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短編集(ファンタジー文学)

グリフォンの娘と”刷り込み”代理パパ

 グリフォンの卵は高く売れる。

 雛は生後はじめて見た動く生物を親と認識する性質を持っているため、ペットや従僕として欲しがる金持ちが多いのだ。

 加えて、モンスターの中でも極めて高い戦闘能力を有し、親に対して忠誠心を抱かせることができる。


 実際、王家の紋章には力の象徴としてグリフォンが描かれているほどだ。


 俺はそんなグリフォンの卵を巣から盗み、闇市場に高く売り払って生計を立てていた。

 罪の意識がないのかと言われればそうではない。

 子を攫うのは気が引ける。だが、所詮は知能の低いモンスターに過ぎない。それに――


『グリフォンの雛って可愛いね。私も見てみたいな』


 ……もう、どうでもいいことだ。

 暴力と犯罪に塗れた貧民街で生まれ育った俺は、今更真っ当に生きていく方法を知らない。



 そして俺はまた、グリフォンの巣に足を運んでいた。

 この仕事を長く続ける秘訣は、極力親鳥とは遭遇しないようにすることだ。

 奴らは群れで行動し、巣に近づいてきたものには決して容赦しない。

 一羽だけならともかく、群れで襲われれば生き残れる確率はないに等しい。


「…………」


 息を殺し、周囲を警戒する。

 装備はナイフ一本。随分と心もとない。


 だが……今回は運が良い。

 巣に卵がひとつだけ。見張りはいない。

 きっと群れから離れた個体なのだ。


 俺は周囲にグリフォンの気配がないことを確認し、巣の中へと潜った。

 少しばかり卵が小さい。値段は下がるが、それでも質素な生活を心がければ1年はもつくらいの価値がある。


「……ッ!!」


 それに触ろうとした直後、巨大が影が伸びてきた。

 グリフォンが大きな翼を広げて肉薄する。


 俺は咄嗟にナイフを抜いて心臓付近に差し込んだ。


『キィィィィィ――!!!!』


 グリフォンは雄叫びを上げてその場に倒れた。

 その目に最後に映っていたのは、俺への憎しみではなく我が子への憐れみだった。

 

「……お前は、母親なんだな。あいつと違って」


 ナイフを引き抜き、鞘に収める。

 子を守る親……それが普通なのだろうか。

 俺は知らない。人の愛し方も、愛され方も。


「……まあいい。さっさと卵を回収して――」


 ピキッ。

 そんな音とともに、卵にヒビが入った。

 まずい。孵化の前兆だ。


「な……んだと?」


 その中から孵化したのはグリフォンではなかった。

 5歳児ほどに見える幼女。

 目の眩むような銀髪と、純白の翼をもち、身体のところどころに綿のような毛がある。


 本か何かで見たことがある。

 ごく稀に誕生する、変異種が存在すると。

 モンスターと人間のどちらでもない、グリフォンの性質をもった『ハピ』と呼ばれる異種族。


「…………?」


 幼女が不思議そうにこちらを見つめた。

 吸い込まれそうになる大きな金色の双眸だ。


「…………!」


 そして彼女は笑った。

 あまりにも純粋な笑顔だ。


「うーあー」


 何を伝えようとしていたのか俺には分からない。

 グリフォンには念話という能力が生まれつき備わっていて、離れた仲間の位置が分かったり、呼び寄せたりすることができるらしい。

 ハピである彼女にはそれが備わっていないのか。それとも今のが念話というやつなのだろうか。


「…………」


 悪いが、ハピなんてものは俺の手に余る。

 こいつを欲しがる金持ち連中は多いだろうが、なるべく厄介事は避けたい。

 可哀想だがここに放置させてもらう。


「あーあー! わぁぁぁぁぁ」


 俺が立ち去ろうと踵を返すと、そいつは泣き喚いた。

 わんわんと黄金の瞳からボロボロと涙を零して。

 哀れだ。本当にこいつは俺を親だと思っているのだ。

 そして本能で、置いていかれれば死ぬことを理解している。


 親鳥を殺した以上、自らで餌を見つけられないこいつは飢えて死ぬのを待つだけ。

 それでも、変態貴族に売られて鑑賞物として一生を囚われたままで生きるよりはマシかもしれない。


 ……ただ、その泣き声が脳裏に焼き付いていた。


『お兄ちゃんは優しいね。私が泣いてたらすぐに駆けつけてくれる』


 俺がその場を離れて見えなくなったあとも、そいつはずっと泣き続けていた。

 泣くことしかできない。泣いて、泣き喚いて、誰かに救ってもらうのを待つしかない。


「……やめてくれ」


 俺は耳を塞いで、それでもその場を離れることができなかった。

 気がつけばあたりは暗くなっていて、森閑とした夜の世界に少女の泣き声だけが木霊していた。


 そんなとき、


「……獣臭」


 闇夜に赤い目が浮かんでいた。

 グリフォンはモンスターのヒエラルキーのトップに君臨するが、雛鳥は獣に狙われやすい。

 巣の入口を塞ぐようにして四足獣が群がっていた。


 このまま放っておけば……この泣き声は止むだろう。


『お兄ちゃんは私のヒーローだよ』


 気がつけば飛び出していた。

 少女の元に駆け寄り、ナイフで獣を追い払う。

 俺を覚えているのか、彼女は俺に抱きついてきた。


「あーあー!」

「分かった分かった、どこにも行かない。だからもう泣くな」


 俺にはこいつの親になる資格はない。

 だが、このまま見殺しにすれば、俺はあの世であいつに怒られてしまっただろう。



~~~



 薪がパチパチと弾ける。

 少女は泣きつかれたのか眠ってしまった。

 俺の服の裾をしっかりと掴みながら。


「……何してんだ、俺は」


 炎がゆらゆらと揺れる様を見ながら、物思いにふける。

 あいつが……妹が死んでから、惰性で生きてきた。

 生きる意味なんてないのに、人としてのプライドを捨てて意地汚く生きてきた。


 でも、俺は今でも誇れる兄でいたい。

 重ねているのだ。

 この子と、妹を……泣いてばかりだった弱い自分を。


『ねえ、知ってるお兄ちゃん? この国のずっと東には、異種族さんたちが暮らす「ワンダーランド」があるんだって』


 ……分かったよ。

 必ずこの子を「ワンダーランド」へ送り届ける。

 それがせめてもの償い。


「…………そういえば、名前がなかったな」


 グリフォンに名前という概念があるとは思えないが、これから暫くは行動を共にするのなら名前がないと不便だ。


「……アリス。それがいい」


 妹が好きだった絵本の主人公の名前だ。

 その少女もまた、虐げられ理想郷を目指して旅をしていた。



~~~



 それから、3ヶ月ほどが経過した。

 ハピの成長速度は人間より数倍早いように思える。

 そもそも孵化した状態で歩行能力のある幼児だったため、人間の常識で考えるのはやめたほうがいい。


「パパ。おなか、すいた」


 アリスが足元にひっついて見上げてくる。

 見た目は6~7歳程度、知能はまだ3歳児程度だ。

 しかし、教えるまでもなく言語を習得し始めている。

 幼児の学習能力は侮れない。


 食事は日に二度、果物類や山菜を与えている。

 グリフォンなら肉を食べるだろうと思ったが、アリスは口にしようとはしなかった。

 最初のころはすりおろした果実でないと食べなかったが、最近では林檎にかじりつくほどのアグレッシブさを見せている。


 飲み物は川の水を煮沸させて飲ませている。

 冷水だと飲み込む時辛そうにしていたのでぬるま湯を与えるようにしている。


 ハピに関する文献はほとんどなく、俺に子育ての知恵はない。

 それがアリスの個性なのか、ハピの性質なのか、はたまた病気や精神の異常が引き起こしていているものなのか、俺には判断ができない。

 三つ目ではないことを祈るばかりだ。


「ほら、できたぞ。シチューだ」

「しちゅー? ありす、この葉っぱ、きらい」

「健康に良いときく山菜だ。一口でもいいから食べなさい」

「むー」


 アリスは好き嫌いが多い。

 怖いので一口食べさせて身体に異常がないか観察している。

 肉だってまさか食べられないわけではないだろうと、細かく刻んでいれてみた。


 アリスは意を決してスプーンを口に運ぶと、これでいいでしょ? と言わんばかりのドヤ顔を見せた。


「すごい?」

「ああ、偉いなアリスは」

「えへへ」


 その日の食事も終え、再び夜がやってくる。

 アリスはあの日のことを覚えているように、眠る時は俺の服の裾を掴んでいる。

 離れようとすると直ぐに起きて泣き喚くのだ。

 それは日中も同じで、この3ヶ月間ほとんど傍を離れようとはしない。


『観察日記 93日目』

 今日初めて肉を食べさせることに成功した。おそらく、生後間もない頃は咬合力が弱く反芻できなかったのではないかと推測する。

 そして最近コミュニケーションがとれるようになってきた。どこで覚えたのか『パパ』と呼ばれた。俺にそう呼んでもらう資格などないのに。


「くしゅん」

「大丈夫か、アリス。風邪でもひいたのか」

「だいじょーぶ」


 そう言ってにっこりと笑うが、顔がほんのりと赤い。

 最近気温が下がってきた。ハピは体温が高く、温かい羽毛に包まれている。

 寒さには強いかと思ったが、アリスにはボロボロの外套を着させているだけでほとんど裸だ。


 それにほぼ毎日獣道を歩いている。

 もう少し体調に気を配るべきだったかもしれない。


「……今日は早いがもう休もう」


 何も急ぐ旅路じゃない。

 それにもう少しで未開拓領域に足を踏み入れることになる。

 伽話じゃ、荒れ果てた荒野を超えた先に「ワンダーランド」があるという。

 今のアリスじゃ道半ばで倒れるのは目に見えている。


「……酷い熱だ。我慢していたのか」

「パパ……おいてかないで」

「安心しろ。俺はどこにも行かない」


 熱に浮かされるアリスの手を握る。

 ただの風邪ならいいが……。

 このあたりにはめぼしい薬草は見つからない。


 この森を抜ければ最東端の街ミリアに到達する。

 迂回するルートもあるが、それだと険しい山道を進むことになる。

 今は薬も欲しいが、何より荒野を超えるには装備が乏しい。


 長居するつもりはないが、暫く滞在してもいいかもしれない。



~~~



 ミリアに入って一週間が経過した。

 薬を配合してからアリスは順調に回復した。

 三日目以降は街に出かけるようになった。


 初日こそアリスは大勢の人たちに怯えてしまっていたが、もう慣れたのか平気な顔をしている。


 アリスにはフードを被せて異種族であることがバレないようにしている。

 異種族を差別する文化のある国はあるし、こいつを売れば金になることを知って欲しがる連中もいる。

 アリスにはまだこの世界の汚れを見てほしくはない。

 

 本当ならば宿に置いて行きたいところだが、まだ俺のそばを離れようとはしないのだ。

 最近では見えている範囲では離れても大丈夫になったが、ひとたび俺が居なくなると俺を慌てて探しに来る。


 そろそろ食料と水は確保できたことだし、マシな衣服も買えたので、この国を出ても良い頃かもしれない。


「アリス、今日も一緒に買い物に行こうか」

「おでかけ! 行く!」

「ん……なんだそれ」


 アリスが腕を広げて、俺を見つめてくる。


「えっと……」

「抱っこか。それならそういえ」

「いいの?」


 アリスは俺に遠慮がちなとこがある。

 嫌われればおいて行かれるかもしれないと、子供ながらに考えているのだ。

 寂しげな子供を抱きかかえるくらいはしていいだろう。


 そして俺たちは街に繰り出した。

 この街の人たちはみな親切で、観光客は手厚い歓迎を受けた。

 今の俺たちの身の上あまり目立ちたくはないが邪険にされるよりはマシだろう。


 飯も上手いし、宿もきれいだ。

 安全な水や食料もある。

 快適な暮らし、見たことのない景色、知らないの味、匂い、はじめてのことばかりでアリスははしゃぎまくっている。

 本当ならもっと滞在して普通の暮らしをさせてあげたいが、この町の人たちが異種族に寛容という保証はどこにもないのだ。


「ねえ、パパ! あれなに!?」

「ん……ああ、あれはリンゴ飴だな。食べたいか?」

「うん!」


 アリスが目を輝かせて言う。

 遠慮のない本来あるべき子供の姿。

 俺は今まで父親らしく接するのを無意識に拒んでいた。

 でもそれは逆に、アリスを子供らしくいさせてあげられてなかったのだ。


「アリス。俺に遠慮することはないぞ。俺たちは……家族だからな」

「うん! 大好きパパ!」


 小さな口でリンゴ飴を頬張る姿が愛おしくて、胸が痛くなる。


「いい食べっぷりだねえ。もう一個おまけしちゃおうかしら」

「いいの!?」


 屋台のおばさんに話しかけられても、アリスは怯えずに受け答えする。

 アリスの適応能力は目を見張るものがある。


「でもどうして深くフードなんてかぶってるんだい?」

「それはパパが」

「この子は肌が日光に弱くてですね、外に出るときはこうしてフードを被ってるんですよ」

「それはかわいそうにね……」


 この手の質問にはそう答えるようにしている。

 他にもアリスに関する質問は大抵うけながせるように答えを準備している。


『こら、走ると危ないよ!』

『大丈夫だよーーわあっ!?』


 同じくリンゴ飴を食べたかったのか、男の子が元気よく走ってきて、アリスにぶつかった。


「大丈夫か!」

「う、うん……平気だよ」


 そのとき、俺は気づくのが遅かった。

 アリスのフードはぶつかったとき脱げ、人間と異なる顔が顕になった。


「そ、その子……まさか」

「ーーーーッ」


 俺はアリスを抱えて走り出した。

 しくじった。俺としたことが油断していた。


「パパ……どうしたのそんな怖い顔して。アリス、悪いことしちゃった?」

「いや……アリスは何も悪くない。ただ、そろそろこの街を出ようって思っただけだ」


 アリスは何故フードを被らなくちゃいけないのかも、何故自分の姿が俺と異なっているのかも知らない。


 俺はその足で東の関所へと向かった。

 すると禿頭のおっさんが怖い顔してこちらを睨んだ。


「……子連れが何の用だ。こっから先は荒野しかねえぞ」

「構わない。この先に用がある」

「あんたらも『ワンダーランド』を目指してんのか? やめとけ、今まで何人もの研究者や冒険家が出ていったが帰ってきたことはねえ」

「それでも、通して欲しい」

「……わけありってやつか。まあいい、勝手に通れ」


 そいつは背中で眠るアリスを見て目を細めたが、特に何かをする訳ではなかった。


「独り言だと思って聞いてけ。『ワンダーランド』には異種族以外を妨げる結界が張ってあるって噂だ。どういう理屈かは知らねえがな」


 独り言に反応するのはおかしいだろう。

 俺は関所を通過して、果てしない荒野へ足を踏み入れた。



~~~



 果てのない荒野に身を晒してから数日。

 噎せ返るような暑さと殺人的な直射日光に苦しめられつつも、確実に一歩一歩前に進んでいる。

 何より辛いのが朝と夜の気温差だ。

 太陽が大きく傾いてから一気に気温が下がる。


「あついー……」

「もう少しのはずだ。頑張れ」


 暑さに唸るアリスを担いで、硬い地面を踏みしめる。

 水と食糧を詰めたバッグを含めると相当の重量だ。


「パパ、ずっとどこ向かってるの?」

「……とっても、良い場所だ」

「リンゴいっぱいある?」

「ああ。お腹いっぱい食べられるぞ」


 果てのない荒野とは聞いていたが、本当に地平線しか見えない。

 陽炎で地面が揺らぐ。青く見えるのは海ではなく、蜃気楼というやつか。


 獣一匹見つからない。

 あるのは枯れ木と岩石と、生き物の骨だけだ。


「喉かわいたー!」

「さっき飲んだばかりだろ。もう少し我慢しろ」

「えー!」


 水の減りが思ったより早い……なるべく俺は我慢すべきか。

 川のひとつも見つからないとは。このままじゃ食糧が尽きる前に死んでしまう。


 本当に「ワンダーランド」なんてものがあるのか心が折れそうになる。

 先人はたどり着けたのだろうか。それとも、志半ばで倒れてしまったのだろうか。


 あのおっさんの言うことが本当なら、「ワンダーランド」には異種族しか入ることを許されない。

 どのみち俺は引き返すことになるだろうが……馬鹿か。なに今から帰ることを考えているんだ。


 俺の命などどうなってもいい。

 アリスが「ワンダーランド」で幸せになってくれさえすれば。


 極寒の夜、薪の火を見ながら物思いにふける。

 腕の中でアリスが凍えながら眠っている。


 いつの間にそんなことを考えるようになったのだろう。

 俺はあくまでも代理の父親。こいつの本当の親を殺したのは俺だ。


 俺はバッグの中を確認する。

 あれだけ用意したはずの水がもう底をつきかけている。

 食糧だって残りわずかだ。


「アリス。このバッグの中には入ってくれ」

「……ん。わかった」

「どうだ? 狭くないか?」

「あったかーい」


 そのままアリスは深い眠りにつく。

 今日は頑張って歩いてくれたからな。


「よし。もう少し歩くか」


 俺はバッグを背負ってまた歩き始めた。

 睡眠だって水分を消費する。

 ならばアリスが眠っている間にも進んだ方が効率がいい。

 


~~~



「パパ喉かわいたー。パパぁ?」

「……」


 ついに水と食糧がすべて底をついた。

 ここ三日ほど飲まず食わず眠らずで休みなく進んでいる。

 唾が出ず息ぐるしい……言葉を発するのも億劫だ。


 もう何日歩いてるんだ?

 本当に果てなんてないのか。

 ずっと同じところをグルグル回ってるんじゃないのか。

 ほら、あの木なんて昨日見た事がする。

 今から引き返せば、あの街に戻れるんじゃないのか。


「…………あった。見えた! アリス見ろ! 泉がある!」

「泉?」


 そこには荒野のオアシスがあった。

 リンゴが沢山なっている。

 やっとだ。やっとアリスに喜んでもらえる!

 辛い思いをさせずに済む。


「はははは! やっぱりあったんだ! ワンダーランドはここにあった!」


 それからの記憶は曖昧で、覚えていない。



~~~



 暗闇の中で、俺を呼ぶ声が聞こえた。


「――! ――! ――パパ!!」

「………………ありす?」

「よかったぁ。もうパパ目覚めないかと思ったよぉ」


 気がつくと俺は倒れていて、泣きじゃくるアリスの顔が視界を埋めていた、

 幻覚……そうか。自分では気づかないほど心がやられていたのか。


「……悪い。それより、ここは……」


 付近には草気が彩っている。

 まだ幻覚を見ているとすら思ったほどだ。


「パパ、もう一日くらい何も喋らずにずっと歩いてたんだよ」

「……そうか。心配かけて悪かったな」


 我ながら凄まじい体力だ。

 よくも冥土の扉を開けずに戻ってこられたものだ。


 隣には空の容器が転がっている。

 アリスに残しておいた最後の水……まだ残っていたのか。


「ごめん。俺が飲んでしまったのか」

「ううん。パパ全然飲んでくれなかったから、アリスが口に含んでからパパに……」

「そうか、ありがとう。おかげで助かった」


 グリフォンは口移しで餌を与える。

 それを考えれば不自然なことでもないか。


「それより、ここは『森』なのか」

「うん。パパってここに来たかったの?」

「ああ……もうすぐに、つくからな」

「ホント!?」


 アリスには目的地を伝えていない。

 旅の目的を知れば、きっと嫌がるだろうから。


「……さて。あと少しのはずだ」


 起き上がると、立ちくらみが襲った。

 生きてるのが不思議なくらいだ。


「この音……」

「お、おい!」


 突然、アリスが手を引いて走り出した。

 森を駆け抜けたその先には、川があった。

 水源だ。何日ぶりかの新しい水だ。


「これを……あの距離から」

「アリスえらい?」

「ああ、偉すぎる! 流石は俺の娘だ!」

「えへへ~」


 俺はアリスを思い切り抱きしめた。

 いつのまにか身体は大きくなっていた。



~~~



 水源を確保すると、すぐに食糧も見つかった。

 新鮮な果実が至るところになっている。

 ここは昼夜の温度差が小さく過ごしやすい。

 ずっと荒野を進んでいたからか、天国かと見まごう快適さだ。


「もうパパ苦しくないの?」

「ああ、アリスのおかげだ」

「もう、ずっと歩かなくていいの?」

「そうだな。もう少しで終わりだ」

「やったー! じゃあ、またあの街みたいに毎日楽しく過ごせるんだよね!」


 アリスが大喜びでそう確認してきた。

 悟られていたのだろうか。この旅が終われば、もう一緒にはいられないって。


 荒野を抜けた先に「ワンダーランド」がある。

 そしてそこに立ち入ることを許されるのは、モンスターと人間の狭間にある『異種族』のみだ。


 どこまで本当なのかは分からないが、本当に「ワンダーランド」があるなら異種族しか立ち入れないというのも信じざるを得ない。


 ……ここらが潮時か。


「アリス。俺はな――」


『キィィィィィ!!』


 突然、空から甲高い鳴き声が降ってきた。

 その声を、俺はよく知っている。

 空の覇者グリフォンだ。それも、一匹二匹じゃない。


「アリス隠れろ!」

「え……」


 こっちには気づいていない。

 なんでここにグリフォンが……。


「……まさか」


 グリフォンを使役しているのは、上流階級の者だけだ。

 それもこんな大群となると、最上位の貴族か……王族。


「……あれ。誰か、アリスに話しかけてる」


 アリスが何も無い空間を見つめている。


「しまった、念話――」


 上空を見上げると、グリフォンの大群がこちらを睨んでいた。

 そして次々と甲冑を纏った奴らが地上に降りてきて、瞬く間に俺たちを囲んだ。


「やっと追いついたわ。よくもまあ、荒野を越すことが出来たわね」


 その中から一人、武器の持たない男が前に出た。


「……憲兵団。なんで王都の秩序を守ってるお前らがこんなところにいるんだ」

「ミリアに異種族が出たとの報告があったから保護に参ったのよ」

「保護だと……お前らは異種族をただの鑑賞物か物珍しいペットくらいにしか思っていないだろ」

「それもそうね。さあ。さっさとハピを渡しなさい。大人しく引き渡すのなら、命だけは助けてあげるわよ」


 どこかで聞いたことのあるような定型文。

 悪いが、荒野を渡ると決めた時点で帰りの切符は考えていない。


「もっとも、どのみちあなた方は引き返すことになるわよ。『ワンダーランド』なんてものは存在しないのだからね」

「何だと……」

「我々は何度もこの大森林を調査しているけど、何の成果もなかった。それどころかいつも道に迷って散り散りになる始末。素人が立ち入る場所じゃあないのよ」


 その時、俺の中にある考えが浮かんだ。

 俺がここへ来た時に幻覚を見たのは、疲労からではなく異種族以外の侵入を妨げるトラップではないのか。


 なら……アリスだけなら、逃げられるかもしれない。


「……アリス、よく聞け。今から俺が道をあげるから、そこに飛び込んで森の奥に走るんだ」

「嫌! パパも一緒!」

「アリス! お願いだから、言うことを聞いてくれ」


 アリスは絶句した。

 何が起こっているかは分からずとも、今生の別れになるかもしれないことを察している。


「驚いたわね。まさか父親気取りで親子ごっこをしているとは。――そこのお嬢ちゃん。そこの男はあなたのパパなんかじゃないわ。あなたを売って金儲けをしようっていう悪人よ」

「違うもん! パパはそんなことしないもん!」


 アリスは俺の腕にしがみついたまま離れない。


「ね、パパ!」

「……アリス。あの人の言う通りだ。俺はお前の父親なんかびゃない。本当のお前の親は、俺が殺したんだから」

「……嘘。嘘だよね?」

「本当だ。お前は、俺の子じゃない」


 厳しい現実を突きつける。

 そのとき、アリスは俺の腕を握る力が弱まった。

 すまない……だが、いずれ告げるべきだと思っていた。


「行け! 二度と振り返るな!」


 アリスが泣きながら走り出す。

 そうだ。それでいい。

 俺なんて忘れて逃げてしまえばいい。


 今更父親面すんなって思うかもしれないけど、俺はお前を――。


「あの子を捕まえなさい!」

「了解しま――ッ!?」


 アリスの行く手を塞いだ憲兵にナイフを投げつける。

 包囲網で最も手薄である場所を突いた。

 アリスは一人森の奥へと足を踏み入れていく。


「まんまと逃がされたわね。でも、この人数を一人で食い止めるつもり? こっちにはグリフォンもいるのよ」

「当たり前だ。ここから先は誰も通さない。アリスの元には辿り着かせない」

「いいわ、その男気に免じて全力で潰したげる!」


 地上からは憲兵が、空からはグリフォンが。

 圧倒的な暴力が俺を襲った――。

 


~~~



 奇怪な雰囲気の漂う森を、少女は駆けていた。

 誰も追いかけてはこなかった。

 暫くすると戦闘の音も聞こえなくなった。


 アリスは泣いていた。

 生まれてすぐに感じた孤独を思い出していた。


 アリスは彼が本当の父親ではないことを知っていた。

 自分と周囲の人間との違いに早々に勘づいていた。

 そして、彼が何かしらの負い目を感じていることを子供ながらに察していた。


 その上でアリスは彼を父親として愛した。

 逃げ出したのは、娘として父親の意志を汲んだからだ。


 逃げなきゃいけない。生きなきゃいけない。 でも――


「誰か……誰かパパを助けて!」


 その声は虚しく森に木霊した。


「きゃっ!」


 アリスは転んで、自分の無力さにまた涙を流した。


「誰か……助けて……」


『いいよ。助けてあげよっか』


 アリスのボヤけた視界に、確かに誰かの靴が映った。

 母の胸で眠るような安らぎを与えるその声の主は、慈悲の籠った優しい笑顔で微笑んでいた。



『ようこそ。ボクたちのワンダーランドへ』



~~~



「なんで……どうして、そんなに強いのよ」


 憲兵から奪った槍で甲冑ごと貫き、迫リ来るグリフォンの大群を次々と葬ったところでそいつの顔が歪み始めた。


「ただのこそ泥のはずでしょ! 何よ、そのデタラメな強さ!」

「……俺が今まで、どれだけグリフォンの群れを相手にしてきたと思ってる」

「群れ? 嘘おっしゃい! グリフォン一匹ですら兵士を30人集めてやっと倒せるくらいなのよ!」


 俺の命などどうでもよかった。

 ただ妹の薬を買うために必死だった。


「ここまで来れたのはあの子の能力かと思ってたけど、あなた自身の身体も特殊らしいわね。……まあいいわ。それだけの傷を負えば、もう長くはもたないでしょ」

「……ごぼ」


 血の塊を吐き出す。

 不覚だ。こんなヤツらに遅れをとるとは。


「…………うッ」


 背中から槍を突き刺される。

 臓器はボロボロ、出血が止まらない。

 立ってられるのが不思議なくらいだ。


 ……アリスは逃げられただろうか。


「まだ……死ね、ない」


 死んでもここを通さない。


「なんで倒れないのよ……なんなのよ、あなた!」


 そいつは怖気付いて尻もちをついた。

 悪魔でもら見るかのような目で怯えている。


「……そう。あなたの勝ちよ。最後に名前を教えてくれないかしら」

「ないさ、そんなもの。生まれた時から、ずっと」


 『お兄ちゃん!』『パパ!』

 お前らがそう呼んでくれるなら、名前なんていらない。

 いつまでも、何度でも、そう呼んで欲しかった。


 俺はそいつの首をはねた。

 静寂が臨む。

 あたりには夥しい数の死体が転がり、俺は出血と返り血でおぞましい姿に変貌していた。


 俺は仰向けに倒れて、曇天を見上げていた。

 妹が死んだのは快晴の青空だった、なんて思い出しながら。


『お兄ちゃん』


 そう呼ばれた気がした。

 どうやらお迎えのようだ。

 もっとも、俺はあいつと同じ場所にはいけないだろうが。


『ホント頑張りすぎだよ、お兄ちゃんは。病気だった私を養うために危ないことしてさ』

『そうだな。頑張ることしかできないからな。でも、これからはそばにいてやれる』

『うん。じゃあ、一緒に行こっか』


 俺は妹に手を引かれて光の階段を登った。



~~~



 目の眩むような銀髪を靡かせ、女は色とりどりの花束を抱えて支度を整える。


「どこへ行くんだい?」

「あ、ごめん。起こしちゃった?」


 朝六時の出来事、その娘と夫は眠気まなこを擦りながら行先を尋ねた。


「今日はお父さんの命日だから。たまには会いに行ってあげないと可哀想でしょ」

「アリスのお父さんか。僕も会ってみたかったな。どんな人だったんだい?」


 アリスはその質問に輝く笑顔で答えた。



「私のことを誰よりも愛して、私に人生を与えてくれた人だよ」



直接関係はない設定を入れる癖が出てしまいましたが、あまり気にしないでください

また同じ世界を舞台に異種族関連の短編は書きたい

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[良い点] とっても良かったです。 親子愛、家族愛 アリスがお父さんの死後幸せになっていて良かったです!!
[良い点] とても面白かったです。 [一言] ランキングからタイトルに惹かれて来ました。
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