6.サイレン
「うわーん! どうして、どうして、どうして、どうして私だけいっつもこんななのぉ!」
津田は突然そう叫ぶと、駅舎の東端にある、線路の向こう側に出られる踏切がある方向に、「あー!」と叫びながら走り去った。俺は唖然としてそれを見送る。踏切を渡って道沿いに進めば時計が丘の繁華街に出られ、そこから時計が丘駅は数分だ。
時計が丘駅に戻るのか。そこから電車に乗って帰宅するつもりか。とりあえず、津田は視界から消えた。
「はぁ~、助かったぁ」
正太はそう言いながら俺のコートを掴む手を離した。くそ、強く握りやがって。コートが傷むだろうが。バイト代でやっと買った一張羅なのに。
ふざけた野郎正太は、体を丸めて隠れるのをやめて背筋を伸ばして俺の前に出てくる。
「足ガクブルで走って逃げれなかった。やべえ女だったな。あんな過激なの初めてだ」
そう言って両腕を挙げるとグッと伸びをした。伸びが終わると肩が凝ったのか肩を片方ずつグルグル回している。俺はその様子を見て無性に腹が立った。殴ってやりたい。
「店にはまだ杉さんはいるのか?」
俺は正太を睨みつけて低い声で言った。
「あー、いると思うけど。え、おい、まさかお前、今から店長……叔父さんに言いつけに行くのか?」
「当たり前だ。お前も来るんだ」
「え~、やだよ、勘弁しろよ。有紗行っちゃったんだしさ、これで終わりでいいだろ。あいつだって諦めてもう来ねえよ。わざわざあの人に言う必要もないだろう」
「なら、俺一人で行く。話はきっちりさせてもらう」
俺は何もしていないのに津田に刃物を向けられたのだ。このアホは図々しくも俺を盾にして俺を危険に曝したのだ。俺はこのまま黙って引き下がる気はない。正太に背を向けて元来た方向へ歩き出す。商店街の方向だ。その俺の右肩を、大きな手がグッと強く掴んだ。
「待ってくれ。なぁ、俺の身にもなってくれよ」
振り向くと正太が眉尻を下げた情けない顔をしていた。
「手を離せ」
しかし正太は逆に手に力を込める。
「頼むよ。やばいんだよ、やばいんだよ」
俺は正太の手を振り払うと、体を正太の方へ向けた。ヘラヘラした笑い。俺はキレそうだった。
「ちょっと女と楽しんだだけだよ。あの女だってイケメンの俺と楽しめたんだし。金とか貢がせてないから、だからいいだろう?」
こいつは全く反省していない。津田に悪いことしたと思ってもいない。そして俺を巻き込んだことも悪いとも思っていない。
「ふざけんな!」
俺は正太の胸倉を掴んだ。その時の俺の頭の中は怒りで一杯で、遠くでサイレンの音がするのを聞き流した。
「津田に対しても俺に対しても、お前全く悪いと思っていないじゃないか! お前の不誠実な行動の結果に巻き込まれて、どれだけ俺が迷惑したと思ってんだ! そう簡単に許されると思うなよ! 今この場でテメ―をぶん殴ってやりたいくらいだ!」
サイレンの音は大きくなっていく。
そして、右手に包丁、左手で正太の胸倉を掴んでいた俺は、問答無用で警官に捕まった。
一月二日。俺と同年代が頑張って走っているな。
テレビで駅伝を見ながら雑煮を食べる。俺の父は関西出身で母に雑煮は味噌味を要求したため、両親結婚当初から我が家の雑煮は味噌味だそうだ。俺も味噌味を気に入っているし、結婚したら奥さんには味噌味をお願いしたい。などとつらつら考えながら、まったりと今は過ごしているが、怒涛の先月末を思い出すと叫んで暴れたいくらい腹が立つ。
あの後。正太は警官を見ると『ひっ』と言って恐怖の表情を浮かべ、胸倉を掴んだ俺の手から服を引っ張って強引に外すと、『うわあああ』と叫びながら津田と同方向へ走り去った。
『待ちなさい!』
警官の一人が追いかけたが、一分強で戻って来た。捕まるはずがない。正太は高校時代この県の一万メートル優勝で、県代表だった男だ。奴を腐らせた怪我はもうほぼ治っているし、昔取った杵柄で逃げ切ったのだろう。刃物を見た時は足が竦んだくせに警官を見た時は全力で逃げ切るとは。日頃から警官を見たら逃げねばならないような悪さをしているのだろうか。津田に貢がせてはいないとか言っていたが、他の女に対しては結婚詐欺紛いのことでもしているのかもしれない。
俺は警官に何があったのかを詳細に話した。しかしそれは俺の一方的な話だ。津田と正太からも話を聞かなければ俺の話の確認ができない。さらによくわからんが、警察に連絡をした目撃者とやらがいるらしい。やはり俺らを観察していた人間がいたのだ。
あとから教わったのだがそれは若い女で、そいつの話がまた酷く偏っていた。
刃物男がカップルを脅して、カップルのイケメンが刃物男を取り押さえて女の子を逃がしてあげた。その後イケメンが刃物男を説得していたが、刃物男が怒ってイケメンの胸倉を掴んだところでいいタイミングで警察が来た。イケメンは女の子と同方向に走った。
刃物男はきっとイケメンに女の子を取られて、仕返しをしに来たのだろう。女の子を追いかけたのは警察が来たと伝えてその子を安心させるため。
このクソ女がどこからどこまでを見ていたのか知らないが、前半の話は凄いフィルター(イケメンは正義、非イケメンは悪人)がかかっているし、後半の話は完全に女の妄想だ。
俺にとって最悪なことに、丸一日経っても津田と正太は見つからなかった。津田はあの晩自宅に戻っていないし、正太も同様で翌日バイトにさえ現れなかった
読んでくださってありがとうございます。




