リンの世界
「おやすみ、リン」
寮に帰ってから元気がなかったリンが眠った。
外が暗闇に包まれてから十本目の蝋燭が燃え尽きそうだ。
セルカは疲労感を覚えた。最高位のヒーラーである彼女が肉体的に疲労することはないが心は別。
使い魔の身体、知り合いのいない人間の街、ヒノワは制御できないし、リンは危険な相手を罵倒する。
サマノリオのような無詠唱で魔法がうてる相手を敵に回すと殺す以外に対処しようがないのに。
「…………」
穏やかな寝息を立てるリンを眺めていると火が消え、完全な闇に包まれた。
転移系の魔法特有の浮遊感に襲われ次の瞬間には目の前にはヒノワとツバキがいた。
「何から話す」
「セルカ君が決めておくれ」
「うむ」
一番聞きたいのはリンのことだけど現状の確認の方が優先度が高い。
「ヒノワ、どうして私との会話を切ったの」
「お前が我になにもするなと言うからだ」
「どうしたいの?」
「我はリンとできればお前とツバキも一緒に学院に行きたいと思っておる。そのためにはアルリスという娘を早く見つけたいのだ。人間の寿命は短いのであろう」
ヒノワが蝋燭を眺めながら言う。竜だから気が長いかと思っていたが逆らしい。
暴走しないように常になにかさせておいた方がよさそうだ。
「わかった。これからはヒノワにも色々頼んでもいい?」
「うむ」
「あと、今日の魔法はどういうこと。あれはリンも死んでた」
「すまぬ……我が知るものにあの程度で命を落とすものはおらぬのだ」
「ヒノワがいた『奈落の底』は最高難度のダンジョン。地上の人は弱いから気をつけて」
「あれより弱いのか? どうやって生きておるのだ」
ヒノワが困ったように言う。まだまだ人間になりきれてないみたいだ。
今度はふわふわ浮かぶツバキを見る。
「ツバキはどうして何もしないの」
「えっ、偵察してるよね?」
「リンがいるときは全然話さない。兵器だと言うのに戦わない」
少しきつい言い方になった。ツバキへの不満が溜まっていたのかもしれない。
彼女は真紅の瞳をさまよわせる。
「ええっとね……ぼくたいしたことはできないよ?」
「リンの世界の知識を持ってる」
「ああ……記憶喪失のことかな。あれはウェブアーカイブに書いてあることを言っただけだよ」
ウェブアーカイブ……クモの巣状の文書? 誰かが記した文章を読んだってことか。
「リンの世界のことを聞かせてくれ。今までの話は偽りだったのであろう」
「待って、先に何ができるかを教えて」
「うん……えっとね。まず、ぼくは戦えないんだ」
「ん?」
兵器なのに戦えないってどういう意味だ。
ツバキは落ちつかなそうに部屋の中を流れ始めた。
「ぼく戦ってる時の記憶がないんだ。気づいたら敵が死体になってるんだ。でも、こっちで戦おうと思っても敵が死なないんだよ」
「意味がわからない」
「うん、ぼくもあんまり」
同じ年代の人間と話している気がしない。ツバキは適当なことを言って私たちを煙に巻こうとしてるんじゃないだろうか。
「まじめに話して」
「お、怒らないでよ。ぼくはリンの妹だっていったよね。リンが十三才でぼくが製造されたのは五年前なんだ」
「五才……?」
「そう、だから頭には期待しないでおくれ」
空中を泳ぐツバキを止めようと手をのばしたが触れない。
「リンがいる時あまり話さないのは」
「怖いんだ。リンが思い出してまた自分のことを傷つけないか……」
「ツバキはそれでよいのか」
「いいよ。リンが生きててくれるなら他になにもいらない」
ツバキは漂うのを止めて床すれすれに留まる。
そして前見た鉄板を取り出した。
ツバキが押すとはめ込まれたガラス板が輝く。
ツバキの指が動き、青、白、緑の三色でできた球体が描かれた。
「これがぼくたちの昔の世界、地球」
「丸い。みんなツバキみたいに浮いてたの」
「そこで引っかかるのかい……?」
ツバキが困惑したように私を見る。
飛べないとこんな所に暮らせないと思う。
「セルカ知らぬのか、この世界も丸いぞ」
「えっ……」
「まあ、それは置いとこう。君たちに話した平和な世界はうそじゃない。リンが生まれる少し前までは本当に平和でせいぜい人間同士で戦うくらいだったんだ」
「先に丸い理由を……」
「どうしてそんな気になるかな。それは地球が回っていて……」
「ま、回ってる……?」
「あー……もういいや。先に進むよ」
回ってるってどういうことだ。ヒノワは特に疑問に思わないみたいだし、頭の混乱を必死に抑えてツバキの話に集中する。
「その平和だった地球にはいろんな怪物の伝承が残ってたんだ。首が八本ある大蛇とか山を素手で裂く巨人とか」
「モンスター?」
「分からない。昔の人はただの妄想だと思ってたそうなんだ。宇宙人とかは対策してた国もあったけど」
「は……?」
昔のことでもモンスターの情報があるなら対策するのが当たり前のことだ。
リンたちの世界の教会はどうなってるんだ……
「それでね。本当に現れてパニックになったんだ。昔はインターネットや本で国の中心人物や軍事拠点の位置が世界中どこにいてもだいたいわかるようになってたから知能の高い怪物は調べて重点的に潰したらしい」
「リン以外もみんな自殺願望があったの?」
「昔はそれで問題なかったんだって」
地図を読むモンスターは聞いたことがないが対策した方がよさそうだ。
「戦いに負けた人間たちは見つからないよう地下に逃げて生物の分類に新しい界をつくって幻想界生物と仮に名付けた。その後色々変わったんだけど」
……よくわからないけどモンスターがいない世界にモンスターが現れて負けたってことでいいんだろうか。
「そこで台頭したのがリンの吉宮家の本家に当たる鈴音家なんだ。前も言ったとおり彼らはレベルアップみたいなエネルギーを研究しててその実験の一環でできたのがぼくたち『リヴァイアサン』だってリンが言ってた」
「『リヴァイアサン』ってなに」
「さあ、リンに聞いただけだからね。目の前に実物がいるじゃないか」
ツバキが首をかしげて自分を指さす。
「まあ、ぼくはともかく姉妹たちは強いんだ。『リヴァイアサン』と核兵器どちらが欠けても人類は滅びてたって言われるくらいにはね」
「作り方は知ってる?」
「知らないよ」
残念。どちらか作れれば鉄条網みたいに対モンスターのいい戦力になると思ったのに。
「ぼくたちの世界についてはこれくらいでいいかな」
「うん……ちょっと理解が追いつかない」
「あっ、リンが起きそう。そろそろ戻ろう。起きたとき一人だとさびしいかもしれない」
「なんでわかるの」
「カンだよ」
「うむ……我ももう寝る」
真っ暗な城内をツバキの光る髪を頼りに帰ることになった。
帰ってすぐリンが小さな声を上げて目を覚ました。
眠気の残るうすピンクの瞳が私をとらえてうっすらほほ笑んだ。




