孤独とサクラメント
皇女はステータスを消した。
「破れないことはわかったはずです。契約していただけますか」
「わかったよ」
指示に従い食卓のまだ使われていないナイフで親指を切る。
すでに一つ血印が押された羊皮紙に血を染みこませた。
「もう一つ、これはあなたがウリクに勝てるようになった場合の保険です」
「えっ、絶対無理だと思いますけど……」
「そうでしょうね、でも戦いは相性です。あなたが悪魔殺しに特化したスキルに目覚めるかもしれません。そのために教会の秘蹟を受けてもらいます」
「ふざけてる?」
セルカが冷淡な目で皇女を見る。皇女はセルカから目をそらした。
僕はサクラメントがなにかわからない。
「まじめに言ってるわ。記憶を失う前の彼にセルカたちとそういう関係でないことは確認済みよ。あなたに止める権利はない」
「一応皇女でしょ」
「一応ではなく皇女よ。でもそれは国があって初めて成立するもの」
「結局、この紙はなんですか」
最初の契約書よりは小綺麗だ。
「これは教会の行うサクラメントで唯一、聖職者以外の人同士で結ぶことができるものです」
「すいません、教会のことは知らなくて」
「婚姻のサクラメントです」
「コンイン……結婚!!!」
「こ、声が大きいです」
皇女の身体がビクッとはねる。だって、結婚はおかしいと思う。
「正確にはこれは婚約の申請書です。結婚と違って両者の同意があれば解消されますが、他の女性とは関係を持つことはできません。当然、男性もダメです。禁を破れば教会から罰が下ります」
「結婚するんですか……」
「ち、違います! あなたが逃げられないようにするためです! こほん、アルリスを捕まえ次第解消します。サクラメントを受けていただけますか」
「……まあ、そういうことならわかったよ」
「……っ」
セルカはなにか言おうとしたけど口をつぐんだ。
本当にダメなことなら止めてくれるだろう。さっきと同じように血印を押した。
「これよりわらわはリン様の伴侶です。セスとお呼びください」
皇女が緊張した面持ちで言い、僕の指から外した指輪を自分の指にはめた。
あんまり変わった感じはない。
「うん、でもこの姿の時はいいんじゃないかな」
「なにを言っているんですか? わらわはヨシト様ではなくリン様の伴侶です。気軽にお呼びください」
「えっ……」
「教会に深き愛を認められた女性は同性の伴侶を持つこともできます」
「あー、そういう感じなんだ。じゃあ姉妹だしリンでいいよ」
「いえ、リン様はリン様です」
皇女がふわりと幸せそうに笑った。なんとなくわかった。
この人、女の子が好きな人だ。
「セス」
「はい!」
「僕は男だよ」
釘を刺すと皇女は口を押さえ顔を蒼白にした。
「……申し訳ありません。どうかお許しください」
皇女はうつむき消え入りそうな声を出す。
お許しください、か……たぶん婚約のことだろう。
皇女と言っても十代前半にしか見えない。僕は元々二十ほどらしいし怒るのは大人げないかな。
「僕はいいけど、つらいのは君だよ」
「……はい、承知しています」
皇女は可哀想なくらい萎縮して黙り込んでしまった。
なんて声をかけるべきか考えていると、テーブルにぽたりと水滴が落ちた。
続けてポロポロと涙が零れ、肩を震わせて押し殺した声で泣きだした。
どうしたらいいか分からなくて周囲を見る。
セルカは冷めたスープを飲みはじめ、ヒノワは興味深そうに観察し、神様は長いまつげをふせて憂いた表情をしている。
ハンカチは……上着の内ポケットの中だから今は持ってない。
部屋に取りに戻ろうか悩んでる内に皇女は泣き止んだ。
「……取り乱してしまい申し訳ありません」
「ううん、大変な思いをしてるんだから仕方ないよ」
「なぜ泣いた。教えよ」
ヒノワが皇女に聞く。皇女が僕の顔色をうかがう。
「嫌でなければ僕にも聞かせて」
「……ごめんなさい、頭の中で勝手に舞い上がっていました」
「どういうこと?」
「わらわはスキルが習得できなくて、学校とかもいけなかったからセルカしか友達がいないんです。でも、セルカが私は友達じゃないって……」
皇女が恐る恐るセルカを見る。僕もセルカを見た。
「きのう言った」
「えっと……どうして?」
「友達だから助けてくれって言われたからやめた」
「セルカはいいの?」
「うん、元々意味がわからなかったから」
困惑する僕に神様がフォローを入れた。
「セルカ君は友達という言葉の意味を知らないそうだよ」
「……えっと、そういうこともあるんですね」
「友達ってどういう意味、具体的に言って」
セルカが皇女に聞く。
「あの、相談に乗ってくれたり、一緒に過ごしたりとか……」
「私やリンである必要がない。人を雇うかメイドに頼めばいい」
「ううん、対等な関係で同じくらいの年の女の子がいいの。リン様はきっと高貴な生まれの方よ」
「えっ、僕?」
高貴って……まあ、見た目だけなら良家のお嬢様みたいだけど。
「はい、昨日のリン様の自決があまりに洗練されていたので、勝手にヨシト様とは切り離して考えて、あの方のように心優しく、聡明で美しい方と友になれればと思ってしまいました」
女の子好きでも友達の方かまあそれなら。
「じゃあ、結婚したいわけではないんだよね」
「……ただお側にいられれば」
「うん、わかった。僕が元に戻るまでは友達でいよう」
「はい!」
皇女はまたふわりと幸せそうに笑った。
きっと元はふわふわしたお姫様だったんだろうな。
そう思うと彼女の今の境遇がより悲しく思えた。
「魔法学院で僕に友達ができたらセスにも紹介するよ」
「本当ですか!」
「はは、できなかったらごめんね」
「いえ、そう言ってくださるだけで嬉しいです」
これで僕が男に戻っても孤独になることはないだろう。友達ができなかったら一緒に学校に行くヒノワに頼もう。
皇女は緊張した顔でセルカの様子をうかがう。
「セルカ……」
「……」
「あの、今度こそ本当の友達に……」
セルカは縦割れの瞳を細め、眠そうな表情をした。
「プーリンの言う友達は正当な対価を払わずに依頼するためのものにしか思えない」
「……っ、そう思われても仕方ないけど……でもずっと一緒だったじゃない」
「どういうこと?」
セルカが困惑したように皇女を見る。
「どういことって、長い間一緒にいたから友達になりたいってことよ」
「意味がわからない」
「セスはセルカと一緒にいられると嬉しいから今より仲良くなりたいと言ってるんじゃないかな」
セルカは不思議そうに僕を見た。
「そんなこと宣言する必要ある?」
「うーん、ないかな……覚えてないから多分だけど」
「……わらわはおかしなことをしていたのでしょうか」
皇女はしょんぼりと肩を落とした。食事を終えたセルカはテーブルクロスで手をぬぐった。
「拘束力がないならかまわない」
「ほんとに!」
「優秀な味方は多い方がいい」
皇女はこちらに来てセルカの前にひざまずいた。
「ありがとう……セルカ。次があれば絶対助けるわ」
「私よりリンとヒノワを助けて」
「約束する」
皇女は僕の方を向いた。
「レベル一ではワドニカ魔法学院に合格できません。ですからリン様には『笛』を使っていただきます」
「いいの」
セルカが微かに目を見開いた。
「うん、セルカたちに無茶ばかり言ったお詫び。それにリン様も今は皇族だもの」
「……廃位になったら教会に来るといい」
「うん……ありがとう。準備してくる」
そういうと皇女がセルカの肩に触れる。
皇女は弱々しくほほ笑んでセルカと頬を触れ合わせチュッと音を立てた。
一度頬を離し反対側もする。
「ごめんね、セルカ」
「次はない」
セルカとあいさつし終わった皇女が僕の方に来る。
「この世界のあいさつです。よろしいですか」
「うん、セスがいいなら」
不安そうな皇女の肩に軽く触れて右頬をつけた。
少し恥ずかしいけどチュっと音を立てた。
左頬も同じようにつけ、音を立てる。
皇女は幸せそうにほほ笑んでる。照れくさくて僕もほほ笑んだ。
ほっぺた柔らかかった。
神様とヒノワとも同じあいさつをした皇女は食堂を出て行った。