イケメンケモミミ軍医にペロペロされたドジっ子猫娘はあたしです
ぐつぐつ煮込まれるお鍋を眺めながら、心の中で、はう~っと溜め息をついた。
あたしはしがない料理人。それも下働き。今のお役目はお鍋のかき混ぜ係。
お鍋からは甘いとも辛いともつかない香りがする。色とりどりの魔界野菜、略して魔菜が煮込んであった。肉や魚は入ってない。
このお鍋、あたしの身長くらいある。かまどの幅はあたしが三人くらい並べる。だから小さな脚立の上に乗って、とても大きなおたまでひたすらかき混ぜる。足腰もうぎしぎし。
こ、これでも魔王軍のメンバーよ! しかも本城勤務! 最下級のっ!
あたしら獣人系は、やたらに子孫繁栄ばっかりするせいで重宝される反面軽く見られる。重宝ってあっちのお話だけじゃなくて、とにかく兵隊の頭数。
もっとも、獣人もピンキリだ。単に頭数を増やしたいなら犬系がいい。情も厚い。
あたしは猫系。あっちのサービスか、頭が良ければスパイになる。ちなみに、何故か猫系獣人からは女の子しか生まれない。
そうそう、あたしの顔とかお肌とかは人間よりなんで念のため。ただでさえ暑苦しいし、厨房は熱がこもるから胸と腰にだけ布を巻いてる。
たまに勇者だの救世主だのが魔王様の領域に侵入しては撃退される。あいつら、精々四、五人の癖にバカみたいに強いから仲間が何万人もやられる。
減った仲間の穴埋めに魔王様の軍勢が人間どもの国を侵略することもある。連れてこられた人間どもも、嫌がってるのは最初だけ。十日もすれば喜んで仲間になる。
あたしは最初から魔王軍にいた母さんから生まれた。母さんは猫娘の中でも指折りの美人で、気に入った相手とだけ寝る娼婦だった。だから、父さんが誰かは知らない。
猫獣人は、産んだ子供はある程度まで育てる代わりに年頃になったら放り出す。あたしも例外じゃなかった。十代の中盤には、自分の行き先を自分で決めなくちゃいけなかった。
娼婦になるのは……実際に客を取るのは入って何年もあとだけど……ちょっとなと思っていたら、たまたま料理番が助手を募集していたからそこに入った。助手って、本当にただの『助手』だったけど。
人間でいえば二十歳を回ったのに、いまだにあたしは処女。母さんが情けなく思ったりして。
あ~、あたしも燃えるような恋がしたい! あ、なんだか身体が熱い。チリチリする! 燃えている! あたしの尻尾が燃えているわ!
溜め息をついている間に、尻尾の先端がかまどに近づき過ぎて飛び火した。猛烈に熱い。あたしは悲鳴を上げて流しに飛びつき、蛇口をひねった。そこに尻尾を浸してやっと火が消えた。
ふうーっ。軽い火傷で済んだのはいいけど、じくじく痛むよう……。
尻尾は口まで届くほど長くないからなめることも出来ない。うーっ。こんなところに薬箱もないし。
あれ? ドアがノックされた。はーい、今開けます。
うわわっ、ハンサム! イケメン! ドーベルマン型の獣人! スレンダーなボクサーボディ! 八頭身! 歳はあたしより少し上かな。あ……あたしは六頭身よ。背伸びしたら。
お、おまけに裸に近い。鎧どころか腰巻き一丁。まー、獣よりな獣人だから当たり前といえば当たり前かな。
「コック長は?」
「ああ……声は甘いのね……」
とろんとした顔であたしは呟いた。
「おいっ、話を聞いてるのか?」
「はうっ! ご、ごめんなさい!」
「コック長はいるのかと聞いている」
「え、えーと、外出中です。ごめんなさい」
肝心な事には空振りで、あたしはしょげた。
「そうか。なにか焦げ臭いな」
「あ、それあたしの尻尾です」
「なに? 見せてみろ」
「え? で、でも……」
「いいから」
遠慮しながら、あたしは尻尾を回した。
「これじゃ見辛い。うしろを向け」
「は、はい」
うーっ。なんか恥ずかしい。でも言われた通りにした。
尻尾に手が添えられる感触がして、くすぐったくなった。そして……。
ぺろっとなめられた。えええっ!? ちょ、ちょっと! それあたしの身体の一部なんですけど!?
「あ、あのっ……」
「静かにしろ。気が散る」
ぺろぺろぺろ。
「はうぅ~ん」
火傷が治っていくのが実感出来た。別な意味でも気持ちいい。
「うむ、完治だ」
はぁ~。もっと……。
「では、改めて……待て、火傷は治ったのにまだ焦げ臭いぞ」
「え?」
あああぁぁぁ……お鍋が! お鍋が!
かまどに走って、黒い煙を吹き出すお鍋を絶望的に眺めた。大きすぎるし重すぎてかまどからどかすことさえ出来ない。イケメンさんはさすがに厨房までは入ってこなかった。
「かまどから薪木を抜け。そのままだと火事になる」
イケメン獣人に言われて、あたしは薪木を何本か引っこ抜いた。それでようやく煙は収まった。でもお鍋はめちゃくちゃ。
「これは軍医様。ご注文の品、そろそろ出来上がりますよ」
戸口から少し離れて、厨房に向かってかけられた声にびくっとした。うえっ。親方が帰ってきた。どうせごまかし用がないけど、せめて言い訳を思いつく時間くらいあっても良いのに。
「ああ……いや、改めてこよう」
イケメン獣人、軍医さんだったのか。人間みたいに薬や手術じゃなくて、誰でもああやって治すのね。
「え? この場でお渡し……なにか焦げ臭いですね」
「厨房を確かめたらどうだ?」
ひえええぇぇぇ!
ドスドスドスと足音がして、親方が顔を出した。豚みたいな顔をしてお腹も膨らんでるけど獣人じゃない。人間に近い服を着て調理用エプロンもかけてる。エプロンの端には二頭身の豚さんキャラ。
親方はオークだ。
人間達は、オークをクサいとか醜いとか頭が悪いとか倫理観の欠片もないとかザコとか好きたい放題に罵倒する。
親方は公平な人だしクサくないし頭も悪くない。ちょっと不細工なだけだ。
「なんだこれはーっ!」
厨房に入るなり親方は怒鳴った。
「ひいっ!」
素であたしは首を縮めた。
「貴様、大事な鍋と中身を……」
「ご……ごめんなさい! ごめんなさい!」
「俺が作業を中断させたせいだ。そう叱らないでくれ。材料代と鍋代と新しい手間賃は弾む」
「まあ、そう仰るなら」
「では、またくる」
イケメン軍医さん、退場。
このあと一時間ぐらい、あたしは厨房でボロクソに叱られた。オークって罵声のバリエーションが豊富ね。なんて他人事みたいに考えなきゃやってられなかった。
「で、お前には縁談を持ってきた」
説教の締めくくりに親方は付け加えた。
「あのう、演説をする為の壇ですか?」
それは演壇。
「ふざけるな!」
「すみません! 本当にそう思ったんです!」
叩かれはしなかった。親方に睨まれたら叩かれるよりもっと恐ろしい。
「とにかく、お前は娼館の営業主任と結婚しろ。俺がまとめてきてやった」
「えええ~っ!? そんな、勝手に……」
「お前は俺の奴隷なんだぞ! そのお前に自由人になる機会をやったんだ! ひれ伏して感謝しろ!」
「えええ~っ!? あたし、奴隷だったんですか!?」
「最初からそういう契約だっただろう!」
奴隷とは一言も聞いてない。自由意志を失うとか、あらゆる決断は親方に一任するとか聞かされただけだ。難しい話に関心がなくて半分居眠りしていたし。
「それにな、お前が今まで潰した鍋や釜はこれで何個目だ? とても割に合わん」
冷めた目で見下ろされ、あたしは言葉が出なくなった。
「相手はお待ちかねだ。娼館は道案内にある。すぐ出てってくれ。行けば済むように手続きしてある」
「はい……。お世話になりました」
あたしは厨房を出た。
魔王城は城内自体が一つの街で、歓楽区もある。道に迷わないよう、あられもない姿で交尾するライオンが小さな矢印と一緒に石畳の通路に埋め込んである。通路といっても親方が十人横に並んでも余るくらい広い。
気に入らないからと逃げるのは勝手だけれど、魔王城はそもそも自由に出入り出来ない。袋の鼠だ。あたし、猫系ですけど。袋の猫。プッ。歩きながら笑った。
獣人には靴をはく習慣があるのとないのとがあって、あたしは後者。音をたてずに歩けてなんだかカッコいい。
しばらく歩くと、床の道案内が一つ増えた。ガラスビンに包帯。病院だ。あのイケメン軍医さんがいるに違いない。ううう……どうせならあんな獣人と結婚したい。
さらに歩き、別れ道になった。左に進むと歓楽区。右に進むと病院。
あたしはにゃんこ! 猫系獣人! 自分の気持ちに忠実だにゃん!
右に曲がり、あたしは走り出した。もう振り向かない。
病院に到着する前に、あたしはイケメン軍医さんとばったり会えた。うわーっ! あたしツイてる!
「軍医さんっ!」
「ああ、親方の使いできたのか?」
「いえっ。あなたと結婚する為にきました!」
軍医さんはたっぷり十秒あたしを黙って眺めた。
「変な魔菜でも食べたのか?」
「素面です! 正気です! あたし、奴隷だからって無理矢理娼館の主任とかいう人と婚約させられたんです! それはイヤですし、あなたと……」
イケメン軍医さんはスタスタ歩き始めた。病院とは反対方向に。
「ちょ、ちょっと、話はまだ……」
「最後まで聞く気になれん」
冷たく切り捨てる言い方だった。慌てて追いかけた。相手の方がずっと歩幅が広く、自然に小走りになった。
「こんなかわゆい娘がひどい目に合いかけてるのに無視ですか?」
「美醜は関係ないだろう。親方の契約に何故俺が干渉出来るんだ」
「あたしがあなたと結婚したいからです」
「それは根拠にならん」
追いすがって粘ろうとしていたら、正面に五、六人の骸骨戦士が現れた。鎧も着ているし剣だの弓矢だのを構えている。ちなみに人間の骸骨。念のため。
「軍医殿、身柄を拘束します」
骸骨戦士の一人が歯をかちかち鳴らしながら無表情に宣言した。
あ、骸骨だから元々無表情か。
「なんの容疑だ?」
「反逆罪です」
「証拠は?」
「先ほど厨房で焦げついた鍋を押収し、内務局の死霊鑑定が判別しました。魔菜の煮込みを装って、軍医殿の治癒唾液と混ざると猛毒になる薬品を作っていたようですな。厨房の親方も拘束済みです」
「そうか。好きにしろ」
全てを悟ったようにイケメン軍医さんは答えた。
「ちょっと、この人あたしの夫なんですけど」
「勝手に人を配偶者にするな」
「そちらの獣人は?」
「担当患者だ。退院に付き添っていた」
イケメン軍医さんの嘘で察しがついた。
親方が拘束されたのに、骸骨戦士からあたしの名前は出てこなかった。
親方は、謀叛がバレそうになったからわざとあたしに冷たく当たって逃げ場を用意してくれたんだ。なにも知らなくてもどっちみち連座しかねないから。
歓楽区は城内の犯罪者がしょっちゅう潜伏するし、中々見つからない。
「なら問題ない。軍医殿だけご同行願おう」
骸骨戦士が素早く動き、あたし達を囲んで武器の刃をきらめかせた。
「獣人、お前はさっさと出ていけ」
「あたしの夫に手を出すな」
「邪魔すると共犯とみなすぞ」
骸骨戦士達の輪が縮んだ。
「おい、お前がいると色々な意味で迷惑だ」
イケメン軍医さんは突き放すように言った。
「迷惑なのは骸骨の方よ!」
「共犯とみなす」
さっきから喋っていた骸骨戦士が告げると、剣を構えた連中が四人近づいてきた。
その瞬間、あたしの心の中でなにかが膨れ上がった。犬歯が太く長くなり、爪が鋭く大きくなった。骸骨戦士一人一人の身動きがとてもゆっくりしたものに見える。
気がつくと、あたしは四人の骸骨戦士をバラバラに粉砕していた。
「クーデター発生! クーデター発生! 共犯の猫系獣人が虎化した!」
残りの骸骨戦士達は口々に喚きながら弓を構えて次々に矢を放った。あたしに飛んできた矢は全部手ではたき落とした。
「うぐっ!」
ええっ!? しまった! 流れ矢がイケメン軍医さんの腕に! 血、血が!
ゆ……許さない! 絶対許さない!
あたしの身体が常軌を逸して膨れ上がった。元の数百倍はあるだろうか。天井も壁もそのまま突き破った。あ、服も身体に合わせて大きくなってるから変な想像しないでね。
イケメン軍医さんは手の平に乗せて安全な城外へ。さ、準備完了よ。
象を襲う虎のように、あたしは魔王城にしがみついててっぺんからかじりとった。お腹がくすぐったいので一度口を離して見てみたら、なんか米粒みたいな連中が魔法だの槍だので攻撃している。うるさいから拳で叩いて黙らせた。
手の甲についた血をなめると増々興奮した。もう魔王城はケーキみたいなものだった。
「そこまでだ、我が娘よ!」
頭上から声がして、初めて手が止まった。
あたしと同じくらいのサイズをした、コウモリの翼を背中から生やすのっぺかりした黒い身体。一応、人間っぽい手足だけど、頭そのものが暗く燃える炎の塊になっている。
魔王城の住人なら誰もが知る、城の主。魔王だ。普通の魔物なら震え上がってはいつくばるのだろう。あたしは背を伸ばして地上から見据えた。
「我が娘?」
「そうだ。お前は我と猫娘の娼婦との間に生まれたのだ。我に改めて忠誠を誓え。そうすればおイタは大目に見てやるし、軍医の謀叛を許して結婚も……」
べらべら喋る魔王に飛び上がってしがみついた。右の翼の付け根を食い千切ると空にとどまっていられなくなり、あたしともつれながら魔王城に落ちた。お陰で城は半分くらいぺしゃんこになった。
魔王を組み敷いてからそのまま顔に噛みついた。血は全く出なくて、綿菓子をなめるように魔王の顔は溶けた。随分呆気ないけど、魔王に勝つには奇襲の一撃で必殺する以外にない。
頭を失った魔王はどろどろの黒い液体になり、魔王城をひたしながら消えていった。右足を魔王城の残骸に踏み締め、あたしは空に向かって吠えた。新生魔王の誕生だ。
「ちょ、ちょっとどさくさ紛れに噛みつかないでよ~。痛い~ん」
「贅沢を言うな。メチャクチャやりやがって」
その日の晩、イケメン軍医さんは、城外にこしらえた仮設救護所であたしの治療をしていた。ベッドに横たわったあたしの身体をひたすらなめる。時々噛みつく。
魔王を倒し、吠え終わったあたしは元の身体に縮んで気絶したらしい。あちこち生傷だらけでもあった。
あたしの手当ても含めて、イケメン軍医さんは後始末に追われた。
元々、魔王の冷酷なやり方に魔物からさえ反発の声が上がっていた。彼は医者として患者の悩みを聞く内にそれを無視出来なくなり、同志をまとめていたんだって。
魔王の血を浴びた生き残りの魔物達は格段にパワーアップした。城の修復も数日で終わる。
仮設救護所は他に幾つもある。あたしは新魔王だから施設一つがあたしのためだけに作られた。主治医もあたしだけを治す。病人食は親方が作ってくれるそうだ。あ、毒はいらないから。
「あんっ! そこっ! そこっ! もっとなめて! もうラメ~っ!」
「誤解されるような言い方をするな! 大人しく寝てろ!」
がぶっ!
「また噛みついた~ん」
「少しは黙ってろよ。外まで聞こえるぞ」
「いいじゃない、夫婦なんだし」
「そういう問題じゃないだろ」
文句を言いつつ、イケメン軍医さんはなめるのも噛みつくのもやめた。そして、あたしの隣に横たわった。
「ど、どうしたの?」
「傷は全部直した。じゃあ夫婦になろう」
「ちょ、ちょっと、もうちょっとこう、ムードとか口説き文句とか……」
「さっきから散々甘噛みしたじゃないか」
「え? えええ~!?」
イケメン軍医さんがあたしに顔を寄せた。もちろん、あたしは誓いのキスをした。
終わり