セルカの過去・前編
ヨシト、いやリンは『第一コミカ書』に突っ伏して眠ってしまった。
長虫のような竜ワームのページにプラチナブロンドの髪が広げ、すやすやと寝息を立てている。
ルーフィアを呼んでベッドまで運んでもらった。
「セルカも少し寝た方がいいですよ。心配なら私が見ています」
「わかった、お願い」
セルカは手の中の『第一コミカ書』を見た。ワーム、本物の鱗が貼られたページを見つめる。考えないといけないことはたくさんある。
リンたちがいないとき問いつめた神様は今度会った時、話せることは話すと約束してくれた。リンと神様のことは信じて待つしかない。
プーリンが泣いていた。子どもみたいに感情をむき出しにして、リンと無理やり婚約したかと思えば私と友達になりたいと言う。
普通は大切な人を目の前で奪った人間に仲良くしたいなど言えない。
以前の彼女なら考えられないことだ。たぶん彼女は壊れてしまったのだろう。
冒険者でもたまにそういう人間がいる。ゴブリンやオークに強姦されたり、仲間に裏切られたり、光の当たらないダンジョンに潜り続けたり、過酷な環境は人を壊す。
リンが寝返りをうって私の方を向いた。優しそうで繊細な顔。
プーリンの境遇を考える。彼女は頭がおかしくなった城の人たちと一年以上暮らしていた。
もし、リンやヒノワが狂ったら。まともに話が通じなくなった二人と一年間暮らして、私は壊れないだろうか。
ステータスに心の耐久値も書いてあればいいのに、頭が回らなくなってきた。
床の隅で身体を丸めて目をつぶった。
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――……
五才の誕生日プレゼントは孤児院からの追放だった。
帝都の墓地からさらに進んだ先にあるスラムに放り出され、もう世話してやれないと言われた。そして教会の大人は門を閉じた。
お腹空いた……見ると一緒に放り出された子どもも座りこんで待っていた。
他の子は尻尾をつかんできたりして苦手だから近くの木陰から見守った。
「おっ、今年もおるわ」
「よう年なんか覚えとれるな」
二人組の男が門の近くにやってきた。教会の大人とは違い、ボロボロで臭くて腰が曲がってる。今思うとモンスターに田畑をダメにされたか、重税に耐えられなかった脱走農民だろう。
少女の一人が喜んで両手を挙げ、彼らの方に走っていった。男は少女を抱き留める。
そして、反転すると柔らかい首に鎌を食い込ませ殺した。
完全になれた手つきだ。少女の死体を袋にしまった。
「子どもの肉は柔らかいけえな」
「ゴブリンどもにくれてやるくらいなら儂らが食うた方がええ」
男達は互いに言い聞かせるように小声でささやいた。
逃げる子どももいれば気づかない子どももいる。私はさっさと逃げることにした。
大人に捕まると死ぬみたいだ。
ぼろい木の家がまばらにあるスラムは臭い、レベルが高ければ食べたもの全部消化できるけど、低いと無理だ。
身体が寒い、なにか食べないと。
なんとなく逃げた子どもの後を気づかれないように追った。
緑色の小人が少女たちの前に立ち塞がった。ゴブリンだ。
「いやっ、いたい」
あわてて逃げようとする少女の髪をひっつかんで手に持った木の棒でめった打ちにする。少女のモノクロの血が地面に散らばり、ゴブリンは動きが止まった少女にのしかかる。
大人たちが四人ほど出てきた。
「ガアアアアッ!!!」
大男が叫び、金属の容器をカンカンと狂ったように鳴らす。
ゴブリンは怯えて逃げていった。
大人達のリーダーだろうか、身体の大きい男が子どもたちに手を差し伸べた。
「こい、ご飯食えるぞ」
威圧的な男の態度に背を押されたように子どもたちは大人たちについていく。
死にかけの少女も肩に担いで大人たちはいってしまった。
なんとなく嫌な感じがして動けなかった。
失敗したかな、空いたお腹を抱え街を歩いていると武器を持った大人たちが犬面の小人、コボルトたちと戦っていた。
「しね」
大人の一人のナイフがコボルトの首に突き刺さる。
それがリーダー格だったのだろう。群れの動きが鈍くなる。
その隙をついて大人たちのナイフや鎌、くわがコボルトの喉を裂き、脳天をかち割る。
大人側も血を流した一人が倒れる。
大人達は一人一匹ずつコボルトを担ぐ。
「テメェら手ぇ出したらぶっ殺してやるからな!」
大人たちの一人が怒鳴り、その場を去った。
わらわらと私より少し大きい子どもたちが出てきて死んだコボルトに群がる。
私も出て行こうとしたが、少し待つ。
私と同じくらいの少女がフラフラ歩いていって、大きな少年に首を絞められて死んだ。
彼女もコボルトと同じく食料の仲間入りをする。
少年たちがいなくなった後には骨しか残らなかった。仕方なく骨を三個持った。
「…………」
骨についた血をなめとると少しは空腹がまぎれた。
くぅとお腹がなった。もうついていく子どももいないから森に隠れる。
「っ!」
微かな振動を感じて後ろに飛ぶ、地面から飛び出した巨大なハサミが閉じられる。
口についた巨大なハサミ、鱗に覆われた長虫のような身体、知らないモンスターだ。
手に持っていた骨が両断されている。中からおいしそうな匂いがする。
少し汁っぽくてざらざらしてる。爪でほじって食べると栄養のある味がした。
もっと食べたい。
もう一度モンスターの巣を踏んで後ろに飛ぶ。急いで身を隠す。
「むっ」
今度は骨が切れなかった。さっきに位置を覚えて何度かすると骨は全部両断された。
骨の中身を食べ終えて一息つくとこのモンスターはなんなんだろうと思った。
そうだ、教会でご飯を与えてくれるのは神様だと言っていた。これは神様だ。
「ありがとう、神様」
地面に向かって手をあわせ、木の高い所に登ってから寝た。
その日から死体から骨を取っては神様に切ってもらう生活が始まった。
私が獣人なのが良かった。多少腐っててもお腹を壊さないし、モンスターや大人相手でも逃げ切れる。
強さは大人が一番、次が少年、次は私たちだけど、獣人は人間よりは強い。骨の奪い合いなら負けることはなかった。
この頃は気づいていなかったがスラムに少年は少ない、スキルがなくてもモンスターと戦えるから国や教会が積極的に保護していた。
そして半年が経つ頃、私に不思議な力が芽生えた。
コボルトの腐敗して蛆が湧いた死体。残念ながら蛆は食べられない。
前、お腹を壊した。触りたくないけど骨が欲しい、そう思ってちょんと触ると手の中に骨があった。
「うん?」
もう一度、頭を触ると頭蓋骨が手の中にある。これ教会の大人が言ってたスキルだ。
これならモンスターも倒せるかもしれない。
腐って食べられそうにない骨は捨てて、一匹でいるモンスターを探した。
森の中で群れからはぐれたゴブリンが歩いていた。後をつける。
辺りがすっかり暗くなり、ゴブリンは木陰に隠れて眠った。
音もなく降り立ち、ゴブリンの頭に手を当てる。
「あれ?」
なにも起きない、ゴブリンが目を開いた。
「キィー!」
「ひっ……!」
びっくりして身体がはねた。逃げなきゃ、と思ったら手の中にゴブリンの頭蓋骨があった。
頭がクシャクシャになった小人は死んでいた。お肉だ。
牙を突き立てるが緑色の肌は硬い。
「うぇ……」
くさい、死んでから強烈に臭いがました。
ゴブリンが死んだ後は仲間がぞろぞろ来るのを思い出した。
身体から骨を何本か抜いて逃げることにした。
お肉……
「神様、骨切って」
いつもと同じようにゴブリンの骨を切ってもらう。
少し位置がずれた。逃げるのが速すぎたみたいだ。
これでも食べられる。
「ありがとう」
お礼を言ってから骨の中身を食べる。やっぱりゴブリンだからちょっと臭い。
臭くても良いからお肉食べたかったな……
「うまいか?」
誰かが話しかけてきた。周囲を見回すが誰もいない。
「こっちだ」
声の方を向くと神様がハサミのような牙の生えた頭を出していた。
「神様?」
「うまいか?」
「くさい、おいしくない」
「そうだろうな」
それだけ言うと神様は地面に戻った。
何だったの?




