6.不器用な気の引き方
3年前に南の島で和食調味料を提供してくれ、大変お世話になったペンションのオーナーの奥さんであるオリヴィアさんから手紙が届いた。その内容に私は心を躍らせ、居ても立ってもいられずにカイトを南の島に誘っていた。
「カイト!南の島についてきて!」
「…いきなりどうした?」
カイトは私の勢いにたじろいでいる。
「オリヴィアさんから手紙が届いたの。何でもあの時は繁忙期だったし私も断ったから調味料以外出せなかったけど、今なら豆腐とか枝豆とか寿司とか色々出せるから時間が取れるならおいでって」
「今だって夏の繁忙期だろう」
「それが何か従業員を増やしたみたいで前よりも余裕があるんだって」
実は国王陛下が和食をいたく気に入っており、数年前に調味料を大量に作るために使者を送っていた。私はてっきりオーナーさんたちが技術を使者に伝えて終わりだと思っていたのだが、どうやら技術は売らず、従業員を増やして自分たちで卸しているらしい。
私のテンションとは対称的に何故かカイトは乗り気ではないようだった。
「その新しいものはアリサが行かないと受け取れないのか?つまりその、他の使者を出すとか」
「え?うーん、あっちとしては私をもてなすつもりで招待してくれているだろうから、私が行かないと失礼じゃない?カイトの都合がつかないなら別の人の護衛でも構わないよ」
「俺の都合とかそういうんじゃない。ただ、あそこにはあいつがいるだろう」
「あいつってライアンさんのこと?」
ライアンさんはオーナーさんとオリヴィアさんの息子で、少し強引に私に求愛してきた男性である。
「そう。君は随分悩まされていたと思うけど、それでもまた行くのか?」
「あの時私フラれているから大丈夫でしょ。それにもう私も結婚しているし」
散々アプローチをされて悩まされたのだが、私がフェアリーアイだと知った途端手のひらを返したように態度が変わり、フェアリーアイなら付き合わないと何故か私がごめんなさいされて事態は収束した。あの時は頭に血が上ったけれど、今となっては懐かしい思い出である。
「君は今はもうフェアリーアイじゃない。それにああいう輩は結婚していようがいまいが関係ないところがある」
「前回は1人で抱え込んでいたけれど、今回ははじめからあなたがついているんだもの、ライアンさんだっておいそれとは手出しできないでしょ」
「そりゃあ手出しなんて絶対させないけど…」
いつになくカイトが煮え切らなかった。
(これは、もしかして嫉妬?)
あらやだ可愛いと不謹慎にも思ってしまう。
「何でそこでニヤける?」
「ごめん、何でもない。…ねぇ、絶対離れないって約束するからついてきて?」
私はカイトの腕に甘えるように絡みつき、上目遣いでお願いをした。
「…こういう時の甘え方は上手くなったな」
こうして最終的には彼が折れて、渋々ではあるものの南の島に連れて行ってもらえることになった。
「よく来てくれたわねぇ」
「いえ、こちらこそ、わざわざお招きいただきありがとうございます。実は種麹と大豆の件で色々ご面倒をおかけしたなとずっと気がかりでして」
「いやぁ、却って儲かっているよ。ほら、結局ペンションは夏しか経営できないから」
「そう仰って頂けると気が楽になります」
3年ぶりだと言うのにオリヴィアさんもオーナーさんも気さくだし、元気そうだ。オーナーさんは変わらず長身でやや骨ばった体躯、青い瞳には人柄の良さが伺える。今日もバンダナを巻いていた。オリヴィアさんは前よりも更にふくよかになっているかもしれない。栗毛のウェーブがかった髪はロングからボブになっていた。
オーナーさんは約200年前にこの世界に渡って来た異世界人の子孫である。その異世界人は江戸時代後期頃に醸造業を営んでいた男性で、人生の終盤にこの南の島に辿り着いて生涯を終えた。ここにはその異世界人が残した日本の残滓があり、醤油や味噌などの和食調味料が手に入ったのもそれが理由である。
「そう言えば、新聞で見たけどアリサちゃん何だか色々大変だったんだろう?」
「そうだったわ、私アリサちゃんが有名人だってこと知らなくてビックリしちゃったんだから!」
「思わず新聞切り抜いちゃったよ」
「ア、アハハハハ」
私の笑顔は引き攣った。
(新聞の切り抜きは本当に勘弁してほしい)
死ぬほど恥ずかしい。しかも横で咳払いが聞こえたかと思ったらカイトが笑いを堪えていた。後で文句言ってやる。
(まぁでも仰々しい出迎えじゃないだけマシ?)
良くも悪くも田舎って感じの反応で、情報が上手く伝わっていないから案外肩肘張らずに滞在できそうだった。
「お隣の方は以前の隊長さんよね?」
「はい、その節は急な滞在にもかかわらずありがとうございました」
「いえいえ、とんでもないわ。ええっと、旦那さんってことで良いのかしら?」
今回夫婦で止まるため部屋は1部屋で良いと返事を出していた。
「そうです」
「今日も制服なのね?」
私はプライベートだが、カイトは私の護衛という任務中のため近衛兵の制服姿である。それで少し違和感があったのだろう。ちなみに近衛兵の制服はチャコールグレーを基調としたテールコートで、夏仕様になっているらしいけど私から見たらかなり暑そうだ。
「はい。今は彼女の護衛任務に就いています」
「あらそうなの。大変ねぇ」
「いえ」
そんなふうに挨拶が終わるとお部屋に案内される。夕飯時になったら呼んでくれるということでそれまでは自由時間になった。
「さて、有名人のアリサさん、海にでも行きましょうか?」
「もう、からかわないで!」
「流石の俺でも新聞の切り抜きは考えなかったなぁ」
私は盛大に頬を膨らませる。
「そんなに言うなら私1人でライアンさんに挨拶にでも行こうかな」
「俺が悪かった、許してくれ」
カイトが手のひらを返したように焦り始めたので、私の溜飲は少し下がった。
部屋に荷物を置いて早速2人で連れ立って外に出る。彼は仕事中なので手は繋がない。
「何だかその制服姿で一緒に歩くの久しぶりね」
「確かに。英雄としての仕事も少なくなってきたしな。君の制服姿ももう随分と見ていない」
つい数年前のことなのに何だか懐かしい気さえした。
海辺に着くとこれまた懐かしい絶景が広がっていた。
「相変わらず綺麗だわ」
白い砂浜と底が見えるほど透明度の高い海、そして晴れた空。夏の海は穏やかで良い。冬の海に投げ出された時は死ぬかと思ったけど。
裸足になって海に足を浸けるとひんやりと心地良く、砂の感触も楽しい。
「念のため聞くけどそのまま泳ぐ?」
「まさか。もう溺れるのはまっぴらごめんよ」
「まぁそう言うと思ったよ」
カイトは苦笑いしている。
そもそもこちらの世界には水着の概念がない。普段着で泳ぐか、素っ裸で泳ぐかの2択である。だから水着イベントは発生しないし、水泳は苦手なのでする気もなかった。大体こっちに来てから2回も溺れてカイトに助けられているので、もうそんな事態には陥りたくない。
「気持ち良い」
「ああ、日差しは強いけど風が涼しいな」
「あなたはやっぱり入らないの?」
「これでも仕事中だから」
こんな片田舎に私を害そうとする人がいるとは到底思えないが、仕事中なら変な邪魔もできない。私はカイトに水をかけたい衝動を何とか抑え込んだ。
「残念ね、今度はちゃんとお休みの日に来ましょう」
「ああ、それならまだ行っていない本土の海辺の町に旅行しよう。良い避暑地があるんだ。毎回ここに来ていたんじゃ飽きるだろうから」
「まだ飽きるほど来ているわけじゃないけれど、行ったことのない場所は気になるわ」
「じゃあ決まりだ。あそこのワインも美味いんだよ」
「あ、目当ては海じゃなくてワインなのね!」
「海を背景に海の幸を堪能しながら君と一緒にワインを飲むの、最高の贅沢じゃないか。あ、冷たいビールも捨てがたい」
「まぁ、それはそう」
デッキで海を感じながらお酒を嗜んでいるカイトはさぞ絵になるだろうなぁとあらぬ妄想をしてしまった。
そんなふうに仕様もない話をしながら私たちはのんびりと海辺を散歩する。こういう何気ない時間でも彼と一緒なら楽しくて仕方がない。
ところがそのムードは帰り道、ペンションの前で何かの荷物を運び込んでいるライアンさんにばったり遭遇したことではじけ飛んだ。
「あ、久しぶりアリサちゃん。元気にしてた?」
ライアンさんは数年前から変わらなかった。栗毛のくせ毛は無造作に後ろで束ねられ、すらっとした高身長と青い瞳に丸眼鏡は一見すると優男の印象を受ける。
カイトの雰囲気が一変して刺々しく警戒しているのが分かった。
「ええ、お久しぶりです。ライアンさんもお元気そうで」
「まぁね。そんなことより世界救ったんだって?凄いねアリサちゃんは。災厄を引き寄せるんじゃなくて打ち払っちゃったんだから。もう1回告白しちゃおうかな?」
「悪いが彼女は俺と結婚している。指輪が見えないのか?」
すっとカイトが前に出てライアンさんを睨みつける。見たこともない凄みのある視線に私は思わず背筋がゾッとしたが、ライアンさんは少しも動じていないようだった。
「あ、そうなの?ごめんごめん、こんな片田舎じゃそんな都会の洒落た風習ないからさ。そういや君はあの時、間に入って来てた子だね」
「覚えていてくれて良かったよ。分かったらさっさと退いてくれ」
「お堅いなぁ。アリサちゃん、息が詰まりそうなら俺とは遊びでも良いよ?」
「お前よく俺の前でそれが言えるな…?」
ライアンさんは相変わらず飄々としていて掴みどころがない。カイトはかなり苛立っており、今にも飛び掛かりそうだった。
(うーん、どうしよう、困ったわ)
私は一触即発の雰囲気にハラハラしながら見守っていた。
するとその時、ライアンさんの後ろから助け船を出す人物が現れた。
「こら、ライアン!また見境なく女の子口説いて!」
吃驚して声の主の方を見ると、ライアンさんと同い年くらいの、小麦色の肌が綺麗なお姉さまが呆れた顔で立っていた。手にはライアンさんと同じような荷物を持っている。
「ミリー、俺が運ぶから待ってて良いって言ったのに」
「あんたが口説いているのが見えたからでしょ」
「あの…」
「ごめんなさいね。私はミリー。こいつの幼馴染の腐れ縁。…これでも私たち付き合ってるのよ」
「えっ!?」「はっ!?」
私もカイトも思わず声を上げてしまった。
「3年前に大喧嘩して別れて私が島を出て行ってね、最近やっぱりこの島が恋しくて帰ってきて、何だかんだあってよりを戻したの。そしたら何かこうなってて。前はこんな人じゃなかったんだけど…」
(ああ、なるほど、そういうこと)
「不快な気持ちにさせてしまってごめんなさい。彼のことは私がきちんと手綱を握ってるから安心して」
「ふうん?手綱を握ってるって言うんなら四六時中見てた方が良いんじゃない?」
「あんたがそれを望むならトイレも風呂も覗いてやるわよ」
「おー、怖い怖い。じゃ、アリサちゃんも旦那さんもゆっくりしていって」
ライアンさんは肩を竦めると自分とミリーさんの荷物を持ってペンションの中に入って行った。
「本当にごめんなさいね。今は私もここの従業員だから、何かあったら遠慮なく声かけて」
そう言ってミリーさんもライアンさんの後を追って行った。
「な、何なんだ一体!!」
カイトは恋人がいるのに信じられないといった感じで怒っている。
(まぁ、カイトは絶対ああいう気の引き方はしないよね)
ライアンさんはわざわざミリーさんの見える場所で私に声をかけてきた。きっと一度別れているからこそ、ああやってミリーさんの気を引いて愛を確かめているのだろう。カイトも私もただおちょくられただけだ。
(それに3年前に別れたってことは、ちょうど別れた時期に私がここに来たんだろうな)
ライアンさんはミリーさんのことを忘れるために私に強引に迫ったのかもしれない。そう考えるとライアンさんのことが何だか憎めないし、可愛いとさえ思ってしまう。
「あてられるなぁ」
「どこが!?」
「うーん、愛の形は人それぞれってこと?」
それでもカイトは納得いっていないようで、私はしばらく彼を宥めるのに苦労したのだった。
次回は来週水曜日の12時台に投稿予定です。
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※「ら抜き」「ら入れ」「い抜き」などの言葉遣いに関しましては、私の意図したものもそうでないものもキャラ付けとして表現しております。予めご了承くださいませ。