ノブレス・オブリージュ
憔悴した少女に連れられたのは皇女の部屋だった。椅子を勧められ座る。
「プーリン、この人が誰かわかる」
「……ヨシト様」
セルカとヒノワの視線が厳しくなる。
「どうしてこうなったの」
「昨夜、夜這いをかけた」
「なんで……」
思わず声が出た。人質じゃないのか。皇女がいらだたしそうな視線を僕に向ける。
「昨夜もそう言われました。あなたは本当に頭が足りませんね。セルカに見放されたわらわはあなたの情にすがるしかなかった」
「そんな……」
セルカとヒノワは無言で先を促す。
「一度抱けば情がわく、父上すら男女の情に囚われ獣ようなありさまです。だからわらわは無理やりことを成そうとした。だが、あなたはわらわを侮辱し、その身を女に変えた」
憎しみすらこもった瞳が僕に向けられる。相変わらずの沈黙が続く。
「女になったあなたは恐ろしい叫びを上げました。この世の終わりのような、身も凍る声、そして気を失い、わらわは怖くなって逃げ帰りました」
「どうして私たちが気づかなかった……」
セルカが考え込み、ヒノワが神様に視線を向けた。
「気づいていたか」
「ううん、ぼくも気づかなかった。過ぎたことは仕方ないよ」
「本当のこと言ってる?」
セルカの問いに皇女が傷ついた顔をした。
「セルカ、あなたは知ってるでしょ。皇族は嘘をつくくらいなら舌を切り落とせと教育される。嘘は絶対つかない」
「舌くらい切っても生える」
いやセルカ、舌は生えない。皇女は身を震わせ幽鬼のように青白い顔でほほ笑みをつくった。
「信じないなら別にいいわ。セルカ、私を帝国を助けて」
「無理って言ったよね」
「じゃあ、この人は一生スキルが使えない。一生女のまま」
「脅迫?」
「いえ、お願いよ。友達としてのね」
まったく話についていけない。でも、セルカもヒノワも皇女様も怖い顔をしている。
「ええ、僕と皇女様はあの……そういうことするくらい仲が良かったんですか」
「賢そうになったのは見た目だけですか、脳足りん。わらわとあなたが仲いいわけないでしょ」
皇女が軽蔑の目を僕に向ける。
「ヨシトは記憶がない」
「はっ……?」
「プーリンのせい」
今度はセルカが皇女に冷淡な目を向ける。
「……そんなの私に言われたって」
「助けない、スキル解いて」
「絶対嫌っ! ロウナを助けてよ」
「教会に言えばいい」
「そんなことしたら教会に乗っ取られちゃう! あのスキル狂いの効率主義者が国を運営したら民が不幸になるって分かるでしょ!!!」
「国のことなんて分からない」
皇女がほとんど叫ぶように大声を出し、セルカが異様なほど淡々と返答する。
「バカセルカ!!! あなたなんか嫌いよ!!!」
「知ってる」
「いっつも冷静ぶって、そういう所が嫌いなのよ。強いんだから助けてくれたっていいじゃない。私が何したって言うのよ!!!」
「何もしなかった」
「そうよ!!!」
「二年間、私が奴隷として監禁されてる間」
「っ……!」
セルカの目は冷め切っていた。虫でも見るような親しみもない顔で皇女を眺める。皇女は顔を蒼白にし、言いよどんだ。
「ごめん」
「なんのこと」
「助けられなくて」
「じゃあ、スキルを解除して」
「それは……できない」
「わかった」
うなだれる皇女を見放し、セルカがヒノワを見る。
「良いのか」
「仕方ない」
ヒノワが気が重そうに口を開いた。
「ヨシト、記憶喪失のこと、許してやれるか」
「うん、僕はいいよ」
「……哀れなる姫。荒事にしたくはなかろう。スキルさえ外せば許そう」
不愉快そうにヒノワをにらんだ皇女がゆらりと立ち上がった。
「ものを考えて言え、歩けもしない半病人。お前達を人質に取らないのは私の誇りに傷がつくからだ。セルカの連れでも皇族への敬意を忘れていいわけではない」
「そうか……皇女様、お願いします」
「お願いします」
ヒノワは頭を下げた。僕も頭を下げる。
皇女は追いつめられたように荒い息を吐く。
「……この後に及んで誇りなんてバカみたい」
皇女はつぶやくと床を蹴った。
不意を突かれた僕はまったく反応できない、皇女の手が伸びる。
横から噴き上がった青色の炎が目の前を包む。
強烈な熱気、遅れて人の肉の焼ける嫌な臭い。
「あっ、熱……なによこれ!!!」
苦痛に顔を歪めた皇女の手は焼き溶け、残った手首が炭化していた。
嫌だ。めまいがして真っ直ぐ立ってられない。
「今なら、ポーション一つ。無為に命を散らす必要はない」
「……不意をついたくらいで調子に乗るな!!!」
ヒノワの頭を狙った神速の回し蹴りが放たれ、もろに直撃する。
赤髪の少女はかすかにも動かず、また皇女が苦痛に顔をゆがめ後ろに跳んだ。
ヒノワに当たった右足のドレスが焼け落ち、むき出された足が焼き爛れている。
「もうよい。不快だ」
「なんでよ!」
「……」
「助けてくれてもいいでしょ!!!」
「言ったであろう。世を見て回り善悪を確かめた後に判断する」
「それじゃあ……間に合わない」
皇女がヒノワを睨めつけ、拳を握る。
青ざめた顔に現れた恐怖をかみ殺し、震える足を引きずりながら前に出る。
「殺しはせぬ。心に傷をつくることを詫びよう」
「……どこまで見下せば気が済む」
なんでこんなことに……僕のせいだ……こんなの嫌だ。
「ヒノワ、待って! 僕のスキルはいい。一生女でも構わない。だからやめて」
上ずった声で言う僕を皇女が見た。追いつめられた人の目で。
そして、ドレスから短剣を取り出すと自分の喉元に当てた。
「ヨシト様、この国を救ってください」
「危ないよ、何してるの!!!」
「わらわは皇女、国のため生き、国のため死ぬ定め。この国が助かる見込みがないならここで命を絶ちましょう」
首元から血が一筋流れる。
「僕は協力するだからやめて」
「いえ、彼女たちにも約束させてください」
「そんな……」
小ぶりな刃が柔らかい肉を突き破り、皇女の口の端から鮮やかな血がたれた。
嫌だ……でも迷惑はかけたくない。
「仕方あるまい」
ヒノワが目をつぶって言った。
「ヨシトがするなら私も手伝う」
セルカは無表情に皇女を眺めながら言う。
「そうだね、ぼくも」
神様はいつもの優しい笑みだ。
「プーリン、早く治して」
蒼白を通りこして死人染みた顔の皇女は信じられないといった顔で短剣を取りこぼす。震える手でうす青い液体の入った試験管のような容器を取り出す。
彼女の手は震えてふたが開けられない、セルカが奪い取ってふたを開けると皇女の口に流し込んだ。
腕の炭化が治り、手が復元される。脚の爛れた皮膚が落ち、きれいな肌が現れた。心なしか疲れも和らいだように見える。
「セルカ……ありがとう」
「……」
よかった……とは思えない。皇女の頼みで苦労するのはセルカたちだ。
「……ヨシト様ありがとうございました」
頭を下げる皇女の目に浮かぶのは感謝ではない。
理解できない……呆然とした顔にはただそう書かれていた。
「なにをすればいい」
「アルリスの情報を集めて」
「曖昧すぎる」
セルカたちと皇女が話している内容が頭から抜けていく。
僕は仲間の足を引っ張って、醜態をさらした。
でも一つだけ記憶を取り戻した。
話し込んでいるみんなに気づかれないよう短刀を取り出す。
引き抜くと磨かれた刃に穏やかに微笑した少女が映った。
水面のような刀身に心を寄りそわせる。落ち着く、よくこうしていたのかもしれない。
静かに寝かせた刃を振り上げ、絶つべき悪を把握する。
僕のたった一つの記憶。不名誉より死を。
刃を振り下ろした。




