二章 影
影です。ろうそくの火で映し出された影が、どうもおかしな形をしているのです。絵描きははっとしてろうそくを見ました。けれどもろうそくはちらちらとその火を揺らすだけで、特別変わったところはありませんでした。
「どうも限界のようだな」
絵描きは自分の目がおかしくなったものと思い、もう一度ため息をついて目を閉じました。
するとどうでしょう。今度はどこからか声が聞こえてきたではありませんか。
「もし」
それは小さな声でしたが、忘れられないほど悲しい声でもありました。絵描きは慌てて辺りを見渡しましたが、誰もいません。けれども声は再び聞こえてきます。
「そこの方」
先程と同じ、女性の声です。絵描きはいよいよ怖くなって、ベッドの毛布に潜り込みました。それから少しだけ毛布をあげて、その隙間から部屋を覗いたのです。
相変わらずろうそくの影は、おかしな形をしています。もう私はいよいよおかしくなってしまったのだ。そう思った絵描きは毛布にくるまって震えました。
「そこの毛布の中のお方、どうか出てきてください。私は妖精です。決して悪さをしに来た訳ではないのです」
絵描きは毛布の中で震えていましたが、しばらくしてベッドから起き上がりました。声の主の姿を見てみたくてたまらなくなったのです。そのくらい、声は絵描きにとって魅力的でした。絵描きは恐る恐るベッドから出ると、部屋に向かって話しかけました。
「君は一体、どこにいるんだ?」
すると、ろうそくの火がちらりと揺れました。
「ここです」
絵描きはそのろうそくを見つめました。でも、変わったところなんて一つもありません。
絵描きが不思議そうにしていると、ろうそくの火が再び揺れました。
「私は妖精です。でも、私の姿はあなたに見えません」
妖精は小川のせせらぎのような声でそう言いました。妖精はさらに続けます。
「でも、影ならあなたにも見えるでしょう」
絵描きは壁に映された影を再び見ました。そして、絵描きは目を奪われたのです。
そこには確かに妖精の影がありました。けれどもなんという不思議なことでしょう。ただの影なのに、それは大変不思議な影だったのです。そうです、絵描きは文字通り、魅せられたのです。その様子を見た妖精が言います。
「私は妖精です。それに、どんなものも、私に魅せられてしまうのです。そして今、私はこのろうそくに捕まってしまいました」
妖精はろうそくでさえも自分に魅せられたと絵描きに言ったのです。
「でも私は別に、こうなることを望んでいたわけではないのです。ですからどうか、一度このろうそくの火を吹き消してはくれませんか?そうすれば私はここから離れられます」
妖精は絵描きにそう頼みました。
けれど、絵描きもこの妖精の影に既に魅せられていました。壁にうつるぼんやりとした影から、目が離せないのです。妖精は絵描きに同じことを繰り返し言いましたが、絵描きはどうしてもその影から目を離せませんでした。ろうそくの火を消してしまったら、この影は消えてしまう。絵描きはそう思いました。どうしてか、この影を見ていると心が穏やかになるのです。今まで絵が描けずに苦しんでいた自分の心が、ふっと癒されるのです。
「そんなこと、できない」
絵描きがそう言うと、ろうそくの火とその影が一度ゆらりと揺れました。
「わたしを、はなして」
妖精の声は、怒っていました。壁にうつる影が急に大きくなり、壁一面が真っ黒になりました。
途端に絵描きは怖くなりました。それでもろうそくの火を消すことはできませんでした。絵描きは震えながら妖精にこう言ったのです。
「わかった。でも少し待ってくれ。私がこの影を絵として描きあげる。そしたら君を逃がしてあげよう。だから、それまで待ってくれ」
絵描きはどうしてもこの影をとどめておきたかったのです。なので、絵としてそれを保存することに決めました。妖精は少し迷いましたが、しぶしぶ承諾してくれました。




