魔法学院三日目
目が覚めると横でヒノワが眠っていた。起こさないように軽く頭をなでベッドを出る。
床で丸まっていたセルカの片耳がピンと立つ。セルカ……床の方が好きなのかな。立ち上がったセルカは寝起きの瞳で僕を見る。
「おはようセルカ」
「おはよう、あの……いい」
「いいって?」
「お祈りしても」
「あ……そういえばそうだった。いいよ」
昨日セルカに神様になって欲しいというよく分からないお願いをされたのを思い出す。鰯の頭も信心からと言うけど僕にお祈りしてもご利益はないと思う。
セルカは好きにしてくれていいと言ったからイスに座っておく。
「神様、感謝します」
セルカが手を組み頭を垂れる。堂に入った厳かな所作。セルカの表情はなにかに耐えるようで祈るような姿は一種の神聖さを帯びているように感じた。
神様に捧げるなら相応しいけど、自分に対してだと思うと落ち着かない。
セルカは解いた手を前足のように使って歩いた。そのまま僕の足先に顔を寄せる、思わず足を引いた。
セルカは少しぼんやりした顔で僕を見る。
「あの、足は汚いよ……」
「わかった」
セルカが立ち上がり思わずホッとした。別に女の子同士だしほっぺたくらいならいいけど足はちょっと……いや、僕女じゃなかった。早く元の身体に戻らないと本当におかしくなりそうだ。
セルカの方をうかがうと水差しで修道服の内ポケットから出した布を湿らせている。水差しを置いたセルカが僕の方に来て思わず身構える。
そっと足下に屈んだセルカは自分の口元をふいて僕の爪先に口づけした。
セルカが同じくらいの年の女の子が僕の足にキスしてる。異常な光景に脳が情報の処理を拒む。
僕が声を絞り出せたのはセルカがゆっくりした口づけを終えてからだった。
「セ、セルカ変態なの……」
「ヘンタイってなに」
意味が伝わらなかったようでセルカに聞き返される。むしろ伝わらなくてよかった。変態って……他に言い方があるだろう。
火照った顔と頭が元に戻るまでイスに体を預け深呼吸を繰り返す。まだ心臓が自覚できるくらいの速さで脈打ってる。
「えっと……こういうことはよくするの。あの、教会では」
「ううん初めて、私は獣人だから表向きの行事には出られない」
「そうなんだ……」
セルカは普段より雰囲気が柔らかい感じはするけど恥ずかしがってはない。なんか僕が意識しすぎてるみたいだ。
「あの、セルカ……僕は神様って言われてもよく分からないんだけどどうすればいいの」
「そのままでいい」
「うーん……セルカが思う神様ってどんな感じ」
セルカは少しだけ考えてから口を開いた。
「神の本質は理解できないこと。不確定な存在が恐怖をもたらしたとき神が生まれる」
「恐怖? 僕、セルカを怖がらせるようなことしちゃった?」
セルカの金と青灰の双眼と目があった。縦に割れた瞳孔が膨らみ迷うように揺れる。
「……リンを失うのが怖い」
セルカが小さな声でつぶやいた。
一瞬、心配しすぎだと笑いそうになった……でも、記憶を失ってから二回死にかけてることに気づく。
破れた心臓も切れた首もセルカが治してくれたのだった。
「ごめんセルカ、心配かけてるよね……」
「私でも首が切れたことはない。リンは怖くないの」
「僕? 実はさっきまで忘れてた……」
僕を見たセルカがかすかに笑った気がした。もう一度手を組んで目を伏せたセルカは顔を上げてから急がないと学院に行く時間だと言った。
少し落ち着かない気持ちで学院に行くとベルリアさんが来ていた。よかった……思わず駆けよりそうになったけど一応本で読んだキャラを守って無視して通り過ぎる。
「リンさん、貴女ご存じでしたのね」
真剣な顔のベルリアさんが僕の行く手をさえぎった。僕は何も知らないんだけどな……
「あいさつもなしに話しかけるなんて、ジェンリーズ家と言うのは犬かなにかの血統なのかしら」
彼女以上に礼儀知らずなあいさつで応える。
当然、ベルリアさんの目に怒りが灯るがすぐに霧散してスカートのすそを持ち上げた。
「ごきげんよう、リン皇女殿下。私はジェンリーズ家の五女ベルリア=フレイヘズ=ジェンリーズです。これで文句はありませんわね」
「そうね」
「……私が聞きたいのはヒノワさん、いえ、あの化物のことですわ」
化物? 思わずベルリアさんの顔を見ると真剣な顔をしていた。
彼女の顔は青ざめ声は少し掠れている。
「あれは何なんですの……どうしてあんな恐ろしい存在が人の皮を被っていますの。リンさん、貴女は知っていた。だからあれを追い出したのですわ」
「…………その質問には答えられないわ」
セルカが何も言ってくれないし、僕もどうしたらいいか分からない。
「私では足手まといと言うことですの。昨日は不覚を取りましたが祖国では同年代の貴族の中で一番の魔法の使い手でしたの。それにジェンリーズ家はロウナの皇族ほどではなくとも大家ですわ」
「…………」
「なにも話してくださらないのですか」
「もしそうならあなたはどうするの」
「お父様と学長に相談します。何もしないわけにもいきませんもの」
『それはまずい』
「…………ええ、いいわ教えてあげる」
「本当ですの!」
ベルリアさんが身を乗り出す。緊張で冷や汗が流れる。なんとか言いくるめて勘違いだったってことにしよう……
そう決めた瞬間、教室の壁が吹き飛んだ。
「なんですのっ!」
ベルリアさんが間の抜けた声を上げる。
削れた大理石が白煙をあげる中、外壁を破壊した犯人は刀のような五本の爪がついた手で粉塵を払い姿を露わにした。
長い角の生えた山羊のような顔、二本の足で立ち黒い毛に覆われた猫背ぎみの巨体から鷲のような翼と毛のない尾が生えている。悪魔と呼ばれる危険なモンスターの一体、『バフォメット』だ。
『バフォメット』は足についた蹄で長机を踏み砕きながら歩き出す。鼻がツンとするような獣臭が押し寄せて少し懐かしい気分になる。
「リンさん、なにぼーっとしてますの! 早く杖を!」
ベルリアさんはすでに杖を抜き油断なく『バフォメット』に向き合っていた。向き合うというよりは見上げるというべきか。
「逃げた方がいいと思うわ」
「いけませんわ。この学院で一番魔法に長けた生徒は私たちです。犠牲者を出さないため先生が来るまで食い止めませんと」
「私に任せてあなたは逃げなさい」
「その言葉そのままお返しします! 煌めき穿て〈金剛弾〉」
静止する間もなくベルリアさんが詠唱する。繊細な金細工に色とりどりの宝石がはめられた美術品のような杖が閃くと砕けた大理石が宙に浮き、その中から細い輝きが『バフォメット』の顔に殺到する。
山羊頭の悪魔は腕を振って顔をかばう。毛むくじゃらの腕にペンほどの長さの結晶が無数に刺さりおびただしい血が流れる。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
「っ……!」
『バフォメット』は歯をむき出しにして咆吼する。眠そうだった目が見開かれベルリアさんを捉える。爆ぜるような音を立てて飛び上がった悪魔は少女めがけて鋭利な爪を振り下ろした。
「あっ……」
反応できなかったベルリアさんは目を見開き杖を必死に突き出す。
「空刃」
一応魔法の名前を言いながら『ウェポンマスター』のスキルで制服と一緒にもらった杖を強化して『バフォメット』の手首を切り飛ばす。切り飛ばした手が床を跳ねる。
追撃を飛び退いてよけた悪魔は無事な方の手で切り株になって血が溢れる右手を押さえ、警戒の目で僕を見た。
倒れ込んだベルリアさんに手を貸して立たせる。
「ケガはない」
「え、ええ……なんとか」
「ならいいわ。私の足を引っ張りたいのでなければ消えなさい」
「っ……! 貴女はむかつきますけど私の命の恩人です! もしこんな化物にやられたら承知しなくてよ!」
気丈に言い放ったベルリアさんの脚は震えている。それでも急いで教室から出て行ってくれた。
目を離した間に『バフォメット』の方は切れた腕から流れる血を操り捩じ曲がったフォークのような形に固めていた。
目が合うとうなり声を上げながら即席の三股槍を僕に向けてくる。
他に人がいなければ即死以外セルカが治してくれる。制服が血まみれになるような大怪我はしないよう気をつけよう。
『バフォメットが町中に出てくるなんて聞いたことない。捕まえて調べたい。リン手伝って』
『え……捕まえるってこんなに大きいのどうするの』
『来た道の途中に洞窟があったからそこに誘導してくれたら無力化して隠しとく』
『……努力してみるよ』
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』
困ったなと思っていると『バフォメット』がうなり声を上げて突っ込んできた。
まあいいや、方法は戦いながら考えよう。




