とした大学生たちが、そりゃまぁ元気に練習してらっしゃる。
たった10時間の移動と、都会の人の多さで、疲れ気味の新入生との対比が浮き彫りになった瞬間だ。
俺。ここでやってけんのかなぁ・・・。
歩くこと十数分、大きな坂を上って、左手に曲がり、テニスコートの裏を通ったら、ようやく
東伏見寮に到着。
これから住む場所なのに、不思議と胸が高鳴った。
まずは寮母さんのところへ挨拶にいき、北海道土産を渡す。
続いて案内されたのは、まだ正式な部屋が決まる前の“仮部屋”。
その間に、自分宛ての荷物――でかいスポーツバッグ一つ分――を
寮の集会室から運び込む作業をした。
だが、その作業中、出会った寮生はゼロ。40人近くの大学生がすんでいるはずなのに
驚くほど静まり返っている。
寮内も暗くなんとなくじとっとしている。
聞こえるのは、外のテニス部の声とボールの音だけ。
若い青春を発散させるがごとく、躍動しているテニス部員とのほの暗い無機質な寮の空気の対比が
なんとなく、これからの俺の大学生活の・・・ちょっと危うい未来を想像させる。
だが――
これから、ここで“4年間の大学生活”が始まることだけは、確実にわかっていた。




