1.前世の記憶
俺、ことウタルダス・レスターシュミットが現在置かれている立場は、正直ろくなもんじゃないと思う。
路上に転がった石ころのように、無価値。いや、それ以下かもしれない。生粋の穀潰し。生きる価値の無い人間。
だけど、そんな俺の存在価値が、大きく変わろうとしていた。
それは、幼なじみのアトリー ──アトリエール・サワーホワイトが妙なことを言い出したことから始まった。
「ねぇウタくん、思い出したんだ! ボク、前世は女の子だったんだよ!」
「…………は?」
こいつは一体何を言ってるんだ?
俺は幼なじみの発言が理解できずに、無意識に首を大きく斜めに捻っていた。
◇
俺が十六歳を超えてしばらく経った春の頃、アトリーが原因不明の高熱に襲われて、数日生死の境を彷徨った。
アトリーは近所の商家サワーホワイト家の長男、俺は出世争いに負けて落ちぶれた元騎士レスターシュミットの三男と、本来であれば接点があまり無さそうな家庭環境だったんだけど、ちょっとした縁があって、小さなころからよく遊ぶ──いわゆる幼なじみって関係だった。
幼なじみとはいっても、俺の方が歳は一個上だったこともあって、だいたいはアトリーが俺に付き随う感じではあった。だけど一年前のあの件以来、両親を含めた多くの人たちが俺から離れていく中で、今でも変わらず接してくれる──俺にとっては大切な、たった二人の友人のうちの一人だ。
そんなアトリーが、高熱を出して倒れた。面会謝絶になるくらい深刻な状況で、ずいぶんと心配したものだ。
数日後、幸いにもなんとか快方に向かい、ようやく熱も下がったということを聞いたので、なけなしの手持ちで果物を買ってお見舞いに行くことにした。
その前に、街の中心にある慈愛と英知を司る双子の女神様を祭った《 プリ・エレ教会 》へと足を向ける。目的は──もちろん、双子の女神プリ様とエレ様に、アトリーの病気を治してくれたことへのお礼を言うためだ。
プリ・エレ教会は、ひときわ目立つ巨大な白いドーム型の屋根が特徴的な、四つの尖塔に囲まれた建物だ。周りをぐるりと高い壁に覆われていて、正面の門からしか入ることができない。
参拝者たちが出入りする大きな門を潜ろうとすると、俺の姿を見咎めた神官兵の格好をした若い男二人に呼び止められた。
あれは──エジルとパーリーか。がっちりした体格で目つきの悪いやつがエジル。横にいる面長で背の高いほうがパーリー。俺の同級生だったやつらだ。
ちっ、こんなところで嫌な奴に会ったな。
「おい、待てウタルダス。女神様に見捨てられた貴様がこの教会に何の用だ?」
「そうだそうだ、エジルの言うとおりだ! 呪われて役立たずで教会から破門された存在のくせに、今さら何用だっ!」
「……俺は一信徒として友達の健康を祈願しに来ただけですよ、神官兵さん。ほら、このとおりお供え物も持ってますし。なにか問題あります?」
ここプリ・エレ教会は、来るものを拒まない教義なので、よほどの不審人物でもない限り出入りを禁じられることはない。それは、たとえ破門されていようと例外ではない。特に今の俺は純粋に祈りを捧げに来ているだけなのだから、入場を拒む理由がないはずだ。
とはいえ、今の俺はもはや敬虔な信徒とは言えないのだが、そんなことおくびにも出さずに堂々と言い返す。もし押し問答となったら、今の俺ではたぶんこいつらには勝てない。でも、たとえ神に見捨てられた俺だとしても、せめてもの意地ってもんがある。
俺とエジルたちとの押し問答に気付いた他の参拝客たちが、遠巻きにこちらの様子を伺っている。なにやら眉をひそめて耳打ちをしあっている感じだ。そのことに気付いたエジルが悔しそうに舌打ちをする。
「……ちっ。入れ」
「ありがとうございまーす」
お言葉に甘えて俺は堂々と教会の中に入って行った。
後ろのほうでは残されたエジルとパーリーがなにやら言い争いをしている。「ええっ? エジルいいの? あいつは神に見捨てられた……」「わかってるよパーリー。でも信徒と言われて拒むわけにもいかないだろう? それに……あいつ《 無能 》だからさ」「まぁそうだね。暴れても僕たちで鎮圧できるからね」最後にはこちらに蔑んだ視線を向けてあざ笑ってやがる。
ったく、ムカつくやつらだ。だけどあんなのいちいち気にしてたら、今の俺は息をするのすら窮屈になっちまう。だから無視無視。気にしない。
エジルたち神官兵が守護する豪華な門を潜り抜け、たくさんの人たちがお祈りしている聖堂へと入っていく。
一年前のあの日以来、この場所に来ることは本当に苦痛だったんだが、他でもないアトリーのためだ。自分にそう言い聞かせて、心を殺して美しい二対の女神像に向かって祈りを捧げる。
帰り際、一般人立ち入り禁止の回廊を歩く豪華な法衣を纏ったユースグリット先生──今では出世して大司教か、と、修道服を着た女性の姿が見えたので、もしや《 聖女 》様かと思いさりげなく視線を向ける。だけどよく見ると、少し老けた修道女だった。
なんだ、別人か。……と思ったら、いたっ!
修道女のさらに奥から出てきた、純白に金の刺繍を凝らした聖衣を着た小柄な女の子は、間違いなくファル──いや、《 聖女 》ファルカナだ。
こうして見かけるのも数か月ぶりだろうか。相変わらず愛嬌のある顔つきで、周囲の信者たちからかけられる声に笑顔で応えていた。
《 聖女 》ファルカナは俺と同じ十六歳。前はもっと田舎者丸出しだったというのに、今ではずいぶんと落ち着いた雰囲気を纏っている。
それもそうだろう。彼女は、神に見捨てられた俺とは真逆の存在なのだから。なにせファルカナは──。
ふと、ファルカナと視線が合う。あの日以来気まずくなって顔を合わすことも少なくなり、疎遠になっていた。
だから慌てて視線を逸らそうとしたものの、あいつは俺の姿を確認したとたん、満面の笑みを浮かべた。しかも《 聖女 》にあるまじく、小さく手まで振っているじゃないか。
ほんっとあいつは変わらないな。《 聖女 》様は慎み深くあるべきなのに。
案の定、すぐに前を歩いていた老修道女に怒られる。しゅんと落ち込んだファルカナが少し憐れに思えたので、仕方なく小さく手を振りかえすと、《 聖女 》様は懲りずに笑顔を弾けさせた。
ったく、なんであんなに嬉しそうな顔をしてるんだか。ユースグリット大司教に気付かれなかったからまだ良かったものの、バレたら大目玉じゃ済まないぞ?
予想外の再会はあったものの、とりあえず予定していたお祈りは終わったので、用が済んだらさっさと退散とばかりに、俺は双子の女神の神殿をあとにする。その足で向かうのは、アトリーの家だ。
久しぶりにあいつにも会えたし、手を振ってもらえたことで《 聖女 》様の加護を得られたって考えられるかな。であれば、きっとアトリーの病気も完治が約束されたに違いない。エジルたちに会って嫌な思いをしてまで、わざわざ来た甲斐があったよ。
アトリーの家は、大通りに面した場所で日用雑貨を扱う《 サワーホワイト商店 》という名の店舗を営んでいる。
父親はすでに事故で他界していて、アトリーの母親──エミールおばさんが一人で切り盛りしているものの、良い品を安くで取り扱っているということで、それなりに繁盛しているお店だ。
「こんにちわ、おばさん。アトリーのお見舞いに来ました」
「あら、ってウタくん……こんにちわ」
カウンターの向こう側で棚卸しをしていたエミールおばさんが、突如訪問した俺を見て戸惑うような表情を見せた。あれ、もしかしてタイミング悪かったかな?
「急にお邪魔してすいません。もしかして忙しかったですか?」
「あ、ううん。そういうわけじゃないのよ。わざわざお見舞いに来てくれてありがとうね、ウタくん。ただ……アトリエールがね」
「アトリーがどうかしたんですか?」
「どうかした、という訳ではないんだけど」
どうにも歯切れの悪い態度だ。
エミールおばさんはサワーホワイト商店をたった一人でそれなりの大きさに成長させたやり手の女性経営者で、ハキハキとしてキップの良い美人さんだ。一年前の出来事の後も俺への態度が変わらなかった、数少ない信頼できる大人のうちの一人でもある。
なのに、今日はいつもの態度が影を潜めている。
「あのね、ウタくん。あの子のことを見ても驚かないで欲しいの」
「驚く?」
妙に真剣な表情で言われると、どうにも居心地が悪い。
アトリーは病気によってそれほどに容貌が変わってしまったのだろうか。だとしても、俺の彼に対する態度が変わることはない。なにせあいつは、俺が一年前にあんなことになっても、変わらず俺に接してくれたのだから。
「大丈夫だよ、おばさん。俺はアトリーがどうなろうと変わることはないから」
「そ、そう? それじゃあわかったわ。あの子の部屋に案内するわね」
「いえ、アトリーの部屋ならわかります。おばさんはお仕事に戻ってください。どうもお手間をおかけしました」
「いいのよ。もしかしたらあなたと会うことで……ううん、何でもないわ」
最後まで何かを言いよどんでいたエミールおばさんに頭を下げ、そのままアトリーの部屋へと向かう。何度も遊びに来たことがあるアトリーの部屋の前に立ち、ノックをする。
「アトリー。俺だ、ウタルダスだよ。お見舞いに来たんだ」
「……ウタくん? 入っていいよ」
ドアをノックしたあと、返事を待って部屋に入った瞬間──俺は、お見舞いに持って来た赤い果物を床に落としてしまった。同時に、おばさんの態度がずっと変だった理由を理解する。
部屋の中にいるのは、幼馴染のアトリーのはずだった。だけどベッドで上半身だけ起こして迎え入れてくれたそいつは、俺の知る幼なじみと酷くかけ離れた姿形をしていた。
俺の記憶にある幼なじみのアトリーは、薄い茶色の髪に大きな瞳の、少しやんちゃな感じが強く出た中性的な外見を持つ──少年だった。
だけど、いま目の前にいる人物はどうだろうか。真っ白な髪に、透き通るような白い肌。驚くほど長い睫毛に憂いを秘めた大きな瞳。折れそうなほど華奢で細い腕。
──端的に結論を言おう。どこからどう見ても女の子にしか見えないじゃないか!
確かにアトリーの面影はある。あるっちゃある。大きな瞳なんかはそのまんまだ。だけどこれは……あんまりじゃないか,どう見ても女の子にしか見えない。それほどに容貌が変わっている!
そして、驚く俺にアトリーから言い放たれた言葉が、冒頭のそれである。
◇
おさらいしよう。
「なんてこったい。俺の幼馴染が女みたいな姿になっちまった!」
いちおう誤解のないように言っておくと、アトリーはこうなる前までは普通の男友達だった。
はっきりと明言しよう。俺の幼馴染のアトリーは正真正銘″男″だ。素っ裸で飛び回って遊んだこともあるから、その事だけは確信を持って言える。あいつ、ついてますよー!
……だけど、俺はいま目の前にいる相手を見て、自分の知る幼馴染と完全に同一人物だと胸を張って言うことはできない。こいつ、本当に俺の幼馴染のアトリーか?
「ねぇウタくん、ボクが前世で女の子だったって聞いてビックリした?」
いや、ビックリしたのはそっちじゃないんだけどさ。
とはいえなるほど、おばさんの態度が歯切れが悪かった理由がよく分かった。
……もしかしてこいつ、高熱のせいで頭がおかしくなったのか?
「違うよ! ちゃんと以前までの記憶だってあるってば。熱を出す直前は一緒に″沈黙の森″に探検に行ったでしょ?」
「あ、ああ。そうだったな」
そう、確かにアトリーが熱を出す直前、二人で「冒険」と称して近所の森に出かけた。熱を出した時は森で変な病気を持ち帰ったのかと思ったくらいだ。
記憶は確か。であれば、こいつの言っていることは世迷言ではないのだろう。それに、アトリーが俺を騙すとも考えられない。
──なにせ、今の俺には騙す価値すら存在しないのだから。
「じゃあアトリーは、本当に前世を思い出したってのか?」
「……ウタくんは、ボクの言うこと信じてくれる? 自分で言うのもなんだけど、荒唐無稽なこと言ってる自覚はあるからさ。実際、お母さんはすごく戸惑ってるみたいだし」
そりゃいきなり息子が娘になっちまったら誰だって戸惑うだろうさ。いや、まだちゃんとブツはついたままなのかもしれないけど?
だけど、それとこれとは話が別だ。
いくら見た目が変わろうと、アトリーはアトリー。俺にとってこいつは、他の誰よりも信頼すべき存在であることに変わりはない。
アトリーは、俺が一年前に本当に辛い目にあったとき、他のやつらみたいに離れていくことなくずっと俺のそばに居てくれた。であれば、今度は俺がアトリーを支える番だ。こいつが男だとか女だとかってことは一切関係ない。
「当たり前だろう。アトリーは一年前のことがあっても俺を見捨てなかった。だから……」
「ウタくん、ボクうれしい!」
不意打ちでアトリーが抱きついてきた。
高熱で寝込んでいたせいか、アトリーは妙にか細くなっている。しかもなんだか妙にいい匂いがして、本当に女の子みたいじゃないか。
……って、待て待て! 何を意識してるんだ俺は! こいつはただの幼馴染の、しかも男だぞ?
俺はこれまで教わってきた精神コントロールの方法を必死に思い出して、強く意識を保とうとする。すーはーすーはー。よーし大丈夫。俺は正気だ。
なんとか冷静さを取り戻したところで、アトリーの身体をゆっくりと引き剥がす。
「こら、離れろ」
「……ちぇっ、ケチ」
くっ。こいつ狙ってんのか? 口をすぼめて舌打ちする姿さえ女の子みたいに見えるじゃないか。
アトリーにこれ以上振り回されてはたまらないので、無理やり話題を変えることにする。
「そしたらさ、アトリーが熱を出した原因は、病気じゃなくて前世の──女の子だったときの記憶を取り戻したせいなのか?」
「うーん、たぶんそのせいだけじゃないと思う。実はね、ついでにこれも手に入れちゃったんだ」
恐る恐るといった感じで上目遣いに俺を見つめながら、アトリーが手を前に差し伸べる。すると、光の粒子のようなものが現れて何かを形取っていく。
現れたのは、白く縁取りのされた一枚のカード。
カードの右上には、五つの星のマークが付いていた。さらに左上には数字が確認できる。浮き上がるように表示された数字は──『4』。
俺はそのカードと星の数、それに数字を認識した瞬間、全身の血がサーッと引いていった。
「おいアトリー、それは……《 天啓の才能 》じゃないか。しかもそいつはただのカードじゃない、《 五つ星 》── お前、”ナンバーズ”に覚醒したのかっ!」
俺が絞り出すようにして口にした言葉に、アトリーは申し訳なさそうに頷いた。