ヒノワ
目を開くと暗がりの中で少女と目があった。彼女は穏やかにほほ笑んだ。
「起きたか」
「うん」
どこからともなく小さな火が現れる。
灰の瞳と真紅の髪、ヒノワが同じ毛布に眠っていた。
「姫が譲歩した。安全は確保するそうだ」
「ごめん」
「協力を約束したことか、命を絶とうとしたことか?」
「両方とも、責任は取るよ」
ヒノワはおかしそうに笑った。
「かまわぬ。我はそういう人間だからお前といる」
「どういうこと」
ヒノワは毛布をめくった。包帯を巻いた脚が露わになる。
「包帯をとってくれ」
「うん……」
ヒノワの包帯をめくる。赤、青、紫、黒、痛ましい色彩に驚き手を離した。
ヒノワが穏やかな目で僕を見る。続けて包帯をとっていくと腫れと鬱血は全体に及び、炎に照らされた脚は病巣じみた様相を示していた。
「これ、どうしたの」
「呪いだ」
「呪い……」
「古い魔法だ。相手を苦しめるための」
どうして、こんな酷いことができるんだ……
「どうやったら治るの」
「苦しめばよい」
「歩けないんでしょ。もう十分苦しんでるよ」
「我にはわからぬ」
ヒノワは首を横に振った。
「なにがわからないの」
「恐怖や絶望といった感情が理解できぬ。意味はわかる。だが、我の心には芽生えぬのだ」
「じゃあ、どうしようもないの……」
ヒノワは病んだ脚を少しだけ振り上げた。
「お前のおかげで人になれた。この身体になって脚の感覚を取り戻した」
「どうやって!」
「我がケガをしたときお前があまりに辛そうでな。それを見ていたらこの痛みから早く逃れたいと思った」
「それで良くなったの」
ヒノワは愛おしそうに脚に触れた。
「己をみじめだと感じたのは初めてだ。ヨシト、お前の弱さを教えてくれ」
「教えてって言われても……」
「なぜ自分を刺した」
なぜと言われると分からない。ただ死ぬべきだと思っただけだ。
「うーん、咳みたいなものかなぁ……」
「咳だと」
「うん、咳ってのどに異物が入ってきたら考えずにするでしょ。あの時は僕のせいでヒノワたちに迷惑かけたって思って、気づいたら自分を刺してた」
「そうか、お前は死ねぬのにな」
ヒノワの瞳に火が燻り笑みを浮かべた。
「死ねないってどういうこと」
「約束だ。お前は我が翼を取り戻す、我はお前を乗せて飛ぶ。果たされるまで死なせてはやれぬ」
ヒノワが自分は竜だと言っていたのを思い出した。昨日の力の強さを考えると本当なのかもしれない。
竜に乗って空を飛ぶ、か……
「楽しそうだね」
「うむ、我も楽しみだ」
ヒノワと話してるうちに外が少しだけ明るくなってきた。
「外に出たい」
「暗いよ」
「ダメか」
「別にダメではないよ」
ヒノワの脚に包帯を巻き直して抱えた。ほんとに軽い。
バルコニーに出ると冷気が身に染みる。
「寒くない?」
ヒノワが嬉しそうに目を細めた。
「久しぶりだ」
ヒノワに視線の先には黒い影のような山脈がある。
にじみ出すように小さな輝きが山の隙間から現れ、みるみる広がる。
山脈は色づき、頑健な黒の素肌にやわらかく施された雪化粧がきらめく。
その足下、黒色の森は輝きが大きくなるにつれて深い緑をまとい始めた。
日の出だ。
「すごい……」
朝日が完全に現れるまで見入ってしまった。
腕に抱いたヒノワは嬉しそうにほほ笑んだ。
「我もあのようになりたかった」
「うん、すごいよね。記憶がないからかもしれないけど感動したよ」
「うむ、我も久しぶりだ」
二人でしばらく空を見ていると扉がノックされた。
「食事の準備ができました」
ルーフィアさんだ。部屋の中に戻る。よく見るとヒノワの髪が少しほつれてる。
皇女の蹴りで髪がダメージを受けたのかもしれない。
棚の中を探すと昨日の鏡と一緒に象牙から削ったような白い櫛もあった。
「ヒノワ、櫛を入れてもいい」
「クシとはそれか?」
「うん、髪を整えるのに使うんだ」
ヒノワが不思議な顔で赤い髪を手に乗せた。
「手入れが必要なのか。焼き捨てて良いか」
「だめ」
ヒノワを座らせて毛先のほつれを解く。細くて柔らかい真紅の絹のような髪、普通の人がこんな髪質だとケアが大変だ。
皇女に蹴られた頭の横以外はまっすぐなまま、そこも特に毛が痛んでいる様子はない。
根元から順番に櫛を入れていく。ヒノワは気持ちよさそうに身体を預ける。
「……もう終わりか」
「うん、ヒノワの髪は綺麗だね」
「お前の髪もしてやろう」
「僕は大丈夫だよ」
「案ずるな何度か見たことある」
ヒノワは奥にずれ、ベッドの縁に僕を座らせた。
櫛の名前を知らないだけで見たことはあるのか。
ヒノワは僕のプラチナブロンドの髪の先端を持つ。
そして顔を近づけると小さな舌をつき出して舐めた。
「な、なにしてるの!!!」
「ぇう、毛づくろいであろう」
「違う! いや、違わないけど汚いから舐めちゃダメ」
ヒノワから髪を取り戻す。驚きで心臓がバクバク言ってる。
「人間は舌は使わないよ!」
「そうか」
「ほんとにわかった?」
「うむ」
ヒノワに髪を渡すと今度はちゃんと髪を梳かし始めた。
「痛くはないか」
「うん、気持ちいいよ」
ヒノワに身体を預ける。こうしてるとなんだか懐かしい気分だ。
「終わった」
「ありがとう」
ヒノワを抱きかかえて食堂に向かう。
「セルカは行かぬのか」
ヒノワが不思議そうに声を発した。振り返るが誰もいない。
「眠っているのか」
「セルカがいるの?」
「うむ、部屋の隅にいたはずだ」
「セルカ出ておいで」
しばらく待って諦めようかと思ったとき、寝台の下からスッとセルカが出てきた。
「どうしてベッドの下にいたの?」
「……暗くてせまい場所が落ち着くので」
「そうなんだ」
やっぱり猫なのか。セルカの髪も梳かそうかと思ったけどツヤのある白髪はサラサラだ。 そういえば棚の中にブラシもあった。
「セルカ、ブラッシングしてもいい?」
「よく分からないけどヨシトがしたいなら……」
セルカを呼んで棚からブラシを出した。
「後ろ向いて」
「えっ……はい」
セルカの寝間着は尾てい骨の辺りに穴が開いていて白い短毛の尻尾が生えている。
ピンと立った尻尾に手をそえる。
「ひゃっ!」
「あ、ごめん」
「触る前に一言言ってよ!」
「うん、次から気をつけるよ」
セルカの尻尾はきゅっと上に固まってる。
「セルカ、尻尾から力抜いて。こんなに上がってるとブラシかけられないから」
「あ、うぅ……」
セルカは恥ずかしそうに顔をふせると尻尾から力を抜いた。
これ大丈夫か? いやでもここまでしといてやっぱりやめたとは言えない。
「ブラシかけるよ」
「はい……」
セルカの尻尾の根元近くにブラシを当てる。先端まで一気に梳かす。
「ぁ……!」
セルカがびくっと身体を震わせる。顔を完全にうつむけて息が乱れてる。
人相手はダメだった気がする。
「うん、終わり」
「えっ……」
セルカが切なそうに僕を見る。うっ、でもここは心を鬼にする。
「ご飯食べに行こう。冷めちゃう」
「私は冷めてる方が……ううん、わかった」
セルカはすぐ切り替えてくれた。ブラシを閉まって食堂に向かう。
食堂ではすでに一人食べ始めていた。
「あら、ごきげんよう」
金と茶のプリン頭の高貴な雰囲気の少女。この国の皇女、プーリンだ。
「皇女様……? ごきげんよう」
「ごきげんよう?」
「なんでいるの」
セルカの問いを受け、皇女はこほんと咳払いした。
そして愛らしい笑みを浮かべる。
「みなさんには魔法学院に潜入していただきます」