Rord16 魔法、解禁
不可思議な夢から目を覚ます。夢とはいえ行動も、内容もすべて覚えているのだが。
ベッドから体を起こし、左腕を確認する。外見に変化はない。ただ昨日よりも少しだけ腕を良く動かせることしか違いは感じられない。
「やっぱり、夢だったのか?」
『力が戻った。』と告げられたはずと覚えていたが、何の変化も無い。
深く疑問を感じつつも自分ではどうしようもないので後回しにし、寝間着から着替えて自室を出た。
起きてみたはいいものの、何をすればいいか分からない。
しかし、既に目も覚めてしまった以上は何もしないというわけにもいかない。ひとまずは大広間に向かい朝食の確認をする。
大広間まで来たはいいが、ここに来るまで物音一つ聞こえなかった。
本当に誰一人としていないようだ。ここまで広い屋敷なのだから使用人が数名ほどいてもおかしくはない。
されど廊下にて響くのは自分の足跡のみだった。
「――姉さんは…まだ寝てるのか?」
時刻は7時をとうに越えており、人間ならば活動を始めている時間帯だ。
やはり吸血鬼としての血が濃いと、日常生活もまた少し変わるのだろう。
先に起きた者の務めとして朝食を用意すべく、アルトは調理場に足を運んだ。
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…昨日の話を聞いていた限り、姉だけははまともな生活をしていると思っていた弟だったが、期待していた心は音を立てて崩れ落ちた。
まず始めに、冷蔵庫の中身は空っぽだった。――いや、それ事体には何の問題も無かった。
問題はコンセントが差し込まれておらず、冷蔵庫からコンセントに至るまで全てホコリが被っていたのだ。
このことから食材を貯蔵することなど滅多にないことが読み取れる。
ならば普段は何を食べているのか。その答えは食器棚の横に積み上げられた木箱の中だ。
赤に線を引かれている木箱が1つ、何も描かれていない木箱が3つ。赤の木箱にはレトルト食品や缶詰が整理されていた。
残りの木箱の中身は、――ブロック状の携帯保存食が所狭しと積み込まれていた。
「……飯の前に買い出しだな。」
朝からまたレトルトは勘弁したい。パンは既にカビていたことから、朝食は最悪あの保存食になる。
財布と、効果があるかは分からないがマフラーを身に着け、書き置きを広間のテーブルに置いて山下の港町まで駆け出して行った。
…シルクが広間に降りてきたのは、アルトが出かけて少し時間が経った後である。
寝起きのシルクは自分が座る位置にいちまいの手紙があったことに気付く。
「おはよ~…て、あれ手紙?」
『シルク姉さんへ。
朝食を用意したかったので
調理場を拝見しました。
冷蔵庫に物がないのは、まぁ良いっス。
レトルトにも目を瞑ります。
しかしあの大量の携帯食は何なんスか。
まさかあれが普段の食事とか
言ったりはしないっスよね?
流石にこの食糧状態は酷いので、
せめてもの色々なお礼として
ちゃんとした食事を用意させてもらうっス。
P.S 昨日俺が食べたスープ、
賞味期限が半年も切れてました。
俺が食った後に「良かった」って言ったのは
食あたりの事ですか?
自分が勝手に思い込んでたことだし、
助けてもらった身分で言いたかないっスけど
姉さんだけはマトモだと思ってたのにガッカリです
』
…シルクは膝から崩れ落ちた。朝食云々の話ではなく、下手に出ているようで心からの失望がにじみ出ている文章。
そして最後の[ガッカリ]という合わせ技に耐えられなかったのだ。
かくしてシルクは、弟からの失意の念に耐えきれず、近くにあったソファの上で丸まってしまった。
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食料を買いに港町まで降りてきたは良いものの、何を買うか、また何処に行こうか悩んでいた。
あの様子では、使い切るのに数日を要する食材は使えない。そもそも冷蔵庫がまともに動くか分からない。絶対に一度使ったら放置されて腐るだろうという確信があった。
いっそ一食ごとに買いださねばなるまいかとも考え始め、市場の入口前でアルトは唸りながら悩みこんでいると、背後から声をかけられる。
「おやおや?こんな朝早くから市場にお客さんがいるのは珍しいナ。
さしずめ、今日の朝ごはんの準備を怠っていて急いで買いに来たトカ、合ってる?」
背後から聞こえるのは女性の声。周囲に客と呼べる人物はアルト一人しか居ないため、自分に聞いているであろうことはすぐに察せたのだが、不思議と声の方を振り返れない。
「まぁ、その通りっスね。調理場に食材と呼べるものが無かったんで、とりあえず買い出しに…っス。」
ここまでの会話に何も違和感は無い。だが何故だろうか、アルトの心境は既に警戒態勢に入っていた。
「へぇ~そうなんダ…。多分近くに住んでるんだネ。
でもここらで見ないってことは町から少し離れたとこに住んでるとかかナ?」
アルトは答えない。ただ黙ってこちらから情報を出さず、この女性の目的が何かを探る必要に駆られていた。
「ま、初対面だし無理に答える必要も無いけどネ。――ところでさ。」
言葉の最期を発した瞬間に、声の主が動いたことが分かった。
アルトは相手から数歩ほど距離を取りつつ振り返り、敵の初撃を躱す。
「バレバレなんだよ、だまし討ちは既に読めてた。
暗殺目的なら、話しかけない方が成功しただろうにな。」
ようやく振り返ったさきに見えたのは、小柄で細身を帯びた女性。
フードとマスクで頭部を隠し、口元しか確認できない。
服装は動きやすさ重視なのだろう。胸当てにショートパンツ、足にナイフホルダー、腰にはベルトポーチ、いつでも物を取り出せるような配置になっている。
「とりあえず場所変えようぜ。白昼堂々…といってもまだ朝だが、ここで戦闘になンのは周囲に迷惑だしな。」
流石に街中で戦いを始めるわけにはいかない。無関係な人には迷惑だし、騒ぎを聞かれて警備兵に囲まれでもしたらこっちが圧倒的に不利になる。
とりあえずは適当にそれっぽい理由を付けて、人目の寄らない場所へと移動した。
しかし『暗殺者』にしては身なりがそのまますぎる。なんならその辺に歩いてる商人の方が自然な格好の分、警戒しにくいのだが。
「殺すのが目的と決まってないからネ。で、さっき言いかけたことなんだけど……『冒険の書』を差し出すか、ここでワタシに捕まって警備兵に引き渡されるか、どっちが良いと思う?」
こんな風に、誰かに狙われる予感は何となくしていた。
ただでさえこの町では指名手配されているというのに、昨日は暴れすぎたこともある。たとえ昨日のチンピラ(悪魔)戦を見られていないにしても、ケガをした子供を運んでいるところは数多くの人の目に触れたはずだ。
いくら顔を隠すように努めていたとしても、隠し通せる範囲に限界がある。
しかし、警備兵や城の兵士以外で、こんなにも早く自分の身柄を狙う奴がいたのには驚いた。
「どっちの提案もお断りだ。それにしても白昼堂々と人にナイフ向ける奴があるかよ?」
「ン?人に刃物を向けるって点なら、昨日キミもやってなかったかイ?
まぁ結果として人には向けてないけど、似たようなもんでショ。
でも選択肢はちゃんと選んでほしいナ~。捕まるか、書を渡すか。
どっちかでいいんダ。しっかり選んでくれないと、結局殺すことになるんだけどネ~。」
残念なことにチンピラ戦は目撃されていた。しかしそれは結果論でいえば人に向けたわけではないので、言及は許してほしい。
そんなことよりも引っかかるのは、この[暗殺者?]が求めている物が[どちらも]ではなく[どちらか]という点だ。
「ちょっと待てよ?身柄か『冒険の書』かってことは、お前も書を狙ってるってことだよな。
たとえ褒賞が狙いであっても、それなら書の入手と同時に身柄確保でも問題ないはずだ。
それをしないでどっちかだけとなると……。」
多分自分の考えは当たっていると思う。この問いの確信を得るために再度アルトは口を開く。
「『冒険の書』を手に入れたら、自分のものにしてから俺を始末する。そうすりゃ書の行方は探ることが難しくなる。
証拠も無しならいくら捜索が出されても見つかりようがない。書の奪還と身柄確保を同時に行わないのは、国に自分の存在を悟られないため。
……だいたい合ってんだろ?異世界のお嬢さん?」
アルトが全て話し終えると、[暗殺者?]の口元[から微笑みが見えた。
「……察しが良すぎる男は嫌われるよ。
大正解さ、ワタシはこの世界の住人じゃなイ。この世界じゃワタシは生きていけなイ。
だから書を何としても手に入れるしかなかっタ。でも、善良な奴から強奪するのは絶対にごめんダ。
だったら悪人から徴収すればいいと考えて、昨日町で見かけたオマエを狙ったわけダ。」
というわけで選べ。とだけ言葉を残し、は戦闘態勢に戻る。アルトも手を構え、攻撃に備える。
しかし最悪な状態の時に狙われたものだ。買い出しだけ済ませて帰るつもりだったために、こちらは武器を何ももっていない。護身術はおさめているが、実戦経験は無いため不安がある。
「さっきも言ったけどな、どっちもお断りなんだよ!!」
考えても仕方がない。言葉を言い終えると同時に、[暗殺者?]の攻撃が迫ってくる。
まっすぐに突き立てられるナイフを裁くが、直ぐに次の攻撃が来る。一度腕を掴もうにもスルリと抜けてしまい掴むこともままならない。
ようやく掴んだかとおもえば、体を捻った蹴り技や、腕や足を通しての投げや関節技を掛けられそうになってしまうために、有効な戦術に持っていけない。
女性の技一つ一つが、対人戦に長けた動きをしている。純粋な技量では敵の『柔術』に手も足も出ないことは既に理解してしまった。
「なかなかやるねオニイサン。技を決めようにも、直ぐに対処するから中々決められないネ!」
「ハッ!押されてんのはコッチだってのによく言うぜ。対人の技量じゃ俺はアンタの足元にも及ばねぇってのによ。」
アルトには言葉を発する余裕さえないのだが、言われっぱなしも嫌だったので何とか言葉をひねり出す。
「だったら早く、諦めちゃいなヨ!!」
「悪ぃが、その提案は聞けねぇな!!」
啖呵をきってみるが状況は変わらず。むしろ相手のペースにずっと乗せられているため、こちらの神経ばかりが削られていく。
ついには反撃に転じることすら考えられなくなり、もはやアルトにできることは防御することのみになっていた。
(さすがにこのままじゃマズいな、何か良い手があればいいンだが…)
ナイフに関しては当たらないように躱し続ければいいが、蹴り技の方が予想外に重い。
やむを得ない場合のみ防ぐことにしているが、防ぐたびに腕を痺れさせるほどの衝撃を受ける。
(クソっ、このままじゃ…)
『全く、ある種は我が事でありながら見ていられないな。』
(!?)
急に聞こえた声、しかし確かに聴き覚えのある声に心の中で驚く。
(へ、変な夢とかじゃなかったのか。
てか急に話しかけんじゃねぇよ、こっちは戦闘中だ。お前と会話できる余裕なんざ無ぇよ!)
『結構大事な話をしていたんだがな。それを夢だったで片付けられるのもいささか心外だ。
まぁいい。昨日返した[魔法]を使えば少しは反撃できるだろう。』
(そんなこと言われても、魔法なんて使ったことも見たことも無ぇよ。それをいきなり実戦で使えとか無理言うな。)
『そうか、魔法の[記憶]も封じられていたか…。
仕方ないな、まずは頭で魔法の元素を強くイメージしろ。僕の力である【風元素】ならば、強風に揺らされる木々などを考えるのが無難だろうな。
強く思い、明確に情景を浮かべる。中途半端なイメージでは効果が激減したり、制御できずに暴発する。
次は今頭でイメージしたものを、どのように発動するか。今回は左の掌から打つようにするといいだろう。
例えるとすればそうだな…頭でイメージしたものを[弾]、発動箇所を[銃]といえば、身近だろうか。』
(長々とご説明ありがとよ。ホントにお前に教わるのは癪だが、やるしかねぇか!)
ハイドからの助言を受け終え、アルトは後方へ大きく飛び、魔法発動の準備のために、[暗殺者?]から距離をとり、元素のイメージに集中するため構えを緩める。
「ついに体力も限界かナ?よくがんばったけど、もう楽にしてあげるヨ!」
ついに諦めたと思い違いを起こした[暗殺者?]は、ナイフを強く握り、アルトに向かって勢いよく飛び掛かる。
距離が開いていた時間はほんの一瞬だったが、それでもアルトの魔法の準備は既に終わっていた。
「終わりダッ!!」
「テメェがな、【吹き飛べ】ッ!!!」
左腕を突き出し、女性に向かって突風を放つ。地面から足を離していた[暗殺者?]は大きく斜め上に飛ばされ、地面に叩きつけられた。
地面に背中から叩きつけられた女性は、衝撃が強かったためにまだ立ち上がることは出来ない。
ここで倒しておかねば、この女性はまた自信を殺しに来るだろう。
一連のやりとりを見ていた者はいない。女性が落としたナイフを拾い上げ―――
勢いよく、喉元を狙って振り下ろす。




