【長編化保証】孤独で寂しい魔女のハッピーエンド〜前世、魔女に恋した猫は公爵令息に生まれ変わった後、己の妻に魔女の面影を重ねる
長編版もあります。
私は今、凄く動揺している。
「……え、いや、ちょっと待って……結婚式は明日よね?」
確かにエドワード家で過ごす夜は今日が初めてだけど、結婚式は明日なんだから――
「当然、結婚初夜も明日でしょ?違うの?」
私ことハンナ・スカーレットは明日、王国屈指の名家、エドワード公爵家の嫡子にあたるヴィルドレット・エドワード様と結婚する。
20歳を目前にしての結婚は一般的には遅い方だけど、ずっと憧れていた結婚が現実になる事に私は心弾ませていた。
しかも、お相手はあのヴィルドレット様。 夢みたい……
相手は王国筆頭公爵家の嫡男、ヴィルドレット・エドワード様。
その見目の麗しさから多くの令嬢達が羨望の眼差しを向ける。
そんな御方と、たかだか男爵令嬢の私が結婚とは自分でも信じ難い。
しかし、結婚式を明日に控えた今夜は初夜のそれには当たらない。
エドワード公爵家における現時点での私の立場はあくまでも正客。
それ故、今夜に限っては客人用の寝室に通されている訳だけど、「あとで、君の部屋へ行ってもよいだろうか?」だなんてヴィルドレット様が言って来たものだから、さぁ大変。
落ち着かない私は一人、部屋の中を意味なく巡回する。
「どうしよう……」
明日だと思ってたところにいきなりそんな事を言われても心の準備というものが出来ていない……まぁ仮に、予定通り明日だったとしても、それはそれで明日の夜にまた、あたふたするんだろうけど。
……そんな事より!
乙女としての私を捧げる瞬間が刻一刻と迫っている今の『私』は大丈夫な状態なの!?
私は慌てて頭の中で今の『私』を巡らせる。
まずは心の準備――前述した通り出来ていない。ばつ!次!
お風呂――たった今入ったばかりだから大丈夫。まる!次!
下着――「!!」
私は咄嗟に自分が着てるローブの裾を捲り上げ、自分の股の所を覗き込む。
「やっぱり白だ……」
――通称『白』。
やたらと分厚い純白生地にリボンがあしらわれた下着は、私の年齢不相応な幼い容姿を更に助長させてしまうが、その反面、肌触りが素晴らしく(暖かくてお腹が冷えないの)『白』『黒』『桃』の中で一番多くの時間を私と共に過ごす、いわば相棒のような存在。
そんな『白』はもはやもう、身体の一部と言ってしまっていい。 ※『白』は高稼働につき3枚体制。
でも、今の私に必要なのは『白』じゃない!
そう。 遂に来たのよ! この時が――『黒』の出番が!
――通称『黒』。
オトナな印象を与える黒色の下着は薄手のレース生地でちょっぴりキ・ケ・ンなデザイン。
しかし、『黒』は私の幼さをカバー出来る反面お腹が冷えてしまう事が難点。
故に『黒』は試しに一度だけ、一瞬だけ身につけて以来箪笥に仕舞いっ放しだった。
いつか訪れるかもしれないその時の為の『黒』だったというのに……その時を明日の夜に照準を合わせていた私の股間にはもちろん『黒』はいない。 いるのはいつもの『白』。
――ダメ! ただでさえ幼い顔立ちの私は、これ以上幼く見られる訳にはいかない!
かといって『黒』は今手元にいない。私の身の回りの荷物は全てエドワード家の侍女に預けてある。
「早く下着を替えなきゃ!」
侍女を呼ぼうと私が扉に向かおうとしたその時、コンコンと扉をノックする音がした。
「入ってもよいだろうか」
扉越しにヴィルドレット様の声が聞こえると、私はその瞬間『黒』の事を諦め、いつもの『白』に全てを託す事にした。
この期に及んで夫となる人の前で装う事もないだろう。ありのままの私を曝け出してこそ、夫婦の契りを交わすというもの。(まだ夫婦じゃなけど……)
ならば、『白』を身につけた私こそがありのままの私――むしろ好都合だ。
大丈夫。ヴィルドレット様なら『白』ごと私を愛してくれるはずだ。 たぶん……
不安要素を無理矢理潰し、「大丈夫」と心の中で何度も自分に言い聞かす。
目を瞑り、一呼吸挟むと多少なりの胸の高鳴りは治った。
ゆっくり目を開けた私は「よし」と小さく呟き、そして扉を開く――
「はい……」
◎
寝台の端に腰掛ける私と対面する形でヴィルドレット様は側にあった椅子に腰を落とした。
私は目の前にあるヴィルドレット様の顔貌を直視する勇気が持てず、その後ろの向こうでゆらゆら揺れ動く蝋燭の火の灯りに目線を逃がしたまま――
ドクン、ドクン、ドクン……
心臓の鼓動が大きく響き、身体は小刻みに震える。
なんだか恐い……
「ハンナ嬢、まずは我がエドワード家へ嫁いで来てくれた事を感謝する。ありがとう」
「ひ、いえ……と、とんでもありません! ふ、不束者ですが、どうか末永くよろしくお願いします!」
ヴィルドレット様の第一声にビクっとなって、肩に力が入る。
未だ蝋燭の火を一点に見つめる私の視界の片隅には、半身を乗り出してこちらを見つめるヴィルドレット様の姿がぼんやりと映る。
これ以上逃げてはいけないと、私は自らを叱咤し、恐る恐る焦点をヴィルドレット様の顔の方へとすべらせていく。
暗がりの中、オレンジ色の灯に照らし出されたヴィルドレット様の容貌はとても美しく魅惑的で、私を見据えるグリーンの瞳は後ろの蝋燭の火と並んで妖美に輝いていた。
「ハンナ嬢……」
ヴィルドレット様は目を細めて私の名前を呼んだ。
何かとは言わないが、私は覚悟を決め、息を呑み、真剣な表情で返事をする。
「――はい」
私の全てを捧げるつもりで……恐いながらも一世一代の決意と誠心誠意を込めた眼差しをヴィルドレット様へと向ける。
しかし、何故かヴィルドレット様は逃げるように私から視線を外し、一度目を伏せ、すぐに視線を元に戻したその表情は心なしか険しく見えた。
え? もしかして、今の私の視線、重すぎた?
いつの間にか眉間に力が入っている事に気付いた私はハッと目を見開く。
たぶん、ヴィルドレット様は私の眼差しからギラギラした何かを感じ取ったのだろう。
まるで肉食獣に睨まれたウサギのように、震えて怯えて、視線を逸らしたに違いない。
一体私はどんな貌で睨んでいたのだろうと思うと、恥ずかしくて顔が熱くなる。しかし、悶えてる場合ではない。
私は慌てて弁明に走る。
「……あ、いや……こ、これは違うんです――」
「明日の結婚式を前に君に言っておかなければならない事がある」
しかし、ヴィルドレット様の低い声音がそれを遮った。
明らかに室内に流れる空気が変わり、その不穏な空気に私は再び息を呑む。
一呼吸挟み、佇まいを正し、改めてヴィルドレット様を見る。 今度は眉間に力を抜いて。
「……はい。何なりとお申し付け下さい」
「この先、私が君を愛する事は無い。それでも、君は私の妻となってくれるか?」
「……はい?」
言っている意味が分からなかった。
え? 何? どういう事?
愛する事はしないけど、妻にはなってくれ――って事?
結婚=愛し合う事。そう思っていた私は困惑した。
そして、たった今まで私の心を支配していたあの乙女心は霧散した。
前世……『魔女』として生きた私は人々から疎まれ、孤独だった。
そんな私は『結婚』に強い憧れを持ち、それは今も変わらない。
前世を孤独に生き、孤独に死んだ私にとって、愛する人と死ぬまで一緒にいられる事は無上の喜びだ。
だから結婚が叶おうとしてる今、今度の人生こそ私は幸せになれると、そう信じていたのに……
私ってやっぱり『幸せ』に嫌われてるみたい……
ふと思い出したのは、かつて共に暮らしていたとある黒猫の事。
クロ――
◎
――君を幸せにしたい。幸せに満ち溢れた君の本当の笑顔をボクだけに見せて欲しい。
「ねぇ、クロ。 もしもクロが人間だったとして――」
床でくつろいでいた黒猫は魔女によって抱き上げられると、互いに同じ高さで顔を見交わし、
「クロは私をお嫁さんにしてくれる?」
魔女はそう言って揶揄うような笑みを浮かべた。
「――――」
黒猫は後ろ脚をダランと宙に浮かせたまま、ただただ無表情を貫くだけで無反応。
魔女は浮かべたその微笑みを僅かに崩した。
しんとした沈黙が流れ、魔女の儚げな顔を見つめる黒猫の顔が魔女の瞳に映り込む。
魔女は知らない。
黒猫が今何を考え、どんな気持ちで魔女の言葉を聞いていたのかを……そして、何を神に願ったのかを――
◎
人里から遠く離れたとある山奥――そこに生い茂る草木は日差しを遮り、日中でも薄闇が辺りを包み込む。
そんな、人が出入りするとは到底思えない場所に不自然に佇む小さな一軒家があった。
そこに暮らすのは寂しがりの魔女と、一匹の黒猫。
そしてこの一軒家は魔女のこだわりが詰め込まれた自慢のマイホームで、その建築工法はもちろん、魔女による錬金魔法。
しかし、そのマイホームの自慢も、自慢する相手はただ一人――いや、一匹しかいない。
「見てクロ、ほら!この壁のこの波模様! 綺麗でしょ? これ、職人さんがやる伝説の漆喰、アレを真似してみたの!凄いでしょ? 本当に職人さんがやったみたいでしょ? これを魔法で再現するのって本当に大変だったんだから!」
世界から疎まれ、誰よりも孤独な日々を過ごす魔女にとって共に暮らす黒猫は唯一の心の支えである。
しかし、ただ一言に『心の支え』と言うには軽い。
魔女にとってこの黒猫は文字通り生きる為の『糧』になっている。
精霊でも聖獣でも使い魔でも無い、いくら話し掛けても返事の無いただの黒い猫だが、魔女の侘しさを少しでも紛らしてくれる唯一の存在だ。
とはいえ、ただの黒い猫。魔女の冷えた心を温めるにはあまりに不十分な存在でもある。
言葉を交わせない、一方的なやりとりしか出来ない中で得た僅かな温もり。それを魔女は己の冷えた心に擦り付ける。……心が凍えてしまわないように、迫り来る希死念慮から逃げる為に。
魔女は必死に、もがくようにこの世界を生きている。
もしもこの黒猫がいなくなってしまったならば、無論、魔女の心は最後の支えを失い、生きる気力は完全に失われるだろう。
それほど魔女にとってこの世界を生きるというのは辛い事だ。
にも関わらず、魔女は己の境遇を悲観的に考えたりはしない。 いや、正確には悲観的に考えないようにしている――と、言った方がいいかもしれない。
嘆くだけで状況が改善されるならば幾らでも嘆くが、そんな事があるはずもなく、嘆けば嘆く程に辛くなるのが世の常だ。
だから魔女は嘆くどころかむしろ明るく、気丈に振る舞うように努めている。
辛ければ辛い程、寂しければ寂しい程、魔女は笑顔を顔に刻む。
笑えば、心が温まるような気がするから。死にたいなんて事を考える事も無いから。
――死にたくない!生きたいから!幸せに暮らしたいから! だからそれまでは――、幸せを掴み取るまでは、絶対に死ねない!生きて、いつか「私は幸せ!!」って、そう胸を張って言えるようになりたい!
この、『幸せになりたい』という執念が魔女の生きる希望になっていた。
魔女が夢に見る幸せのかたち――それは女としての幸せ、愛される喜びを知る事。 つまり、結婚だ。
誰かと恋をして結婚して、愛する人の子を産んで、愛する人の支えになって、愛する人との暮らしの中でゆっくりと人生を終えたい。
側から見れば、魔女の境遇でそれを願うのは笑止の沙汰だろう。
しかし、魔女は己の夢を、幸せを決して諦めない。
生きてさえいれば可能性はゼロじゃない。
いつかこの状況が変わって、自分にも幸せと思える日がきっと訪れるはず。
魔女は本気でそう信じていた――。
だが結局、魔女にその幸せが訪れる事はなかった……。
愛される喜びも、女としての幸せも知らないまま、魔女の一生は終わりを告げた。
死ぬ直前、魔女が最期に願った事――
「もしも、来世があるなら、今度こそは幸せな人生を……」
◎
もしも、仮にボクが人間だったとして、ボクは君にとってどんな存在になれる? もしも、ボクが人間になれたとして、その時、ボクの姿は君の目にどう映る?
君の心が欲しい……だから、ボクは人間になりたい。
猫は魔女の哀しい微笑みを見る度に思う……もしも、自分が猫じゃなかったら……と。
猫は己が『猫』として生まれた事を心底恨んだ。
何故なら、人間からの愛を欲する『魔女』に猫は恋をしてしまったからだ。
無論、猫が抱くその恋心は決して叶う事は無く、そして、伝わる事すらも無く、自然の摂理の元『猫』としての生涯を終えた。
400年後――女神は猫の願いを聞き入れ、猫は人間として生まれ変わった。
しかし、女神によってもたらされたその奇跡は皮肉にも猫にとって残酷なものになっていた。
かつて、魔女に恋した猫は、名家エドワード公爵家令息――ヴィルドレット・エドワードとして新たに生を受けたが、400年後のその時代にはもう魔女は存在してはいなかった。
あれほどなりたいと願った人間も、肝心の魔女が居なければ猫にとっては何の意味も成さなかった。
猫は信じていた。
魔女が強く求めたのは『人間』。その存在にさえなれれば……魔女と恋仲になれると。
これが、猫が『人間』になりたいと願ったたった一つの真意であり全てだった。
猫を改め――ヴィルドレットは、公爵家嫡子という身であるが故に周囲から結婚を強く勧められるが、ヴィルドレットの心には未だ魔女への想いが残っていた。
今世を生きる上で、前世での思い出に縋る事は無意味であり、愚かな事であると、幾ら頭では分かっているつもりでもどうしても心がついて来ない。
大好きだった魔女との思い出が未だ鮮明に頭に残るヴィルドレットにとって魔女以外を愛する事は不可能だった。
とはいえ、公爵家嫡子の身であるヴィルドレットにとって結婚は不可避。
悩みに悩んだ末、ヴィルドレットは一つの折衷案にたどり着く。
それは、文字通りの意味しか成さない『政略結婚』をする事。妻となる者へ予め「愛さない」と宣言する事だった。
こうして、女神がもたらした一連の奇跡は、かつて『猫』だったヴィルドレットにとって、タチの悪い悪戯にしかならなかったのだった。
◎
ひたすら「幸せになりたい」と願い続けた元魔女――ハンナ・スカーレットと、前世を魔女の飼い猫として生きた元猫――ヴィルドレット・エドワードは互いに互いの真実を知らぬまま、すれ違いを重ねながらも結局2人は結ばれる運命と、それは女神の導きか、それとも2人の共鳴力か、2人は自然と心許し合い、惹かれあってゆく。そして、
いずれ互いの真実を知り合う時、2人は言い知れぬ嬉びを感じ、幸せを噛み締める。
「クロ……ありがとう。私を幸せにしてね?」
ヴィルドレットの腕に包まれながらそう呟いたハンナの耳元でヴィルドレットが囁く。
「あぁ、もちろんだ。……愛してる」
「あぁ、もちろんだ」
長編版は早ければ今日から投稿します。