理想の姫君
ミーテは事前に調べておいたSランク冒険者用の宿泊施設に到着した。
冒険者用の施設なのに主であるマーミガン伯爵の城より立派だ。
門の前で待っていると緑の髪のエルフが走ってきた。
「お待たせしました」
「いえ、ルーフィアさん今着いたばかりです」
彼女のことは知っている。ワイズ様とジーグナイト殿と同じ『不屈の騎士団』というパーティの冒険者だったエルフだ。
エルフは森を愛するが人にとってはモンスターの大量発生を隠す危険地帯だ。衝突も多い。
城の元重要人物である二人とエルフのパーティは人々の耳目を集めたが通常の冒険者活動の枠を越えることはなく彼女の引退をきっかけに解散したと聞いた。
「セルカと皇女殿下は少し遅れるので中で待っていてください。すぐにお茶を入れます」
「お構いなく練習用の剣はありますか」
「はい、ご案内します」
施設の中も豪華だった。大理石のアーチに窓に水晶をはめて光を取り入れた廊下、やっぱり都会はすごい。
ルーフィアさんの案内で殺傷力低下と強度上昇の付与魔法のかかった高価な木剣を用意し、中庭の壁で囲まれた場所、訓練場で身体を温めておく。
マーミガン伯爵領の騎士として失望されるわけにはいかない。
太陽が赤みを帯びるころ、その一輪の白百合が現れた。
神に愛された繊細な造形の少女。
甘やかな色のプラチナブロンドは腰に届きそうなほどで、長いまつげが薄桃色のバラの瞳を縁取っている。病的なまでに白い顔は風があたることすら心配になるほどに儚い美しさだ。
ミーテは数秒たってから自分が息をしていないことに気づいた。
あわてて空気を吸った。ウォームアップを終えたはずの心臓が早鐘を打つ。
理想だ。全ての騎士が夢にまでみるだろう真実の姫君。
緊張と興奮のあまり目の前がチカチカする。ほとんどなにもわからないままひざまずき神に愛された乙女にごあいさつをする。
「騎士ミーテよ貴女の忠誠を嬉しく思います。僕の名はリン。今日からよろしく」
あまりに澄んだ音だから月の光が震えたかと思った。
驚くべきことにまだ夕刻だ。人の、血と肉の塊からこんな神秘的な旋律が出せるものなのか。
ミーテは子どもの頃、祖父に聞いた昔話を思い出した。勇敢な騎士が悪しき竜から姫君を救うシンプルな話で、でも大好きな話だった。
マーミガン伯爵の姫はうるさいばかりで理想とは遠かった。主に対して失礼極まりないがしょせんは田舎貴族、他の貴婦人たちも頼りにはなるが儚い可憐さは持ち合わせなかった。
次第にミーテも現実がわかり、騎士という名のモンスター処理係に甘んじていた。
だが、この目の前に差し出された白い花片のような手はどうだろう。いや、これが手で指だと言うなら他のものはすべて焼き損ないのパンと棍棒に改名する必要がある。
ミーテは最上のワインを一樽飲み干すよりずっと上の陶酔を感じながら口づけした。
「身体は温めてきたのでさっそく始めましょう」
「それには及びません、皇女殿下は私がお守りします」
「はい?」
リン皇女といつの間にかいたセルカが怪訝そうに私を見た。
そこでようやく意識が現実に引き戻され、自分が意味不明な行動をしていることに気づいた。
「申し訳ありません。皇女殿下の実力を見せていただきます」
「はは、少し驚きました。ミーテさんは僕の師匠です。そうかしこまらなくても大丈夫ですよ」」
リン皇女は優しげなほほえみを浮かべ許してくださった。
恥ずかしい、悲しい、まのぬけた田舎騎士だと思われたかもしれない。
「いえ、本当に申し訳ありません。皇女殿下の指南ということはMPが尽きたときのための護身術でしょうか」
「近接だけで戦えるよう教えてください」
「近接だけですか……」
ミーテは戸惑った。リン皇女の身体つきは純魔法職のセルカと変わらないほど華奢だ。
確かにレベルが上がればステータスは上がる。リン皇女も皇族の聖遺物でそれなりに高レベルなのだろう。
だが近接戦はステータスが高ければ深窓の令嬢がオーガをなぎ払えるというようなものではない。
高いステータスとそれを発揮できることは別問題だ。見れば分かる。
リン皇女の身体を一言で言うなら繊細だ。
強い戦士には骨が太く筋肉がつきやすい安定した身体と無神経なまでの無骨さが求められる。
女というだけで近接職は厳しいが、この理想の姫君を構成する全ての要素が素質のなさを物語っていた。
騎士の家に生まれながら体格や優しい性質のために家督を継げなかった人間を何十人も見てきた。
例え無礼と言われ首を斬られるとしても彼女のため言わなければならない。
「恐れながら申し上げます。皇女殿下に戦士の才はありません」
「そうなんですか?」
「はい、皇女殿下の身体は剣を持って戦うことに耐えられないと判断しました。お望みであれば護身の方法はお教えします」
「外見ですか……案外あてにならないものですよ。一度だけ立ち会ってもらえませんか」
そういうとリン皇女は七十センチほどの短い木剣を手に取った。
予想はしていたことだ。結局わかってもらうには力の差を見せるしかない。
私は普段使っているのと同じ二メートルの大剣を選んで向き合った。
リン皇女はのばした両手に持った剣をこちらに突き出す正眼の構え。
対して私は右手で持った大剣を肩に背負う。
「皇女殿下、一撃です。もし防げたら考え直します」
「わかりました。頑張ります」
頑張ってもどうにもならない。
おそらく彼女のステータスは私よりずっと上なのだろう。しかし、それなら高レベルの魔法使いも同じだ。セルカなどは全ステータスが私よりずっと上だろう。
それでも彼女たちが実際に剣を取れば私より弱い。それをこの一撃でお伝えしよう。
皇女と向き合って隙を探る。
きれいな構えだ。このまま一撃で叩き潰すことできる。だが、完璧を求めて待つ。
夕陽が沈み始め、リン皇女の額からスッと汗が流れる。
白い顔はさらに青ざめ呼吸が乱れる。
いつ来るかわからない攻撃に備えることは精神と体力をすり減らす。
傷付けはしないが少し怖いをさせるかもしれない。
距離をつめるとリン皇女の緊張が高まったのがわかる。
大剣を両手に持ち直し、一気に距離をつめて振り下ろした。
リン皇女が動き、その剣が大剣の根元に絡みついた。
「なっ……!」
大剣は下へ受け流され、体勢を戻すのが間に合わない!!!
スッと上へ登った皇女の剣が私の脇の下に突きつけられた。
大きな動脈が通るそこは甲冑で守れない人体の急所。
一瞬の攻防、真剣であれば私は死んでいた。
恐ろしい技術だ。盾でも、鎧でもなく小さな剣一本で大剣の斬撃を受け流し、一瞬の踏み込みで正確に、しかも剣を触れさせない余裕を見せての急所。
一番恐ろしいのは全ての動作が私より遅く、弱い力で行われたということだ。
「これで剣術を教えてもらえるんですよね!」
「……なにを?」
ミーテは天使のような笑みを浮かべる剣聖がなにを言っているかわからなかった。




