3.酒の失敗
「アリサさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ、ほら」
エリスさんが心配そうに声をかけてきたので、私は椅子から立ち上がって一本足でバランスを取って立って見せる。はじめは多少フラついたものの、きちんと真っ直ぐ立つことができた。
「ほら、見てください。だいじょーぶですよ」
私は楽しくてコロコロと笑った。
「あれ?そういえばカイトはどこに行ったんですか?」
「カイトならトイレですよ」
「トイレ…」
楽しかったけれど同時に何だか眠たくなってきたので後のことは彼に任せようと思い始めていた。
「それよりアリサさん、今更聞きますけどカイトのことはいつから好きだったんですか?」
「ええ、やだぁエリスさん、恋バナですかぁ?」
「そうですそうです。アリサさんあまり話さないから」
「だって私の話なんて聞いても面白くないですよ?」
「面白いかどうかは聞いてみないと分かりません」
「うー」
久しくしていない女子トークに私の心は少なからず踊っていた。いやエリスさんは男性なのだが、女性顔負けの美貌で、ついつい心が開いてしまう。
「エリスさん、考えても見てください。いきなり知らない人に「サリア、やっと見つけた、会いたかった」って声をかけられて抱き締められたんです。普通だったら叫んで逃げ出すと思いませんか?」
サリア様はこの国のお姫様だった人で、かつてのカイトの婚約者である。
「え?ああ、はい、確かにそれは犯罪ギリギリの行為ですね」
「ですよねー、でも声が出ませんでした」
「吃驚しすぎて?」
「それもあります。でもそれが今まで見たこともない美青年だったんですよ!それに全くの人違いですけど、私を見た時に凄く嬉しそうだったんです。だからこの人こんなにサリアって人のこと大事に思っているんだなぁって思ったら、きっと良い人なんだろうなって。ちょっとサリアって人のことが羨ましくなりました。その後キスされそうになって流石に拒みましたけど」
エリスさんが飲んでいたビールを吹きかけていた。
「そんなことがあったんですか」
「はい。その後手を引かれて魔法陣に乗ったらこっちの世界に来てました。でもそのどれもが嫌じゃなかったんです。本当に嫌だったらきっとどこかで逃げていたと思うから」
私は目を細めてカイトと最初に会った時のことを思い出していた。懐かしいが今でも鮮烈に覚えている。
「多分無意識のうちにそこからもう気にはなっていたんですよ」
「でもそこから随分と長かったじゃないですか」
「それはカイトは私ではなくサリア様を見ていると思ってましたから。あるいはこっちの世界に連れてきた負い目で私に優しくしているだけだって。勘違いをしてはいけないと何度も自分に言い聞かせました。カイトを好きになりたくなかったんです」
「何故?」
「初恋と死んだ恋人には敵わない。何故ならどちらも思い出が美化されるから。私ははじめから叶わない恋はしたくなかったんです。でもそう思っているということは既に好きだったんですよね。自分の心に嘘をついて誤魔化して蓋をして、それでも隠しきれなくて恋心を自覚して、自覚した後も放っておきました。私はこの気持ちを墓場まで持っていくつもりだったんです。けれど失敗して今はこうして幸せに暮らしています」
ふふふと私は笑った。もう眠気で目がしょぼしょぼしてきている。エリスさんは何故かほっとしたような顔をしていた。
「失敗して良かったですよ」
「はい、私は世界で1番幸せな花嫁です」
ちょうど良いタイミングでカイトが戻って来た。
「何の話をしていたんだ?」
「んー、何の話してたんだっけ?えーと、私がどれほどカイトのことを愛しているかっていうのをエリスさんに言い聞かせていたと思う」
夢見心地で先ほどまでの会話が思い出せなかった。ただ幸せの残像だけが心に残っている。
「…へぇ?どれくらい愛しているんだ?」
「死んだ時、イヒネイカ様に「今のあなたなら我々の娘として永遠の命を与え、蘇らせることすらできます」って言われたの」
「は?神々の娘?永遠の命?聞いてないぞ、そんなこと」
「うん。でもそれならフェアリーアイではなく普通の人間として蘇ってカイトと同じだけの寿命をくださいってお願いした。カイトと幸せになりたいんですって。そしたらイヒネイカ様はそのお願いを聞き入れてくれたの。だから、えーと、それくらい愛してる!」
私は隣に座ったカイトに抱きついた。ヒューと野次のような口笛が聞こえる。きっとレオンさんだ。
「熱烈だな」
「当てられそうです」
「面白い話が聞けました」
オークリーさん、ギルバートさん、エリスさんも何か言っているがさして気にならない。とにかく眠たかった。
「…アリサ、大丈夫か?」
「んー、眠たい」
「お開きにしよう」
「いーよ、私だけ抜ける。後は5人でゆっくり楽しんで」
「いや、もう結構な時間ですから僕たちも帰りますよ」
エリスさんの言葉を皮切りに皆帰り支度を始めてしまった。
「うー、帰っちゃうんですか?客室もありますよ?」
私が眠たいからという理由でパーティーが終わるのは忍びなかったのだが、何故かカイトに手で目元を覆われた。
「頼むから皆に媚態を振り撒かないで」
(ビタイ?)
私の脳はもうその言葉を処理できない。カイトに抱きついたまま、首元に顔を埋める。夢と現の狭間でうとうとと良い気持ちだった。
「寝てしまいました」
「アリサさん、今日のこと途中で記憶飛んでいる方が幸せだろうなぁ」
「確かに。相当気にするだろうな」
ギルバートさんとレオンさんが苦笑しながらまた2人で会話している。
「ごめん、飲ませすぎたかも」
「いや、俺もちゃんと見てなかったから」
「まさかこんなに弱くなっていると思わなくて」
エリスさんとカイトも何か喋っている。途中からオークリーさんも混じっていた。
「酒が弱いと大変だな」
「ああ、本当に。けど仕事の時はほとんど飲まないから。俺たちだけだったから羽目を外したんだろう」
「顔がニヤけているぞ」
「不覚にも。こんな形だけど素直に心のうちが聞けたし、こんなに甘えてくるのも滅多にないから」
「アリサさん、意外と隙がないもんな」
「僕とアリサさんの会話ちゃんと聞こえてた?」
「…さては謀ったな、エリス」
「カイトなら立ち聞きすると思って。現にドア前で聞いてたでしょ?」
「悪友だよ、全く」
カイトが私を揺すった。
「皆帰るけど、見送れそう?」
「ん、見送る」
私はダイニングから玄関までカイトに支えられながら歩いた。
「ごめんなさい、また来てね」
皆に軽くハグをしてからお別れをした。
「さて、もう良いだろう」
そう独白するとカイトは私のことをお姫様抱っこする。
「もー、ちゃんと歩けるからぁ」
「何でこの運ばれ方がそんなに嫌なんだ?」
「この抱き方、何て言うか知ってる?」
「さぁ、横抱き?」
「そういうとも言うけど、これねあっちの世界だとお姫様抱っこって言うの。別にお姫様じゃなくてもお姫様抱っこなんだけど、何て言うのかな、女性が少なからず憧れる抱えられ方っていうか、好きな人にこう抱えられると何か分かんないけどドキドキしちゃうの」
「へぇ、じゃあアリサは俺にこうやって抱えられる度にドキドキしていたんだ」
「してたよ、今だって凄くドキドキしてる」
「だからいつも恥ずかしがって降りようとするってこと?」
「人前だと特に恥ずかしいんだから」
(あれ、何力説してるんだろう?)
眠気で思考がまとまらない。聞かれたことに素直に答えているような気がした。
抱かれたまままたうつらうつらしていると、いつの間にか寝室に到着していた。
「寝支度できそう?」
「んー」
「吃驚するほどの生返事だな」
カイトが何か苦笑していると思ったら、ベッドにそっと横たえられる。身体が沈み込んで気持ち良い。眠気が一気に襲って来た。
いつも一緒に寝ているのにカイトは私を置いたらどこかへ行こうとしたので、私は彼の袖を掴んだ。
「どこ行くの」
「今日は別で寝よう。後のことはリリアンに言っておくから」
この豪邸が建てられた際、王城から使用人も何人か移動してきている。長年私の専属侍女を勤めているリリアンさんにもついてきてもらっていた。
「何で、やだ、一緒に寝よ?」
「いや」
「あなたがいないと寂しい、どこにも行かないで」
私は懇願する。こんなに心地の良い夜なのにカイトが傍にいないなんて嫌だった。
「あー、もう」
彼はいつになく余裕のない声を出したかと思えばベッドに横たわった。いつものように抱き締め合う。最初に添い寝をした時から変わらない優しさと温かさ。毎日彼の腕の中で寝られるなんて私は幸せ者だ。自然と顔が綻ぶ。 もう何もいらない。
(あなたさえいてくれればそれで良い)
もうほとんど夢の中だ。
「本当、罪作りな奥様だなぁ」
カイトの唇が額に触れた気がした。
「俺の鋼の理性に感謝してほしい。それから後日覚悟しておいて」
何か言われているようだが、よく分からなかった。
翌朝、私は目を覚ました。いつの間にかベッドで寝ている。魔力切れを起こした時のようにまた記憶が曖昧だったので、記憶の糸を辿っていくことにした。
(昨日は確か皆と一緒にホームパーティーをして、久しぶりにお酒を沢山飲んで、そしたら眠たくなって…)
「う…わ…」
私はエリスさんやカイトにした話をばっちり覚えていた。合わせて自分の醜態の数々もありありと思い出す。布団の中で身悶えした。できれば忘れたいし、皆の記憶からも抹消したい。
「ん、アリサ、起きたの?」
「あ、ごめん、起こしちゃった?」
いや問題はそこではない。私はカイトの顔を見た途端、恥ずかしさのあまり絶叫しかけた。なけなしの理性がそれを防いで、一刻も早く逃げ出そうと彼から背を向ける。
「どこに行くつもりだ?」
駄目だった。私の旦那様は戦闘職、しかも全ての兵団の中でも最もエリートが集まる近衛兵団所属。寝起き早々俊敏な動きで私を捕らえるとそのまま後ろから抱き締めてきた。それはほんの一瞬の出来事で、私はなす術もなくベッドに戻される。そのわずかな間に両手で顔を覆うことしかできなかった。
「その様子だと昨夜のこと全部思い出した?」
「イヒネイカ様に皆から昨夜の記憶を抹消してほしいって懇願してくるから離して」
「それは困る。あんなに素直に甘えてくる君の姿なんて早々拝めないんだから」
「ぅううわぁあああ」
もう羞恥の許容量を超えて言葉にならない。
「それに君がいつから俺のことを気にしていたのかも、どれほど俺のことを愛しているのかも、お姫様抱っこをする度にドキドキしていることも知れたしな」
「エリスさんとの話も聞いていたの?」
「ばっちり」
「ああああああ」
(穴があったら入りたいどころかいっそ埋めてほしい)
私はしばらくカイトの腕の中で、言葉にならない声を発しては身悶えした。
やがて私が少し落ち着いた頃、カイトは優しい声音で話しかけてきた。
「アリサ」
「……何?」
「俺を選んでくれてありがとう。心から愛している」
「……うん……」
この心境ではぶっきらぼうな返事しかできない。
「それから無抵抗で攫われるのは俺だけにして。あんなふうに甘えるのも。君の酔った時のうるうるした瞳は艶っぽくて、本当にお持ち帰りされかねないから」
「…私もうお酒飲まない。どうしても飲まざるを得ない時はグラス2杯までにする」
「良い心掛けだけど、俺がいる時は別に良いって言っただろう」
「もう誰にもあんな醜態を曝したくないわ」
「ふうん?まぁアリサがそれで良いなら構わないよ」
カイトが耳元で甘やかに囁く。
「正直君の無防備な姿を見ていると、俺も我慢できなくなりそう」
フェアじゃないから抑えているけどと彼は付け加える。私は自分の顔がさっと紅潮したのが分かった。羞恥、罪悪、照れ、その他何だかもう色々な感情が渦巻いて、いたたまれずにベッドから起き上がる。彼は私が逃げることを見越してか腕の力を弱めてくれていた。
「お風呂入ってくる!」
「もしかして誘っている?」
「誘ってない!昨日入り損ねたから入ってくるだけ!」
「はいはい」
私は寝室を後にした。カイトがどういう表情をしていたのか分からない。
(後でちゃんと謝らなきゃなぁ)
でも今の私にはそんな余裕はなかった。
ちなみに後日皆には手作りのお菓子を焼いてお詫びの品として贈るのだった。
次回は来週水曜日の12時台に投稿予定です。
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※「ら抜き」「ら入れ」「い抜き」などの言葉遣いに関しましては、私の意図したものもそうでないものもキャラ付けとして表現しております。予めご了承くださいませ。