真鈴の長話は…それは置いておいて、やはり訓練は必要だがお祝いも必要だと…
マンションに戻った時には午後3時45分になっていた。
四郎は再びカラスに変身して、家族持ちの吸血鬼の監視に飛び去った。
俺は死霊屋敷の販売を担当する不動産業者に電話を掛けて購入は俺自身がする予定だと伝え、更に購入する時は不動産ローンを組まずに現金一括で購入する事を伝えた。
電話口の向こうで喜びの声を上げた不動産業者に今週末もう一度物件を見に行く事と、もしかすると宿泊する可能性がある事を伝え、購入する決心が決まったら来週中に買い付け手続きをすることを伝えた。
一括購入するからもう少し値段が下がらないか打診すると、不動産業者もかなり持て余していた物件らしい本音がでたのか、もともとかなり破格の安値の物件だけど頑張って値引き交渉をすることを約束した。
俺は電話を切り、キッチンに行ってコーヒーを淹れて、ベクターから貰った名刺を手に取り、ジョスホールと言う会社をパソコンで調べた。
雑貨や家具、貴金属、その他工業機械などを扱う総合商社をうたっているそっけないホームページだった。
会社としての創業が1905年だが、その前から、1870年頃からカナダ・ハリファックスで輸出入業者を始めていたと言う老舗の会社であった。
アメリカ、日本、イギリス、イタリア、ルーマニアなどに支店を持っている。
この手のホームページに付き物の現社長とか会長の美辞麗句が並んだ挨拶の類は無かった。
あまり宣伝に関心が無いのだろうか?
会長や取締役の名前があったがただの名前の羅列に過ぎない。
時計を見ると午後5時近く、俺がパソコンを閉じて自室を出てダイニングに行き、コーヒーを飲んでいると真鈴が帰って来た。
真鈴はバッグを椅子に置いて隣の椅子の腰を下ろし、深いため息をついた。
「ただいまぁ。
う~午後の講義は散々だったわよ。
司法手続き関係の講義だったけど、いけ好かない中年女の教授でさぁ。
あれはひょっとしたら質が悪い悪鬼かもってくらい意地が悪いのよね~。
それで司法手続きの順番や司法用語をいきなり学生に質問してくるのよね。
しかもストップウォッチを片手に持ってさ、少し回答が遅れたり口ごもったりすると…そして…ほんの少しの…目を吊り上げたり…でしかも…嫌味な…中年て…が…他の…で…そんで…あれはきっと…男が…」
女のおしゃべりは途方もなく長く続くものだと感心しながら俺はコーヒーを飲んで真鈴の話に聞き入ってる振りをした。
しかし、こんな他愛もない話をしてくれると言う事は真鈴も俺に気を許してくれていると言う事なのかな?とも思って我慢して真鈴の話を聞いていた。
だが、段々と気力が萎えて来た、なんか疲れる、おお!これは買い物の時の、真鈴が買い物に夢中な時の疲れる感覚に似ている!
女性の買い物とおしゃべりは男の精神を食い荒らすものなのかも知れない。
俺の目の前の視界がだんだん歪んで来た。
軽く頭痛もしてきていたが真鈴の話は終わらなかった。
「でさぁ、私の前の席の太った男子がついに…あれ?四郎は?」
地獄の真鈴おしゃべりタイムがようやく収まったとホッとしながら俺は答えた。
「うん、午後に一緒に出掛けて帰ってきたらもう一度あの家族持ちの悪鬼の偵察に行ったよ。」
「ふぅん、しっかりやってくれてるのね…」
「で?午後二人でどこ行ったの?
あ、話聞く前にコーヒー飲みたい!
それでね…じゃじゃ~ん!
これ、大学の近所の洋菓子屋さんで凄くおいしいって評判のチーズケーキ、1ホール買って来たんだぁ~!
コーヒー飲んでチーズケーキ食べようよ!」
それは大歓迎だ。
俺は真鈴にコーヒーを注いで、皿を取り出して旨そうなレアチーズケーキを俺と真鈴の分を切り分けて残りを冷蔵庫に入れた。
ふと冷蔵庫の中を見ると野菜などの生鮮食品がかなり減っていた。
今日買い物に行かないとあかんかな、と思いながら冷蔵庫の扉を閉めた時、時計は午後6時30分を廻っていた。
何という事だ!
俺は真鈴のおしゃべりを1時間近く聞いていたのだ。
どおりでチーズケーキが温かくなってなんか少し緩んでいる感じになっているはずだ。
帰ってすぐに冷蔵庫に入れておけば…きぃいいい!
真鈴は緩んだチーズケーキを口に運び、コーヒーを飲んで笑顔になった。
「ああ、帰ってくるのに少し時間がかかったからチーズケーキ少し暖かくなってるけど美味しいわね!」
違う、それは君のおしゃべりだよ、おしゃべりが長かったんだよと言いそうになったけど、俺はその言葉を飲み込んでチーズケーキを食べた。
なるほど、少し緩んでいるが美味しい。
その時、カァッとカラスの声が聞こえて来た。
「あれは四郎?」
「うん、そうだよ。」
やがて四郎が上下スェット姿でダイニングにやって来た。
「四郎、お疲れ様。」
「四郎、お帰り。今コーヒーを出すよ。」
「うん、帰って来たぞ。
ああ、コーヒーが飲みたいね…うん?これは?」
四郎が椅子に座りチーズケーキを見た。
「真鈴のお土産だよ。
四郎の分も有るよ。」
俺は冷蔵庫からチーズケーキを取り出した。
「うん、これは旨いな!
少し柔らかめだが、旨いよ」
「ごめんね、大学の近くで買ったから少し暖かくなっちゃった。
でも美味しいでしょ?」
「うん、今日は二度もカラスに変身して監視をしたし、彩斗と探偵事務所に出掛けたからこういう甘い物を食べると疲れが取れるな。
それに良い事も有ったからな。
ちょっとしたお祝いだな。
まぁ、本当に良い事かどうか先にならなければ判らないかも知れないがな。」
「あら?何その良い事って。
私、帰って来てから彩斗から全然聞いていないよ。
彩斗、何もったいぶってるのよ。」
違う違う違う!真鈴が意地悪な教授の話を延々と1時間もノンストップで話すからチーズケーキも暖かくなるし、金貨の事も死霊屋敷の事も言えなかったしそれに真鈴の地獄の様な長話で俺も視界が歪んで来そうになって…きぃいいいいい!
「まぁまぁ、順番に話すとしようか。
われが今日一日、午前と午後に悪鬼を監視と言うか観察した印象から話すがよいか?」
「うん、聞きたい。」
真鈴がそう言いチーズケーキを口に入れた。
俺も気を取り直して四郎の話に耳を傾けた。
「まず、今日感じたのは、先に言ってしまうと、違和感だな。」
「違和感?」
「そうだ、今日午前と午後に奴のマンションに行き、電柱に停まって奴を見ていた。
午前中は奴の妻と娘は出かけて、娘はおそらく学校、妻は働きに行っていたと思うぞ。
そして奴は自室にこもってパソコンに向かって色々何かを打ち込んだり、パソコンに向かって会話をしていた。」
「ふぅん、それってリモートワークかな?」
「まぁ、詳しくは判らんが奴も遊んでいた訳では無さそうだった。
恐らく仕事をしていたのであろうな。
そして、午後になってからまた、奴のマンションに行った。
奴の妻も娘も帰って来ていて、娘たちはそれぞれの部屋で何か書き物をしたり、テレビを見たり、時々奴の部屋に行ったりしていた。
妻の方は色々と家事をしていたな。」
「ごく普通の家庭みたいだね~。」
「そうだな。
われが思ったのは奴の家庭は平和そのもの、家族たちも仲が良い普通に平和な家庭に見えた。
われは気配を消しながらも奴の思いと言うか思念を何とか感じ取ろうとしていたのだ。
もちろん何を考えているのか細かく具体的な事までは判らんが、人間と同じで悪鬼も心の中の状態が滲み出てくるのだ。
まぁ、精神状態が多少は判るぞ。
例えば、われが帰って来た時に彩斗がなにか非常な圧力を受けて抑圧状態で弱っていたとか、真鈴はたまっていたストレスをどんどん開放して自由で楽しい気分になっていたとか。」
「彩斗、何かあったの?」
真鈴が少し心配そうに俺に尋ねたのを、俺はお前のせいだよ!と言いたいのを我慢して微笑んだ。
「いや、今日色々あって考えることが多くてさ…」
「…と言うように彩斗が今何かに怯えて精神の開放を押さえつけるとか、まぁ、大体の事は判るのだ。
われも何年も質の悪い悪鬼と戦い、時には遠くから監視したりして悪鬼の精神状態を探ったりした事も有った。」
「うんうん、それで奴は?」
「質の悪い悪鬼や吸血鬼や獣人の中でも生き血の中毒、殺戮依存症とでも言うのかな?
そう言う症状が出ていて殺伐とした奴らは折に触れて狂暴な思念が急に心の表面に浮かび上がるのだ。
それは表向きどんなに隠していてもわれには隠しきれない物だ。
だが、奴にはそれが無かった。
そこいら辺りにいる普通の人間よりも精神的に安定していたのだ。」
「だけど、四郎が初めて奴を見た時は…」
「うむ、人を殺したりその血をすすったりと狂暴な事をした痕跡は少なくとも何日かは絶対に消えない。
あとは奴がわれに気が付いて防衛本能が滲み出て無言の威嚇のような警戒の構えのような物を感じたのかも知れないな。
とにかく奴が人間の命が尽きるまで血を吸ったのは間違いない。
しかも喜びにあふれて、或いは何かを達成した喜びと言うか…
だが、今日の奴からは何と言うか生き血や殺戮の渇望のようなものは、いや、些細な暴力的な衝動さえ見れなかった。
もう少し時間をかけて観察する必要があるな。」
「なるほど、奴は暫く泳がせていても。危険は少ないと言う事?」
「そうだな…それに…」
「それに?」
四郎がため息をついた。
「今、われが仕掛けようとしてもよほどの不意打ちをしないとな。
今日改めて判ったが、奴は手強いぞ。
もしかしたら先日倒した狼人よりも強いかも知れん。
われ一人、君らがいたら足手まとい二人の面倒を見ながら奴と戦う羽目になる。
少なくとも君らが自分の身をある程度守れるくらい、出来れば多少、われの手助けを出来る位にならんと…今の戦力では心許ないのだ。」
「…」
「…」
俺も真鈴も四郎の言葉には黙るしかなかった。
あの恐ろしい狼人よりも手強いなんて…
「だから、やはり性急に事を運ばず、君らを徹底的に鍛えないとな…」
「そう言えばあの屋敷をどうするの?
やっぱりローンを組んで買うの?
私たちの生活もちょっと大変になるかもね~」
心配そうな真鈴の顔を見て俺は微笑みを浮かべる事が出来た。
四郎がニヤニヤしながら真鈴に言った。
「まぁそれは彩斗から聞けば良いぞ。
われは風呂に入って良いか?
今日はあの車と言う物が吐き出す変な霧をずっと浴びて体がむず痒いのだ。
君らはこの時代の空気を浴びても全然平気なようだがな。」
四郎がバスルームに行き、その間、俺は今日の午後に時田の事務所に行って四郎の戸籍の手続きが順調に進んでいる事と、ジョスホールと言うカナダの会社が四郎の金貨の現金化に手を貸してくれる事、そして、来週には経費税金を支払っても少なくとも1億7千万円のキャッシュが銀行に振り込まれることを真鈴に伝えた。
そして、ジョスホールのベクターと言う男が歳の古りた悪鬼である事を言おうとした時には真鈴の顔が紅潮し息が激しくなりとても俺の言葉が真鈴の頭に入らなさそうになっていた。
「…真鈴?…」
真鈴が急に立ち上がった。
「彩斗!どうしてそんなに大事な事を私が帰って来た時に言わないのよ~!
きぃいいい~!なんか腹が立つじゃない!」
「…いやだってそれは…」
「いやだってじゃないわよ!」
「まてまて、他にも大事な事を、あのジョスホールのベクターと言う男が…」
「あのね、彩斗!
こんな良いこと無いじゃ無い!
お祝いよお祝いしなきゃ!
今日は金曜日!
私は土日月曜日と休みだし火曜日の講義は休んでも大した事無いのよ!
明日から屋敷に行って訓練だとしたら、今日これからお祝いしなきゃいつするのよ!」
「いや、そのベクターと言う男が…」
真鈴が俺の言葉を聞かずにバスルームに走っていった。
「四郎!何ぐずぐずお風呂入っているのよ!すぐに出て外に出る服に着替えてよ!
お祝いよ!お祝いしなきゃダメじゃないの~!」
俺はため息をついた。
ベクターの事は今日一番のハイライトかも知れないのに真鈴に言えずじまいだった。
時計を見るともう午後8時近い。
今から買い物して料理をするのも面倒臭いな、と思いかけていたら真鈴がダイニングに戻って来た。
「彩斗、残りの話は後で聞くわよ!
今夜はお外でちょっと豪華なもの食べましょう!
そのあとお酒を飲んでも良いわね!
…あ、カラオケ!カラオケ!もう私3か月くらいカラオケ歌ってない!
お祝い!お祝い!お祝い!」
そう叫びながら真鈴が俺の手を取って飛び跳ね始めた。
何故だか俺も気分が高揚してきた。
カラオケもリッチな食事も雰囲気が良い飲み屋さんも暫く行ってない。
俺も立ち上がり、真鈴と一緒に声を上げて飛び跳ねた。
だんだん楽しくなってきた。
凄く楽しくなってきた。
「お祝い!お祝い!お祝い!」
「お祝い!お祝い!お祝い!」
風呂上がりの四郎がやって来て珍し気に飛び跳ねる俺と真鈴を見た。
「ほう、今の時代は面白い風習があるのだな。
ポール様からきいたアフリカの祭りのようだ。」
続く