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背伸びの味は、不味かった




 「年齢確認の出来る身分証はお持ちですか?」



 初めてだった僕の背伸びは、そんな業務的な一言に挫かれた。問われた瞬間、脳裏の隅々まで真っ白に染まった僕の顔は、反して耳の端まで紅潮した。勇気を振り絞り『煙草の316番を下さい』と指差した後、さも当然の壁を前に僕は硬直していたのだった。



 「あー…………。申し訳ありませんが、確認が出来ないとご提供の方は出来ません。ご了承の程━━━━」



 その通り、当然だろう。分かっていたとも。

謝罪の途中だったが、"へべれけ"になった父を彷彿とさせる赤々とした顔のまま、僕はコンビニの自動ドアを飛び出した。

 羞恥心が全身を火照らせる。『あぁ、なんて事をしてしまったんだ』と、冬であるのにも関わらず、ダウンジャケットを鬱陶しく感じる程に、熱い。



 「はぁ……アホか。僕は…………」



 すれ違う人の目線も気にせず、僕は呟いた。冬の冷たい空気は、より冷ややかに僕を取り巻き、鼻から吸い込む空気は気道の奥をひり付かせた。






 ある時、父はこの世を去った。交通事故だった。

勤勉だった父の最後は呆気のない物で、どういう訳か僕の感情は揺さぶられなかった。


取り乱す事も、深く悲しみに暮れる事も。無かったのだ。


ただ、ふと地に足を付けている事を強く自覚して



「…………………………」



少し、『大人になりたいな』と、そう思った。





 届かない"それ"に手を伸ばす。その時僕は、一体どんな顔をしているのだろう。たった数秒だけ、また僕は一人、足を止めて曇天を仰いだ。


 寒空は、そんな僕を見下しながら、僕の頬に雨粒を垂らした。






「ただいま」



 僅かに濡れた髪の毛のまま、家の扉を開く。この時間、まだ僕の母親は働いている。『おかえり』と聞こえることは無く、言葉は部屋の隅々に吸い込まれ、消えていく。




「…………ただいま、父さん」



 『今日も買えなかったよ』と、ボヤきながら仏壇の前に腰掛ける。線香は既に灰へと還り、本来であれば新しく僕が立てなければならないのだが、今は只、静かに座っていたかった。








『父さん、臭いから吸わないでくれないか?ニコチンもタールも、副流煙も身体に悪いんだしさ』



『へへへっ、そうやって言う奴程どんどん吸い始めるモンなんだよっ。どうだ?一本吸うか?』



『未成年に何言ってんの?……ってか、そもそも煙なんて美味いの?』



『あぁ、美味い。特にこの銘柄はカクベツさ。バランスが良くて、濃いのにスッキリしててな』



『へぇ………………』





 仏壇に供えられた、父の愛飲する紙巻き煙草を見て、他愛ない会話が脳裏に再生された。



「…………なぁ、父さん。一本、貰っても良いかな」



 静かに、煙草とライターを手にする。それは父がきっと、天国でまだ吸っている、父の所有物。一言断りをいれても、未成年の僕が吸う事には父親として反対するだろう。


 …そんな事を今更考えても、死人に口なし。そもそも返答なんて、絶対に返ってこない。







『一本だけだぞ?』








「…………っ。……ありがとう」



 けれど父は、あの時煙たがっていた僕の成長を喜んだような、『やっぱりな』と馬鹿にしたような笑いと共に、一本だけ口にする事を許してくれた。


そんな気がして、紙巻の煙草を一本口に加え、慣れない手付きで火を付ける。




「…………ゲホッ……」


「…………っ嘘つきだな……クソ親父ッ………」




 美味しさなんてそこには無い。コクもへったくれもない。ただ煙臭さが襲ってきて、僕の肺をただ侵しただけだった。


でも、その煙草の臭いは、間違いなく……父の臭いだった。僕の背伸びを許してくれた父を思いながら、不味い煙草を僕は最後まで味わうことにした。

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