二度と悲劇が起こらぬように
対モンスター前線の最前列に当たるロウナ帝国の帝都は夜であってもほとんど明かりを灯さない。動物なら恐怖する炎もモンスターにとっては獲物の存在を知らせる目印でしかない。
一方その暗闇は後ろ暗いところのある人間には好ましいものだ。盗人、人殺し、背教者、亜人種、この国はそういう人種が排斥を受けながらも身を置くことのできる場所でもある。
教会のテラスで街を眺めていた一つの人影は首都とは思えない殺風景な街並みに嫌気が差したのか半ば雲に隠された月を見上げた。
「また月を見てるんだね」
振り返ると銀製の燭台を掲げた女が退屈そうな顔をしていた。
むせるような血の臭いを漂わせぐっしょりと濡れたローブが凹凸の激しい体に張り付いている。
「今日の月は霞んでます……」
「そんなことは見れば分かる。余の機嫌をこれ以上損ねるな」
一瞬で不機嫌そうになり大股で少女の横に並んだ魔王ミラは街を見て表情を一層険しくした
蝋燭の明かりが月を見ていた人影を照らす。ミラ以上に慎重にローブで姿を隠した少女は銀色の目を少しだけ出して彼女の方をうかがった。
ローブから滴る血でテラスの床を汚していたミラが口を開く。
「枢機卿はいない」
「そうですか……」
「大司教も教会騎士団の管区長も情報を持ってそうなのはまとめて消えた。残っていた司祭も絞ってやったがセルカのセの字も知らないそうだ」
ミラがローブを絞りこぼれた血がびちゃびちゃと音を立てる。強く絞られたローブの布地が千切れる音がした。
「服は大切にしてください」
「どうでもよいわそんなこと」
「どうでもよくありません。キーカさんもコミカさんもいなくなってしまったんです。もう無駄遣いはできません」
「……これを売れ」
ミラが銀の燭台を渡してくる。
「売れません」
「どうして」
「バレます」
ミラはポイッと燭台を床に投げ捨てる。少女はあわてて受け止める。
「ティア、余にこれ以上ボロを纏わせることは許さん。どうにかしろ」
「ミラこそ早く枢機卿を見つけてください」
「……余に意見するか」
ミラにギロリと睨まれた少女、ティアはゴウ=ソロフォ共和国旧公爵家の生まれだ。だが共和国において旧公爵家とは昔貴族だった平民に過ぎず先祖の財産もとっくに食い潰していた。
「ごめんなさい。でも、やっぱり見つけないといけないですよね」
「……竜を失った奴自身は脅威ではない。だがあまりにも知りすぎている。あの人格破綻者が神前に至れば災いが起こる」
「人格破綻者……まあ、そうですね。ミラほどではないですけど」
ティアは指についた血を舐めるミラを半目で見ながらつぶやく。二人の間に白い粒が舞い降りた。
なにげなく手をのばしたティアはその冷たさに目を見開く。彼女が上を見上げると同じものが際限なく落ちてきていた。
「なんですかこれ……」
ミラは彼女の質問には答えず空を睨んだ。
「ミラ教えてください。この白くて冷たいものはなんですか」
「雪だ。教会の連中はこれを世界の終わりの訪れだと信じている」
「それは……まずいのでは」
「北では一年中降っている場所もある。ロウナ帝国は人の領域内では北方に位置する。百十数年に一度は降る」
「そうなんですか、よかった……」
安心して息をはいたティアをミラが叩く。
「ぐえっ! なにするんですか。痛いです」
「百年に一度の凶兆が起こっていると言った。お前がすべきことはなんだ」
「もしかして……始まるんですかミラが経験してきたような酷いことが……」
不安そうにティアが聞くとミラは血がこびりついた口を歪め凄惨な笑みを浮かべた。
「クククッ……余が何度も同じ轍を踏むと……お前はそう思っているのか」
「でも、いくらミラでも……」
「侮るなよ人間。余が、この魔王ミラが貴様らと協力してまで備えてきたのだ。蒙昧なる神がこれ以上我らを玩ぼうというなら相応の報いを受けさせてやる」
ミラの端正な顔は笑っているような、泣いているような醜い表情に覆われ怒りだけが露わになっていた。
相手に届くはずのない怒りは少しずつ内にしまわれティアが口を開く。
「私はどうすればいいんですか……」
「この雪は偶然のものではない。枢機卿を探せ」
「探してますけどロウナにいないんじゃ見つけようがないですよ。ミラの臣下の皆さんは町中では目立ちすぎますし他の協力者の方は顔を知られてますし、私たちしか動けませんよ」
ティアの訴えを吟味したミラが口を開く。
「余が枢機卿の立場であれば人間の街は離れない。二年間幽閉されていたのだ情報を集めることは急務だ」
「そうなると都市部ですね」
「奴は自分が大量虐殺の犯人と扱われていることを知り教会の本部と連絡を取ったはずだ」
「でもその扱いは訂正されてません」
「元より奴の姿を知るのはごく一部、世間の評判などどうでもいいのだろう」
「聖女としても冒険者としても表立って動く気はないということでしょうか」
「そうなると護衛を大勢集めることはできない。少なくとも戦力になるレベルの人間は、当然、慎重な奴はそんな状況を看過できない。なんらかの手段で身の守りを確保するはずだ」
そこまで聞いたティアは首を傾げる。
「やっぱりロウナにいないのはおかしいです。ここから出れば彼女は大きな影響力を持つことができませんし私たち以外の敵もいます。ミラの存在を知っていたとしても探りもいれずに拠点を捨てるでしょうか……」
「逃げたのではなくさらわれたということか。確かに教会以外にも奴の身柄を抑えたいものは多い」
「ロウナの外に拠点を持つ協力者かもしれません」
ミラは腕を組み考え込む。雪が降る空を見上げ、無骨な石の街を見下ろし、ティアの方を向く。
「……もう手段を選んでいられないようだな」
「ミラ……なにをするつもりですか」
「なんでもする。お前も覚悟を決めろ」
ミラに見つめられたティアは少し間をおいてこくりと頷いた。月が陰り王都は冷たい暗闇にその姿を隠した。




