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勇者降臨!


 それは、奇跡の光景であった。

 床に描かれた慈悲深き女神アルカナより授けられし勇者召喚の魔方陣より立ち昇る眩いばかりの光の中に浮かび上がったのは、見慣れぬ男物のような衣装を身に纏い、艶やかな黒髪を魔力の流れの中に緩やかに遊ばせる、一人の、手弱女の姿。

「おぉ・・・」

 誰ともなく感嘆の声を吐息のように唇から漏らす。

「成功だ」

 感極まったような呟きは術者のものであったか。

「今代は女性の勇者様であらせられるか」




 慈悲の女神アルカナの降臨されし唯一の聖地を抱く神聖王国アログナールは大陸の中央に位置し、凡そ百年の周期で力を増し襲い来る人類の脅威《魔王》の黒き闇の力に対抗すべく女神より授けられし召喚の秘術により、遥か異世界から救い主たる《勇者》を招く栄誉を賜った、唯一の国家である。

 同時に、聖地アルカナの神殿に降り立たれた《勇者》を護り、その強大なる未知の能力の開花を助け、育み、付き従って魔王討伐へと導く栄誉有る重責を担う誇り高き国家でもあった。

 今代の勇者召喚も周期的な一大行事として日付の吉凶を占い、人員を選出し、粛々と準備が進められた。

 闇の脅威の高まりが多少のばらつきは有ろうともほぼ定期的な事もあり、兆候が現れてからの召喚で万一後れを取るような事があってはならない。

 万事余裕を持ってとの方針は、賢王と名高い先王ガリア・アスカラルド・ラル・アログナールの助言あっての事であった。

 その《勇者》に随行する事が既に決まっている神聖王国アログナール第三王子フリードリヒト・エル・ラグナ・アログナールは、召喚術が実行されるこの日を心待ちにしていた。

 やんごとなき身分である国王及び王妃をはじめ、王太子である第一王子、外交の担い手として活躍する第二王子とは異なり、勇者の随行騎士となる事が決まっている彼は、間近で儀式に立会い、誰よりも先に今代の勇者に目通りする栄誉が約束されているのである。何より、将来的に国政へのかかわり深い立場の兄王子達とは異なり、幾分気楽な身分でもあるフリードリヒトは、幼少の頃より未だ存命である先代勇者の許へ入り浸り、可愛がられている事もあり、《勇者》と《勇者の生まれし世界》への憧れも人一倍持ち続けているのである。

 勇者召喚は百年に一度。

 神聖帝国アログナールの王家直系に生まれても、この奇跡と栄光に立ち会う事が出来る王族はごく一部である。

 しかも、その勇者の魔王討伐に随行する事で、最も間近でその活躍を目にし、肌で感じ、また、その一助となり、共に伝説に名を連ねる事が出来る。

 その幸運に浴する事が、フリードリヒトには心から嬉しく誇らしい。

―――幼い頃から一心に剣術と魔術の研鑽に励んで来て良かった

 高鳴る期待と興奮に、ニマニマと弛む口元を抑えるのに苦労する。

―――それもこれも、幼い頃にこの可能性を指摘して下さった先代勇者様タイギ・トドロキ様のお陰だな

「俺が魔王を倒してから、そうか、そろそろ八十五年にもなるのか・・・次の勇者の旅に立ち会うのは、お前達の世代かも知れないな」

 キラキラとした瞳で勇者当人の冒険譚をねだる幼い自分にふと零された、先代勇者である轟大義の呟きが、フリードリヒトの脳裡に蘇る。

「深く国政に携わるだろう兄王子達よりも、もしかしたらお前の方が可能性は高いかも知れんぞ?フリード」

 パッと目を輝かせたフリードリヒトに、悪戯っぽく笑いながら大義はそう言葉を付け足した。どうする?と問うような大義の視線に、フリードリヒトはピンと背筋を伸ばす。

「タイギ様、私は、私は・・・」

 興奮に胸がはちきれそうで、思わず言葉半ばで大きく息を吸い込む。

「私は護衛達に護られて、ただ勇者様のパーティの旅程について回るような真似はしたくないのです」

 幼いフリードリヒトは小さな掌を握り締めて必死に訴える。

「物語と違って、現実では王家の者の立場として、それが正しい事はわかっています。けれど私は、私は物語のように勇者様のパーティの、真の一員として、心許せる仲間として、戦いの中で勇者様と互いに背中を預けあえるような、そんな冒険がしてみたいのです」

 そんなフリードリヒトに大義は「そうか」と静かに頷き、「では、強く成らねばな」と微笑んだ。

 以来、フリードリヒトは大義を師と仰ぎ、剣と魔術、そして王国騎士のノウハウとはまた違った勇者の闘い方を学んだのである。

 そんな事もあり、わざわざ謁見という形を取らねばろくに会う事もできぬ父王より余程濃密な時間を持つことが出来る大義を、何時しかフリードリヒトは密かに第二の父とも慕うように成っていた。兄王子達より可愛がられているように感じるのは、単に第三王子という身分の軽さからフリードリヒトが兄王子達よりも自由になる時間に恵まれ、自ら勇者である大義に纏わり付いていたせいでもあるが、大義の方でも、召喚されてこの世界へと渡って来た時に、当時のフリードリヒトくらいの年齢の息子を元の世界に置いて来たという事情も幾分あったようである。

 「もう昔の事だよ」と大義は言ったが「無事に育ってくれていれば、もう、俺よりずっとおっさんかもしれねぇな」と苦く笑った大義の瞳の翳りが、幼いフリードリヒトの心にもズキリと小さな針を突き刺した。

「私がおります。タイギ様、私がずっとお傍におります」

 フリードリヒトは必死に言い募ったが、そんな言葉が果たしてどれだけ大義の慰めとなったかは定かではない。幼いフリードリヒトには、まだ幼い息子を残して異世界に召喚され、帰る事も、また、様子を知る事も知らせる事も叶わない父親の心など理解のしようも無かったのである。ただ感じるのは、純粋な、大義の寂しさだけであった。

「ありがとうな」

 そう言ってフリードリヒトの淡い金髪の上に乗せられた温かく大きな掌の感触だけが、時折フリードリヒトの脳裡に蘇る。


 俺よりもずっとおっさんに…


 奇妙な大義の言葉には理由がある。

 大義がこの世界に《勇者》として召喚されたのはその当時から数えて凡そ八十五年前。召喚された当時の大義の年齢は二十八歳。息子は六歳であった。

 普通に考えれば、幼いフリードリヒトに息子を残して来たと零した大義の年齢は百歳をゆうに越えている。だが、高い魔力の影響か、はたまた女神の力との親和性から来るものなのか、若しくは、元々が異世界の人間であるからなのか、大義の、否、歴代の《勇者》達の年齢の重ね方はこの世界の人々のそれよりずっと緩やかなものであった。

 八十余年こちらで過ごしたにも関わらず、大義の外見は未だ男盛りの五十半ばといったところである。

 彼我の時の流れが同じであれば、六歳で生き別れとなった息子の歳は九十近いであろうか。下手をすれば既に寿命を全うし、この世に無い可能性すらあった。これは切ない。

 息子に会いたいかと問われれば、間違いなく会いたい。これに嘘偽りは無い。無いが。自分の倍程も爺に成った息子に会いたいかと問われれば、正直、ちょっと苦い想いに返答に窮する。

 会えるなら、可能であるなら、生き別れとなったあの時間に戻って、会いたい。突然の失踪を、詰られ、責められ、そして、赦されずとも、泣いて我が子と妻を抱き締めたい。が、それは既に叶わぬことであった。

 最愛の妻も、もう、既にこの世に無いだろう。

 尤も、魔王討伐を果たし、歴代の勇者が元の世界に戻った先例が無いと知り、絶望と自暴自棄、失意の底で、差し伸べられた王女の手を取った自分は、その時点で妻を裏切っていた。喩え元の世界に今更戻れるとしたところで、妻に合わせる顔は無い。息子にも、無いだろう。酷い父親であった。不可抗力であったとしても、彼等にしてみれば、それは赦されることではないだろう。

 しかも。

 こちらにも王女との間に三男四女。ぽこぽこと子供が居る。その子供達が八十余年の間にすくすくと成長して家庭を持ち、夫々に子供を持ち更にその子供達が子供を・・・


 あ、会えない。


 どっさり鈴生りに曾孫達に囲まれて、今更どの面提げて元の世界の妻子に会えるというのか。


 しかも先年若い後添えを・・・


 愛人や側女こそ持たなかったものの、それは何の言訳にもならない。

 改めて考えるととんでもない状況に置かれている事に気付いた大義の苦悩を、幼いフリードリヒトは知る由も無かった。

 が。

 ちなみに、その大義の曾孫の一人でフリードリヒトの幼馴染でもあるグレンロイズ・ダイザンロード・トドロキもまた勇者の随行騎士の一員である。

 同じく随行メンバーの神官カーリーン・コルネット及び魔術師ロト・ネグレラルドも、夫々別の勇者の血筋に連なる者だと聞いている。完全実力による人選であるが、勇者を盛り立てるパーティとしてこれ以上無く完璧な最強面子と言えるだろう。国王をはじめ、関係者一同自信満々の人選であった。

 無論、現王家にも数代前に降臨した女性勇者の血が受け継がれている。

 まぁ、ツウ好みなだけの人選と言えない事もなかったが。そんな不謹慎な事は誰も口にしない。

 魔力の強さ、女神アルカナの神聖力との親和性の高さは、必ずしもそうという訳ではないにしろ、これまでに召喚されて来た勇者達由来の傾向が高いと言えない事もなかった。






 待ちに待った勇者召喚。

 当日は、朝から女神と精霊の寿ぎを証明するかのごとき晴天。

 純白の柱の間から天の階の如く陽光が差し込む召喚の間に、大役を担う術者である神官達の詠唱する呪文が朗々と響き渡り、その旋律に呼応するように石造りの白い床に描かれた魔法陣が淡く神聖な光を帯びる。

 詠唱の進行と共にやがてその光は強さを増し、呪文の力強い最後の文言の終了と共に魔法陣が描かれた床面から天空へ向けて真っ直ぐに眩いまでに強烈な光の奔流が駆け上がり、一本の、巨大な光の柱と化す。

 やがて、沈静して行く光の中に、か細い人の姿が浮かび上がった。

 キラキラとした神聖な光の粒子を纏い、艶やかな漆黒の髪を魔力の流れに弄ばれる人影は、そのシルエットからも、女性のようであった。

 その様は、勇者降臨というより、天女降臨といった方が正しいとすらフリードリヒトには感じられた。

 完全に魔力の輝きが治まった魔方陣の中央に佇んでいたのは、見慣れぬ、男物のような衣装を身に纏った、一人の、たおやかな乙女であった。

「おぉ・・・」

 誰ともなく感嘆の声を吐息のように唇から漏らす。

「成功だ」

 感極まったような呟きは術者のものであったか。

「今代は女性の勇者様であらせられるか」

 陶然とただ目の前の光景に見惚れるだけであったフリードリヒトの耳に、大神官エルドラント・ドルトレンの呟きが届き、ハッとしたように彼は息を呑んだ。

「グレン、グレン」

 次いで、フリードリヒトはヒソヒソと声を潜めて傍らの幼馴染へと話し掛ける。

「どうしよう、彼女は、私の運命の女性かも知れない」

「落ち着けよ王子様。お言葉だが、王族有利とはいえ、貴方様の運命とは限らないだろ?」

 フリードリヒトののぼせ上がった世迷いごとに、同じく周囲に聞こえない様に声を潜めてグレンロイズが揶揄を返す。

 過去に降臨した女性勇者―――無論男性勇者も同様だが―――は、基本的に王族が囲い込む事が多いが、討伐に同行した騎士や魔術師、また、討伐とは無関係の貴族や町民と結ばれたという記録もあるのである。

 思わずムッとするフリードリヒトに、自分にも可能性は有るぞとばかり、グレンロイズはニヤリと哂ってみせる。

 顎で示されて視線を戻せば、魔方陣の中に召喚された乙女は眩い魔法の光から瞳を護る為に固く閉じていた瞼をそろりと持ち上げたところであった。

 髪と同じ漆黒の睫に縁取られた瞼を、伏せがちにしたまま、そっと周囲を窺うように視線を巡らせる瞳は、黒とも見えるが、どうやら、深いダークブラウンであるようだ。

 派手さは無いが、よく見ると整った顔立ちをしている。

 歳の頃は、やっと十代後半に入ったというところであろうか。

 大人し気で、優しげな印象を与える佇まいには、暴力的な印象は全く無く、何故このような女性が勇者として降臨されたのかと疑念を抱く程であるが、代々召喚される勇者とはそうしたもので、元の世界では暴力―――戦い―――とは無縁であった者が殆どであるという。

 ただ、男女を問わず、本質的に強い魔力と、慈悲と正義の心を持ち、女神アルカナの神聖な力との親和性が高い者が勇者の資格を得るのだという。女神アルカナから授かった召喚魔法によってこの世界に降臨するからには、最後の女神との親和性という条件が一番重要だという事であろうか。

 明らかに、一瞬前まで自分が居た筈の場所とは違うところに居るという現実に気付いたのであろう目の前の女性の顔に浮かんだ心細そうな戸惑いの表情としぐさに、フリードリヒトは強烈な庇護欲を刺激される。

 だが、焦ってはいけない。

 ガツガツ行って怖がらせたり怒らせたり、不信感を与える結果に成ってはいけないと、四代前の女性勇者が後々召喚されて来る勇者を慮って残された『勇者取り扱い説明書』に記されていたではないか。特に女性の勇者様には気を遣って差し上げるようにと。

 突然見も知らぬ場所に放り出されたと知って、降臨されたばかりの勇者様は大いに動揺している筈であると四代前の勇者カナタ・エンロ=遠路かなたは『勇者取り説』に記している。

 『取り説』は、後々の勇者の為というのも真実の一面ではあったが、無論、勇者本人の怒りをてんこ盛りにぶつけた書物でもある。当時の召喚関係者が相当ガツガツとせっかちに圧を押し付けたのか、とにかく相手が落ち着くのを待て、質問や疑問にはとにかく丁寧に応えなさいと諭している。

 召喚された者は、何の前触れも無く、家族や親しい人々、仕事や趣味、予定や用事、当たり前に迎える筈であった未来、とにかく様々な大切なものを元の世界に置き去りにして、突然この世界に招かれるのであるから、心に寄り添い、時に慰め、時に励まし、文化・文明の違いもあるのだから、よくよくこの世界の事を理解してもらう事が肝要であると。当然の事でありながら、見落としがちな事や、この世界の人間には気が付き様の無いような事柄が事細かに挙げられているのである。正直、フリードリヒトには読んでもよく意味がわからない事も多々あった。この『取り説』の恩恵に大いに預かった筈の先代勇者である大義に質問したところで、「あ~、それな」と言葉を濁されたり、「ん~」と唸られたり。男女の違いなのか、個人差なのか、結局よくわからない部分は誰に訊いてもよくわからないままであった。

 ともあれ、大役を果たさねば。

 迎えの口上を述べるべく、この召喚術の責任者である大神官と自分の副官であるグレンロイドを左右に従え、フリードリヒトは静かに今代勇者の前へと進み出る。

「ようこそお越し下さいました、勇者様」

 フリードリヒトが正面に膝を折り、(こうべ)を垂れると、召喚の間に居る全ての者達が一斉にその場に(ひざまず)き、深く頭を垂れる。

「我等一同、慶びに打ち震え、勇者様を歓迎申し上げる」

 頭を垂れたままそこまで言い、すっと面を上げたフリードリヒトは、あれ?と内心首を傾げる。

 確かに御前に跪いた筈が、顔を上げればそこには誰も居らず、己が誰も居ない空間に話し掛けていた事実に、フリードリヒトの目は一瞬点になった。慌てて視線を巡らせてその姿を探せば、今代勇者は何時の間に移動したのか、誰の頭も向かない隅っこで所在無げに両腕で我が身を抱くように身を縮こまらせ、素知らぬ表情で、きょろきょろとあらぬ方へと視線を巡らせている。

「あの・・・」

 言いかけて、思わず、フリードリヒトは小さく苦笑する。

 が。

「あの、勇者様?」

 呼び掛けても、声が届かぬ距離でもないのにフリードリヒトの呼び掛けに気付かないのか、無視という感じでもなく、勇者は無反応であった。流石に困って、チラリとフリードリヒトはグレンロイドと顔を見合わせた。

 苦笑して小さく肩を竦めるグレンロイドに、フリードリヒトは朧気に事態を理解する。

 成る程、《勇者様》というのは個人の名前ではない。いきなりその名称で呼び掛けられても、ご自分の事と思われないという事か。そう考えれば得心も行く。

―――今代勇者様はおくゆかしい方なのかも知れないな

 希望的観測も少々。

 すっと立ち上がると、フリードリヒトは改めて勇者の前に進み出る。

 近付くと、流石にその気配に気付いて顔を上げた勇者の瞳が、フリードリヒトを捉えた。

「え?」

 と微かに勇者の桜色の小作りな唇が戸惑いの声を吐息に乗せる。甘く、可愛らしい調べであった。

 その声に密かに感動しながら、今度は逃さぬようにと視線を合わせたまま勇者の前に跪く。

「改めまして、ご挨拶申し上げる、勇者様」

「えっ?や、あのっ」

 貴女の事ですよと念を押すように真っ直ぐに目を見据えたまま、殊更に最後の言葉を強調すれば、勇者は目を丸くして慌て始める。挙動不審な様子が、小動物のようで、ちょっと可愛らしい。

 が。

()()()です」

 一瞬後に返されたのは、キッパリとした否定の言葉であった。

「いえ、・・・」

「あの、それより、お取り込み中のところ大変申し訳ないのですが」

 間違いではないのだと訂正しようとしたところ逆に喰い気味に話しかけられ、その、此方の事情を慮るような前置きの言葉に、思わずフリードリヒトは話を聞く態勢になってしまう。

「此処、何処でしょうか?あの、部外者であることは重々承知しておりますので、直ぐに失礼したいのですが、此処、もしかして日本ではないですよね?なのに言葉が日本語に聞こえるって・・・」

 どうして?という戸惑いが、彼女から滲み出ている。

 《ニホン》というのは聞き覚えがある。

 確か、先代勇者の故郷がそのような名称であった筈だ。否、代々の勇者の、であったかも知れない。

 という事は、今代の勇者様も同じところからいらしたのであろうか。

「映画のセットとか、ドローン撮影とかでもないですよね?」

 映画?

 ドローン?

 知らない言葉が彼女の唇から飛び出して来る。

「あの、おかしな事言うようですが、さっきまで私、日本の、その、自宅に居て、今、靴も履いてないですし、一体何がどうなっているのか・・・」

 そわそわと、不安からか少し早口になりながら、丁寧な言葉遣いで捲くし立てるように喋る声はか細く、気の弱そうな性格を思わせる。

「私、明日両親の葬儀で、この後遠方に嫁いだ姉が訪ねて来る事に成っていて、・・・故人と同居していたのは私だけなので喪主は私が勤めなければならいんです。葬儀社やお寺さんとの打ち合わせや親戚への連絡もあって、直ぐ戻らなければならないんです。うちには自分で自分の面倒を見られない扶養家族達も大勢居て私の世話を待っていますし・・・」

―――うっ

 心底困っているのだというように眉尻をさげ、縋るように見詰めて来るダークブラウンの瞳に、ズキリと罪悪感がフリードリヒトの胸を刺す。

 勇者は異世界から降臨する。

 その事は知っていながら、知っていただけで理解はしていなかったのかと、フリードリヒトは思い至る。

 勇者の降臨は、この世界にとっては女神の慈悲の顕現であり、希望であり、慶びである。

 だが、その異世界から突然、何の前触れも、本人の承諾すらも無く、有無を言わさず連れ出され、見も知らぬ世界に渡される勇者にも事情があれば都合もあるのだという事を想像した事が、かつてあっただろうか。

 目の前のこの女性は、死に別れたばかりの両親の弔いを目前に控え、準備に追われている最中であったというのだ。しかも、何故か婉曲な表現ではあったが、何人もの幼子達まで唯一の保護者であった彼女は置いてきてしまっているという。

 申し訳ない。

 そうは思う。そうは思うが、だからといって、それらの事情に対し、フリードリヒトにはどうしてあげる事も叶わない。

 女神から授かった召喚術はいわば一方通行。伝え聞く限り、歴代の勇者達の誰一人として無事故郷へ帰ったという話は確認出来ないのである。それを、フリードリヒトは、否、ことによるとこの世界の人間の誰一人、疑問に思った事は無かった。

「申し訳ありませんが、暫し、お心を鎮めては下さいませぬか勇者殿」

 言い淀むフリードリヒトに代わり、静かに言葉を掛けたのは大神官であるエルドラント・ドルトレンであった。

「勇者って・・・」

 エルドラントの言葉尻を聞き咎めるように、ふと、勇者は眉を顰める。

「あの、・・・それ、まさか私の事ですか?」

「御意にございます、勇者殿」

 問い掛ける声には、戸惑いというには少々強めな険が含まれている。だが、気付かないのか、エルドラントはにこやかにそれを肯定する。

「はぁ?っや、人違いだと思います。って言うか断固人違いです。心外です」

 途端に彼女は飛び上がらんばかりに驚いて、とんでもないとばかりに否定する。

 否定というより、最早拒絶に近い。

「はて?」

 返された穏やかならざる言葉に、漸く不興を買った事に気付いた様子のエルドラントだが、心当たりが無いのはこちらだといわんばかりにぽかんとする。フリードリヒトやグレンロイズにしてもそれは同じで、凡そその場に居た者達は全員内心ぽかんと口を開いて目を丸くする。

 勇者召喚の魔方陣で勇者を召喚したのであるから、招かれた人物が勇者である事は、この世界の人間にとっては当たり前の事であった。いわば、ニホンという名称らしい《勇者の国》から、女神様のお力を以って、お一人、勇者様をお招きした。そんな認識でしかないし、そこに疑問を感じた事も無い。

「心外と申されますのは少々お言葉が過ぎるようですが」

 さては謙遜か?にしては少々険のあるもの言いであるようなと首を捻るエルラントに、彼女は仕方が無いなというように小さく溜息を吐く。

「って言うか、《勇者》って何?って話なんですけど、まさか私に魔王討伐でもしろとか言わないですよね?(笑)」

「おぉ、ご理解が早くていらっしゃる。まさにその通りにございます」

「はぁっ?」

 困惑と色濃く皮肉を帯びた言葉にしれっと返されたエルドラントの言葉が想定外であったのか、彼女は仰天の声を上げ、暫し絶句すると、そのままガックリと頭を抱えてしまった。

「どうしよう、バカにされてるような気しかしない」

 小さく漏らされた苦々しい呟きに、そういえば、《勇者の国》に《魔王》は架空の物語りの中以外には存在しないのだという事を思い出した。そして《勇者》という存在も同様であるという事も。とすれば、彼女がそれを受け入れられないのも無理の無い事であろうか。

「それでは、何とお呼びすればよろしいでしょうか?差し支えなければお名前をお聞かせ下さいませんか?」

 このままエルドラントに会話を任せていては彼女の不興を買うばかりのようだ。察して、フリードリヒトが口を差し挟む。

 すると彼女はすっと口を噤み、鋭く視線を足元の魔方陣を検分するように巡らせると、再び真っ直ぐにフリードリヒト達へと向ける。

「あの、これ、魔方陣・・・ですよね?」

「は?ぁ、えぇ、異世界より勇者様をお招きする為に、我等が慈悲深き女神アルカナ様より賜りました魔方陣でございます。この魔方陣を用いた儀式によりまして、貴女様をこの地へお招き致しました次第」

 不意に向けられた唐突にも思える彼女からの問いに、エルラントは戸惑いながらも重々しく肯定する。流石に少しは空気を読んだか、彼女に対して《勇者》という名称を控えるだけの配慮は働いたらしい。

「そう・・・」

 やっぱりか。と、彼女の唇が小さく言葉を紡いだ。

「あの、申し訳ないのですが、個人情報ですので、お教えしかねます」

「は?ど、どういう事でございましょうか?」

「済みません、私の国では、今、個人情報の取り扱いに関しては大変に規制が厳しくて、不用意に初対面の方に漏らす危険は極力冒したくないんです」

「貴女様のご懸念の種は、先程魔方陣かと問われた事と関係がございますでしょうか?」

 エルラントの問いに、小さく唇に苦笑を浮かべ、彼女は小首を傾げて見せた。好きに解釈しろということであれば、それは肯定という事になる。

 確かに、人を操る魔法や契約魔法、呪術に類する魔法には、術式に対象の名前―――真名(まな)―――を使用する場合がある。

 いずれにしろ、彼女はその辺りの知識があり、警戒しているという事であろう。逆に言えば、「あなた達の事を信用するだけの理由がありません」と言われたも同然であった。

「成る程」

 これは思う以上に手強い。

「失礼ながら、貴女様のお国には魔法は存在しないものと聞き及んでございますが、貴女様におかれましては、魔法に対する造詣が深くていらっしゃるようにお見受け致します」

「・・・何故こちらの情報を?」

 ドルトレンの問いは、彼女に少なからず疑念を抱かせたように見えた。が。

「いえ、現実としての魔法は、私の世界には存在しませんが、物語りやゲーム等のフィクション―――空想上のものとしては存在しますので、正しい知識があるという訳ではありません。ただ、魔法は存在しなくても、魔術や呪術といったものは一応存在しますので。と言っても、一般的な話ではなく、殆ど迷信や都市伝説に近いレベルなんですけど」

 彼女は、自らの呟きにドルトレンが反応するのを待たず、ドルトレンの質問に答える。

「それでは、貴女様の事を何とお呼びしたらよろしいですかな?」

「・・・まぁ、そうですよね…」

 勇者と呼ばれるのは拒否、名前を明かす事も拒否となれば色々と会話も不便である。彼女もそれは理解しているらしく、半ば諦めにも似た苦笑を漏らした。

「個人名では有り得ませんが、今の私の立場なら名乗る事は出来ます」

「お立場・・・、で、ございますか」

「えぇ」

 狐と狸の化かしあいのように、探る様に窺うエルラントに彼女はニッコリと微笑んだ。

「ぱっと見、あなた方は私を《賓客》、つまり《まろうど》として遇して下さろうとしているように見えます。けれど、私の立場から名乗るなら、私は《拉致被害者》です」

「それでは、ラチ様とお呼びしても?」

 ニコリ。

 彼女は、真意の見えない笑みで応える。

「では、ラチ様。あちらに部屋を用意してございます。このような場所で立ち話でもございません。先ずはお茶など差し上げましょう。詳しいお話はごゆるりとされた後に日を改めてご説明させて頂くのがよろしいかと」

 いや。いやいやいや、待てエルラント違うだろう。何すんなりその名前を受け入れているのだ!?とフリードリヒトは思わず心の中でエルラントの天然っぷりに突っ込む。

 一見穏やかで優しげな口調で、見る者の心を蕩かせそうな慈愛に満ちた笑顔をされてはいるが、よく見ると彼女の瞳の奥は非常にひんやりとしている。そもそも彼女は立場なら名乗れると言い、拉致被害者と名乗ったのである。()()()()()である。大切な事なのでもう一度言及しよう。()()()()()である。これは相当お怒りでいらっしゃる。すっと背筋が凍る。

 だが、女神の慈愛を盲目的に信じる神官長であるエルラントは、女神の慈悲である召喚の魔方陣によって招かれた()()()()()()()()である勇者がこちらに牙を剥くというのは想像すら出来ないことなのかも知れなかった。

 だが。

 いずれは落ち着いて立場を受け入れてくれるにせよ、召喚直後の勇者が混乱し、荒ぶる事は、我が身に置き換えれば当然の事と想像も付くというものであった。

「いえ、現状をある程度正しく理解出来ないままでは落ち着きようもありませんし、先にも申し上げた通り、私には時間に猶予がありません。布団もベランダに干したままです。出来得る限り迅速で詳細な説明を求めます」

 では此方へと場を移す為に先導するエルドラントに、だが、彼女は悠長にしている時間は無いのだと主張する。異世界からこの世界に召喚されたという事と魔王討伐を依頼されるということ以外、状況が何もわからぬまま情報開示を先延ばしにされて落ち着ける筈も無いというのは頷けるものがあった。《勇者取り説》で先々代勇者が口をすっぱくして「落ち着くまで待て」と指示していたのは、新たな勇者が、異世界に召喚されたという事実を受け止めきれずに混乱し、大きく動揺している場合の事だ。尤も、あらゆる関連文献を鑑みるに、過去に召喚された勇者の殆どはそれに該当するのだが。

 そう考えると今回召喚されて訪れ、動揺を見せるどころかどこか冷静にこちらを観察し、あまつさえ拉致被害者を名乗りさえするこの女性の理解力―――或いは知識の深さか―――と(はら)の据わり方は、尋常ではない可能性があった。

 一見大人しく優しげに見える彼女ではあるが、只者ではない。の、かも知れなかった。


 ちなみに、彼女が《勇者》という名称を毛嫌いした訳は後日明かされる日は来るのだが、それはまた別の話である。


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