……え、それ私のセリフ……っていうか、なんでオネェ口調……?
セシリーは王城の応接のソファーで婚約者であるオーウェン王子と向かい合って座っていた。
彼はいかにも偉そうに足を組んで、セシリーの事を見下ろしている。
そんな態度にセシリーは委縮してしまって拳を握ってしまいそうだったがなんとか膝の上に手を乗せて、女性らしく佇んでいた。
急遽、呼び出されたので、本来王子の前に出る様な格式の高いドレスは着ておらず、下級貴族のような装いにオーウェンは嫌そうな顔をしている。
「そのみすぼらしい格好はどうにかならなかったのか?」
「……申し訳ありません、急なお呼び出しでしたから」
「はっ、俺のせいだといいたいのか」
「い、いえ。そういうわけでは……」
言い淀んで、俯くセシリーにオーウェンは、さらに機嫌が悪そうに眉をひそめて、自分の後ろを振り返る。
そこには護衛騎士のデュークがおり、彼に同意を求める。
「お前もそう思うだろ? デューク」
「……で、殿下、俺は……」
「そうだと言えばいいんだ! 誰もかれも俺に逆らいやがって!」
「はっ、申し訳ありません」
すぐに同意しなかった彼はオーウェンにそう言われて、頭を垂れて謝罪を口にした。
デュークは大柄で腕もたつし、おまけに血筋もいいが、王家には逆らうつもりがない様子でセシリーはさらに気が重くなった。
……ただでさえ、王族に対抗するような行動は、私のような、いち貴族令嬢には難しい。それなのにこの状況、どうしたらいいの?
悩みの種は、最初は単なるうわさだった。オーウェン王子は婚約者のセシリーではなく、教会の聖女にご執心だという噂だ。
はじめはまったく気にしていなかった。しかし段々とオーウェンからの態度が冷たくなっていき、横暴なオーウェンと貴族たちの橋渡しをしていたセシリーを冷遇するようになった。
そして今日、急に呼び出され、何を言われるのか予想は出来ている。
「まぁ、いい。今日でお前のような愛嬌のない女と顔を突き合わせるのは最後だ。このぐらいは許してやる」
「……」
「いいか、よく聞けセシリー」
彼は焦らすように、間をおいて、セシリーの反応をじっくり見ながら、口を開いた。
セシリーは妙に緊張して嫌な汗が背中を伝う。
「今日この日をもって、お前との婚約を破棄する!」
勝ち誇ったような顔で彼はそういって、セシリーはやっぱりと落胆する気持ちと、なんだか安心してしまうような変な気持ちになった。
「これから俺たちは赤の他人だ、すぐに城から出ていけ!」
あまりいい人ではない、そうわかっていても婚約を覆すことは出来ない。そう思っていままで必死にやってきた。
彼が酷い態度をとってきても、協力してお互いに結婚するのが嫌ではなくなるように努力してきた。
それなのに、それらすべてが無に帰ったそのことが何より辛くて、しかし彼と離れられるという安堵もあって頭のなかが滅茶苦茶だ。
……でも、このままじゃ悔しい。この歳まで必死に尽くしてきたのに……!
今言わなければ言う機会はもうないだろう。
だからこそ言わなければそう思い、セシリーは拳を握ってオーウェンを見据える。彼は、セシリーが反論するだなんてこれぽっちも想像してないような顔をしていて、それに腹が立って、怒りすぎて、涙が出来てきてしまいそうだった。
「……婚約破棄って本気なの!? 今更なによ! わざわざこんな風に言うなんて酷いわ!」
「……」
「……」
……え……それって、私のセリフ……っていうかなんでオネェ口調……。
セシリーが何かを言う前に、口を開いたのはオーウェンでもなく、彼の後ろにいたデュークだった。
彼は男らしい声なのにそんな口調で言ったのだ。心底驚いていて、抗議したい、デュークのそんな気持ちは伝わってくるけれど意味が分からない。
突然の大きな声にオーウェンも驚いた様子で彼を振り返って固まっていた。
「だってずーっとセシリーはあんたを支えてきたのに!!こんなのってあんまりだわ!!」
驚愕の表情でデュークは続ける。彼は、貴族らしく長くしてる後ろ髪を振り乱してオーウェンに詰め寄る。
「やっぱり、クズだクズだとは思ってたけど、真正のドクズだわ!!」
「も~ほんとヤダァ!」と続けて彼は言う。どうやらふざけているわけではない様子で、瞳に涙をためていて、本当にそう思っての言葉らしい。
……た、たしかにその通りだけど……。
心の中で同意しつつ、でもどうにもおかしな光景を呑み込みきれなくてセシリーは息をのんで見守る。
デュークは確か、幼いころからオーウェンに仕えている家臣のはずだ。それに彼以外の騎士は皆、オーウェンの横暴さに呆れて護衛の任を自ら放棄した。
しかしデュークだけは物腰柔らかなその性格でオーウェンを支えて、オーウェンも彼を信頼している。そんな関係性だったと記憶している。
「ありえない! ありえないわよ~!ぶった切りたいわ!」
「……」
「……」
もはやその声は雄たけびのようでありながら、最後の一言はどすの利いた男性らしい声だった。
彼は元から、こんな口調の男性ではない。たしかに綺麗な顔立ちをしているし、多少なりともハンカチにレースがついていたり、色使いが女性のような服を着ていたりするが、立派な男性だ。
騎士という仕事をしているので体は鍛え抜かれていてがっしりしている。
……意外な、一面……で片付けていいような事なのかしら。
「っ、なんだふざけるな! デューク、お前何のつもりだっ」
急なデュークの言葉に固まったままだったオーウェンとセシリーだったが、罵られているオーウェンの方がやっとの思いでデュークに反応し、そう怒鳴るように言い返す。
しかし彼は、まったくオーウェンの事など怖くないといった様子で、はんっと鼻を鳴らして笑って、ちゃんちゃらおかしいとばかりに肩をすくめる。
「ふざけてるように見えるならあんたの頭がよっぽど花畑なのよ!」
「なっ、なんだと! この俺に向かってっ」
「事実でしょう! この色ボケ最低男!」
……あ、あんた。いま、王族をあんた呼ばわりしたわ。
それに、すごくハキハキ喋るのね、今までずっとオーウェンの後ろで控えているところしか見たことなかったから、不思議な気分……。
腰に手を当ててデュークはオーウェンにすらすらと言い返す。爽快でとても悪い気分はしないのだが、少しずつデュークの事が心配になってくる。
「このっ、ふざけるのも大概にしろ! デュークお前、俺にこんなことを言ってただで済むと思ってるのか?!」
「あら、どういう意味?」
デュークがそう聞くとオーウェンはいよいよ見下され続けるのに腹が立ったのかソファーを立ち上がって、カツカツと歩き彼と向かい合う。
そうして二人が向かい合うのをセシリーは緊張してみていた。
たしかにデュークの言っていることは全部事実だし、まったく誇張などしていない言葉だが、そんなに包み隠さずに言って彼の怒りを買ったらどうなるかデュークもわかっていると思う。
「俺は、次の王となる男だぞ! 今言ったことを謝罪しなければ、お前の家も立場もすべて奪い取ってやる!」
……やっぱり。
これは彼のいつもの決め台詞みたいなものだ。
これを言われると多くの人間は怯む。次期王として定められている限り、この言葉を跳ね返して彼に文句を言える人間などいない。
「あら、あんた。分からないの? そもそも、教会の聖女様と結婚したいなんて言った時点で国王陛下から見切り付けられてるわよ」
「……は?」
「だーかーら、婚約破棄もすんなり通ったわよね。それあんたが教会に入れられるからその前にってセシリーの両親が打診していたのよ」
当たり前のような顔をしてそう口にするデュークに、オーウェンは驚いたまま固まった。
……そんな話、聞いてない。でも、後ろ盾もなく教会で生活をしている聖女様は神にその体をささげた身、そんな人を公に娶るわけにはいかない。
だから、オーウェンは、結婚できない聖女様に筋を通すために自分と婚約破棄をするのだと思っていた。
けれども話を聞いた限りでは、聖女様との結婚を望んでいるとオーウェンは国王陛下にまで言ったらしい。
……まさかそんな呆れた話……国王陛下だって……。
「そもそも、あんた、騎士団長に幼少期から見捨てられて、護衛騎士がどんどん減っていったじゃない? あたしはセシリーの為に残ったけど。んでそれでも何とか亡き王妃様の忘れ形見だからと国王陛下も尽力なされていたけれど、今回の話で廃嫡されるわ」
「……何を言ってる」
「あんたって甘やかされて育ったから、悪かったわよね。でも、よかったわね。愛する人と一緒になれて、神様の元でだけど」
淡々と告げるデュークにオーウェンは言い返せずにいた。
オーウェンは王妃様のたった一人の息子で国王陛下に大切にされてきた。それも事実。そしてその愛情に思い上がって彼は怠惰で、傲慢な王子になった。
彼のせいで多くの人間が振り回されて苦汁を飲んでいる。
国王陛下に意見を言える人間は少ない。しかし、あまりにもオーウェンは横暴過ぎた。
人望もなく学もなくそのうえ未来を見通す知性もない。
聖女と結婚したいと言ったらどうなるのか、それすらわからないのならばと国王陛下が重い腰を動かしたのだ。
すでに側室が産んだ王子は何人もいる。
これからは彼らの王位継承争いが活発化することになるだろう。情勢が動くなら、うまく立ち回らなければならない。
……いえ、その前に私は廃嫡となった王子の元婚約者という肩書がつく。結婚できるかどうかも危ういかも。
セシリーはすぐにそんな風に思考を巡らせた。貴族社会にはもの心ついた時から身を置いている。反射的にそう考えられるのだ。
しかし、まったく未来の事も考えず、その時の欲だけを優先してきたオーウェンは自分の唯一の家臣から廃嫡を告げられても、かっと顔を赤くして怒り、逆上した。
「何を馬鹿なことを言ってる!! そもそもお前、最初は婚約破棄に驚いてたじゃないか! 俺はこの話はまだ父上以外にしていないぞ!」
「それは、なんていうかセシリーの気持ちを考えたら爆発しちゃって、でもよく考えたら、早いに越したことないわね。あんたと婚約しててもいいことないわ」
「分かったぞ!! お前は、俺の話を盗み聞ぎして他国に伝えるスパイだな!」
「でたわ、被害妄想。いつまでもそうしてなさい、まったく」
話していられないというようにデュークは片目をつむって、やれやれというポーズをとった。
それでもオーウェンは彼を指さし憎々しげに告げるのだった。
「父上に報告してやる!お前なんて 打ち首にされてしまえばいいんだ! それともここで俺に殴られるか!? 」
言いながらオーウェンはとびかかるようにデュークに掴みかかって、セシリーはドキッと驚いた。まさかこんなことになるなんてと思いながらも彼らの動きをかたずをのんで見守る。
「おっと」
軽い声を出してデュークは自分の体を主軸にしてくるっと回転し、セシリーを背後にしてオーウェンのむなぐらを掴んだ。
ぐっと持ち上げられて、オーウェンは最初こそ睨みつけていたが、すぐに恐怖に震えたような顔をしていて、何も口にすることは無くなる。
その反応にデュークがどんな顔をしているのか気になったが、回り込まない限りはセシリーからは見えない。
なにも言葉を発さない無言の時間が続いて、しばらくするとオーウェンを離してデュークがセシリーを振り返った。その時には普通に少しにこやかな表情をしていて、いつもの厳しい顔がほころぶとこんな感じなのだとふと思った。
「さ、こんな男置いてきましょ。セシリー」
デュークはかがんでソファーに座ったままのセシリーに向かって手を伸ばした。その手を取るとぐっと力強くひかれてやっぱり男性なんだと思う。
早歩きで部屋を出る彼に続いた。
一瞬、オーウェンを振り返ろうかと思ったが、すぐにそんな考えをかき消す。言いたかったことは全部デュークが言ってくれたのだ、今はもう彼に言いたいことは何もない。そう思って部屋を出た。
応接間を出て、しばらく無言でデュークは歩き続けた。それに従ってセシリーも足を動かす。いったいどこにいくつもりなのかというのは気になったけれども聞かなかった。
いろいろなことがあって話を処理しきれていないということもあったし、たまにしか話をしたことがないけれど、今までと全く違う様子の彼にどんな風に話しかけるのが正解なのかもわからなかった。
しかし、しばらく歩いた場所で突然彼は止まった。エントランスから繋がっている広い廊下で、誰もいない静かな場所だ。
「……」
無言で止まった彼は動かない。午後の日差しが窓から差し込んでいて、少し暖かかった。
そう思うのと同時にくるっとデュークは振り返って、膝に手をついて少ししゃがんでセシリーと目を合わせながら口を開く。
「や、やや、やっちゃったわ~!! もうほんと嫌っ!どうしましょうっ!」
彼は言いながらぽろぽろ涙をこぼして、眉間にしわを寄せる。そうして泣いているとどこか女の子のようで、慰めようとその頬を伝う涙をハンカチで拭ってあげる。
「……大丈夫だと思う。デュークも据えかねていたんでしょ? 私、凄くスッキリしちゃった」
王子にあんな風に言ってしまって不安に駆られたのだろう。
たしかに話の筋は通っていた。心当たりもある。デュークが言った通りになる可能性は高いだろう。
それに、そうならなかったとしてもデュークは守られるはずだ。護衛騎士としても彼は優秀だし、公爵の爵位継承権者なのだ。そう簡単に王族に立場を奪われたりしない。断言できる。
しかし、デュークははたと泣き声をあげるのをやめて、それから涙をぬぐってくれたセシリーを見た。
「違うわよ~。セシリーを傷つけられて、頭に血が上って本性が出ちゃったのよ~!!」
「?」
「ずっと男らしい騎士に見えるように頑張ってきたのにっ! 台無しよっ!」
……あ、そっち。
こうして、オネェ口調が出てしまっていることの方が彼にとっては問題だったらしい。それに気にしているのだとわかったら触れていいのだとも思える。
「たしかに、急に口調が変わって驚いたけど、私はいいと思う」
「そ、そうかしら、だってほら、ナヨナヨしていて女っぽくて嫌じゃない?」
言われて、彼の事を見つめる。どう見ても男だガタイがいい、喋り方だけでは隠しきれない男らしさが彼にはある。
「デュークは背も高いし男性らしいと思う」
「……セシリーが言うなら、それでいいけど、ああ、でも待って俺は俺!口調もどさなきゃ! これでどう? 女の子みたいな口調になると、なんでかいつも声が高くなるんだ」
「そうなのね。どちらでもいいと思うけど」
「そういうわけにはいかないのよ! あ、また、もうっ」
一人で怒ってコミカルに表情を動かす彼は、今までの彼よりよっぽどとっつきやすそうで楽しげだった。
そしてそれを見ていると今まで緊張で凍っていた体がほぐれるようで、あの冷たくて横暴な人がいない事に安心できるとほっと息をつけた。
安心すると、呼吸が震えて鼻の奥がジーンとする。
「っ、」
「あ、あらあらっ、ああ~どうしようっ! 泣かないでセシリー、今慰めてあげられるぐらい男らしい口調に戻すからちょっと待ってっ」
ぐっと奥歯をかみしめて涙をこぼすのを我慢する。
泣きたいわけではないのだ。
セシリーの為にこんな風に慌ててくれて、あの時怒ってくれて言い負かしてくれてありがとうと言わなければならない。
そのためにここまでついてきたのだ。
「でも待って、まだ告白してないじゃない! それなのに抱きしめて慰めたりしたら流石に気持ち悪いかしら?!」
慌てふためく彼は、そう不思議なことを言った。
それにそんな風な彼が面白くて涙が引っ込んで、首をかしげてデュークを見ると彼は「あっ」と自分の失言に気がついて、「ああ~」と顔を両手で覆った。
「……ああもう、最悪、なんで全部うまくいかないのかしら」
つぶやくように言って、どうしたらいいのかわからないまま、デュークを見つめるセシリーにあきらめたように言うのだった。
「ごめんなさい、セシリー。俺、ずっとセシリーが好きだったんだ」
「……それは」
「婚約者がいる身だから困るだろうと思ってずっと伝えていなかったけど、セシリーの頑張ってる姿に惹かれてた」
言いながら彼はセシリーの片手を取って両手で包み込むみたいにして触れて、お願いするように言う。
「誰か好きな人がいないのなら、私とお付き合いから始めて見ない? 大切にするわ」
彼の瞳は真剣そのもので包まれた手が温かくて熱意が伝わってくるようだった。
女言葉と男言葉が入り混じったような告白で、とてもちぐはぐした印象を受けたが心はとてもダイレクトに伝わって目頭が熱くなる。
もうずっと誰にも愛されないのだと思っていた、オーウェンはセシリーの事を大切にしてはくれないし、愛のない結婚生活を送るのだと思っていた。婚約が終わっても他の誰かとなんて急に考えられそうになかった。
しかし、それなのにこの言葉だけで、もしかしたらなんて期待してしまって、その自分の変わり身の早さに少しだけ罪悪感はあったけれども、答えたいと思って口を開く。
「……お、お願いします」
「ええ!」
なぜか敬語で話してしまって恥ずかしかったが、そんなことも突然抱きしめられて忘れてしまう。「嬉しいっ」と声が降ってきて早くも顔が熱くなったのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。評価をしていただけますと参考になります!