第6章
大変長らくお待たせいたしました!
作者の猫神幸正です。
ここ最近忙しくなりまして、作品投稿が大幅に遅れましたこと、心よりお詫び申し上げます。
今回は、第6章をお送りします。
物語が新たな展開を見せる章となっております故、是非読んでみて下さいませ。
それでは、あなたに至福のひとときをご提供できることを願って。
第六章 危
あれから二日が過ぎた。次元の渦が消えてしまう最短タイムリミットまで、あと四日と言うわけだ。帰れるか帰れないかの瀬戸際で、しかもそのタイムリミットがあと四日しかない中で、誰にもバレないよう大人しくじっとしているなど当然出来る訳もない。かと言ってエリアスの言い付けを破り自分達で次元の渦を捜しに行ったり、それに関して軽はずみに喋ると言う訳にも行かない。結局僕は只苛々と部屋を意味も無く往復したり、テーブルを人差し指でコツコツ叩いてみたり、さもなければ窓の外を頻りに覗いては小さく舌打ちしたり。
何も出来ない、何も知らない自分に腹が立ち、歯痒さと今までにない不安に苛まれた。暗鬱で悶々とした気分。彩月郷に迷い込み、落ち着きを取り戻せたのはほんの僅かであった。
カッ、カッ、カッ——
僕は丁寧に掃除された床に踵で八つ当たりし乍ら、再び窓に向かって闊歩した。傷一つ無い硝子に映った自分の顔は、眉間に深く皺が刻まれ、憔悴した様に隈の様なものがあり、「般若」の二文字が頭をよぎった。
そして、本日二十七回目の「チッ」である。
「ちょっとは落ち着けよ」
シゲは半ば呆れた様に、半ば怒った様に言った。
「苛々するのも分かるけど、するだけ疲れるだけだ。余計な体力を使うだけ。俺らが足掻いてどうこうなる問題じゃない——」
「それはそうだけどさ!」
僕は自分が思ってたよりも大きな声が出て少し驚いたが、それをシゲに悟られぬ様に表情筋の緩みを堪えた。
シゲは余りにも冷静だった。まるで他人事であるかの様に、状況を分析していた。僕がこんなにも悩んでいるのに、シゲは他人事か?
怒っても仕方ない。それは十分過ぎる程良く分かっていたが、それでも怒ってしまう自分がいた。
「でもこんな時に冷静で居られるかよ!帰れるか帰れないかの瀬戸際なんだぞ!」
「だからこそ冷静で居るべきだ!小煩く舌打ちしてたって、何の解決にもならないだろ!」
シゲは急激に口調を荒らげた。単語一つ一つに白熱した怒りが込められていて、それらは微細な大気の粒子を震わせた。
「何だとっ?」
「ちょっと止めなさい、二人とも」
僕が脅す様に言い、シゲが反論しようと口を開きかけた瞬間、さーやんが嗜める様に割って入った。
「私達は次元の渦がどういうものなのか、その見た目を知らない。だから、街を駆けずり回ったって無駄よ。
それに、仮に見つけたとしても次元の渦が一つとは限らない。
どうすることも出来ないわ。エリアスを信じて待ちましょう」
僕とシゲは一瞬互いを睨み合ったあと、僕は窓の外に、シゲは机に視線を戻した。
一方その頃——
とても太陽が頂を通過する頃とは思えない、薄暗い部屋。パソコンの煌々とした光に、カタカタとキーボードを叩く音が不気味に響く。
「ND63.CO126にて信号キャッチ——うーん、これはハズレね。」
フィンクは目を細めてパソコンの画面を凝視していたが、煙草をグリグリと灰皿に押し付けて、椅子の背凭れに身を預けた。
「……て言うか、こんな総当たり方式で見つかるのかしら
それにしても、調査団の管理権限所持アカウントをハッキングなんて、エリアス、見かけによらず大胆なことするのね」
フィンクは新しく煙草を咥え、ライターをカチカチやり乍ら言った。
「今はこれが最善の策だと思っただけだ。」
エリアスはフィンクを見もせずにパシッと言った。
「貴方のそういうとこ、嫌いじゃないわ」
フィンクは怪しげに微笑むと、再びパソコンに視線を戻した。
「ん?何かしら……この信号」
画面には、彩月郷の地図に真っ青な点が一つ。詳細を表示すると、明らかに他の波長とは異なっていた。
カチッ
矢印のカーソルを合わせ、軽く一回クリックした。これが最大の失敗と言っても過言ではない。途端に画面には不気味に赤く光る「ERROR」の文字。エリアスのパソコンもそうなっていた。薄暗い部屋に赤い光がぼんやりと反射して、正にお化け屋敷だ。
「何をした⁉︎」
エリアスの表情は一気に険しくなり、殆ど怒鳴る様に訊いた。
「分からない!この座標の信号をクリックしただけよ!」
フィンクは煙草を灰皿に投げ入れ、画面を戻そうとキーボードを叩いた。
——ビクとも反応しない。
「前の画面に戻れない!何で⁉︎」
「こっちも駄目だ。エラー表示が消えない!故障か⁉︎」
エリアスの瞳孔は細く縮み上がり、五つのアルファベットを捉えて離さなかった。
すると、不気味な赤い表示がプツンと消え、代わりにフィンクの瞳に似た緑の数字の列が表示された。優に二千桁はある。
「これは……」
エリアスは放心した様に呟いた。
「TEQ暗号ね。オッケー任せて」
フィンクはニヤッと不敵に笑い、物凄い勢いでキーボードを叩き始めた。
「オーケー、これでいける筈」
一分程して、フィンクは満足げに言うと、Enterキーをパシンと叩いた。すると見事、緑の数字がヒュッと消えた。あの煩わしい「ERROR」表示も消え、通常の青い地図が表示されていた。
「ナイスだっ」
エリアスは叩き付ける様に叫ぶと、キーボードに手を伸ばした。
その時だった。
パソコンは無慈悲にも、再び緑の数字の羅列を表示した。
「なっ……!」
エリアスの腕が硬直した様にピタッと止まった。
「いやでも……これはさっきと同じよ。ほら——」
フィンクは少し冷静になって、数字の羅列の最初の方を指でなぞった。確かに、それはよく見ればその前に表示されたものと全く同じだった。
「てことは——」
「恐らくそうね。答えは同じ。」
フィンクはエリアスの言葉を遮り乍ら、自信に満ちた表情で答えた。エリアスが暗闇の中に一条の光を見出したかの様に笑うと同時に、フィンクはもう数字のキーを十回、素早く叩いていた。
よし、もう一度——
エリアスの瞳に少し活気が宿り、その手をキーボードに伸ばした時。画面には、Incorrect answer(不正解)の文字。
「嘘……何で」
フィンク、エリアスの身体中から力が抜けた。トサッと椅子の背凭れに身体を任せた、その時だった。
「不正解、そのままの意味じゃないかね?
エリアス・クロスナイド君」
背後から聞こえた声は、地を震わす様な低音であった。エリアスの様な暖かみを感じるそれとは全くの別物で、どちらかと言えば、畏怖と脅迫の旋律に満ちた声音である。
「あんたは……っ!」
エリアスの声には先程の希望は微塵も無く、恐怖と抵抗に支配されたその低音は、暗鬱に漂う雲を連想させた。
「君もだ、フィンク・レミル。
君達は優秀な人材だったのに……見損なったよ」
その男は嚇す様な低音の中に、余裕の感情をひけらかしていた。
「何で……ここに!」
そう叫んだフィンクの表情は、まるで死刑宣告を喰らったかの如く、口角が妙に引き攣っていた。
「管理者権限所持アカウント奪取とは、面白いことしてくれるねぇ、クロスナイド君?」
その男が不敵に微笑むのと、エリアスが歯を食いしばって男に飛びかかるのとは全く同時だった。
男はエリアスの行動が予想出来ていたのか、ギラリと眼を光らせたかと思うと、次の刹那、襲い掛かって来た右手首を爪が食い込むまで握り締め、時計回りに一捻りし、激しく冷たい床に叩き付けた。その瞬間、ダン!という床との接触音と同時に、バキッという痛々しく乾いた音とが重なって薄暗い部屋に反芻した。
「ああああっ!」
エリアスは掴まれた手首を無理矢理引き剝がし、上半身で覆う様に庇い乍ら、劈かんばかりの激痛にのたうち回った。エリアスの不自然に折れ曲がった手首はみるみるうちに腫れ上がり、群青掛かった赤紫色に変色していた。
「勇気ある行動だ」
男は目を細め、落ち着き払って言った。その口調は今し方手首の形が変形する程に骨を折り怪我をさせた者とは思えない程冷静で、ねっとりと耳に絡み付いた。
「でもねぇ……勇気だけじゃあ勝てない相手ってのも居るもんだ。
それにねぇ、あんなに脆目線が僕の心臓に来ていたからねぇ……そりゃ誰だって次の行動くらい予想出来るよ」
男は人を苛立たせるには十分なくらいのニヤリ笑いを浮かべ、溜息混じりに言った。
「エリアス・クロスナイド、突然で悪いが君を尋問する。
ちょっと尋問室まで来て貰おう。」
そう言うと、男は無理矢理エリアスを立たせ、睡眠薬と思しき薬の染み込んだハンカチでエリアスの口を覆った。エリアスの意識は朦朧と霞み、瞬く間に全身を侵攻した。そして丁度そこに辿り着いた部下に引き渡され、尋問室へと連れて行かれた。
「扨と……」
男はクルッと視線を翻し、フィンクの瞳を覗き込んだ。
「フィンク・レミル、君もだ。管理者権限所持アカウント奪取……彩月刑罰法第二〇六条違反だ」
その言葉を最後に、男は部屋を出て行った。代わりに屈強そうな部下らしき男三人が部屋を占領した。
「……な、何?」
男達は何も言わず、ただじっとフィンクを見ているだけだった。不思議に思ったフィンクは声を掛けたが、何も返事がない。すると——
「あれ……」
フィンクの目の前が少しずつ霞み始め、視界が狭まった。足の力が一気に抜け、その場に頽れたかと思うと、そのままフッと意識が途切れた。
男達の不敵な笑みとシルエットが、薄暗い部屋にいつまでも残っていた。
一方その頃——
「エリアスさん達……遅いね」
さーやんがぼやいた。
どのくらい時間が経ったのだろう。煙の様な、不思議な侘しさが狭い部屋を蹂躙し、最早身体まで乗っ取りそうな勢いである。僕は舌打ちする気力も、床に八つ当たりする体力も、将又思考回路さえも、宵闇の如し静寂に吸い込まれ、碌に機能しないまま放置していた。
カチッ、カチッ……
時計の秒針が軽い音を刻む。普段何気無く聞いている音ではあったが、いざ緊急事態に直面してみると命の拍動にさえ感じられてきて、何だか感慨深い様な、虚しい様な複雑なものを感じた。
「……」
痛い程の沈黙だった。五感が麻痺しかけた今となっては、その感覚すら靄掛かってあまり気にならなくなっている訳だが。
すると——
「あら、随分と暇してるのね」
僕は脳よりも早く、先ず耳が反応した。脱力感、無力感に苛まれて神経が麻痺して殆ど忘れていたが、何処かで聞き覚えのある声だ。僕は碌にありもしない最後の気力を全身から掻き集めて、声の発生源を認めた。ほぼゼロに等しかった気力、集中、注意、神経。それら全てがごちゃ混ぜになって戻ってきた。
エリアスと同じ真っ白な短毛に、薄い桜色の上着、エメラルドのスカート。忘れかけていた記憶が一気に押し寄せた。
「ライラさん!」
僕の中で何かが弾けた。その拍子にガタン!という大きな音と共に椅子を弾き飛ばす勢いで立っていた。
「え、何?知り合い?」
さーやんが怪訝そうに訊いた。
「ああ、昨日の夜ちょっとヒロ君と喋ったの。ライラよ。宜しく」
ライラはそう言ってニコッと笑った。僕は本能的に目を背けると、そそくさと椅子を戻し、心臓の拍動を落ち着かせようと深呼吸した。
「それで……何か?」
僕はドギマギし乍らも尋ねた。するとライラは軽快に笑って、「いいえ、ただあんまり静かだから、ちょっと様子を見に来ただけよ」と言った。
ライラは部屋の状態をぐるりと見渡し、苦笑して言った。
「その様子だと、暇を満喫してるって感じではなさそうね」
「御名答です」
僕は自然とはにかみが零れ落ちたのをはっきり感じた。
さっきまでの無気力な時間が嘘の様に楽しい会話となった。シゲもいつの間にか起きてきて、殴り込む様な勢いで言葉の継ぎ目に飛び込んだ。新しい言葉の切り口が見つけられるのがこれ程までに嬉しいものとは……僕はその幸せを思う存分噛み締めた。
ライラの持っていた話のネタが尽きてしまうと、少しずつ口数が減って行った。だがその減り方の中に侘しさや無気力さは微塵もなく、どこか愉快さが漂っていた。
一方その頃——
地下五階、取調室。
まるでそこだけ夜であるかの様な暗い廊下に、無情な蛍光灯だけが煌々と光り、時々パチッという軽い音と共に一瞬消えた。
二十センチもあろうかという程分厚く硬い、厳重な扉の向こう側。二度も三度も下がった気温、薄暗く、だだっ広い部屋の中に冷たい椅子がぽつんと一つ。
そしてそこには——
「扨と?そろそろ白状してはどうかね。
楽になれるよ」
男の能面の様なねっとりした作り笑いが、本物のナイフより恐ろしげなものを感じさせた。
「……」
そこに拘束されたエリアスに、もう殆ど意識は無かった。あるのはただぼんやりと霞んだ視界と、項垂れ、筆舌に尽くし難い激痛に耐えることしか出来ない、無様な自らの姿だけである。
「意識を保つのがやっとのくせに」
男の声からはねっとりした感じは消え失せ、ドスの効いた、寒気を伴う様な低音になっていた。
「エリアス君、ここで一つ報告だ。
今し方、君のお仲間達が君の研究室で発見されたとの報告を受けた」
男は猫撫で声を取り戻しつつ、勝ち誇った顔で言った。
そんな男とは対照的に、エリアスの表情は正に絶望そのものだ。瞳孔はこれまでか、という程小さく縮み上がり、口の中がカラカラに乾いた。
そして頽れる様に項垂れ、その美しい瞳に涙を浮かべたのであった。
如何でしたでしょうか?
面白い、楽しいと感じて頂けたなら、作者として非常に嬉しく思います。
ご感想などぜひぜひお寄せ下さいませ!
それでは、また次回の投稿でお会いしましょう。
バイバイッ^_^