7.豆腐、練り物、納豆、そして餅
夕飯は手紙の通り豪勢な刺身や寿司がずらりと並んだ。手作り豆腐の冷奴や枝豆などもあり、いかにも日本の夏らしい涼しげな食卓になっていた。
私は食事中かつての異世界人が残したレシピをオリヴィアさんから色々と教えてもらった。まずは豆腐。これは大豆を1晩給水させてすり潰し、水で煮た後に布巾で絞ると豆乳とおからに分かれる。そして豆乳の温度が少し下がったら苦汁を入れる。この苦汁とは海水を煮詰めた後に濾して塩を分離させたものを言うらしい。苦汁を入れるとすぐに固まり始めるので手早く混ぜ、ヨーグルト状になったものを布巾で濾して余分な水を抜き、更に重石を乗せて脱水すると豆腐が出来上がるとのことだ。
「厚揚げは豆腐を更に脱水して揚げれば良いんでしたっけ?」
「そう。油揚げにしたいなら豆腐を薄く切ってから脱水して、その後2度揚げするの。はじめは低温で、次は高温で揚げたらできるわ」
「勉強になります」
更に今日は出ていないが魚のすり身系の食べ物も作れるという。
「白身魚をすり身にして、塩や砂糖で味を整えた後、片栗粉も加えて更に混ぜるの。そうしたら粘り気が出てくるから、そのまま形を整えて揚げたらさつま揚げ、メレンゲを加えて焼いたらちくわ、蒸したらかまぼこ、茹でたらはんぺんになるのよ」
「調理法であんなに様変わりするんですね」
「面白いわよねぇ。あ、アリサちゃん、片栗粉は作れるかしら?」
「はい、片栗粉は作り方を知っていたので大丈夫です」
実はこちらの世界では片栗粉もお見かけしたことがなかった。以前日本食パーティーを敢行した際にチキン南蛮を作ったのだが、そのあんかけの片栗粉は自作していた。作り方としてはじゃがいもを擦って布巾にまとめ、それをしばらくもみもみしながら水につけておく。時間が経ったら水が白濁しているので上澄みの水を徐々に捨てていくと片栗粉が沈んでいる。これをしっかり乾かしたら完成だ。理科の先生が教科書に載っていないこともやるような人で良かったと思う。
「あとはそうね、納豆もあるわよ」
「納豆、ですか」
これは少し反応に困った。私は嫌いではないが馴染みのない人たちにとってはかなりハードルが高いというか、ショッキングな食べ物だろう。
「私は嫌いなんだけど、主人が食べるから作っているの」
「あの美味さが分からないとは」
「分からないわよ。他に美味しいものが沢山あるのに、あんな見た目も臭いも酷いものを食べるなんて!」
「なっ!アリサちゃん何とか言ってやれ」
急にお鉢が回ってきてしまった。夫婦の口論の板挟みにするのは勘弁してほしい。私は何とか両方に角が立たないように答えることにした。
「えっ?あー、そう言っても味覚は人それぞれですから。私は小さい頃から食べ慣れているので食べられますけど、やっぱり他の国の方々には毛嫌いされている食べ物であることは確かです。ただ納豆は健康に良い食べ物で、ダイエットや便通にも効果的ですよ」
「あら、そうなの?」
「ちなみに混ぜれば混ぜるほど旨味成分が増していくみたいですが、醤油を入れた後によく混ぜてもあまり増えないらしいです。なのでよく混ぜた後に醤油を入れた方が美味しく召し上がれます」
「良いことを聞いたぞ!」
(何とか誤魔化せたわ)
私がひっそりと安堵のため息を吐く中、カイトは首を傾げていた。
「ごめん、そもそもナットウって何だ?そんなに賛否両論が巻き起こる食べ物なのか?」
「見てもらった方が早いわ」
私が答えるより先にオリヴィアさんがそう言ってどこかへ行ってしまった。少しして戻ってくると手には藁づとが1つ握られている。それをオーナーさんに渡して自分は少し離れた場所に待機し始めた。よほど嫌いらしい。
「カイト君、これが納豆だ」
オーナーさんが小鉢に納豆を移し替える。大豆が綺麗に糸を引き、独特の発酵臭が漂って来た。懐かしい臭いだ。今日は日本の食材が勢揃いだというのに、納豆が一番懐かしいという感じがする。やっぱりインパクトが強いからだろうか。それとも類似品がこの世界に存在しないからだろうか。
喜々としたオーナーさんの表情とは対照的にカイトの眉間に深い皺が寄った。
「この腐った豆を食べるんですか…?」
(まぁ、そうなるよね)
予想通りの反応に私は苦笑いした。
「カイト、熟成と発酵と腐敗は紙一重なの。人が食べられるなら熟成か発酵だけど、害をなすなら腐敗になる。これは大豆が発酵した状態で、まだ腐っていないから食べられる。本当に腐っていたらもっと酷い臭いがして、カビが生えたり、糸が引かなくなるわ」
「今でも十分酷い臭いなんだが」
「そうよね、カイト君」
オリヴィアさんが嬉しそうだった。どうやらカイトを引き込んで2対2の状況を作りたかったらしい。
「君の国の料理は大抵美味しいが、たまにとんでもないゲテモノが出てくるよな」
「もしかして生卵のことも言っている?あれは最終的には美味しいって話になったじゃない」
少し前、夜中にお腹が空いてこっそり1人で卵かけご飯を食べていたらカイトに見つかったのだ。生卵を食べる文化のないこの世界では倦厭されるだろうことは分かっていたのでコソコソしていたのだが、案の定大騒ぎになった。だけど卵は新鮮なものを使っていたし、生独特の臭み消しのためにブラックペッパーも振っていたので最終的にはカイトも美味しいと半分くらい食べていた。
「あれは認める、美味しかった。けどこれは口に含もうという気さえ起きない」
「酷いなぁ、カイト君。食べてみたら美味しいよ?」
「申し訳ありませんが遠慮しておきます」
「アリサちゃんは?せっかくだから食べないかい?」
「すみません、実は昔食べ過ぎたせいであんまり好きじゃなくなっちゃって」
食べられないわけではないが、過度な納豆ダイエットのしすぎで食指が湧かなくなってしまっていた。それでもせっかくなので頂こうかと思ったのだけれど、カイトが隣で「絶対に食べないで」と無言の圧力をかけてきている。これは相当駄目だったようだ。
オーナーさんが眉尻を下げてしまった。
「残念だなぁ」
「あ、でも念のため作り方だけは教えていただけますか?」
「簡単だよ。給水させた大豆を蒸すか茹でるかして、煮沸消毒した藁づとに入れて温かいところに1日置いておけば勝手にできている」
「へぇ、本当に簡単ですね」
作り方を聞いたことでオーナーさんの気持ちは収まったようだった。
納豆事件が終わる頃には皆お腹がいっぱいだったので、オリヴィアさんがデザートを持ってきてくれた。
「みたらし団子!」
私は吃驚してオリヴィアさんを見た。この世界にもち米はないはずである。
「どうやって作ったんですか?」
「後で教えてあげるから、お先に召し上がれ」
「すみません、いただきます。あ、カイト、これはお米を原料にした餅というものを団子状にして、みたらしという砂糖醤油のたれをかけたものよ。喉に詰まらせやすいからよく噛んで食べてね」
「そんなに注意が必要な食べ物なの?」
「死者が出るほどに」
「危険だな」
「でも美味しいから」
数年ぶりに食べたお餅は感動するほど美味しかった。もち米を使っていないせいかそれほど伸びはしないが、つるんと滑らかで柔らかく、モチモチしていてれっきとしたお餅である。伸びない分喉に詰まらせにくいかもしれない。それにしても普通のお米、いわゆるうるち米はもち米とは成分が違う。きりたんぽや五平餅などうるち米を潰して作る料理はあるが、こんなふうにきちんとしたお餅が作れるとは思わなかった。
「うん、これは美味しい。もっちりしていて柔らかいし、甘じょっぱい味付けが凄く良い」
「そう、この食感が堪らないのよ。今回のたれはみたらしだけど、胡麻とかきな粉とか他の味付けも美味しいし、スープに入れて食べても良いの」
「餅自体は癖のない味だもんな、何にでも合いそうだ」
「原料はお米だからね。本来は普段食べているお米とは別のもち米っていう品種を使うんだけど…オリヴィアさん、これどうやって作ったんですか?」
私の話を聞いていたオリヴィアさんは何故か驚いた顔をしていた。
「そうだったのね。私は普通のお米から作るものしか知らないわ。これは1晩給水させたお米を1回蒸して、その後丁寧に洗ってぬめりを取ってからまた蒸すの。2回蒸したらついて完成よ」
「2回蒸す上に1度洗うんですね!」
「そう教えられたわ。そのモチゴメ?の時はどうなの?」
「給水したもち米を蒸したらすぐにつきます」
「モチゴメの方が簡単なのね」
洗いと蒸す工程を増やすことでうるち米が柔らかくなるのだろうか。いずれにしろ餅好きだった私としては帰ったら早速臼と杵を用意して自分でも作ろうと決意した。
「あ、ちなみに納豆餅っていうのもありますよ?」
「今度やってみよう」「「却下」」
2人が苦虫を潰したような顔をしていたので私は笑った。これだと納豆パスタも納豆トーストも教えない方が無難だろう。
こうして南の島でのひと時は楽しく過ぎていった。
次回は来週水曜日の12時台に投稿予定です。
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※「ら抜き」「ら入れ」「い抜き」などの言葉遣いに関しましては、私の意図したものもそうでないものもキャラ付けとして表現しております。予めご了承くださいませ。