聖典の教え
お風呂で汗を流して施設の図書館のような場所でセルカを待っていると分厚い本を持ったセルカが入ってきた。
白髪は普段よりつややかで僕が着ているのと同じ白い絹のワンピースを着ている。
この服は施設の備品で同じものがたくさんある。
「さっきはごめん。自分が男だって忘れてたよ」
「ううん、私もちょっと過剰反応だった」
セルカは反省したように言った。
セルカが僕の横に座ると同じ石けんの香りがした。
持っていた本は白い肌のカバーに『第一コミカ書』と書かれた本だ。
「この本を読むの」
「これは私と同じ聖女のコミカが昔から書いてるモンスターの一覧。一応教会の外典だけどコミカは変わり者だから書いてる内容は外では言わない方がいい」
「うん」
外典って忘れたけど聖書の番外編みたいなのだったかな、それを言わない方がいい?
セルカが一ページ目を開いた時点で意味がわかった。
一ページ目には『人間』と書いてあった。
柱にくくりつけられた女性の死体と怒りに満ちた顔で石を投げるぼろを着た人々、知性の感じられない顔で笑う子ども、滴り落ちた血で服を赤く染める立派な身なりの男という悪意に満ちた挿絵まである。
しかもなんか血が異様に黒ずんでる。これ本物じゃないかな……
「数値は役に立つ」
異様な挿絵に気圧されているとセルカが文章の方を指さした。
平均ステータス、ステータス傾向、ランク評価、固有スキル、派生、弱点、特徴、入手品など様々な項目が書かれている。
人間の場合は平均値の代わりに中央値が書いてあり、HP10、MP5、筋力7、攻撃力5、防御力5、器用さ4、素早さ5と書いてある。
平均的な個体の危険度を表すランク評価は未定。
HPよりの傾向で固有スキルは非常に多いこと、貴族や平民などの身分による差、軍隊の強さ、有効な戦術などと人への嫌悪が書いてある。
「……そうだね、戦う上で知りたいことはほとんど書いてある」
「うん、内容を変えていいなら冒険者や兵士にも見せたい」
セルカが難しそうに言った。
「倒す上で情報は大事、知らない相手とは戦わないで」
「うん、わかった」
「本当にわかってる?」
「まあ、気をつけるよ」
「絶対ダメだよ」
疑わしそうにセルカが言う。
セルカがページを進めるとほのかに薔薇の香りが漂った。
『ゴブリン』と書かれたページの挿絵では人間よりはるかに大量に書かれた緑色の肌の耳が尖った醜い小人が暗い洞窟で裸の女性に群がっている。
小人の肌はすごく細かく書き込まれている。よく見るとガサガサのカエルの皮膚のようなものが貼り付けてある。
「この匂いは?」
「ゴブリンの皮膚が臭いから薔薇の汁で煮たんだと思う」
うえっ、気持ち悪。
人間のページと同じくらい貶されている『ゴブリン』のページにも同じようにデータがのっている。平均ステータスは人間と同じく中央値、ランク評価はF、武器装備前提になっているから人間より強い。
毎ページ、毎ページ、憎しみのこもった悪口を目にしながら数値を覚え、生き物の皮や体液が使われた生理的な嫌悪感にうったえる悪趣味な挿絵を見せられる。
正直、セルカと一緒じゃなければすぐに読むのをやめていたと思う。
「疲れた?」
「いや、ちょっと内容がね……」
「ムダが多い。でももらったときに書き換えないよう言われた」
「教会の聖書ってこんな感じなの?」
「ううん、人による」
とりあえずこの本を読むのを少し休みたい。
「この本を書いたコミカさんってどんな人なの」
「吸血鬼のおばあさん、話し方が回りくどい」
「へえ、僕の世界の教会は確か吸血鬼はダメだった気がするよ」
そもそも吸血鬼っていたっけ?
「こっち教会はステータスの数値やスキルが優秀ならいい。吸血鬼でも獣人でも犯罪者でも、内部で影響力を持つのはけっこう大変」
「教会はなにしてるの」
「色々してるけど一番は百年後の『人生存率』を上げること」
「なんか僕の知ってる教会のイメージとは違うな。愛とか秘蹟とか聖遺物もかな、神秘的な感じ」
セルカが少し考え込んだ。
「そのへんの詳細はあまり覚えてない」
「そうなの?」
「教皇が人間の質問に答えてるうち儀式が生まれ教会になったと言っていた。内部のことも聞けば教えてもらえる。プーリンは知らなかったけど」
「そういえばスキルが強いと女の子同士で結婚できるのはなんで」
セルカは本を閉じた。
「細かいことを省くと『人生存率』を上げる一番確実な方法はモンスターと戦えるスキル所持者の人数を増やすこと。スキル保有者の子どもはスキルを持ちやすい」
「数学?」
「私たちは神学と呼んでいる。教会が集めた情報ではスキル保有者と非スキル保有者の子どもは百分の一でスキル持ち。男性の場合は妻がたくさんいれば千人以上子どもができる。だからスキル持ちの男性は配偶者をたくさん持つのを認める」
「へえ、そうなんだ」
「女性の場合はスキル次第、種族によるけど子どもはできて三十人。モンスターを倒すことによる死亡者数の低下の方が効果が大きい人は女性同士の結婚を認める。特にその傾向が大きい人は聖女認定して、戦い続けると色々な優遇を受けられるようにしてる」
「教会も色々考えてるんだね」
「うん」
セルカは耳を立てて嬉しそうに頷いた。
やっぱりステータスなんていう数字の塊が身体の一部なだけある。
「強制とかではないんだよね」
「スキルを所持することで不都合が生じることはないようにしてる」
僕の感覚だと問題になりそうな制度だけど、命がかかってるならしょうがないのかな?
「外では言わないで」
「あ、やっぱりそうなんだ」
「スキルがない人は怒ることもあるらしい。みんなの命を守るための仕組みなのに」
セルカは不思議そうに言った。
言って欲しくないことを教えてくれたってことはそれなりに信頼されてるのかな。
「聖書は全部こういう本なの」
「表向きにある『創世の書』とかは歴史書、教会内の一部しか使わない外典は情報集みたいなのが多い」
「『創世の書』は本当のことが書いてあるの」
「歴史書だから昔の人の記録を集めたもの。えっと、これ」
セルカが近くの棚から分厚い『創世の書』を持ってきた。
ページを開くと相変わらず難解な文章が書いてある。
でも、しばらくめくると、八年ガブフ王死亡など年代と出来事が羅列されるようになった。難解な文章も昔の人たちの証言や言い伝えを書いているようだ。
とても文章として読めるものではない、ひたすら資料と起こったことが羅列されている。
「嘘はダメだから、昔の人がほんとに言ったことを書いてる」
「そうみたいだね」
「本当のことを言ったかどうかは知らない」
『創世の書』の冒頭にセルカの言葉と同じような意味のことが書いてあった。
教会は嘘に対しては厳しいみたいだ。
「これ普通の人が読むの?」
「あまり人気がない」
セルカがぺたんと片耳を倒して悲しそうに言った。
僕には読めないけど、教会の人たちはこんなの読めると思ってるんだろうか。
「王や皇帝は読んでる」
「へえ、やっぱり王様はすごいんだね」
「教会の支持を得たいなら読まないといけない。アルリス姫のゴウ=ソロフォ共和国は元は王国だったけど、教会の支持を得られなくて王が立てられなくなった」
ゴウ=ソロフォ共和国、詳しいことは全然聞いてなかった。
「どんな国なの」
「元はロウナ帝国の公爵がつくった国。武王ゴウと賢王ソロフォ、双子の王が当時のロウナ皇帝に許しを得てもらった土地に建国した。ソロフォの末裔は王が性に合わなくて辞めた。ゴウの末裔は考えるのをその人に任せてたからどうしようもなかった。色々あって教会とも疎遠になって貴族や魔法使いを集めて議会をつくったら彼らに乗っ取られて共和国になった」
「セルカって本当になんでも知ってるね」
「調べただけ。今はどうなってるかわからない」
そう言うとセルカは『第一コミカ書』を開いた。
「休憩終わり」