鬼と竜と獣たち
朝起きて食堂に行くと珍しくヒノワもいた。
「あれヒノワ、今日はいいの」
「うむ、おおよそすんだ」
もう人間の常識をだいたい覚えたらしい。セルカがテーブルの上にマップを広げた。
「今日はダンジョンにいく」
モンスターがたくさん住み着いた閉鎖空間をまとめてダンジョンと言う。
今回は『神獣の峡谷』という近場のダンジョンにいくらしい。
「ここは強力な獣系モンスターが多い、レベルアップについてはわかってないことも多いけど戦闘が続けられなくなるダメージを与えた人があがることが多い」
「セルカが弱らせて僕が倒してもダメってこと?」
「うん、だから今日はヒノワを連れていく」
ヒノワがうなずいた。もう話が通ってるみたいだ。
「ヒノワに傷つけないように足止めしてもらって弓で倒す。攻撃が飛んできたら私が防ぐ」
「僕は弓で撃つだけ?」
「うん、リンは攻撃がかすったら死ぬ。攻撃力は高いからこれが一番効率がいいと思う」
「これはどうするつもりですか」
ルーフィアさんが険しい顔で昨日とは比べものにならない異臭を放つ肉片がつまった袋を指さす。
「人間の肉はモンスターの一番の好物。臭いが強くなるように熟成させたからたくさんよってくる」
袋を開ける前から熟成というより腐ったひどい臭いがする。
できるだけ息をしないように食事を押し込んでダンジョンに向かった。
『神獣の渓谷』は緑の草木に覆われたなだらかな谷だった。
ふわふわ浮かぶ神様を先頭に下に降りていく。
「そういえば神様、アルリス姫の調査はどうだったんですか」
「ああ、それはね……」
「空き時間はあるから早く目的地に行こう」
セルカに急かされて下に降りていく、だんだん傾斜が激しくなって日の光が途絶える。
代わりにうす緑に光る苔が壁のほとんどを埋め尽くしている。
「これ、便利なこけだね」
「ダンジョンは古き人の住処だからな」
「えっ、そうなの」
本にはダンジョンが存在する理由はわからないと書いてあった。
「やつらが壁に植えるのを見たことがある」
「ヒノワは本当に長生きなんだね」
「信じてなかったのか!」
さすがにただの子どもだとは思ってないが、竜というのは想像しずらい。
ダンジョンに入ってたぶん十時間くらい、谷の傾斜はさらにきつくなって壁の凹凸に手をかけて降りるようになってきた。
レベルのおかげでヒノワを片手に抱きかかえてもするする降りていける。
「着いた。この辺りがモンスターが多い」
「モンスター一回も見なかったね」
「魔力を飛ばして威嚇してた」
広い平地が広がる場所まで来た。バカになった鼻でも分かるくらいには獣の臭いがただよっている。
修道服を着た女性が棘まみれの金棒を引きずりながら歩いてきた。
セルカが着てるのとは違い、ベールのついた頭巾で髪を覆い隠し、たっぷりした布で顔と手以外を隠した黒い服。
「セルカ、お前ついに一般人殺ったんか」
女性が口を開いた。
近くで見ると刺々(とげとげ)しい感じの整った顔。
赤黒い血化粧が施された唇に触れるほど長い牙、ギラギラとした黒い瞳は額のものを合わせて三つ。尖った爪の生えた太い指も同じく三本だ。
「ラン村のことならぬれ衣」
「隠さんでええ。あんたはいつかやる思っとった。カカカッ、人のルールなんか知らんがなぁ」
「こやつはなんだ」
ヒノワが口を開くと女がギョロリとにらんだ。
「可愛らしい餓鬼じゃ、あてへの手土産か」
「この人はパギナ、見ての通り鬼、このダンジョンの監視者で聖マティアラ修道院の院長」
監視者、ダンジョンのモンスターが増えて外にあふれるのを防ぐためにモンスターの数を把握し、数を減らしたり冒険者に依頼を出す人だ。
パギナさんは眼光を強くし、開こうとした口を一度閉じて考え込んだ。
「あてより格上か。なんのようなん」
「まずは二人の身分証明をしてほしい」
セルカは僕たちのことやロウナ帝国について手短に説明した。
パギナさんはおおざっぱな印象に反してうなずきながらまじめに聞いている。
「そっか……セルカほんまにやってないんか。で、この美人さんがニセ皇女」
「リンです。パギナさんよろしくお願いします」
「パギナでええよ。道理で依頼しても冒険者がこんわけじゃ。うん、あての修道院ででっち上げとくわ。マティアラ様には申し訳ないけど」
「マティアラとは誰だ」
ヒノワは聞くとパギナさんは驚いたように目を見開いた。
「あんた、マティアラ様を知らんのか。神様のお母上よ。学院で恥かくから覚えとき」
そういえば教会のこと全然知らないな。やっぱり国が教会の承認を受けるような世界だから大事なんだろうか。
「あと、時間があるならリンのレベル上げを手伝ってほしい」
「モンスター倒してくれるなら助かるわ。セルカおらんし、冒険者もこんからちょっと外に出とるんよ。おかげであてはずっとこの中やわ」
「えっ、出てるの。それって大丈夫なんですか」
「あかんね」
急いで準備をすることになった。
モンスターの生息場所を把握しているパギナさんが追い立てて僕たちが倒す。
セルカが放っていた魔力を抑え、人肉の袋も開けてその側にヒノワが座る。
その後ろで待っているとさっそく一匹目のモンスターがやってきた。
大型トラックほどの筋肉質な巨体は緑に光る苔まみれの毛におおわれている。黒ずんだ紫の舌がだらりとたれた長細い口のはしからよだれを流し、鼻より上まで突き出た二本の牙には細かい逆棘が生えている。
『暴君猪』、村喰いと呼ばれるほどの異常な食欲を持つ危険度Aのモンスターだ。
狼と猪の中間のような顔、食欲に支配された黄色の瞳が僕をとらえた。
タイラントボアが重く濁った咆吼をあげ、大地を蹴った。
飛ぶような加速、地面が揺れるたび巨体が迫る。
一瞬で脂ぎった針金のような毛の一本一本が分かる距離まで来た。砕けた骨や固まった血がこびりついている。
えっ……これ死ぬ……
轟音、千の雷を耳の中に叩きつけられたような衝撃。
バランス感覚を失って倒れ込む。
身体がどこにあるかわからない。
横になった視界の中で勢いに逆らって逃げようとしようとしたタイラントボアが体勢を崩して地面にぶつかり、軽くはねた後小さく鳴いて動かなくなった。
「リン、起きて」
セルカに肩を借りて立ち上がる。まだ頭の中で雷鳴が轟いている。
「なにがあったの……」
「ヒノワが大声でおどかした」
本気で言ってるのか……!?
ヒノワは心配そうにこっちを見てる。
「ケガはないか」
「うん、大丈夫。タイラントボアは死んだの」
「ううん、気絶してる」
セルカが頭に登って確認した。
「転んだタイラントボアはまともに動けないから直接攻撃した方が早い」
「わかった」
これを一撃でしとめるのはムリだ。
まずは脚の関節を四つ探して血でしるしをつける。
パギナさんから借りた予備の金棒を肩に担ぐ。
後ろの右脚に叩きつけると鈍い音をたてて毛皮にめり込んだ。
目覚めたタイラントボアが吠える。
ヒノワが前脚二本を抑えている。
ばたつく後ろ左脚を金棒で叩き潰す。
あせって僕の手まで折れてしまった。
「〈治癒〉」
セルカの回復魔法が飛び、再び金棒を振り上げた。
何度も何度も、何十回も弱いところを攻撃し続け、二十回近い腹部への打撃の後、タイラントボアは動きを止めた。
「はぁ……はぁ……死んだよね」
「まだ致命傷じゃない。このくらいなら一日で治る」
どれだけタフなんだ……僕の服はすでに血でずっしり重い。
目も赤の見過ぎでチカチカするし濃厚な血の臭いで胃がむかつく。
「血になれないなら獣人になったら」
「わかった。そうしてみる」
【リン(猫獣人)】
気分が悪いからセルカのアドバイスに従って種族を変えた。
すごくおいしそうな匂いがする。
人間とは感覚が違う。モンスターと戦うならこっちの方が都合がいい。
タイラントボアの傷口が流れる血で尖った爪の生えた手をぬらす。
そういえば朝からずっとなにも食べてない。
傷口に牙を立て身をよじるモンスターの肉を噛み切った。
おいしい。
血を啜り肉を喰らう僕をセルカがうらやましそうに見ている。
攻撃できないセルカのために新しく噛み切った肉塊を渡すとうれしそうに尻尾を振った。
「リン、大丈夫かい? 戻れなくなったりしないよね」
神様が心配そうに僕を見る。
見た目はやばいだろうな別に大丈夫なんだけど。
「大丈夫だよ」
笑おうとしたら顔が動かなかった。
セルカが無表情なわけがわかった。
その後はひたすらタイラントボアの傷口に金棒を叩きつけ、二十回目の回復魔法が唱えられたころに完全に動かなくなった。




