悪役霊嬢、親書を交わす。小夜時雨に絆で結ばれて ~禁断の愛に出遭う〜
星空を眺めながら揺蕩う。
私は、死んだらしい。
ふわりふわりと宙を浮いて、崖下に落ちた馬車と飛び出している中身をちらりと見る。
完璧に白骨化している。
カーディナルレッドのドレスは、くすんだ茶色に変わり果てていた。
――――さて、行きましょ。
風に揺れる金髪を耳にかけて、スーッと空中を飛んだ。
死んだのに、髪やドレスの裾が風に揺れているのって、とても不思議よね。
一体全体、どうなっているのかしら?
◆◆◆◆◆
王太子の娘――ソランジュ・バラチエとして生を受けて二十年ほど。
私は自他ともに認める悪役令嬢だった。
この国の王である祖父も、王太子である父親も、それはそれは最低な男たちで私利私欲に塗れた生き物だった。
贅沢を極めた食事、ギラつく装飾品、二度は着ることのない衣服。
疲弊した国、やせ衰える国民、虐げられた使用人たち。
それらに目を向けることなく、ただ生きてきた。
だから、私も同罪だった。
父は敵対勢力の主軸である若き侯爵――ボルテール卿と私の結婚話を進めようとしていた。
彼をこちら側に引き込んで、自身の将来を安泰にしたいがために。
けれど、思惑通りになどならないもので。
黒色のショートヘアーをオールバックにし、金色の瞳を鋭く光らせこちらを睨み付けてくるディオン・ボルテール侯爵。
「はっきり言っておこう。私は君たちに利用されるつもりはない」
「ええ。理解しておりますわ」
話してみれば、酷く真っ直ぐな人物だった。
普通なら思惑は腹の底に隠し、貼り付けた笑顔で相手を虜にし、得たい情報を搾取するだけで良いのに。それが、貴族の腹芸なのに。
父の思惑もあり、二人きりでボルテール侯爵と何度も会っていた。
身体を使ってでも彼を虜にし、敵対勢力の情報を掴むこと、こちらに鞍替えさせること。
そう命じられて。
私はそのつもりは毛頭なく、父には「彼はとても潔癖だから、もう少し時間が必要そうだ」と報告していた。
基本は彼が我が家に訪れた際に、小サロンでお茶をすることになっている。稀にボルテール侯爵が眉間にとてつもなく深い皺を刻んで質問をして来るときがある。
今日もそんな日だった。
「君は、この国がこのままでもいいと思っているのか?」
その質問への答えは決まっている。
「私にはなんの権限もなく、なんの力もございませんから。ただ、流れに逆らわず生きていきますわ」
ボルテール侯爵は、とても不満そうな顔。先程より眉間の皺が深くなっている。
そんな反応をされるのは分かっていた。彼はとても真っ直ぐで、私には眩し過ぎる存在だ。私のこの回答に納得するはずがない。
「私が見た限り、君はあの男たちほど落ちぶれていない。目が死んでいないし、欲に塗れていない。なのに、なぜこんな現状で満足している」
「あら。嬉しいですが、過剰評価ですわよ。ふふふ」
この人は知らないのだろう。
王城に蔓延る本当の悪を。王族たちの恐ろしさを。
あまりにも、彼は真面目過ぎた。
あまりにも、潔癖すぎた。
そして、私の優柔不断な態度がこの事態を招いた。
「……あの男を落とすのは無理だろう。次の夜会で死んでもらうか」
父の執務室から聞こえて来たその言葉で、足元から崩れ落ちるかと思った。
――――彼が死ぬ?
そう考えただけで膝が震えたし、手のひらにはジュックリと汗をかいていた。
喉が絞まって息がし辛い。
――――あぁ、そうか。
ここでやっと自分の気持ちに気が付いた。
私は、彼と過ごすことに楽しみを感じていたのだと。
基本的には、金色の瞳に睨まれてはいたけれど、ときおり真面目な顔で話しかけてもらえていた。まるで、対等な人間として。
私は、彼に落ちていた――――。
父を裏切ろうと決めた。
決戦は夜会の会場で。
当日は彼が迎えに来るが、馭者に話が筒抜けになってしまうかもしれない。こうなると、私に付いている侍女も信用できるかは怪しい。
だから会場で、ボールルームでダンスをしているときが一番安全だろうと考えた。
ところが夜会の当日、ボルテール侯爵から迎えに来れないという連絡が入ったと知らされた。
仕方なく侍女と二人で馬車に乗り込んだ。
馬車は、会場へと向かっているはずだった。
車窓から見える景色に違和感を覚えた時には、もう遅すぎた。
馭者へ通じる窓も、扉も施錠されており、馬車はどんどんと山道へと進んでいく。
ガタリと馬車が揺れ、不意に訪れる浮遊感、そして直ぐに感じるありえないほどの重力。
車窓から、晴れ渡った満月の夜空が見えた。
あまりにも美しい月は、ボルテール侯爵の力強い瞳を想わせた。
――――綺麗。
◇◆◇◆◇
ふわりふわり、夜空を飛ぶ。
なぜ今なのか。
なぜこんなにも時間が経っているのか。
そもそも、彼は生きているのか。
父の計画では、彼は夜会の帰り道に殺されているはずだった。
ボルテール侯爵の屋敷には、知らない男がいた。
どうやら男はボルテール侯爵の遠縁のようだった。
数人の会話を聞いて、理解する。
ディオン・ボルテールは王城に居ると。
――――彼が、王。
国王の私室に忍び込んだ。
警備の騎士を躱し、壁をすり抜けて。
厳重な警備の王城で、普通なら出来るはずもない。だけど、私には可能だった。
だって、幽霊だから。
――――悪役令嬢が死んで、『悪役霊嬢』ってとこかしら?
豪奢なベッドに眠るディオン・ボルテールを発見。
黒い睫毛に縁取られた金色の瞳は、瞼が固く閉じられていて見ることは出来ない。
つい先日のような記憶にある彼と、眼の前で眠っている彼の年齢が少し離れているような気がする。
あの頃と変わらない、眉間の皺。
新しく増えたのは、目尻にある皺。
――――私、白骨化していたものね。
すやすやと眠るディオン・ボルテール。いまはディオン陛下と呼ばれる存在。
生き残ってくれていたのね。
彼が王になった経緯はわからない。
でも、生きていてくれて良かったと心から思えた。
この夜、ディオンの寝顔をじっくりと見て過ごした。
「陛下」
「やぁ、王妃。どうかしたのか?」
鈴の鳴るような声でディオンに近づいてきたのは、艶やかなドレス姿の女。
ピンクゴールドの髪に、空色の瞳は、少女らしさがあるのに、ドレスは胸の谷間を強調しており、妙なちぐはぐ感。
この娘、どうやら王妃らしい。
――――結婚したのね。
ずいぶんと若い。
記憶を探るが、該当する人物が出てこない。もしかしたら、当時はまだ社交界デビュー前だったのかもしれない。
王妃と呼んだ娘を対応するディオンの瞳は、死んだ魚のようだった。口元には笑みを浮かべているのに、瞳に生気がない。
執務中も同じだった。
とにかく書類を捌き、会議をこなし、短時間の食事休憩をするだけ。真夜中まで働き、移動は執務室と会議室の往復のみ。
そして、部屋に戻ると眠るだけ。
『ちょっとは休んだらどうなの?』
そう声をかけるけれど、聞こえるはずもなく。
『なんでこんな国の王になんてなったのよ』
いくら話しかけても無意味なのに。どうしてか話しかけてしまう。
はぁ、と大きなため息を吐いたときだった。
ディオンの寝室にノックが響く。
「ディオンさま」
「…………王妃か」
「どうか、二人のときはクリスティーヌと」
――――クリスティーヌ?
よくある名前だけど、どこかで聞いたことのある名前。父の仲間の娘もクリスティーヌだったような気がする。
「今宵こそはともに――――」
「っ、すまないが今日は疲れている」
「ディオンさま、世継ぎを産まない私や父が皆に何と言われているかご存知で!? ディオンさまを王にするために尽力した我が家を蔑ろにされるのですか?」
「っ――――分かった」
これ以上は見てはいけない、結婚したのだから身体の関係もあるのだろう。そう思って部屋の外に出た。壁をすり抜け、入口を警備している騎士の横に立つ。
理解はしていたけれど、目の当たりにすると少し息苦しさを感じる。
――――死んでいるのに変ね。
カーディナルレッドのドレスの裾をつま先で蹴りつつ床を見つめていると、扉が勢いよく開いてクリスティーヌ嬢が部屋から飛び出して行った。
まだそんなに時間は経っていないはずなのに。
そっと部屋の中に戻ってみると、上半身をはだけさせたディオンがベッドで仰向けになり、右腕を額の上に乗せていた。
「どうしたら良いんだ……………………ンジュ……」
『え?』
一瞬、自分の名前が呟かれた気がした。
『ディオン?』
私の声は彼に聞こえるはずもなく。
幽霊になった私の存在は、誰にも見えない。目の前にいるのに、彼とも誰とも話せない。
私はなぜここに来てしまったのだろう。
「…………ソランジュ、なぜ消えた。どこにいる」
『ディオンっ!』
どうにか想いを伝えたい。
伝えられたら、成仏出来そうな気がした。
私の未来は既にもうない。
けれど、彼はこれからも生き続ける。どうか、穏やかに生きて欲しい。
ディオンの統治する国は素晴らしい。
ここに来る前に見た国民たちは、皆とても明るい顔をしていた。
貴方の努力は実っている。
貴方の祈りは届いている。
――――貴方に伝えたい。
ディオンに想いを伝えるため、いろいろとやってみた。
本棚から本を落としたり、書類を散らばしたり、窓ガラスにヒビを入れたり、家鳴りというものをさせてみたり。
結果、暗殺者を疑われて騎士たちの仕事を増やしただけに終わった。
眉間に皺を刻んだディオンの寝顔を眺める。
――――触れられたらいいのに。
『あら……?』
そういえば、本や書類にはどうにか触れられていた。
眠るディオンの頬に指を…………当てようとしたが、すり抜けるだけだった。
『生きているものには触れられないのかもね』
独り言が虚空に消えていく。
一度でも良い、一瞬でも良い、触れて伝えたかった。
気付くには遅すぎたこの想いを。
ため息を吐きながら執務机の上に座り、ペンを転がす。昔は絶対に出来なかったことを、霊嬢になってこっそりやっている。
机に座るのもそう。
書類にこっそり落書きしてみたり、昼間から居眠りしてみたり。
死んでいるのに眠るのって変よね。
――――あら?
ディオンのメモ帳にいろいろと落書きをしていて、ようやく気がついた。
物が書けるということは、手紙を書けるということに。
『なんで今まで気付かなかったのよ!』
ディオンの机から紙を一枚拝借し、ベッドサイドのテーブルに置く。
しとしとと降り注ぐ雨の音を聞きながら、ペンを走らせた。思いつくままに。
――――――――――――――――――――
ディオン・ボルテール様
貴方に手紙を書くのは初めてね?
私は昨日の事のようだけど、貴方は私が死んだあと、何年も何年も何年も戦い続けていたのね。
お祖父様と父は処刑されたと聞いてホッとしたわ。
それで良かったと思うけれど、貴方に重責を負わせてしまったことは、本当に申し訳ないと思っているの。
ごめんなさいね。
ただ、国王になった貴方を見て、安心したわ。
貴方なら、素晴らしい王になると思っていたもの。
真っ直ぐ過ぎる性格はちょっと心配だったけどね。
でも最近、貴方の顔が暗いことが気掛かりよ。
無理しないでね。
ちゃんと睡眠時間を取ってね。
貴方に伝えたいことが出来たの、だから言うわね。
ディオン、愛していたわ。
出来ることなら、貴方との未来を見たかった。
でも、私は死んでしまったから、諦めるわ。
貴方にはまだまだ時間があるわ。無駄にしないで。
王妃陛下を愛してあげてね。
ソランジュ・バラチエ
――――――――――――――――――――
雨音は、まるで私の気持ちを掬うかのように、柔らかく室内に響き渡っていた。
翌朝、手紙を見つけたディオンは、それを破り捨てた。粉々に。
そして、暖炉の中へ投げ捨てて燃やしてしまった。
私の愛の告白を。
ディオンは憤怒の表情で騎士を呼び出し、王妃を呼び出し、犯人を探そうとしていた。
犯人は、貴方の横で漂う霊嬢です。
なんて、本人に伝えたくとも出来なかった。
ペンを持とうとするけれど、スルッと通り過ぎてしまう。いままでそんなに気にしていなかったけれど、日中はあまり力を使えないのかもしれない。
深夜になり、また手紙を書き始めた。
何時間も戦って、やっとペンが掴めたのがこの時間。
もしかしたら手紙を書いたことにより、かなりの力を使い、消失していたのかもしれない。
その証拠に、自身の身体も少し薄れたような気もする。
それでも、昨日のようにペンを走らせる。
ディオンに伝えたくて。
窓の外は、今日も雨。
静かに降りそそぐ、小夜時雨。
「ソランジュ、そこにいるのか?」
『っ、ディオン!?』
寝ていると思ったディオンが、サイドボードで手紙を書いている私を見ている。
もしかして、見えているのかと思ったけれど、どうやら勝手に動くペンを見ていただけらしい。
話しかけても、返事をしてはくれなかったから。
「ソランジュ、なのか?」
もう一度そう聞かれて、慌ててペンを走らせた。
「っ! なぜ、そこにいる」
『死んだからよ』
「…………私を呪い殺すためにか?」
『なんで、そうなるのよ』
声に出すと、まるで会話ができているみたいに感じられた。
実際には、ディオンは文字を読んでいるだけだけど。
「あの手紙は…………本心? 君が書いた?」
『ええ、そうよ』
「なぜ死んだ。いつ死んだ。なぜ…………あんな手紙を書いたんだ」
『好きだからよ』
「っ――――」
ディオンの満月のような瞳から、透明な雫がこぼれ落ちた。
それはまるで、外の小夜時雨と連動しているかのように、とても静かに。
「いまさら…………いまさらっ、なぜっ!」
ディオンがサイドボードを拳で叩いたせいで、ペンが手から滑り落ちてしまった。
ペンがなければ、話せないのに。
だけど、ディオンから目を逸らせない。なぜか目線が合っているから。
「…………ソランジュ、君は君のままなんだな」
『え?』
――――ディオンに見えている?
「愛していた、君を。守りたかった、君を」
ディオンの頬を伝う雫がとても綺麗で、触れたいと思った。なぜか、今なら出来ると思った。
「っ!? あたたかい……」
伸ばした手は、ディオンの頬に触れると同時に、彼の手に覆われた。
『私もよ、貴方を守りたかったの』
いつの間にか雨は止み、淡く輝く月光が窓から差し込んでいた。
『生きていてくれて、ありがとう』
そっと重ねた唇は、不思議なほど甘く、あたたかいものだった。
『愛してるわ』
全身が徐々に真珠のような光の玉に覆われていく。
そうして、眼の前が霞がかり、何も見えなくなった。
――――あぁ、本当の死が訪れるのね。
悔やむことは山のようにあれど。
想いは伝えられた。
想いは届いた。
だから地獄に落ちても構わない。
だって、悪役霊嬢だもの?
◇◇◇◇◇
痛みで目が覚めると、そこは見覚えのある崖の下だった。
馬車の中から這い出し、立ち上がる。
馭者はいない。
馬と横にいた侍女は助からなかったようだ。
でも、私はなぜか生きている。
怪我はしているが、軽症だった。なぜか。
神か悪魔か、何かのいたずらか。
はたまた気絶していた間の悪夢か。
――――拾ったこの命、どう使おうかしら?
あの人をあんな風に泣かせたくないから、私は立ち上がろうと決めた。
「いま行くわ、ディオン」
空は満月に照らされて、明るい。
きっと未来も、明るい。
―― fin ――
読んでいただき、ありがとうございます!
ブクマや評価などなどいただけますと、作者が大喜びして小躍りします(*´ω`*)
こちらの作品は、とある場所の企画でとあるお方からタイトルを頂いたものになります。
素敵なタイトルありがとうございますっ(*´艸`*)ムフフ
まだ何個か短編ストックがいるので、隙間隙間で投稿していきたいと思っています。
ではまた、何かの作品で。
笛路