Scene:01
世界は変わった。
いや、常に何かしらの進歩であったり技術開発などで変化は起こり続けている。しかし俺が言いたいのはそういうことではなく、人が生きる都市の在り方が大きく変化したということだ。
『Eye's』
世界中の大都市に張り巡らされたインフラを全て統括する自動設備管理維持システム、このシステムが導入、普及することによって大都市に住まう人々の暮らしはとても便利なものになった。それまでは独立して管理されていた水道・下水・治安・ガス・電気・道路・医療など、人が生きる上で欠かすことのできない重要なインフラを全て一つのシステムの管理下に置くことを目的として作られたそれは、縦割り行政のような構造になっていたそれらを一つの主体事業下にまとめることで市民のより良い暮らしのサポートが可能となる。というものだ。少なくとも表向きにおいては、だが。
各インフラ設備を繋ぐものは何か?答えは街のそこら中に張り巡らされたインターネット回線だ。当然だが重要インフラを管理するものがコンピューターでありかつネットワークに繋がっているのであれば、必然的にハッキングやクラッキングの危険に常に晒され続けることになる。それを理解していたから反対した住民も導入初期には存在していたようだが、便利さと快適性を求めた大多数の市民によってその意見は封じ込められて現在に至る。
この街は今やとても便利になった。自身のパーソナルデータをEye'sと同期すれば、健康診断を受けられる最寄りの診療所を紹介してくれたり。何か役所に用事があればEye'sを介して担当部署の役員とのアポイントメントを簡単に取れたり。家の水道やガス設備に異常が出たとなれば直ちに異常が本部メインシステムに報告され、問題が拡大する前にエンジニアが該当箇所の修復を行えるようになっていたり。人間が使うほぼ全てのインフラを管轄する巨大なネットワークシステムが構築されたお陰で、住まう市民の暮らしはほとんど快適性が損なわれないようになっている。どれもこれも『Eye's』が効率的にインフラを管理し、実際にサービスを利用する市民の要望を解析して適切なサービスを提供する仕組みが整ったからだ。
システムを導入したのはアメリカ・中国・欧州連合・オーストラリア・カナダ・ロシア・そして、日本。
いわゆる2000年から2010年までの間で所謂先進国と呼ばれていた諸国の導入を皮切りに、そこから目覚ましい経済発展を遂げた中国、世界一の領土を誇るロシアも導入を開始し、2020年代になってシステムを導入した国家は実に70ヶ国以上を数える。
そんなシステム導入国の一つ、アメリカ合衆国の大都市はワシントン.D.Cに俺はいた。
時刻は21時ちょうど、街行く人はみんなそろってEye'sのネットワークに接続されたスマートフォンを片手に持っている。そんな光景をエンジンを切った車の中から見る。十数年前までは考えられなかった姿が今、こうして現実になっている。街の至る所で電話ができてメールができて、それだけでなくインターネットにもアクセスすることができて、生きる上で必要な手続きもほぼ全て携帯の画面越しに可能で...。
世界は...変わった。
直後助手席の窓をノックする音が聞こえた。
そちらを見やると腕のある”知り合い”が窓からこちらを覗き込んでいた。助手席側のドアのロックを解除すると、”知り合い”は苦笑を浮かべながら車に乗る。
「待たせて悪いな。やっこさんの件で始末をつけるのに時間かかっちまってよ」
「そうか。車を出すぞ、目的地は?」
「アレクサンドリアまで頼む。そこにあるアパートに用があるんだ」
「アレクサンドリアか。わかった、少しここからだと時間がかかるだろうが送っていこう」
「いつもすまねえな」
「気にすることはないさ」
俺は口元のタートルネックを鼻の上まで伸ばし顔を隠してから、エンジンを入れて漆黒のスポーツカーを滑らかに発進させる。監視カメラによる映像での顔の記録を避けるための一手間というやつだ。
途端に後ろからサイレンを回したパトカーが走ってくるのに気が付き車を端に寄せながら走り続ける。
「悪りぃ、どうやら俺のファンがここまで追っかけに来ちまったらしい」
「...」
「ゴメンな?うまーく撒いたつもりだったんだが...」
「話は後。とにかくこいつらはお前の追っかけとみて...間違いなさそうだな」
パトカーは猛スピードで俺の乗る車に向かって、いや突っ込んでこようとしている。
間違いなく隣に座るこの男の追っかけだろう。
「ベルトはしっかり締めたか?本気で連中を撒くぞ」
「おう!頼むぜ吸血鬼さんよ」
「次の仕事の時は報酬を割り増しでいただこうか?」
「あぁ...分かったよ」
同意が取れたところでアクセルを強く踏み込んでやる。加速と最高速度を双方車で出せる限界クラスまで引き上げる改造を施したこの車、いくら高い性能をもつパトカーでもそう簡単には追いつけない。
まずは高速道路まで逃げれば後はこちらの勝ちだ、俺の車に直線区間で追いつけるなんて車はそうそう存在しない。出口を封鎖されていた場合は話は変わってくるが。
「ジョシュア、お前はサツの無線を傍受しろ。どのくらいの警戒レベルなのかを知りたい」
「言われなくともやってるさ。...クソ、俺が何したってんだ。結構捜査網が広いぞこりゃ!」
「なにぃ?何てことだ全く。夜通し追いかけっこする羽目になるかもしれねえのか」
「いつもならんなことはねえ!と笑い飛ばしてやるところなんだが、今回は冗談じゃねえ。マジのやつだ」
「よくもまあ運転役の俺を巻き込んでくれた...」
「借りは近いうちに返すさ、な?」
「ったく...」
警察の捜査網が広いということはそれだけ動員されている警察官やパトカーも多いということ。そうそう、Eye'sというこの都市全体を管理するシステム。実は警察や特殊部隊が事件を起こした犯人を捕らえる時にも活用される。
『スキャニング』と呼ばれるそれは、Eye'sが管理するあらゆる監視カメラなどの監視網を駆使しながら逐次リアルタイムで捜査機関に情報を送るという犯罪者にとっては大変厄介な側面も持っている。今時の大都市に監視カメラのない場所なんてものはほとんどありはしない。死角になるような場所というものは日を経るにつれてどんどん減ってきているからだ。市民が安全に暮らせるように街のいたるところにカメラが設置され、犯罪者たちは監視網をくぐり抜けることは大変難度の高いものになってしまった。
しかし『スキャニング」で行われるスキャンはそれだけではない。
市民のからだには、生まれた時に予防接種を行なうために”ナノマシン”を静脈注射で投与される。ナノマシンに記録された数々の病原体のデータ、細菌やウイルスといった全てのデータを血液中に流れる免疫細胞に刻むことによってワクチン接種と同等の効果を見込めるのだ。しかもワクチンと違い実際の病原体が体内にいるわけではないため、体調が崩れたりする心配もほぼ皆無。しかしそのナノマシン投与というシステムが実は同時に、市民のEye'sネットワークへの登録と常時システムによって監視されることになるキッカケであるとは一体都市に住む市民の何人が知っているだろうか。
そう、スキャニングによってスキャンされるのは捕捉対象である犯罪者の体内にあるナノマシンも含まれる。故に『通常の手段では”犯罪者が捜査機関の手より逃れること”は不可能』なのだ。絶対に。
スキャニングによって自身の体内にあるナノマシンは自身の意思に関わらず居場所をネットワーク上に晒してしまう。
俺は訳あってこのシステム管理下にあるナノマシンを身体に投与していないため、ナノマシンによるスキャニングに引っかかることはないが、隣に座るこの男の場合は別だ。ナノマシンリストのスキャンには簡単に引っ掛かってしまう。
「おいおいやべえって。俺どうすんだよ。シン、お前腕のいい運転手なんだから俺を無事に届けてくれるよな?」
「ならどうするか自分で考えるんだな、ジョシュア。本気でヤバくなれば俺はお前を見捨てるぞ。見捨てられる前に状況を打開する術を考えることだ。制限時間は10分」
「ちくしょう仕方ねえ、エリア内のEye'sを支える電源を落とすか!」
「やはりそれしか無いか...」
Eye'sネットワークは一見便利に見えるが、実際の所ネットワークを動かしている”大元のエネルギー”は電気だ。ネットワークへの窓口であるルーターやモデムは何で動くか?ということ。つまるところEye'sによるナノマシンのスキャンから逃れる方法の一つとして、ネットワークを支える電源システムをダウンさせてしまえば良い。各区画の各エリアごとにEye'sを運営するためのネットワークシステムと、それに電力を供給する電源システムが設置されており、それを物理的に破壊するかクラッキングをして機能不全を起こしてさえしまえばそのエリア内でナノマシンのスキャンを行うことは出来なくなってしまうという訳だ。
しかしこの方法はあまりやりたくないのが実際の俺たちの本音である。何故なら...
「あぁ、また”電波塔”の警備が厳しくなっちまう。当分活動自粛しねえとなぁ」
電波塔というのが先ほどの電源を落としてダウンさせてやろうと目論むシステム、エリア内でスキャニングをする上で無くてはならないシステムだ。当たり前だがシステムが落っこちれば電波塔付近の市民の暮らしは一時的に不便なものになるだけでなく、治安維持も兼ねているEye'sがダウンしたとなれば復旧までは治安レベルが低下してしまう。そのためEye'sを介して電波塔に直接アクセスを掛けられるのは管理者側にしか出来ず、ハッキングでアクセスを試みても無茶苦茶な数のウォールセキュリティプログラムに阻まれ、その間に逆探知されてしまうという事態に陥る(過去実際に俺一人でやったことがある)。電源システムはハナからネットワークに繋がっていないようで(なのでメンテナンスは短い周期で定期的に組まれているらしい)アクセスは不可能。手っ取り早いのは直接乗り込んで電源を破壊するか落とすか、ということになる。
過去に何度か別の犯罪者の運び屋をやった際にこの方法を試したことがあるのだが、電源を落とされたシステム周辺はとてつもない警備の厚さとなっていてとてもじゃないが近付けるものではない。
ナノマシンのスキャニングを避ける上で一番手っ取り早いのはこの方法だが、向こう側にとっても対策がしやすいと共に実行後はしばらくウラの仕事は休業しなければならなくなるのがデメリットなのだ。
ちなみになぜ休業するかというと、万が一にも警察や他の敵対するウラの組織が出張って来た時に対処がしにくくなるから。具体的に言うとシステムが落ちてスキャニングを避けられるエリアというのは距離にして2〜4㎞範囲でしかない。半径ではなく『直径』だ。他のシステムは普通に動いている中でそんなわずかな範囲に隠れて相手をやり過ごすというのは運が良くないと出来ない。下手をすればそこに逃げ込むまでに通った他のエリアでの監視網から行き先を絞られたり特定される危険性もある。特に警察なら最悪賄賂を渡せばなんとかなるかもしれないが、捕まったのが敵対組織だった場合は状況は絶望的だ。
とはいえ、警察も捕まらずにすむのなら捕まらないほうが良いことに変わりはない。
「よし、ジョシュア。とりあえずシステムの電源を落としに向かおう。幸い車の燃料は満タンになってるから1時間は持つだろう。その間に持ってるパソコンで一番落としやすいシステムの場所を特定してくれ」
「りょーかい!あぁクソ...今日はなんて日だよもう」
助手席でぶつくさ言いながらジョシュアはパソコンを開く。
実は彼は天才的なハッカーとしての才能を持ちつつ、ウラの様々な事業を展開する俺の雇い主というか仕事のパートナーである。時たまツメの甘い時はこのように大きなヘマとなって襲いかかってくることもあるが、少なくとも普段仕事をする上での手腕は確かなものであるため、商売相手としては信頼に足る男だ。
タカタカと目にも留まらぬ速さでタイピングをしながら画面とにらめっこしているジョシュアだが、中々候補地が定まらないようで舌打ちをし始める。
とそこへ目の前からパトカーが高速でランデブーしようと突っ込んできたため、とっさにハンドルを大きく右に切って躱すが、ジョシュアは突然の危険運転に画面に頭をブツけたようで大きく叫ぶ。
「痛ぇっ!パソコンに頭ぶつけたよ今!それもパソコン開く時に持つ画面の上ブチんとこだ!」
「悪いな、今そっちを気にしてる余裕は俺にもねえ!」
「わかってるけどよぉ!痛えんだなこれが!!」
そう言いながら再度タイピングをし始めるジョシュア。後ろから迫ってくるパトカーをドリフトしたり急ブレーキを掛けて向こうが追い抜いたところを尻目に別方向へ発進したり、あの手この手で追いかけてくる警察を撒いていく。
「あった!今この車のカーナビにデータ送る!この地点のシステムを落っことしてやろう!」
「分かった。それじゃあ全力で奴らを撒く。今度こそしっかり怪我しねえように掴まってろよ!」
俺はシフトレバーを操作してアクセルを思い切り踏み込んでさらに車を加速させる。
シートに押さえつけられるようなGを感じながら夜の道を疾走する。後ろには赤と青のサイレンが幾つも連なって続いてくる。今頃この光景を見ている一般市民は何事だと他人事のように思っているのかもな。
しかしいくら頑張っても中々撒くことができない。後ろの警察官もこうした犯罪者を追跡するために日々訓練を受けているドライビングのプロフェッショナルだ。簡単に撒けないのは分かっていたこととは言え、ここまで付いてくるドライバーの数をバックミラー越しに見るとなんだか尊敬の念も覚えてしまう。
「ジョシュア!キリが無い!拳銃で一番前の何台かのタイヤをブチ抜けるか?」
「おいおいおい!俺をこんなグラグラ揺れる車体から的確にタイヤを打ち抜けるスーパーガンマンだと思ってるんじゃないだろうな?無理だぞこんなの!どんな無理ゲーだ!?」
「じゃあ俺がやる!オメエの拳銃貸せ!」
「正気かよ!?」
運転席側の窓を開け、助手席に座るジョシュアに寄越せとジェスチャーで伝える。
ジョシュアは何考えてんだという呆れのこもった表情を向けながらも拳銃を手渡した。
直後俺は拳銃を持った左手を窓から外に出し、サイドミラー越しにパトカーの位置を把握し照準を付ける。そして前に高速で走る自分たちの車を邪魔する存在がいないのを確認して引き金を引く。
刹那先頭を走っていたパトカーが大きくスピンして後続を巻き込んでいく。続いて事故を切り抜けた残りの集団の先頭車にも同様にタイヤをぶち抜いて動きを止め、道上にパトカーのバリケードを形作る。
「シン、お前さん凄えな...お前だけは絶対敵に回したくねえと今この瞬間思った」
「そりゃどうも。もうすぐ目的の電源の場所に着くぞ。それと拳銃どうも」
車の窓を再度閉め、ジョシュアに拳銃を返す。気がつけば目的としていた地点に近付いていた俺たちは、警察の目につかないように慎重に車を走らせていった。
「やーっとここまできたな。んじゃあ早速、電源を落っことすか」
そういうとジョシュアは電源システムにある基盤に遠隔操作型のお手製爆弾を複数取り付けた。
「これであとは離れたところからコイツでピピっとやれば電源はドカン、ネットワークは機能停止ってわけだ」
「これでしばらくお前とはまた顔を合わせることはなくなるな。毎度言わせてもらうが、計画は念には念を入れて詰めることを強く勧める。次は助けない」
「おいおいおい、そりゃ冷てえって...あぁいや悪かったよ。お前さんからすりゃ溜まったもんじゃねえよな」
「まったく、こんなのはもうこりごりだ。さあ、早く行こう」
「だな、長居する理由はねえ」
システムからしばらく離れた所に来た所でジョシュアはスマートフォンの画面に光る赤いボタンをタップする。その瞬間電源システムが大爆発を起こし街の明かりが大停電を起こす。
「さあ、あとは適当な隠れ家に隠れて1日待ってりゃなんとかなるさ。今日はありがとうな。助けてくれてとーっても感謝してる」
「さっきも言った通り、次のお前からの仕事の報酬は割り増しだ。4割プラスで引き受けよう。今回のはそれだけリスクのでかいことに巻き込んだのは承知のはずだ」
「かぁーっ、そこまで持ってかれると俺としては手痛い出費だがしゃあねえな。んじゃ、お互い元気に生き延びよう。まずはそっからだ」
「ああ、しばしの別れだ。じゃあな」
「おう、じゃあな」
俺は乗ってきた黒のスポーツカーではなく、道路の路肩に止めてあった一般の車に乗って走り去る。現場を去る際にすれ違った乗ってきたスポーツカーをバックミラー越しに確認すると、十分な距離を離してポケットに入れておいたリモコンを操作する。直後スポーツカーも大爆発を起こしパーツが四方八方に飛び散るのを尻目に、システムが停止したエリアを離れた。これで、電源システムのダウンに使われた容疑者の使用していた痕跡は消えた。ここにいる必要性もなくなった。
Eye'sとは、都市の基本となるインフラを管理・維持するために構築されたシステムである。
ゆえにその制御を行うシステムか、あるいはそれを維持するための電源を落とされた場合様々なインフラが機能を停止することになってしまう。なぜならばシステムは全てのインフラを統括する存在であり、いまや完全にネットワークの制御下に置かれた各インフラ設備はなんらかの異常によってシステムが管理できなくなった場合に強制停止するように作られているためである。もともとは火災やハリケーン、地震国では大震災が起こった時にインフラをストップさせることで被害のさらなる拡大を防ぐのが目的のこの防衛機構だが、このような突発的な事件の際にも強制停止が起こってしまうという致命的な欠点を抱えている。
ゆえに俺はこう思いながらこの世界で生きている。
”『Eye's』は完全なインフラ管理システムではない。『脆弱な機構』なのだ”と。
俺は何もかもを機械が管理しているこのクソッタレな世界で、今日もウラに潜みながら生きている。