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⑷『コロナ文学について』第四回ー象徴ー
⑷『コロナ文学について』第四回ー象徴ー
㈠
自己が自己を超越するのは、恐らく、死後のことだろう。自己の身体や精神を変容しても、自己は自己の状態を超越できない。この自己とは、所謂、超越できない自己のことである。それは、コロナも同じことだ。コロナを超越することはできない、ただ、コロナを収束させることが目標になるだけだ。
㈡
敷衍していえば、コロナ文学も、コロナ文学を超越することはできない。ただ、コロナの現状に即して、述べていくだけである。コロナ文学が、コロナを収束できる訳がない。コロナ文学は、記録し、判別し、理解するのみである。それでも、文学は敗北してはならないだろう。文学は文学を、継承していく使命がある。
㈢
つまり、コロナの象徴が、コロナ文学になれば、コロナの本質を探ることができるということだ。それでも、我々は、時折、空想の彼方から、自己を見つめ、コロナを見つめ、解体しようとする。キュビズムの様に、多角的に自己を、コロナを、解体して、本質を見出すことが、コロナ文学だろう。象徴的である。