雪が積もる前に
畑の周囲に張り巡らされた鉄条網の周囲で数匹のゴブリンが転がっている。
「グギゥゥゥ……」
マーミガン領のゴブリン駆除は鉄条網が導入されてからみるみる進んだ。
頭の悪いゴブリンにはすき間だらけの鉄条網がのぼれるように見えるのだろう。
ほとんどは諦めて逃げるがその血の跡をたどって兵たちが小さな巣を次々潰していた。
こうやって動けなくなったまぬけな個体は村民たちのレベル上げに利用できる。
村の被害を記録する老司祭が近くにやってきた。
いつも険しく細められた目も心なしか和らいでいる。
「ミーテ様、うちはもう大丈夫です」
「そうか、この村で最後だ」
「本当にありがとうございます。ミーテ様のおかげで今年も乗り切れそうです」
「なに、リン皇女殿下の叡智があってこそだ」
「ははは『聖荊』には助けられました。きっと主がリン皇女殿下を遣わしたのでしょう」
「ふふっ、そうだな。私はもう行くよ」
「はい、お気をつけて」
伯爵への報告は部下に任せて『魔都ワドニカ』に馬を走らせた。
本来、騎士の筆頭である私が簡単に領を離れてはいけないのだが、ロウナ帝国の現状を伝えた時、伯爵にエスティの警護を命じられた。
普段は厳しく当たっていてもやはり一人娘は可愛いのだろう。
エスティの宿は聖女セルカに伝えてあるからリン皇女にお礼を言う機会があるかもしれない。
あの気高く聡明なロサ・グラウカの瞳の姫君。
その剣も並のものではなかった。
怖い。生まれてすぐ、母の乳房より先に剣を与えられたミーテをしてそう思わずにはいられなかった。
あの方の剣は私たちのものとは違う。
まるで斬るべきものが人しかない世界で千の時を経たかのような異質な剣技。
『いいたくありません』、戦地を聞くと彼女はそう答えた。
普通、貴族は自分が参加した戦いについて喜んで語るものだ。
一言であの方がどれだけ過酷な戦いを経たか分かってしまった。
「ついたか」
気づくとエスティの泊まる宿の前にいた。
期待だろうか、怖いのだろうか。
もう一度あの方にお会いできるかもしれない。とにかくお礼だけはちゃんと言おう。
エスティが泊まっている部屋の扉を開けた。
「ちょっとあんたノックくらいしな……ミーテ? なんで」
見慣れた赤毛の伯爵令嬢がベッドに寝転がっていた。
さっと隠した本のタイトルは『リンスロまたは凍る薔薇の騎士』、氷魔法の使い手の騎士がさらわれた王妃を助け、ひそかな愛を育む恋愛小説だ。
「エスティ! あなたは魔法学院の受験にきたのでしょう」
「はっ、なんのこと?」
「とぼけてもムダです」
「あっ! なにすんのよ」
後ろに隠した本を取り上げるとキッとにらみつけてきた。
にらみかえすと目をそらしてふてくされたように座りこんだ。
「娯楽小説なんか読んでると頭が悪くなるっていつも伯爵に言われているでしょう」
「お、お父様は関係ないでしょ!」
「関係あります。私は伯爵に言われてきました。あなたが昼間から恋愛小説を読みふけってバカになるのを放っておけません」
「なんで恋愛小説って分かるのよ! ……あんたまさか」
エスティの青い瞳がキラッと輝いた。あっ、嫌な予感がする。
「読んでるんでしょ! へへっ、私のこと言えないじゃん」
「違う! 騎士と書いていたから参考になるかと思っただけだ」
「うそつけ、へぇー、へぇーお堅い騎士様もこういうの読むんだ」
「斬りますよ」
「ひっ……ごめんなさい」
素直なのはエスティの数少ない良いところだ。こほんとせき払いした。
「私は騎士だからバカでもいいんです」
「あっ、認めた」
「あなたは伯爵家を継がなければならないのですから自覚を持ってください」
「だって……魔法全然上手くならないし……」
「あなたの努力が足りないからです」
「いや、それは分かってるけどさぁ……努力するのも才能みたいなとこあるじゃん」
「そんな情けない言い訳、伯爵が聞いたら泣きますよ」
エスティは私から顔をそらして髪の毛をいじる。
リン皇女たちと会えばいい刺激になるかと思ったが、ダメだったようだ。
「そんなの……ミーテが天才だから言えるんだよ……私はまだ子どもだし……」
「リン皇女はあなたと同い年ですよ」
「はあ……誰?」
一瞬、固まってしまった。
あの方を一度見て忘れられるはずがない。
「ミーテ?」
「本当に知らないんですか」
「都会の人? 知り合いなんか一人もできてないわ」
「訪ねてきた人は?」
「いないわよ」
私は宿を飛び出した。
エスティが驚いたように私を呼んでいる。
一日中、ワドニカで聞き込みをしたがロサ・グラウカの瞳の少女を知る人はいなかった。
「――そのリン皇女殿下がいなくなったわけ」
「そんなはずはないのですが」
「めんどくさくなったんじゃないの」
「あなたじゃないんですから」
エスティは不機嫌そうに髪をいじる。
「私はその人と違ってちゃんと受験するし」
「リン皇女殿下を侮辱しないでください」
「いや、別に侮辱はしてないけど……」
「明日、ロウナに戻って探してみます」
「はあっ……! そこまでしなくていいじゃん。ミーテは私の護衛でしょ」
「その前にロウナの騎士です」
本当は宿を取りたかったが、朝一番に出るためエスティの部屋の床で寝ることにした。
「ちょっとなんでここで寝るのよ!」
「もう寝るので静かにしてください」
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――――――
――……
雷鳴降り注ぐ夜の城、吹き荒れる嵐の中で私とその竜は向き合っていた。
真っ赤な鱗にギラつく瞳、長い身体を城に巻きつけ私を見下ろす邪竜ギメル。
正式な騎士になってから見なくなった夢だ。
いつものようにギメルは炎を吐く、騎士として修行を積んだ私にとっては恐るにたりない。
物語の騎士のように大剣の一振りで炎を払う。
口から煙を吐き、翼を広げたギメルが城の尖塔をつかんで咆吼する。
「ミーテ! 助けに来てくれたのですね」
「えっ……」
塔から響く澄んだ声、嵐に長いプラチナブロンドをたなびかせロサ・グラウカの瞳をうるませた少女が私を呼んでいる。
リン皇女……!?
固まる私の肩に硬い手が置かれた。
振り返ると旧式の全身鎧を着込み、片手にランスを携えた白い髭の老人が真剣な顔で私を見ている。
「おじいちゃん!?」
「ゆけミーテ! 真の騎士になるのだ!」
真剣を装っているが口の端がうれしそうに笑っている。
大好きだったおじいちゃん……都会の話し方をまねしてちょっと浮いてたおじいちゃん、ゴブリンの駆除のたび騎士の誓いをたてて伯爵を苦笑させてたおじいちゃん、あんまり強くないのにドラゴン退治に行くといってお父さんに説教されてたおじいちゃん。
私は剣を握りしめた。
「リン様!!! 今助けます!!!」
ギメルが翼を広げこちらに向かって飛び立った。
私も大剣を振り上げ、迎え撃つため走り出した。
――……
――――――
――――――――
目が覚めるとまだ真っ暗だった。
となりから小さな寝息が聞こえる。エスティが床で眠ってしまったらしい。
伯爵家の一人娘なのだからもっとしっかりして欲しいものだ。
マントと大剣を身に着け、彼女を起こさないように宿を出た。
雪が降る中、銀色の月が辺りを照らしている。
愛馬にまたがりロウナに向けて走った。
‐で囲んでいるサブタイトルを内容が分かるよう変える予定です。




