魔都ワドニカ
目が覚めると頭の片隅が痛むようなイヤな痛みが走った。寝過ぎかも。
二段ベッドから下りると部屋には誰もいない。
テーブルの上の連絡用タブレットの電源をつける。
“しごとでトラブルがあったからおそくなるかもしれない
8じをすぎてもどらないようなら先に食べておいて
きょうはシチューだよ”
これだけ……?
タブレットの時間表示はもう九時を過ぎていた。
テーブルの上に出してあるシチューの缶を缶切りで開けてなべにうつす。
水を加えて温めたものを食べる分だけ缶の中に戻して、もう一つの缶を開けるとクラッカーが入っていた。
「いただきます」
食べないと治らないとお医者さんが言ってたからがんばってクラッカーを一枚まるごととシチューを残さず食べた。
「ごちそうさまでした」
お日様の代わりらしいお薬を飲んで歯をみがく。
タブレットできのう半分見た映画を再生する。
ちょうど終わったところで一時間がすぎて一部のアプリがロックされた。
地下シェルターの入り口が見えるモニターを見たけど誰も映ってない。
最近は体の調子がいいけど、そのせいでヒマだ。
「勉強しよ」
ひとりごとを言ってから勉強用の動画ファイルを開く。
動画の先生の授業はよく分かるけど、話しかけても答えてはくれない。
体が強くなって早く小学校に行けるようランニングマシンで五分走る。
いつもみたいに苦しくなって息をするたびにヒューヒューと音がする。
しばらく床でぐったりしてからシャワーをあびて着替えた。
モニターの映像は変わってなかった。
「リン皇女、起きてください」
「えっ……うん」
ミーテさんに起こされた。寒い。
ぼんやりした意識で周囲を見ると朝の薄明かりが差し始める中、たき火の横にセルカが座り込んでいた。
そうか十時間以上ダンジョンを登った後にワドニカに直行して、僕が気絶しそうになって休憩になったんだ。
「セルカ一晩中たき火を見てくれたの?」
「うん、今日が試験の当日。神様は受験者にアルリスがいないか調べるために先に行った」
「大丈夫です。あと二時間も走ればつきます」
まだ眠ってるヒノワを抱きかかえて馬にのった。さすがに落ちはしないけどけっこうゆれる。
それでもワドニカへの街道は石畳が整備されていて土煙が飛ばないぶん楽だ。
「もうすぐです」
「おーい、ヒノワつくよ」
「むっ……おお!」
僕と違って目覚めのいいヒノワが目を輝かせた。
その先にあるのは青みをおびた透明感のある金属でできた巨大な直方体。
「あれが四天魔星キーカ・オプシオンの住処、オリハルコンの塔です」
「魔都ワドニカのシンボル」
キーカさん、僕たちが受験する魔法学院の学長だ。
確か僕がセルカのもらった刀もオリハルコン製だけど、聞いたことない金属だな……ちょっといい鉄みたいなものなんだろうか。
次第にワドニカの街並みが見えてきた。
白亜の石でつくられた優美な建物が並び、手前の深い青の湖からひかれた水路が街の印象にもうるおいを与えている。
街を囲むように色鮮やかな花を咲かせた木々が並び、ときおりすんだ鳥の歌声が聞こえる。
「すごい……! こんなきれいな街があるんだ!」
「リン、私の姿を変えて」
セルカが後ろから話しかけてきた。ミーテさんはうなずいて馬を止めた。
「ミーテさんにも言ったの?」
「はい、私がリン皇女殿下のスキルについて話そうとした場合、命を失うよう魔法契約を結びました」
「そこまでしなくても……」
「アルリス姫のスキルを考えれば必要なことです。どんな騎士であれ主の足枷になるくらいなら死を選ぶはずです」
ミーテさんが少しだけ誇らしそうに言った。
僕が寝てる間にそんなことになってたのか。
「ミーテさん、ありがとう」
「当然のことです」
「リン、どのモンスターにする?」
結局、どんなにレベルがあがっても僕のMPはなしのままだった。
馬に横向きに腰かけてセルカの方を見る。
「元ギルド長が連れてた使い魔はどうかな」
「身体が小さくなるから身体能力が下がっちゃうけど」
「セルカ? ワドニカにモンスターは入れませんよ」
「えっ、そうなの」
ミーテさんに言われてセルカが目を丸くする。
「入ったことないから知らなかった……」
「じゃあ、使い魔でいい?」
「うん、他に思いつかない」
セルカが純白のステータス画面を開いた。
【セルカ・ミストマフィン(猫獣人)】 レベル8960
【職業】高位聖職者/竜使い
【HP】48082000
【MP】90200000
【筋力】1
【攻撃力】1
【防御力】7100000
【器用さ】600100
【すばやさ】994200000
【職業スキル】『高位回復魔法』、『竜使い』
【ユニークスキル】『骨抜き』
【従竜】ヒノワ
……ステータス壊れてない?
何度もケタを数えたが最初に思った通りだった。
僕は修行して強くなったと思い込んでいたけど、しょせんレベル1の人間の付け焼き刃だったようだ。
この世界の人たちはずっとモンスターと戦ってきたんだもんな……まあそうだよね……
「リン? どうしたの」
「ううん、なんでもない」
「使い魔になった後、リンの職業を竜使いにすればヒノワを通じて話せると思う」
「うん、じゃあ失礼するね」
【セルカ・ミストマフィン(使い魔)】
ステータスを書き換えるとセルカがいた場所に小さな猫がいた。
金と銀灰の瞳、しなやかな身体に純白の毛並み。
セルカそっくりのきれいな猫だ。
「セルカ?」
「みゃあ……」
かわいい。頭をなでようとしたら猫パンチではじかれた。
抗議するようにみゃあみゃあ鳴いている。
仕方なく職業のウェポンマスターを竜使いに書き換えた。
『リン、聞こえてる? リン?』
「うん、聞こえたよ」
『今どうなってるの、翼がない』
「ねこになった」
『ねこって何? 私は元々猫獣人』
「ごめん今、鏡ないんだ」
ヒノワも興味津々(きょうみしんしん)といった目でセルカを見ている。
「少し触っていいか」
『いや』
「そう言うな」
『両手の骨全部抜く』
「む……」
ヒノワがじっとセルカを見るとフンと顔を背けた。
自分の姿がわからないせいか機嫌がよくないみたいだ。
「この姿なら大丈夫だと思います」
「そうですか、じゃあワドニカに入りましょう」
ワドニカに入る唯一の門は湖の上にある。
ロウナ帝国の門番にあたるだろう女性が湖の前に立っていた。
とんがり帽子に長いローブ、まさに魔女という格好だが真っ白で裏地が青になっている。それにローブの下はラフな格好だ。
「ワドニカへの入国ですかー」
「はい、私はもう持っているので二人です」
「そういえばー、会ったことありますねー」
そういうと女性はローブの中から二つの宝石を取り出した。
オーロラを閉じ込めたように七色の光が波打っている。
「どこから来ましたかー」
「ロウナ帝国から」
「ではー、帝国金貨二千枚ですー」
ええ……ちょっと高くない? ヒノワの部屋にあった大量の金貨は三万枚しかなかったはずだ。
入国代だけで二千枚も払ってたらすぐなくなってしまう。
「大丈夫ですよー、これはー、マジカルストーンと言ってー、ワドニカの中で使える通貨ですー。出国するときにー、返却していただければー、残りの金額分お返ししますー。ワドニカでー、問題をおこすとー、解決するまで返却できないのでお気を付けてくださいー」
僕の心配に気づいたのか門番さんがつけ加える。
払おうとした時に気づいた。金貨、持ってきてない。
『かばんの中』
セルカに言われてかばんの中を探すと青いヒナ鳥の紋章がついたペンダントがあった。
「それ」
「えっと、これでお願いします」
門番さんの眠そうな目がパッと開いて姿勢を正した。
「ロウナの皇族の方でしたか、大変失礼いたしました」
「いえ、こんな格好ですから」
「申し訳ありません。ただちに準備いたします」
僕の方まで申し訳ない気分になる。
元々動きやすいだけで地味な服、ボロボロで血が染みついたそれの上にフードのついたローブを着てごまかしてる。
自分ではあまり感じないけど、臭いもひどいだろうし、元の世界なら職務質問待ったなしだ。
これで皇族というのはムリがある。
「皇族扱いされたかったらきれいなドレスでも着てます。普段通りでかまいません」
「そうですか……わかりましたー、代金はー、教会経由で受け取っておきますー、こちらをどうぞー」
門番さんがマジカルストーンを僕とヒノワにわたす。
ミーテさんのマジカルストーンも確認した門番さんがバッと左手を横に広げるとその手に青い宝石のついた短杖がつままれている。
「〈開門〉」
門番さんが高らかに宣言すると湖が二つに割れて階段が現れた。
階段を下りると門の下に頑丈そうな大扉が見えた。
門番さんが先に行って鍵を使って開けてくれた。
「門は開かぬのか」
ヒノワが上空の門を指さす。
「あれはー、すごく大きなものを通すときしかー、あけませんー」
「そうか」
「その時はー、湖を凍らすんですよー」
扉の前で門番さんがほほ笑んだ。
「みなさまー、ワドニカにようこそー」
スキルによる翻訳後のセリフの「」を『』に変更しました。




