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翌朝、都が目覚めると慎はリビングで勉強していた。
「…朝から勉強」
すごい、すごすぎる。
どんだけ勉強好きなんだよ。
思わず呟く。
「ああ、おはよう。よく眠れた?」
慎が都に笑いかけた。
「うん、ありがとう。
よく眠れたよ。
ねぇ、何を勉強しているの?」
ああ、これは塾の宿題なんだ、と慎はノートを見せる。
都には暗号にしか見えなかった。
「何て顔してるの?」
ぷ、と慎が笑う。
「だって、こんなの私分からないよ。
暗号にしか見えない!」
「…これ、この前授業で習ったばかりだよ?
分からないの?」
「数学苦手だもの。分からないわ」
都は肩をすくめた。
分かりたいとも思わない。
どうせ勉強が出来なくても構わないだろう。
慎はため息をついた。
「冬休みの宿題はどうするの?
数学の問題も出てると思うけど?」
「そんなの、出来ないに決まってるじゃん!
だいたいやる気なんてないし」
当たり前だ。
何のための休みだと思うのだ。
遊ぶために決まっている。
都は慎を見た。
慎は頭を抱えているようだった。
「…分かった。僕が教えてあげるよ。
このままじゃ進級出来ないよ」
げ、と都は呟いた。
進級出来ないのはイヤだ。
でも勉強したくない。
相反する気持ちが交差する。
「とりあえず、これから塾なんだ。
帰って来たら勉強みてあげるから、一度家に帰って宿題持ってきなよ。
それからきちんと親にも居所を話しておくんだよ」
慎はそう言うと立ち上がり、台所へ向かう。
「朝ごはん、食べようか」
都は頷き、一緒に台所に立った。
慎に言われた通り、都は家へ帰った。
相変わらず誰もいない家だった。
寂しさだったら、うちも同じだよね。
都の両親は共働きだ。
だからめったに顔を合わせることはない。
きっと昨日私が家にいなかったことに気付かなかっただろう。
家出なんてしたって意味がないことぐらい分かっていた。
でも学校が休みに入ると気分が滅入るのだ。
一人で家にいたくなかった。
都はため息をついた。
そうして自分の部屋へ向かう。
宿題どこに置いたっけ?
やる気がないので覚えていない。
ごそごそと探し、鞄の中からから見つけだす。
とりあえず宿題だけを持って部屋を出る。
面倒だと思いつつも、リビングへ向かう。
テーブルにメモを残すことにしたのだった。
友達の家に泊まっている、とでも書いておけばいいだろう。
そうして都は家を出て、慎の家へ向かった。
慎はもう塾へと行っている。
だからこの広い家でも都は一人だった。
あんまり状況は変わらないか。
そう思うけれど、ここで待っていれば慎は帰って来る。
だから少しは救われるのだ。
結局、どれだけ人が沢山いる所にいたって、孤独は孤独なのだ。
落ち込んだ気持ちは紛らわすことが出来ない。
都はソファーに座り、足を抱えた。
慎、早く帰って来ないかな。
たった一日しか過ごしていないのに、こんなにも慎を頼りにしている自分に驚いた。
慎は大勢の中にいる私を見つけてくれた。
私はそれが嬉しかったのだ。
なんだか主人の帰りを待つ犬のような気分になった。
ああ、そうか。
私は慎に拾ってもらったようなものだから、犬と同じだわ。
そう思うとなんだか笑えた。
慎もそんな感じで声をかけたのかもしれない。
ああ、でも慎が帰ってこなかったらどうしよう。
ここは慎の家なのだから帰って来ないことはないはずだった。
でも心配だった。
本当はここには誰も住んでいなくて、私は一人でずっと待っているだけで。
想像して悲しくなった。
そんなことをぐるぐると考えていると、いつの間にか眠ってしまったようだった。
鍵を開ける音で目が覚めた。
慎が帰ってきたのだ。
都はのろのろと顔を上げる。
「慎?お帰りなさい」
元気のない都の声に慎は眉をひそめる。
「どうしたの?
何かあったの?」
マフラーとコートを脱ぎながら近寄ってくる。
「…ううん、何もないよ。
ただ…」
ただ?と慎は首をかしげ、都の隣に座った。
「このまま誰も帰って来なくて、ずっと一人かと思った。
夢でも見てるかと」
「マヨイガ、だね」
マヨイガ?と都は首をかしげる。
慎は頷いた。
「迷い家。
柳田国男の遠野物語にあるんだよ。
山を登っていると立派な家を見つける。
誰かいないかと探してみるけど、誰もいない。
ちょっと前まではそこにいたようなのに。
そんな不思議な家のことマヨイガって言うんだ。
一度出るともう二度とマヨイガには行けないんだよ」
じゃあ、私ももう二度とここへは来れないのだろうか?
都は不安に思って慎を見る。
「大丈夫。ここは消えないよ。
来たいときは何度でも来ればいい。
僕はここにいるよ」
慎はそう言って都の頭を撫でた。
うん、と都は頷いた。
しばらくこのままでいたいと思ったけれど、慎の手が都の頭から離れてしまった。
「さて、不安が消えたところで宿題をやろうか。
もう一つの不安を取り除かないとね」
慎の言葉に都はさらにうなだれた。
勉強イヤだ。
どうしてそんなに勉強が好きなんだろう。
ああ、逃げたい。
そう思いながらも都は立ち上がったのだった。