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弓張月の幻想   作者: 神龍 幸正
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第7章

はい!皆さま大変お待たせしました!

猫神です。

今回は、第7章をお送りします。

では、ごゆるりとお楽しみください。

第七章 逃

 

 エリアスが拷問されている、そんなこととはつゆ知らず、僕等はまったりとした、或いはピリッとした午後のひとときを過ごしていた。時間は心の中に不思議なゆとりを生み、また別の類の時間は焦りを生んだ。相対する二つの感情は壮絶な闘いを繰り広げる。そんなこんなで、だらんとしたこの体たらくだ。

 だが、もし帰る手段が見つからなかったり、帰れなくなったりしたらどうしよう……そんな不安はずっしりと重たく伸し掛かってきた。エリアスの責任感の強い性格なら、きっと全ての責任を、感じなくても良い筈の責任まで背負いこんでしまうだろう。僕は悶々とそう考えていた。

 すると——

 ガチャッという軋んだ音と共にドアが開いた。僕等はさっきよりは敏感に反応し、蛍光灯の光に鈍く反射する扉に焦点を当てた。するとそこには……

「すまない。遅くなった」 

 少し疲れた様な声調。瞳は少し窶れてはいたが、オッドアイの輝きは健在だった。

 エリアス・クロスナイドの姿があった。

「エリアスさん!」

 僕は椅子を背後に吹っ飛ばす勢いで立ち、エリアスのもとへと駆け寄った。シゲもさーやんも同じ反応を示したのは、言うまでもなかろうか。

 僕は手近な椅子をパッと引き寄せ、彼に勧めた。エリアスは疲れ切った様に「有難う」と小さく言い、椅子に深く腰掛けた。

「どうでしたか……?」

 僕は恐る恐る、半ば祈り乍ら訊いた。しまった——、咄嗟にそう思った。エリアスが帰ってきたことによる安堵が、僕の一言で一気に緊張へと変貌を遂げたのだ。

「ああ、それなんだが——君達が帰るのは……少し難しいかも知れん……」

 エリアスとは思えない程暗く、惨めな声だった。まるで誰かが時計の針のスピードを遅くした様だった。

 帰れない?一生?

 ライラの哀しげな瞳、「すまない」と言わんばかりのエリアス、傾き始めた陽光に固く反射する光、全てが恐ろしかった。先の見えない、漠然とした絶望感が襲い掛かる。世界にポツンと取り残された様な、果てし無い孤独だ。

「手は尽くした」

 エリアスは弁明する様に言った。

 その瞬間、僕の心に何か小さな引っ掛かりが生まれた。歯と歯の間に筋が挟まって、中々取れない時のあのジンジンとしたもどかしい感覚に似通っている。エリアスの口調に、君達が帰れないのは私の所為じゃないという様な、責任転嫁に近いものが何処と無く感じられたのだ。

 だがエリアスが帰ってきたという安心感とそれによって齎された絶望感は、そんな心の小さな怪訝を揉み消すには十分過ぎる程の力を持ち、あっという間に雲散霧消していた。

「あの……フィンクさんは?」

 どんよりと沈んだ空気の中、静謐にメスを入れたのはさーやんの一言だった。

「彼奴はまだ帰る方法を模索してる」

 エリアスは肩を落として続けた。

「帰るには、渦に飛び込むしか無いのに……」

 まただ。この心の小さな怪訝。指先のツンと痛い剥離片を無意識に弄る様な感覚。僕が眉を顰めて考えていると、シゲとさーやんも同じ感覚に襲われていたようで、僕の表情に似たり寄ったりだ。

「あの」

 暫くの沈黙の後、突然の声に驚いた。声の主はライラだった。ずっと黙ったままだったからか、その存在を忘れかけていた。

「帰るって、次元の渦に飛び込む以外にもありますよ?」

 この言葉の瞬間、僕の心の突っ掛かりは確信へと変化した。エリアスの瞳に、刹那ではあるが、はっきりした脅す様な色を感じ取ったのだ。『余計なことを言うな』、その目はより濃く、より鮮明にそう物語っていた。

 僕の勘違いということは無いか?

 折角エリアスが帰ってきてくれた——その安心感を壊したくないのか、僕の脳内にそんな声、疑念の音が響いた。

「ん、ああ、それもそうなんだが、時間と労力がかかるだろう?

 それに、それ相応の危険が伴う」

 エリアスは溜息交じりに言い、眉間をぎゅっと摘んだ。

「……?」

 ライラが怪訝そうに首を傾げる間、僕は疑念をはっきりさせるべく、とある行動に出ることにした。

 内心恐怖で足が震えたのは内緒だ。

 行動と言っても、角砂糖を二個程入れた、少し甘めの珈琲をエリアスに怪しまれぬよう、自然に持っていくだけだ。

 ——これで全てがはっきりする。

「ま、まぁとにかく、お疲れ様でした……」

 僕は少し疲弊した様子を全力で演技しつつ、珈琲の入ったカップをエリアスに手渡した。

「おお、有難う」

 エリアスは何の躊躇いも無くカップを受け取ると、一口ひらりと、煽る様に啜った。

 僕、シゲ、さーやんは半ば睨め付けるようにじっとエリアスを観察した。

「やっぱり」

 僕は刹那の静謐を破って、抗う様に吐き捨てた。

「……何が?」

 ライラはキョトンとして、僕とエリアスを交互に見た。

 すると、シゲはツカツカとエリアスに詰め寄って、顎でしゃくる様に睥睨した。

 そして、静かに一言。

「お前……誰だ?」

 長い沈黙が流れた。

 痛い痛い静寂だった。

 僕は後方宙返りしそうな心臓を胸に、コンサートの前に感じる様な高揚感と、強い仲間意識に囚われていた。

 エリアス——いや、エリアス擬きの動きと言う動きがハッタと止まり、重々しい空気がどっしりと伸し掛かる。

「……なっ」

 最初に静謐を破ったのは、愕然とした様子のエリアス擬きだった。

「何を言ってるんだい?笑えない冗談は止し——」

「冗談じゃねえってのは」

 シゲは明らかに動揺した色を見せたエリアス擬きの言葉を遮り、バシッと言った。

「お前が一番良く解ってる筈だ」

「大体、俺がエリアスじゃねぇって証拠が何処にある!」

 エリアス擬きは怒りと恐怖で眉間に皺を刻み乍ら口角泡を飛ばして叫んだ。その勢いからかガタン!と言う大きな音と共に椅子から立ち上がり、その反動でカップが床に落ち、鋭く割れた。

「証拠?」

 僕は思わず笑みを零した。

「そういうとこだよ。本物のエリアスなら、ちょっと疑われたくらいでそんな怒らないもの。

 それに、僕等『お前がエリアスじゃない』なんて一言も言ってないし」

 何故だか、後から後から笑いが込み上げてくる。僕はシゲに『言ってやれ』と目配せし、ニヤッと笑った。

 シゲは悪戯にニッと笑みを返し、挑戦する様な目で僕の言葉を継いだ。

「少し甘めの珈琲を淹れたのも、俺らの罠の一つだ。角砂糖二、三個入れたろ、ヒロ?」

「ああ」

 僕は溜息交じりに、投げ捨てる様に言った。

「エリアスが好むのはブラックだしな。それにエリアスの癖知らねぇだろ、お前」

 偽エリアスの目尻が引き攣っていた。

「エリアスって、何か飲むとき尻尾がちょっと揺れるんだよね」

 さーやんが口を挟んだ。

 そう、記憶力の良い読者様なら解るであろう、エリアスにはそういう癖がある。過去の章を見返してみることを勧める。

 ——はて、僕は誰に説明したのだろうか(笑)

「ちょっと可愛い」

 さーやんはクスッと笑って言った。

「扨と」

 僕はこれ以上の会話は無用と思って、纏めに掛かった。

「これだけの確たる証拠があって、まだシラ切るつもりか?」

 すると、エリアス擬きの瞳から総ての感情が消えた。そして深い溜息を吐いて、乱暴に吐き捨てた。

「あーそうだよ。

 俺はエリアスじゃねぇよ」

 偽のエリアスは僕に怒りの一瞥を投げた後、ライラに視線を移した。

「そもそもお前が余計な口挟まなきゃ、全部上手く行ってたものを!」

 エリアス擬きは怒りのあまり真っ赤になり乍ら散々喚き散らした。その様子は以前警察への密着番組で見た犯人を思い出させ、僕は吹き出しそうになるのをやっとの思いで堪えた。

「あ、そう」

 ライラはいとも簡単に言葉の雨霰をスルーして、顎をしゃくり、鷹揚に見下した。

「で?

 お前は一体誰だ?」

 シゲは強制的に偽エリアスの目線を戻させ、そう一喝した。

「あ?

 お前等、エリアスの野郎から聞いてねぇのかよ。俺はエリアスの双子の弟、ロイト・クロスナイドだよ」

 ええっ⁉︎

 僕等は心臓が飛び出しそうな勢いで仰天して、思わず大声で叫んだ……というのは嘘。

 シンと一瞬、時が止まった様に静謐の空気が訪れたが、それはいとも簡単に崩れ落ちた。

「それなら説明つくわな」

 シゲはいつになく真面目な表情で、ニコリともせず冷たく言った。

「随分とまぁ使い古されたネタだなぁ、一昔前のドラマでも見ねぇぞ」

 僕は何故だか急に込み上げた笑いを必死で押し殺し乍ら言った。自分で思うよりも、放り投げる様な乱暴さが滲み出る。

「で?

 本物のエリアスは何処に?」

 シゲは鷹揚に腕組みをして、ロイトを見下した。

 

 これが、僕等が彩月郷に来てしまってからやらかした、大きな二度目の失敗だった。

 

「教えてやるよ」

 そう言い乍ら、ロイトはツカツカとドアの傍らまで歩いて行き、そのノブに手を掛けた。

「その体に直接な!」

 そしてそう叫び、ドアを乱暴に開いた。

 同時に現れたのは、黒服を身に纏った、如何にもといった感じのガタイの良い男数名。ずんずんと肩を張って部屋に雪崩れ込んで来ると、部屋が一気に狭くなった様に感じる。

「自分の世界に留まれないワルイ子には、しっかりお灸を据えてやらねぇとなぁ?」

 このべっとりした猫撫で声を合図に、男達は一斉に飛び掛かってきた。

 僕等はぎょっとして中途半端に後退りした。

 だが——

「わっ!?」

 男達の狂声に慄いたさーやんは、後退りしようとして足を引いたが、その力では床との摩擦力を超えることは叶わなかった。結果、盛大に転んだと言う訳だ。

「さーやん!」

 シゲが切羽詰まった様に叫ぶと同時に、男の一人がさーやんの背中をがっちり押さえつけ、床に叩き伏せた。

「くっ……!」

 さーやんは狼の様な眼差しで僕とシゲ、ライラを見上げた。

「逃げて!

 ここで闘っても勝ち目なんて無い!」

 その語気には微かに殺気をも孕んでいた。鋭利な眼光は心身を貫き、暗鬱な自らの運命に牙を突き立てている。

「御名答」

 ロイトはねっとりした薄ら笑いを浮かべ、唸る様に言った。

 僕等が唇を噛んで、さーやんを助ける術は無いかと部屋を見渡した、その時——。

 ガタンッ!

 突然衝突音が響いたかと思うと、さーやんを押さえ付けていた男がぐらりと危なっかしく揺れ、そのまま覆い被さる様に倒れた。

 そしてその裏では、椅子を振り翳したライラが、半ば微笑み乍ら立っていた。だがその微笑みの深奥には得体の知れないどす黒いものがぐるぐると渦巻いて、目に至っては欠片も笑っていなかった。

「さ、立てる?」

 ライラは貼り付けた様な微笑を口角に崩さず、何とか男を押し退けて下から這い出したさーやんに手を差し伸べた。

 この驚くべき光景にロイトも男達も呆気に取られ、時が止まった様に茫然と立ち尽くした。

「こっち!」

 ライラは刹那に叫ぶと、僕等を先導して走って行った。僕等が倣って走り出すと、背後から葦の葉を掻き乱した様な狂おしい怒声が飛んで来る。

 僕等は廊下に飛び出すと、バタバタと足音を響かせ乍ら疾走し、あっという間に一階ロビーまで辿り着いた。男達の声と足音は時間を追う毎に小さくなっていき、二階と一階を繋ぐ階段の踊り場に来る頃には最早聞こえなくなっていた。

 若さが勝ったな……(笑)

 周りの人の何事かと言わんばかりの視線を振り切り、僕等は速度を落とさず外へ出た。誰も一言も発さず、ただ途切れ途切れの荒れた呼吸だけがくっきりと浮かび上がる。太陽は地平線に近付いて、橙に眩く輝いていた。

 僕等は人でごった返す大通りに紛れ込み、足早にそこを抜けた。 

 そして石畳の薄暗い路地に入り、夢に出てきたのと似た様な複雑に入り組んだ道を進んだ。ライラは険しい表情を崩すとまでは行かなかったが、先程よりかは緩んだ顔を見せていた。

 暫く細道を行くと、薄汚れた扉の前に着いた。蔦が絡まり、所々苔生した石壁は冷たく、怖ろしげな威圧感を放っていた。

「入って」

 ライラは静かにドアを開け乍ら小声で促した。僕等はライラに促されるまま、そっと足音を立てぬ様敷居を跨いだ。

 六畳程度の部屋の中は、外見とは比べ物にならない程綺麗だった。フローリングの施された床には埃一つ無く、本棚は本の背の順に並べられていた。部屋の壁は時計が掛けられ、コッコッと心地良いリズムを刻んでいる。ハンガーにはエリアスのと同じ群青色のマントが小綺麗に掛けられており、それだけで何処か救われる思いだった。

「適当に座って。今お茶淹れる」

 ライラは扉を閉めつつ言った。靴を脱ぐのに手間取っていた僕等をスタスタ追い越し、煙がそのまま凝った様な色合いのカーテンの奥に入って行った。

「あ、そうそう」

 ライラはカーテンの隙間から顔を覗かせた。

「脱いだ靴は揃えてね。私凄く几帳面なの」

 そして悪戯っぽく目を細め、またヒュッとカーテンの奥に消えた。

 言われるがままに僕等は靴を揃えて置くと、部屋の隅にちんまりと座り込んだ。余りにも綺麗に掃除され抜いた部屋の壁は、それ自体が最早やんわりとした光を放っている様だった。天板が硝子で出来たダークオークのテーブルもまた、部屋に飾り過ぎない良さを与えていた。シンプル・イズ・ベストとは正にこの事だ。

「凄い綺麗……帰る前に片付け術でも教えて貰おうかな……」

 さーやんは整理の行き届いた本棚を見乍ら放心した様に言った(さーやんの部屋の本棚は確かに散らかっている(笑))。

 カーテンの奥からはカチャカチャと心地良い音が響き、室内のほんわりした雰囲気の中に、アクセントとなって僕等の耳に届いた。

「はい、お待たせ」

 暫くして、ライラは薄い微笑の色を口角に浮かべ、お盆にティーカップを四つ乗せて部屋に入って来た。部屋の隅で縮こまっている僕達を見てクスッと笑い、お盆をテーブルに置いた。

「そんな隅っこに居ないで、此処においでよ。別に獲って食おうと連れて来た訳じゃないんだし」

「あの……助けてくれて、有難う御座いました」

 僕はそう言い乍ら、すごすごとテーブルの前に腰を落ち着けた。はい、とカップを手際良く置くライラに小さくお辞儀をして返答を待ったが、ライラは柔らかくはにかんだだけで、何も言わなかった。

 だがさーやんとシゲの一瞬思考が止まった様な表情から察するに、ライラが目を細める刹那前、その表情が著しく曇り、寂し気な光を放ったのを見逃した訳ではない様だった。

 街の喧騒が、かんかんと不思議に木霊していた。

如何でしたでしょうか。

4万字を超え、だいぶ長くなってまいりましたが、どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

では、次章でまたお会いしましょう!

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