5.刃物
「うそ」
俺は、俺が正太と時鶏について知っていることを全て、津田に説明した。津田は俺から何を聞かされても正太を信頼するというように、変わらず正太の腕を握り顔を見上げている。
「うそだよね」
腕に縋りつくようにしてもう一度言った。でもそれに対して正太は何も言わない。ただ眉間のしわを少し緩めて、津田の顔から目を逸らしていた。同意を求める津田の目を正面から見られない。津田もこれでわかっただろう。
言うまでもない。それが正太の答えだ。
「慎の言った通りだよ」
正太は面倒そうに言った。
「有紗だってイケメンの俺と夢を見て楽しめただろう? 俺が女のためにディナーなんて予約するわけないし。ましてやマカドは知り合いの店だし。有紗とは待ち合わせ無視して、それで自然消滅のはずだったのに」
「そんな……酷い! ショウヘイは次期社長じゃないの? つき合うために私を騙したの?」
津田は正太から手を離した。
「信じられない」
津田はいきなり肩に提げたショルダーバッグをお腹の前に回すと、左手でバッグの口を広げて右手を中に手を突っ込んだ。そして取り出したのは。
「津田?」
夜なのでよく見えないが、それは包丁とかナイフとか呼ばれるシルエットの刃物だった。
津田は両手でしっかりと包丁を持ち直すと、刃先を正太に向ける。
「おい、ちょっと待て、お前何出してんだよ」
今までふてぶてしかった正太の声が、急に気弱になった。眉毛も下がっている。
「許せない」
津田は刃先を正太に向けたまま言う。
「冗談になんねえよ、それ。な、冷静に話し合おうぜ、な」
正太の表情が怯えを含んだものに変わる。それと同時に正太は津田を刺激しないようにか、ジリジリと少しずつ円を描くように横移動をする。津田の刃先もそれを追うように回り動く。そしてとうとう正太は俺の真横に並んだ。その途端、正太は素早く俺の後ろに回り込んで、俺を盾にするように俺の背後に隠れた。チラリと背後を見ると、俺の身長は百七十センチほどだからか百八十センチ越えの長身の正太は背中を丸めて体を小さくして、俺のコートの背中部分を、うっとうしいことに震える手でしっかり掴んで隠れている。さらにムカつくことに俺を津田の方へ押し出した。津田は俺に刃先を向ける。
どうして俺が津田と正太の間に入らねばならない? これはこいつら二人の問題だろ
う? 俺は無関係だ! 帰らせてくれ!
「俺は関係ない! 離せ、正太!」
俺は顔を後ろに向けて言うが、正太は離さない。そして顔を正面に戻すと、そこには涙
をボロボロ流しながら俺を睨みつける津田がいる。そして津田の手の中の物の刃先が向いている先は俺の腹だ。
「棚原、どいて」
津田が見た目に似合わない低い声で言う。
「どけねえよ! 正太の奴がしがみついてんだよ!」
「ショウヘイ! 出てきなさいよ!」
正太が首を振る振動が伝わってくる。
「やだ、やだ、いやだ。死にたくない」
正太はそんな言葉をブツブツ呟いている。
「津田、とにかく、とにかく落ち着け」
俺たちが今いるのは駅改札から噴水を挟んだ真正面の位置だ。改札から出て来た人も改札ヘと向かう人も、噴水の両側を通って東西に延びる道を利用している。よって俺たちのいるベンチの辺りは街路樹の下でもあり薄暗く、昼間は休憩したり座ってのんびり過ごしたりしている人も多い。だが冬だしこの時間だし、今こんな場所に近づく人はほとんどいない。
噴水の両脇を通る時、気になるのかチラチラと俺たち三人を見る人はいるが、今の俺たちの状況に果たして気づいているだろうか。刃物を持った女と対する男二人なんて非日常シーンが、目の前で繰り広げられているとは考えもしないだろう。
「とにかく、それはやめよう。一時はスッとするかもしれないけど、お前の将来のためにはならないだろう?」
説得だ。とにかく説得だ。それしか道はない。
「こんな酷いことされたのに」
津田はしゃくりあげながら話す。
「正太は酷い奴だ。悪いのは全面的に正太だ。正太にはちゃんと謝らせる。謝らせて反省させる。だから一旦それを収めてくれ」
「謝る? 反省させる? こんな人にそんなことできるの?」
「時鶏の店長の杉さんに相談しよう。杉さんなら正太をちゃんと叱ってくれる。反省させるために罰だって考えてくれるだろう。だから、まずは杉さんに相談しよう」
実は杉さんは正太に甘い部分もある。でもこんな事態に陥ったことを話したら、きっと正太に指導が入るはずだ。
「げ、まずい。叔父さんだけはやめてくれ。その後がまずいんだ」
正太は小声で抗議した。
「黙れ」
俺は俺の斜め後ろに向かって、できる限りのドスのきいた声で言い返してやる。
「やばい、やばい……」
正太はブツブツ言い続けている。かなり恐れている。杉さんは怖いのは外見だけで実際にはそんなに怖くはないと思うのだが。でも俺は怒らせたことがないから知らないだけで、杉さんは怒らせるとやっぱり見た目通りに怖い人で、今までに正太はそれを体験したことがあるのかもしれない。
正太のその狼狽えビクつく様子を見て俺の話を信じてくれたのか、津田の包丁を握る指が緩み、手からするりと外れた包丁が地面に落下。それは噴水広場に敷き詰められた石畳とぶつかって、カアンと無機質な高い音を冷たい空気に響かせた。俺は津田の気が変わらぬうちにと、素早くそれを右手で拾い上げる。
「うわーん!」
しかし津田は両手で顔を覆うと、小さい子のような大きな声をあげて泣き始めた。
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