5.欲の満たし方
そしてあっという間に時は経ち、お祭りの当日の夜になった。ドアの開く音がしたので私は急いで玄関に向かう。
「ただいま」
「お帰りなさい」
カイトが帰ってきたので私は顔を綻ばせた。今日に限らずいつもこの瞬間はつい笑顔になってしまう。もう魔物はいないけれど、無事に帰ってきてくれたことがやはり嬉しいのだ。
労いのために私が抱擁をすると、彼は私の額に軽くキスをした。
「あぁ、疲れて帰ってきてもこうやってアリサを抱くと癒されるよ」
「そんなに大変だったの?」
「人が多いとどうしてもな」
「お疲れ様」
「ん、元気出た」
軽く挨拶を済ませるとカイトは普段着に着替え、一緒に夕食を摂った。
「何かソワソワしている?」
「うん、まぁ、待ちに待ったって感じ」
「へぇ、そんなに花火好きだったっけ?」
「え?ああ、うん、花火は好きだよ、綺麗だし」
花火はもののついでだなんて言えなかった。
やがてご飯を食べ終えると私は意を決してカイトに切り出した。
「カイト、あのね、花火を見る時に来てほしいものがあって、リリアンさんに任せてあるから着替えてくれる?」
「着替え?」
「お、趣のために」
「? 分かった」
怪訝に思ったようだが深くは突っ込まれなかった。
カイトのことはリリアンさんに任せて、私は私室で自分の着付けを始める。リリアンさんと一緒に事前にかなり気付けの練習をしていたので手早く着られるようになっていた。
(ちょっと子供っぽいかな?)
作ってもらった浴衣は白地に濃淡のピンクの桜をちりばめたデザインだ。帯は紫。これで赤やピンクだったら本当に子供っぽくなる気がした。
この世界に桜はないのだが、私の中では浴衣と言えば桜だった。ただ残念なことに私の絵心は壊滅的でデザインを指定する際にかなり苦慮した。しかし心が折れかけた時、ふと天啓が降りてきたのだ。
(こっちに来た時のバッグの中にあるかも)
異世界に連れて来られた時に所持していたバッグは今も何となく取ってある。スマホや財布などいたって普通の中身だが、探したら桜柄のメモ帳が入っていた。そのメモ帳の柄を元に、デザイナーさんの涙ぐましい努力と創造力と技術、そして私の少しの口出しによりこの浴衣は完成したのである。
「アリサ様、カイト様は準備できましたので先に屋上に上がってもらっています」
「ありがとうございます」
「髪はもう少しですね」
リリアンさんが終わったようで戻って来た。着付けの間彼女はカイトについていたので、私の髪は別の侍女さんにやってもらっていた。長い髪を丁寧に編み込んでもらって、最後に桜のデザインのかんざしを刺す。これもまた同じように発注して作っていた。
「楚々として良い召し物ですわ」
「やっぱり少し子供っぽくないですか?」
「いいえ、そんなことないですよ」
リリアンさんの審美眼は確かなので彼女が大丈夫というのだから大丈夫か。
「色々手伝ってくださってありがとうございます」
「当然の務めです。さあ、カイト様が待っていますよ」
私は下駄をはき、手に団扇を持って屋上を目指した。帯にさしても良かったのだが、どうせすぐ使うことになると思ったのだ。
屋上にはいくつか灯りを置いていた。その中でカイトは柵に手を掛けて星空を眺めていたが、ドアの音でこちらを向く。真正面から彼を一瞥して、私は団扇で口元を隠した。やっぱりすぐに使う羽目になった。
(色気の神様が降臨しているわ!)
カイトには紺の生地に白の細い縦ストライプが入った定番のデザインを着てもらっていた。帯は生成の上品な色だ。案の定、異国の服なのに彼は見事に着こなしている。駄々洩れているこの色気は何なのだろう。これがエロスか?格好良すぎて顔のニヤケが抑えられない。
(やだ私、変態みたい)
気取られたくなくて、ドア前から動けなかった。
「リリアンにこれで良いって言われたんだが、どこか変だった?」
心配になったのかカイトが訊ねてきた。私は慌てて首を横に振る。
「ち、違うの!これは、その、逆で、とてもよく似合っていたから見惚れて…」
言葉が尻すぼみになっていく。それが精一杯だった。カイトのようにすらすらと相手を素直に褒め湛える言葉のレパートリーを私は持ち合わせていない。
「着てくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
カイトはふっと柔らかく笑った。破壊力抜群で私は本当にクラッときた。このまま死んでしまうのではないか。いやでもこの幸福のうちに死ねるなら本望か?のぼせたように思考がまとまらない。
「アリサも同じ服を着ているんだろう?」
「うん」
「そっちは暗がりでよく見えないからこっちに来て」
「う、うん」
本当は精神衛生上ここから一歩も動きたくなかったが促されて拒むわけにもいかず、私はゆっくりとカイトに近づいていった。もう彼の足元しか見られない。
「見慣れない服だけど新鮮で良いね。清楚だし、可憐で初々しい感じだ」
「ありがとう」
「この見慣れない花は?」
かんざしに触れながらカイトが目敏く訊ねてくる。
「桜っていうこの世界にはない樹木のお花。これも元の国の国花の1つで、こっちの方が国花としては有名かな。ほら、浴衣の花も桜にしたの」
マム、つまり菊が秋の国花なら、桜は春の国花だと言える。
「小ぶりの薄ピンクが特徴的な可愛らしい花で、よく色んなものにデザインされている。桜柄の浴衣も一般的で本当に色んな意匠があるのよ」
「うん、確かに可愛らしい」
(それは浴衣のこと?それとも私のこと…?)
カイトと目が合った。いつもと違う衣裳に包まれて、彼のエメラルドグリーンの瞳は一層艶めいている。もうドキドキが止まらない。
「で、いつまでそれで口元を隠しているつもりだ?」
「今日はこれがないとあなたをまともに見られそうにない」
「何故?」
「聞かないで、分かっているくせに」
彼はクスクスと笑った。
「そんなに喜んでくれるなら毎年着ようか」
「心臓に悪いから要検討」
「素直じゃないな」
そう言ったカイトは私の腰に手を回してきた。恍惚とした甘い表情で、ゆっくりと顔を近づけてくる。
(心の準備出来てないよ!?)
その時、夜空に明るい光が花開いた。ついでドン!という音。花火大会が始まったのだ。
「お預けか」
彼は名残惜しそうに顔を離した。なお腰に手は回ったままである。
(ど、動機が止まらない!)
きっと耳の先まで赤くなっていることだろう。
そんな私をよそに、もう1発大きい打ち上げ花火が上がった。
「あれが開発した花火?」
「…何で知っているの!?」
浴衣のことは頭から吹っ飛んだ。驚かせるつもりだったのに逆に驚かされていた。
「そりゃリリアンからアリサが夜にコソコソ抜け出しているって報告を受けたら、専属護衛としてはついて行かざるを得ないよ」
「リリアンさん…」
あの人の忠義は私ではなくカイトにあるようだった。というか皆して過保護すぎる。一応私も立派な成人女性なのだが。
「でもどんな花火を作っているかまでは知らなかったから驚いているよ。本当に花が咲いているようだ」
「…そこに驚いてくれているならよしとするわ」
はじめこちらの世界の花火を見た時、私はカルチャーショックを受けていた。
(海外の花火って感じ)
柳のように花火が開くものが多く、綺麗な丸い花火は打ち上がらなかったのだ。これは日本の花火は爆弾のように丸く作るのに対して、海外の花火は円筒形に作られ、クラッカーのように一方向から開くためである。またこの世界でも炎色反応は発見されているらしく様々な色の花火が打ち上げられていたが、花火自体は単色で日本の花火のように1つの花火が途中で変色することもなかった。これも海外花火の特徴で、1つの花火に1色しか火薬を詰めないためである。恐らくこの世界の花火も同様に作られているのだろう。
どちらが良いという話ではない。海外と日本の花火では目的や文化が違うというだけの話だ。ただ私はどうせなら真ん丸の花火を打ち上げたかった。それでこちらの世界の花火師さんと協力して丸い花火の開発を始めたのである。
(真面目に夏休みの宿題をしておいて良かった)
小学生の頃、夏休みの自由研究で花火について調べてまとめたことがあり、何となく花火の構造については覚えていた。花火は割薬という文字通り花火を割るための火薬と、星と呼ばれる炎色火薬を詰める。この星の作り方と並べ方が非常に重要で、日本の星は綺麗な球状をしており、それを綺麗に並べて詰めていく。星、割薬、星、割薬と層になるように重ねて詰めていくことで最終的に割れた際にあのような綺麗な模様になる。ちなみに球状の星は例えば内側を赤の火薬、外側を緑の火薬といったように丸めれば、打ち上がった際には緑から赤へ花火の色が変化する。
しかし言うは易く行うは難しでなかなか上手くいかず、花火師さんには何度も試作をしてもらい、試し打ちのに度にああしてコソコソと夜に外出していたのである。
夜空には作った花火とこちらの花火の両方が演出通りに綺麗に打ち上がっている。きっと町のお祭りにも文字通り花を添え、大いに盛り上がっているに違いない。気付けばカイトと私も次々と上がっては消えていく花火を夢中になって見ていた。
「同じ花火なのに全然違うな。何だろう。君の作った花火は華やかなのに儚い。名残惜しくて切ない気分になるよ」
「そうね、華やかだけど派手じゃない。むしろ繊細で、それがあっという間に消えてなくなっちゃうから寂しいのかな。それにこっちの花火はお祝いのために打ち上げるでしょ?」
実はこちらの世界でも春の1日目は新年の区切りということでお祝いのために花火が打ち上げられる。正月に花火をするようなものだ。他にも世界が救われたことを祝う大宴会でも盛大に花火が上がっていた。
「それ以外に目的が?」
「私の国では元々花火は鎮魂と災厄退散のためだった」
「鎮魂と災厄退散…」
江戸時代に大飢饉で多くの人々が亡くなった際に打ち上げたのが花火大会の始まりである。夏という季節はお盆や怪談など死者に思いを馳せる時期でもあり、また古来より人は火を神聖視し、魔除けや送り火など様々な儀式に使われてきたため、その文化的背景から花火がそのような意味合いを持つのは自然なことであった。
「そう、本来は死者へ贈られる手向けの花であり、もうこれ以上悪いことが起きませんようにという祈りも込められていた。まぁ今はみんなそんなこと忘れて、ただの夏の風物詩として楽しんでいるけどね」
わたしがそこまで説明すると、カイトは畏敬の眼差しでこちらを見てきた。
「君は凄いな。生きている人を喜ばせるだけじゃなく、死者に安らぎを与え、今後の国の憂いまで晴らそうとしたのか」
「……」
確かに今の話の流れだとそう捉えられてもおかしくはなかった。が。
(言えない!カイトの浴衣姿が見たかっただけなんて言えないよ!)
何か凄いキラキラした目で見られている気がするけど、どこの国にそんな聖人君子が存在するというのか。
(でも誤解を解かないとそれはそれで罪悪感半端ないわ…過大評価されたままだとやりにくいし)
私は本当のことを言うべきか否かで天秤にかけた。正直どっちも嫌だったが、自分が良く見られている方が気持ちが悪かった。カイトには等身大の自分を見てもらいたい。
「カイト、あのね、引かないで聞いてほしいんだけど…」
「うん?」
「皆に喜んでもらいたいとか死者への弔いとか災厄退散とか、勿論そういう気持ちもないわけじゃない。でもね、そう言うのは全部後付けの目的で、私の本来の目的じゃないの」
「そうなのか?」
「うん、そもそもこの花火大会を計画したのは、その……カ、カイトの浴衣姿が見たくて……」
カイトは首を傾げてしまった。
「浴衣と花火大会と何の関係が?」
「…もうあっちの世界じゃ花火大会の時くらいしか浴衣を着ないの。だからせっかく浴衣を着てもらえるなら花火大会やろうと思って。結果として浴衣より花火の方が準備が大変だったし、目的の倒錯感が凄かったんだけど、でも、本来の目的は浴衣の方。実は物凄く仕様もなくて、あなたが思っているような高尚なことは何1つないのよ」
私が正直にカミングアウトすると、カイトは少しポカンとしてそれから大笑いし始めた。
「俺の浴衣姿1つのためにここまで大掛かりなことをしたのか!」
「だって雰囲気ってものがあるじゃない?プリンセスドレスにはダンスパーティー、浴衣には花火大会なの」
「なるほど、そう言われると説得力がある」
カイトが目元を拭っていた。相当笑ったらしい。私は言いたくないことを言う羽目になったのが面白くなくて唇を尖らせる。
「花火の解説なんかするんじゃなかった」
「笑って悪かった。好きなことをすれば良いと言ったけど、色々想像の斜め上だったんだ」
笑いの納まった彼の顔には、今度は優しい笑みが湛えられている。
「でも本当のことが聞けて嬉しいよ。君は誰かのために何かをやっていることが多くて、自分の欲をあまり出さないから」
「そんなことない」
「否定するなら甘え下手を直してからにして。…それで今回は随分な遠回りをしたみたいだけど、俺のこの姿は君の欲望を十分に満たせたのかな?」
大満足ですなんて恥ずかしくて口が裂けても言えない。
「…この口元を覆っている団扇が全て」
「そういう時は素直じゃないんだな」
彼は苦笑していたがそれ以上は追及してこなかった。
ちょうど花火の最後の演出にさしかかっていた。たくさんの花火が鮮やかに咲き乱れては散っていく。彼は私の腰に手を回し、私は彼の肩にしなだれて、美しくも切ない光景を目に焼き付けるのだった。
なお、この花火も花火大会も大変な人気を博し、こちらの世界でも夏の風物詩として親しまれるようになるのはもう少し先の話だ。
次回は来週水曜日の12時台に投稿予定です。
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※「ら抜き」「ら入れ」「い抜き」などの言葉遣いに関しましては、私の意図したものもそうでないものもキャラ付けとして表現しております。予めご了承くださいませ。