心なき枢機卿
教会の本部は最高難度ダンジョンの一つ。『神代の霊海』の隠し通路の奥にある。
最高難度と言ってもそのほとんどは深い海の底という立地の悪さと異常な広さによるものだ。
暗く、呼吸も動きも制限され、聖職者以外は攻略困難な亡霊系モンスターと地の利を生かすうえ戦いなれない水棲系モンスターが多く、宝と呼べるようなものもない探索する価値がないダンジョンだ。
当然、参拝者など想定しておらず、地上にある大聖堂などと比べるとみすぼらしい。
到着してすぐ鉄条網の配備を決めたセルカは覚悟はしていた呼び出しをくらっていた。
今のセルカは本来の地位を示す緋色の聖職者服をまとっている。
普段は自分の評判の悪さから隠しているが、本来は教皇の最高顧問である枢機卿の一人だ。
教会騎士団を始めとした教会の軍事面に関して少なくても二年前までは一番影響力が強かった。
一部だけ天井がくりぬかれ、魔法でせき止められた黒い海がのぞいている。
「なんの用」
話しかけると水が流れ込み、凍り付いた。
猫獣人の形に固まった氷がイスに座った。
教会のトップである教皇、水精霊のノウマだ。
「セルカ枢機卿、私の情報が正しければ一週間前にはこれたはずだが」
「私を助けてくれた人が困ってた」
「二年間、行方不明になっていた時のことを報告しなさい」
教皇のことは好きだ。面倒なことを言ってこない。
事実だけを言うし、事実だけを聞く。
私にとって理想的な仕事相手だ。
「ダンジョン探索中に冒険者五十人に襲われた」
「この中にいるか」
差し出された死亡、行方不明者の名簿の中から九人のSランク冒険者と四十人のAランク冒険者を丸で囲んだ。
「残りはワイズ、全員死亡、私の従竜たちも死んだ」
「それは災難だったな」
「様子がおかしかった。すごく戦いたがったり、怒ったりしてた」
あの時のことはよく覚えてる。本当に死ぬと思うような戦いは久しぶりだった。
そして、強くなっても戦う相手がいない退屈さを埋めてくれた。
Sランクの冒険者はほとんど驚いていた自分はこんなに強いのかと、レベルが上がって強さを試す、そしてまた敵を倒す。
長らく忘れていた戦いの喜びを思い出せた。教皇に言っても分からないだろうがつらいより楽しいの方が大きかった。
「精神操作のスキルは記録にない。心当たりはあるか」
「ゴウ=ソロフォ共和国のアルリス」
「共和国か……」
教皇が言葉を濁した。
教会はモンスターから人々を守るためにある。人同士の戦いはしたくないのだろう。
「冒険者たちと戦った後は」
「動けないくらい弱った所をつかまった。土人形だったから偶然じゃないと思う」
ゴーレムは抜く骨がないし、護身程度の魔法や聖術は弾く。
「その後、民間の奴隷商の懲罰用の地下牢に二年間」
「よく正気で戻ってこれたな」
「今でもちょっとおかしいよ」
あれは十年にも二十年にも感じた。
拘束具をつけられて脚も伸ばせない暗黒の中、毎日少しずつ金具を胃酸で溶かした。
脱出できるころには死にかけで、ヨシトに会えたのは奇跡だった。
脱出する直前に奴隷商を訪れて、私のひどい様子を見て奴隷商に怒った。
こいつは殺されて当然のやつだという説明も、私を連れ出せば死刑になるという警告も構わず無理やり私を奪ってくれた。
拘束具を外してもらって、あの人を見たときに感じたことのない感情が溢れた。
あの人を見るたび、リンに変わってからも感じるこの胸の高まり、これが信仰なのだろう。
「その時、助けてくれた人に肩入れしてる」
「君が!」
教皇が驚いたように氷のまぶたを開いた。こんな反応は初めてだ。
「君は嫌がるかもしれないが私の意見を言っていいか」
「……うん」
正常な判断が下せないとして枢機卿を辞めさせられるのかもしれない。
確かに今の私にその資格があるとは思えない。
「君の功績は大きい。教会の効率化が進んだのは君のおかげだ。今までより多くの人々をモンスターから守れるようになった」
「仕事だから」
「だが、温かみにかけると言う意見があったのも確かだ。徹底した効率主義は無機質さを感じさせる。君が人らしい心を手に入れることは良いことだと思ってるんだ」
教皇が心なんて言うとは思わなかった。事実を示さずに人に意見するための言葉だと思っていたけど、少し考えた方がいいかもしれない。
プーリンも教会のことをスキル狂いの効率主義者と呼んでいた。
「人の心ってなに」
「精霊の私には記録できないものだ。それを補うのも枢機卿の仕事だ。引き続き頼むよ」
「うん、気をつけてみる」
教皇と別れて深海に出た。早くリンに会いたいと思う気持ちも心なんだろうか。
地上で打ってもらってるカタナもそろそろできた頃だ。
帰ろう。




