君の手
「仕方なかったわよ…」
ミラはゆっくりとラザァの方へ歩いてくる。
「…ミラ…」
見られていたのか、自分が1つの命を奪ったところを。
「途中からしか見てないのだけれど…ラザァらしかったよ。とっさに武器を持っていない方の手を突き出したところも殺さないでなんとか無力化しようって心の表れじゃない。」
ミラは目の前までくると穏やかな表情でこちらを見つめる。その透き通った蒼い目で。そして小さく「私にはできない」と呟く。
「…でも…」
殺した。結果的にラザァはあの魔獣を殺したのだ。
「最後は仕方なかったわ、あいつは完全にラザァを刺し違えてでも殺すつもりだった。ああでもしないと殺されていたのはラザァだったもの」
ミラはそう言うとラザァの血に染まっている手を優しく掴んだ。古龍なのが原因なのかミラの手は普通の人間より冷たく、ひんやりとしていた。
「少し話そう?ラザァ。」
ラザァが真夜中にどこかへ行くからこっそりとつけていってみたらそこにダルク ローレンスが現れて…それ以降のことはそんなに詳しくは覚えていない。ローレンスがラザァに古龍と人間のハーフについて、つまり自分について淡々と話していた。
止めたかった。止めてほしかった。
ラザァが詳しく自分について、私ミラについて知ったならば今まで通り接することができなくなるような気がして。この1カ月ほどの間に積み上げたものがなくなるような気がして。でも飛び出して行ってローレンスを止めるのは余計悪いような気がして、でも聞かないようにその場を離れることはできなくて。
まあ、結果的にラザァはその話が原因で自分に対して嫌な感情を抱いた様子はなかったのだが。
少し1人で考えたくて次の夜明けを待たずして少し軍の野営地を離れた。
せっかく得た、小さく暖かい居場所を手放したくないから。
野営地に、ラザァの近くにいるとついつい話してしまう。今までそんな家族のような存在がいなかったに等しいのでイマイチ加減を知らない。ラザァは迷惑そうにしていないかな?ラザァの事だから迷惑だとしてもそれを悟られない事に全力を注ぐのだろうが。
だから単純に距離でも取ろうと無言で飛び出してきたわけなんだけれど、森に入ってしばらくしてからラザァが変に勘違いして追いかけてくる事を思いついた。
ラザァも馬鹿ではないのだし1人では来ないだろうと思いつつも心配なので引き返し、そこで異変に気がついた。
'''森の風景がさっき通った時と違う'''
こちらを迷わせようとするなんらかの力が働いているのはミラの目には明白だった。それが何者による、どのような意図なのかはミラには分からなかったが。
あてもなくふらふらしていると、聴き慣れた声とにおいを感じ、急いで向かうとそこには魔獣と取っ組み合いをするラザァがいた。そして…
「そんな、僕は…」
ミラは無意識のうちに前に歩き出していた。
恐らく初めて自分の手で大きな生き物を殺し、動揺しているラザァを連れ、近くの倒れた大木の横まで来ると腰を下ろす。ラザァをすぐ隣に座らせると顔を見る。
恥ずかしいのであまりまじまじと顔を見つめたことはないのだが、こうして見るとそこそこ整ってはいると思う。凛々しさや仕事が出来そうな感じはないが、優しく他人思いな性格が顔に出ている。その顔は今は動揺と恐れでやや引きつっていた。
「ラザァ…」
どうしよう。こんなに弱ったラザァを見るのも、というか他人を見るのは初めてでどう声をかけていいのかわからない。とりあえずタオル代わりに腰につけていたボロ切れでラザァの手や顔についた魔獣の血を拭く。
「ミラっ!いいよ、そんな!」
ミラのしている事にワンテンポ遅れて気がついたラザァが慌てて布を押し返そうとするが、やや強引に拭き続けた。
「ミラ?」
「いいのよ。こういうのは慣れてる。」
話してはいないが、アルバード ヒルブスの家に軟禁されていた時にはフリークショーで魔獣や時には奴隷の人間と殺し合いをさせられた。血には慣れている。それに…
「私ね、いつかラザァと横に並んで胸を張れるようになりたいって心のどこかで思ってたんだ。でも横に並ぶって意味が自分でもよくわからなくて…お互いの気持ちを理解するって意味かなって思ってて…それでラザァが軍人から稽古つけてもらうって聞いた時、ラザァが、もしラザァが人を殺す事になれば私の気持ちがわかるかなって思ったんだ、でも…」
血に染まった手を見つめるラザァの顔はこれからずっと忘れることができないだろう。
「さっきのでわかったよ…ラザァがどんなに優しい人なのか…あなたはこっち側に来ちゃいけない人間なんだって…ごめんなさい、勝手にあんな、自分勝手な事考えてて…」
せっかく手にしたと思っていた居場所も本当の意味では自分と距離があるのだって。
「ミラの謝ることじゃあ…」
「いいの、私が謝りたいだけだから。」
ラザァは優しいし困っていれば必ず歩み寄ってくる。それが自分のような存在でもだ。だからこそ甘えるわけにはいかない。ラザァの手を自分のせいで血に染めるわけにはいかない。
「ミラは僕を買い被り過ぎだよ…でも本当にもう大丈夫だから、ちょっと驚いただけだから。」
そう言って無理やり笑顔を作ってみせる。どこまでも他人優先な人だ。
「本人がそう言うならいいんだけれど…でも…」
そこまで言いかけて言葉に詰まる。「あなたには汚れ仕事はさせない。」みたいなことを言いたいのだが自分にそんな資格はあるのか?その言葉を言うということは彼に降りかかる汚れ仕事を全て引き受けるだけの覚悟が、何より自分はそこまで彼に、ラザァに近しい存在なのか?
「…でも?」
わからない。
「ううん!なんでもない。」
ダメだ、今の自分ではいくら考えても答えは出せそうにない。
もし答えが見つかったら真っ先に本人に伝えに行こう。
「余計に気になるんだけど…」
「気にしなくていいから!」
それまでは保留でいいよね?
「それよりもなんでここにいるのよ?」
「こっちのセリフだよ!なんで勝手にいなくなってるのさ!?ダルクに見つからないように抜け出したり道に迷ったり大変だったんだからね!?」
良かった、元気になった。というかいつの間にか躊躇うことなくダルクって名前呼びになってるし…んっ?抜け出したり?
「抜け出したってあんた1人でここまで来たの?」
「道に迷ったのも周りの風景が…ってそっち?そうだよ、ミラあの人たち苦手だと思って1人で来たんだけど…」
せっかく普段の軽口を言い合うような雰囲気に戻ったのにどうしてくれる!嬉しくてにやけそう…本人はそんな大した事だと思ってないんだろうけど大切に思われてる気がしてどこか体の奥の方が温かくなる。顔に出てないよね!?
「だからって異変が起きてるって言われてる森まで1人で来る?あっ、異変って…」
よしっ普段通り。
「もしかしてミラも気がついた?この森変だよ、歩くたびに周りの風景が変わってる。まるで森全体に意思があるみたいに。」
「ラザァも気がついたのね。明らかに私達を森から出さないようにしているわね。」
「どうしよう、電話もないからダルク達に連絡もできないし…」
ミラ的にはあの軍人達は苦手なのでこのまま2人だけでも大して構わない、というか大歓迎なのだがそれだとラザァが不安かもしれないし妄想を頭の隅に追いやる。
「確かレレイクの奥には村があるのよね。とりあえずそこへ行ってみましょう。いくら辺境でも電話の1つはあるだろうしそこから連絡するなり色々と考えるのがよさそうね。」
まあ無難な案だろう。案外ガレン部隊もそこにいるかもしれない。
「うん、そうしようか。」
「決まりね!」
そう言って立ち上がる。根本的にはあまり解決していないが割と心の中は晴れていた。
「そういえばミラ、どうしていなくなったのか聞いてもいい?」
「ダメ!」
「即答だね…」
普段通りのやり取りをしてさっさと歩き出す。ラザァに背を向けているのをいい事に少しだけ顔が緩んでるかもしれない。




