アルリス姫とリン皇女
僕たちが城に戻るとセルカも帰ってきていた。
「どうだった」
「ゴブリンを倒してきたよ」
「はい、私から見ても問題ありませんでした」
ルーフィアさんの言葉を受けてセルカは頷いた。
「こっちも話をつけてきたマーミガン伯爵の騎士でミーテと言う人」
「セルカ! 本当にマーミガン伯爵の部下が来たの!」
「そう聞いた」
皇女は感謝するように胸元で手を組んだ。
「よかったわ。きっと帝都の異変に気づいてくれたのね」
「戦力になるの?」
「ならないわ。でも、味方は多い方が心強いでしょ。マーミガン伯爵は皇族の力が弱まることは望まないはずよ。私もその方に会わせて」
「いいよ。施設で待っておくよう言っておいた」
「皇女殿下失礼します。私がいないと入れませんから行ってきます」
そう言うとルーフィアさんは足早に立ち去った。
「リンのことは皇女と紹介しておいた」
「ええ、それが良いわ。リン様、スキルは教えないでください」
「でも、その人に協力してもらうんでしょ」
「アルリスのスキルはおそらく精神に作用します。リン様のスキルは強力ですが知ってさえいれば対処のしようはあります。情報を抜かれかねない人間には教えない方がいいでしょう」
アルリス、僕たちが学院に行く目的だが彼女のことはなにも知らない。
「アルリスさん城の人達に何をしたんですか」
「リン様は忘れているのですよね。ゴウ=ソロフォ共和国の成り立ちは聞いてますか」
「この国の公爵だった人達が作ったんですよね」
「はい、共和国になってからもロウナ帝国はゴウ=ソロフォ共和国の上位の国という扱いは続いています。共和国のゴウ公爵の末裔はそのことを良く思っていないそうです」
「私に罪を被せたのもたぶんその人」
「セルカも関係あるの?」
「父上とわらわがセルカを含む数名の実力者に頼んで共和国の内情を探っていました。十年ほど前から共和国は閉鎖的で他国と連携を取らないよう変わってきていたので」
セルカが依頼を受けるのを嫌がっていた理由が分かってきた。
これは王宮と一人の人間ではなく、国と国同士の話なんだ。
「共和国とは名ばかりでゴウの末裔が正体を隠したまま支配していた」
「アルリスはもう一人の公爵ソロフォの末裔です。彼女は城に来て父上を始めとした城のみなにあいさつだけして帰りました。それから少しずつ様子がおかしくなりました」
「どういう風にですか」
「給仕係が父上の食事を自分で食べてしまったり、メイドが姉上のアクセサリーを盗んで堂々とつけるなどから始まりました。少しずつ自制心の強い上級貴族や修道士たちも欲望のままに振る舞うようになり、父上もみずからを牢に閉じ込めるようわらわに命じ、今では欲に飢えた獣のようなありさまです」
皇女は疲れたように話を終えた。
「つらいことを思い出させてごめんね。ありがとう」
「いえ」
「ゴウ=ソロフォ共和国でも七年前にアルリスの住居の近くで十人以上の人間が狂ったようになって、人をケガさせたり泥棒をした人もいたけど全員無罪になった。その事件からアルリス姫は表に出てない」
「スキルってこと」
「プーリンと『烙印の輪』の影響下にいたメイサだけが正気だからたぶんそう」
「たぶん?」
セルカは少し間を開けて口を開いた。
「精神に直接影響するスキルは前例がない」
「そうなの」
「はい、スキルはわらわ達の経験や考えから発現するものです。精神のようにとらえどころのないものに作用するスキルを得られるとは考えづらいです」
「最悪の場合はなんの行動もともなわず人の心を動かせると本気で思い込んでる異常者で、精神の構造を解析した天才で、レベル六千の皇帝に気づかれずに実質即死スキルを使える強者ということになる」
「それはなかろう」
真剣な顔でセルカが言うとヒノワが口を開いた。
「セルカ、頭の中で敵を強くしすぎるな」
「セルカは物事を悪い方に考えすぎよ。それに、同じ立場で学院に通うのだから戦いにはならないわ」
「何の根拠があって言っているの」
「情報が少なすぎるからまだ分からないよ。それよりミーテさんを待たせるのも悪いから早くいこう」
「……わかった。でも、リン皇女について考えておかないと」
リン皇女……僕のことか、確かに戦い方を教えてくれる先生になにか聞かれると困る。
「小さなころは死んだ誰かということにすればいいけど、十三才ということにしても三年はどこかで戦っていたことになるわ」
「騎士相手なら言いたくないでいい」
「えっ、ホントに大丈夫?」
「リン様は皇族を名乗るのですから追求されることはありません」
風通しの悪い国だな、いや、騎士って国家公務員、それも軍人か。
やっぱり上下関係には厳しいだろうな。
「リン様の詳細な身分に関してはわらわとセルカでふさわしいものを用意しておきます」
「全滅した部隊の出身になると思う」
「うん、言葉使いとかはどうしようか」
「リン様の話し方はていねいですし今のままでいいと思います」
今は女なんだから私と言えとか言われるかと思ったけどそうでもないらしい。
元の国の言葉がそのまま伝わってるわけじゃないもんな。英語なら僕も私もIだし。
「苗字はどうしようか」
「ミョウジとはなんですか」
「えっ、セスのプーリンは苗字じゃないの」
「いえ、プーリンはわらわの母の名です。自分の名をもらう前に使っていて愛着があるので許しを得て名乗っています」
そうか、名前がないとさすがに不便だもんな。プーリンの娘セスということか。
名前のルールわからないな。
「じゃあ、リンだけで良いのかな」
「はい、ヨシミヤは聞き慣れない響きですからやめておいた方がいいです」
「我はどうする」
「ヒノワ様は十才以上には見えませんから少し身元の用意が大変です」
「脚が悪いから表に出てない理由はつくりやすい」
「とりあえずリン様とセルカは先に行ってください」
「うん、じゃあねヒノワ、セス」
斧槍を皇女に預け、二人と別れて宿泊施設に向かった。
今までとは比べものにならない速さで歩ける。
「リンに合わせる」
セルカの言葉を聞いて制御できる程度の速度で走った。
すぐに素早さ八百万の全力を出せるわけではないと分かった。
飛行機が飛び立つときのような身体が押さえつけられる感覚、セルカがこんなステータスはありえないと言った理由がわかった。
きっと全力を出せば僕の身体は壊れてしまう。
「ムリはしないで」
そういうセルカはいつも通りの平静さ、今はまだ彼女には遠く及ばないようだ。
でも、なかなか楽しい感覚でもある。
車以上の速度を出して生身で走る。打ち付けられる豪風が体温を奪い、一度の転倒が死を意味する。短距離走のトップアスリートよりずっと上の世界だ。
宿泊施設に着く頃には身体が十分に温まっていた。
「リン、顔が真っ青」
「うん、あんまり速く走れるから楽しくて」
「関節壊れてない?」
「大丈夫、ムリはしてない」
「よかった」
セルカはほっとしたように胸に手を当てた。
「でもちょっと指先が冷たい」
「貸して」
セルカの手が僕の手を包む。
同じ距離を走ったはずなのにセルカの指は温かい。
どうしてこの子は僕のためにこんなことまでしてくれるんだろう。
少しだけ魔が差してセルカの指に指をからませた。
セルカは一瞬手を引こうと動いたが、僕の手を温めるのを優先してくれた。
「どうしたの」
「どうしたんだろう」
「寂しいとか」
「じゃあそれで」
僕の指に体温が戻り、セルカが手を離した。
城には入らず訓練場の方に向かう。そこにはすでに生真面目そうな女性がピシッと背筋を伸ばして待っていた。
三つ編みにした金髪、澄んだ碧眼、マントを身に着けている以外は僕と同じような服装だが身体つきが全然違う。
百八十センチを超えるだろう長身、肩幅が広くむき出しの首の太さだけでよく鍛えていることが分かる。
服を押し上げるほど筋肉が肥大しているわけではないが、きっと脱いだらすごいだろう。
変な意味じゃなくてね。
「お初にお目にかかります。皇女殿下、私はジアエム家当主ミーテです。御身の剣術指南を仰せつかったことは我が生涯最大の栄光です。どうかあなた様の尊き名をお聞かせください」
そういうとミーテさんは僕の前にひざまずいた。
おお、面倒くさい言葉使い。でも、ミーテさんがすると洋画みたいで似合ってる。
返事に困っているとセルカが耳打ちしてくれた。
「騎士ミーテよ貴女の忠誠を嬉しく思います。僕の名はリン。今日からよろしく」
手を差し出すとミーテさんもうやうやしく手を差し出した。
そして僕の手に顔を寄せるとそっと口づけした。